信貴山に近い街道の玄関わきでトラが威嚇。目的と、意図は…。信貴山と関係ありや否や。
信貴山のトラは、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、
その加護によって物部氏に勝利したことからと言われている。
江戸の経済は周辺地域より入って来た「地廻りもの」と京・大坂を中心とする「上方」から入って来た
「下りもの」に分かれる。大坂圏内からの物資の多くは船で江戸へ運ばれ、
その中の灘、伊丹の酒ところの航行の安全を祈願する奉納石燈籠がある。
「創建は今から約2100年前、第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、
国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、
夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。
その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています」と。
また古くから風の神として信仰を集めており、七月には「風鎮大祭」があり「風神花火」が奉納される。
龍田大社HPより抜粋。
三郷駅を出発して直ぐにある神奈備神社。12月19日なのにまだ紅葉が残っている。
12月に入ってことのほか暖かい天気が続いていた。「大和と難波を結ぶ龍田越えの交通の要所で、
龍田大社に集まる神々の休息の社が神南備神社の様です」と「奈良の神社」にある。
また「神が住む森」という意味であり、神南備、神名備、甘南備、神名火などと表記されると言う。