斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

冬営地

2023年12月08日 | 自己満

遂に*カネディアン冬営地だと踏んだ場所のひとつを訪問した。

 

カネディアン: 金田地区という*テングリ信仰とチベット仏教自体は残っていないが、痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。

 

テングリ信仰: 遊牧民が信仰する天の神

 

前回の記事

カネディアン宿営地3 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

遊牧は結局は水だ!

という事がわかり、水を意識してカネディアン牧民の宿営地をさがす。

 

冬営地候補に挙げられる所は、山あいの低地の川沿い。あのもみじクッキー🍁の葉先の方。もみじクッキーは、丹沢界隈の牧地を分かりやすく表している。

 

今回、見つけたい遊牧遺構は冬営地にあると云われる石囲い。どうやらこの石囲いは家畜の糞や燃料を囲うものである可能性もある。家畜の糞は家畜の防寒用の燃料になる。

 

冬営地候補は夏営地候補より数が多い為、一度で全てを実踏する事は不可能。

 

今日は愛川町。

 

上三増(カミミマセ)というバスの終点迄行く。

 

 

この系統は金田(カナダホト)も通る。○○バスセンター→カナダホト→上三増

夏営地から冬営地へ向かうのか。秋営地はどこにあるのだろう?

 

カナダホト(夏営地)から上三増まで20km強。バスからの景色。川べりは河岸段丘で深い樹木林に覆われ、それ以外は平坦な台地で、草地が多いように思えた。所々に森が点在するようにも思えた。

 

途中に「中荻原(ナカオギハラ)」とか「中平(ナカヒラ)」というバス停があるぐらいなので、土地の痩せた開けた草地だったのだろう。(民家や倉庫やガソリンスタンドや中古車販売店なども存在する。)

 

400年前もこのような植生だったのだろうか?

 

 

上三増で降りる。川の源流を目指して歩く。結構な急斜面を登る。

 

冬の北西の風を避けられそうな低い山がたくさんある。そして小川は崖のような急斜面の下の低地を流れる。文献によれば冬営地に適している。

 

上三増を実踏した感想。

 

川の源流はいくつもあるが、全て深い樹木林の中だった。ジャングル。湧水があるといえども、蒙古出身の牧民がこんなジャングルに宿営したいと思うか?一世帯だとしても、家畜の数を考慮すれば、難しい。

 

モンゴルと日本、こんなにも違いすぎる植生で、どのように営地選定していったのか?農業は絶対にしたがらない人達だ。

 

多分こんなジャングルの中には、家畜の糞や薪などの燃料を囲う石囲いなんかあるわけない。

 

 

三増峠ハイキングコース。

 

 

 

川の源流はダムらしい場所の先だが、ジャングルすぎて行かれない。あと、急斜面。

 

 

しかし一箇所だけ怪しいのがあった。

 

 

 

 

木の周辺に石がゴロゴロ。これはもしかして、石囲いに使われてた石かも知れん。

 

 

 

モンゴルのハンガイ地域、森林や山中で遊牧する牧民もいると聞く。彼らはどうやって遊牧してるんだろ?

 

ラップランドのサーミはタイガ樹林の中でトナカイ放牧をしている。

タイガはこの暖温帯の湿潤なジャングルほど鬱蒼としてないか。

 

 

 

カネディアンはどのような土地出身なのだろう?こんな日本の山林地域、どうやって適応したのだろうか?

 

薪を集めて溜めた場所があった。まさか400年前からあのままなワケねぇ。家畜の糞だってあるワケない。

 

探しているのは、不自然に石囲いそのままの形で残っている遺構。

 

 

 

天神沢。これは天満宮(菅原道真を天神として祀ったもの)が奥にある為、天神の名が付く。カネディアンの*テングリ信仰ではない。

 

テングリ信仰: 遊牧民の天神信仰

 

天神沢沿いの道の奥まで行くと「この先ワナあり(中略)  害猟会」とあるので断念せざるを得ない。自分が罠に掛かってもしょうがない。

 

熊や亥が出る。

 

県道65号。よく考えると、現在はアスファルトで舗装された道路であるが、ここも元来、山中でジャングルである。

野生のもみじ🍁や銀杏がある事自体、深い山中で標高もそれなりに高い?!

 

木の切り株が多く開墾の跡がある。そして杉の植林。

 

杉の植林。杉が無ければ鬱蒼としていなくてまばらな感じなのだろうか?

 

 

 

開墾の跡

 

もみじみっけ🍁

 

 

 

 

 

 

石囲いを求めているため、石や岩などが沢山置いてある場所などが目に入ると全て遊牧遺構だったかも知れない石に見える。

 

 

 

 

 

ここは元は石材店だったのか、土管や岩が多い。

 

ここは川沿いと違い、山間の開けた土地である。

川に沿った樹木林の深い場所ではない。

ここには切り株などは無かった。

 

この道はダンプの通り道で人が通れる道が無いため断念せざるを得なかった。農民が作業をしていたので撮影はしなかった。

 

 

川からそんなに遠くない場所でそれなりに広い土地。家畜を囲い、一つの世帯が冬籠りするには充分な平地面積がありそうだ。現在は畑地となっている。

 

その隣に小道があり、そこを入っていく。

 

 

ここも切り株など開墾の跡なし。空き地にはススキやブタクサなどが多く痩せた土地で、畑作などに元来適していない。

 

ただこの辺りはダンプの通り道なだけあって「残土」問題があるらしく「残土埋立反対」の立て看板がある。元々痩せた農業に適していない平地なのではなくて、樹木林を開墾後、残土で埋めて整地した可能性も考えられる。そのため土地が痩せている。

 

石が多い問題については、この辺りには墓地が多いから石材店が多く、畑などでも余った石を使う傾向にあるのか?

