斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

ミスコンの件

2024年02月02日 | ザ・日本人の気持ち

ミスコンの件

 

ミス日本に選ばれた人、日本人とのハーフですらないウクライナ人だった🇺🇦

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/db7144b9e6cba5dfa7491c1afad1b612977fe5d8

 

「日本女性に相応しい心と健康的な美しさを競う」と謳うミス日本コンテスト。

 

彼女は椎野カロリーナ氏といい、現在26歳。

 

「多様性や人を見た目で判断しない社会づくりに貢献したい」と言っている。

 

しかしこれは一週間程前に物議になっていた。

 

国籍的には日本国籍だから、「日本人」である事に間違いはない。

 

カロリーナ氏は何も悪くはない。「多様性の社会づくりに貢献したい」という考えで参加する事は良い事だと思う。

 

ミスコン側がもしカロリーナ氏の出場を拒否したら差別行為になる。ミスコンは出場を許可した。

 

物議になったが、誰もカロリーナ氏を責める人はいなかった。ミスコン側に100%,120%責任があると言う

 

出場を許可した事に対して苦言を呈する人もいれば、ミスコンが彼女を選んだ事に対して苦言を呈する人もいる。

 

後者が圧倒的に多かった。後者の言い分は「不平等」であるとのこと。

 

後者の言い分の最も多い「不平等」は、カロリーナ氏が西洋人である事。

 

多くの日本人参加者が努力して努力して手に入れるスタイルや美貌を、カロリーナ氏はウクライナ人であるために、生まれながらにして美貌であり、努力無くそれらを手にしているという意見が多かった。

 

カロリーナ氏だって、努力して手に入れた美貌や品格かも知れない。

 

これがミスコンではなく「陸上競技」だと黒人などに比べてアジア人は筋肉量が劣り、骨格も陸上向きではないため、黒人の数倍の努力が必要である。

 

「不平等」以外の不満意見があって、それはアイディンティーの問題。

 

日本人の血が入っていない人に対して、選んだミスコン側の神経が理解出来ないという意見も多かった。そして、「日本人らしさとは?」という問題に発展していった。

 

いずれにしても、彼女に対して失礼過ぎるだろう。

 

ラグビーなどのスポーツだと、日本代表の選手は外国人だらけである。

それも、日本国籍など有していない選手ばかりである。

彼らはラグビー日本代表にもこんな苦言を呈するのだろうか?

 

スポーツは勝たなければならない。戦力になる者に対して、外国人だから排除しようなどと言ってる場合ではない。

 

ミスコン側が「日本人女性に相応しい」と謳わなけらば物議にはならなかったと思う。

 

和と洋は見た目が違う。自分でも洋を見て日本らしい容姿だとは思わない。

 

日本人の8割型、東洋(和)顔である以上は、日本人らしい容姿といえば、和だろうと一般的には思う。差別とかそういう問題ではなく、数の問題。

 

ミスコンも毎年、謳い文句を変えるべきだと思う。

 

 

ということで、ご精読ありがとうございます。

 

 

ここから先の記事は、日本人のアイデンティティーについてくだらない長文をダラダラと書くので、忙しい方や、読むのが面倒くさい方や、民族的なアイデンティティーという物をさほど重要ではないと思われる方は、時間を割くだけなので読まなくても構いません。

 

🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧

 

こんなツイート(ポスト)を見かけた。

「国籍が日本であるにもかかわらず生まれ育ちや「血」の要素で純度100%の「日本人」を要求するの、端的に言ってニュンベルグ法と紙一重であり最悪だが、それはそれとして「血」や民族的な日本人らしさに回収されない「日本らしさ」って何なんだろう、ということをずっと考えている。」

《引用: 副主席氏ツイート》

 

このツイートにリプはしなかったが、自分はこう答える。

 

「教育」と「制度」

 

西欧の教育を受けた人間は、日本人であっても西欧的な考え方になる。

国の制度は国民の行動や生き方に多大な影響を及ぼす。制度も日本在住の人間が考えたとも限らず、外国の制度をそのまま真似して施行する事もあり得る。

 

これらは「血」でも「民族性」でも何でもない。

 

ほとんどの国の国民性は国家戦略の「教育」と「制度」の影響を受ける。その他にもプロバガンダや情報統制やマーケティングの影響も受ける。

 

寧ろこれらの方が大きく「日本らしさ」に貢献していると思う。

 

副主席氏のツイートのリプに最も多いと感じたものは「日本語・言語」

 

確かに、国の公用言語と民族・部族は全員が一致するとは限らないが、日本が一つの「日本民族」として定義する為に「言語」というのは最も重要な条件である。

 

「日本語」を話すので「日本民族」である。人間というのは言語によって自分の帰属を決める。

 

民族定義というのは非常に難しい。これは学者でも頭を痛める問題のようだ。

 

中東や旧ソ連圏や東欧や遊牧民族や欧米などに比べると、日本人は「民族的アイデンティティ」という概念はないのか?と思える事がある。

 

旧ソ連圏出身のYouTuberの話などを聞いていると、日本では考えられない程、民族的アイデンティティを持っている。

 

戦時中の日本も国民に対して、民族教育をしていたらしいが、現在では戦争の反省もあって、日本人としての民族教育を排除してきたらしい。

《参照: 今西きんじ氏ツイート》

 

海外在住の日本人のSNSを見ていると、海外の日本人コミュニティーはあっても存在しないようなもの。と高頻度で書かれている。

 

日本人の結束が弱いどころの問題ではなく日本人同士、同調圧力、足の引っ張り合い、マウントの取り合い、仲間ハズレばかりが横行し、タワマンのママ友がやっている事と同じで糞の役にも立たない。大の男ですら、タワマンのママ友化している。挨拶しても返さない人が多いらしい。

 

日本人同士なのにとっても意地悪な人が多いらしい。

 

意地悪な日本人は、現地の白人などにはヘラヘラして外面が良いようだ。

 

そういう日本人は、タワマンに住む感覚で海外移住し、日本本国にいる人にマウントを取るような人種ではないかと。

 

日本人同士の軋轢はなくとも、世間での薄っぺらい付き合いに留まり、緊急時や本当に困った時などは徹底した「我関せず」の態度を取られ、完全に無視されるケースもとても多くあるという。

 

一人の頼れる日本人に一方的に、過度に依存する日本人もいるという。頼られた側はある程度までは許容出来ても、許容範囲を超えて負担になっているという。

 

せっかく日本人同士の友達が出来ても、相手がやたら自分に対して支配的だったりする事が多いらしい。

 

日本人海外移住者は、同じ海外移住の日本人と適切な距離で付き合えなくて非常に悩んでいるという人が多くいる。

 

それでいて日本企業で働く日本人は、プライベートは無関係でも、組織では非常に団結力があるという。

 

日本にいる日本人とは全く違うという。

 

だからといって日本人は外国人コミュニティーに入れてもらえない。外国人同士は、よほど仲が悪