 

三増峠ハイキングコース入口の看板にあるように江戸時代に長野や清川村から石工を呼んで仏像彫刻などを彫らせていたので、その影響で石文化があるのではないかと考えた。

 

上三増のバス停あたりは、山中で以外と山の上すぎるのでもう少し平地に近い、山の麓を求めて○○バスセンターやカナダホト方面に歩く。

結構キツイ下り坂だった。やっぱここはド山中だなー。日が陰ると肌寒くなって来た。北西からの風が寒い。ここは北西の風は避けられない。

 

このような場所は少し角度が違うだけで北西の風が寒い場所があったり、寒くない場所があったりした。

 

遊牧って難しい!

 

この辺り、バス停でいえば「三増」辺りが本当の山麓のような気がする。今日はもう時間ないし、バスなかなか来ないのでここで終わり。また機会があれば実踏して、また、なにか発見があれば書く。

 

 

 

 

 

 

川からほど遠くない開けた土地は冬営地候補だ。残土、整地問題と関わりが無ければ冬営地として充分やっていけるだろう。ただ、異様な石囲いの形をなしているものは見当たらなかった。

 

バスを待つ。

 

このバス会社はこの系統のバスの「金田(カナダホト)」というバス停をを重要視している。どのバス停にも「金田」と書いてある。

 

金田(カナダホト)は、要衝のように通行の利便性が良い。

 

前読んだ文献に、ゲルが集中化しやすい夏営地の要素に「交通の利便性」という社会的条件もある。と書いてあった。それを考えるとなるほどなーと思う。カナダホトは昔から要衝のような場所だったのだろう。

 

夕方のこの時間16:00から19:00台、カナダホトとカナダ下宿(シモジュク)のバス停から駅に向かう乗客が、毎度毎度、異常に多い。ホトと下宿からの乗客で満員になる。

 

他のバス停から乗り込む人間がせいぜい1人、多くても2人。この系統はこの時間帯、多くのバス停を通過する。ホトと下宿からの乗客はこれから通勤する人達のようで、会社帰りではない感じだ。ホトと下宿のバス停の最寄りに企業などはない。

 

民家と美容室と飲食店のみ。何故こうなのか本当に不思議だ。ホト集落民は夜勤勤務に制限されているのか?他のバス停にも民家が多くある。夜勤勤務の人もいるはずだと思うが、それがホトと下宿にやたら集中している。非常に気になる。

 

 

農耕は定住をして、水を川などの自然から取水し灌漑用水など、人の手でコントロールする。

 

遊牧は水を求めて自分が移動し、人の手を加えるとすれば井戸を掘る事ぐらいである。

 

その井戸も移動する際には埋められて元に戻されてしまう為、井戸の遺構も残ってはいない。

 

牧民は足跡を殆ど残さない。

 

 

遊牧遺構があるとすれば、テングリ信仰(天神信仰)の石堆形オボー、家畜の糞や燃料を囲うための石囲い。

 

遺構に頼ってはならない。アキドチャンネルのように“あった!”という世界ではなかった。

 

牧民の足跡(ソクセキ)を追うというのは、地形と水と植生と災害の情報を頼りにするしかない。

 

そして妄想を巡らす。

 

“あった!”とか“ビンゴ!”というのは本当に奇跡である。

 

カネディアンは、倭国という蒙古帝国から全く別の国に来てしまったため、蒙古帝国の制度に縛られる事はなかったと思うが、制度ではなく「慣習」「しきたり」に縛られる事はあったのかも知れない。

 

モンゴルの牧民は社会主義時代には、封建時代(清帝国時代)の遺制に縛られている者がいたという。それは遊牧宿営地遠方移動のしきたりなどである。

 

社会主義崩壊後の現代モンゴル牧民も、制度に縛られているようで、ある郡では移動範囲は通常、所属するバグ(村に当たる)の内部に制限されている。特に冬営地・春営地は基本的にバグ長が認可した一定の場所で行うよう、行政側より定められている。

 

行政側より比較的厳しく管理されている冬営地・春営地に対して、夏営地・秋営地はバグ内であれば場所は自由であり、毎年バグ長に営地の場所を申告するだけで構わない制度になっている。

 

様々な文献に、モンゴルの牧民の冬営地固定論が多いのはこのためではないか?冬営地と春営地が近接していると云われるのもこのためではないかと思われる。

 

現代の文献なども100%あてになるわけではない。カネディアンは400年前の牧民だ。

 

バスの中からの景色。丹沢山塊を臨む。

 

バスに乗りながら、

 

ここは夏営地だ。

ここはオボー祭りで長距離競馬で走った道だろうか?

これから冬営地へ向かう。

あの山麓まで引っ越しをしていた。

この平原のそこかしこに家畜がいて、草食ってた…..

 

などと想像しながら車窓を見る旅は面白い。ここは日本だけど昔はこのような光景があったのだと思う。

 

ということで長文のご精読ありがとうございます。

 

次はいつ行けるのか分かりませんが、暇があれば実踏に充てたいと思います。

 

家の最寄り駅(平地)に帰って来てわかった事。

平地は風が凄く強い。山あいの上三増や三増では風を受けなかった。

 

少しの時間で風が強くなったのか?

 

で無ければ、冬営地選定の予想は間違いではなかった?

 

多分カナダホト(夏営地)は風がもの凄く強いのだろうと思われる。

 

夏営地と冬営地は逆にすることが出来ないというのが分かった。

 

 

夕暮れの防災無線のような曲。

彼はロシア連邦・トゥバ共和国在住のシンガーソングライターである。

夕方にこんな曲が流れたらいいなぁ

 

布団干しっぱなしで家を出て来た。取り込むのがユウウツ😓


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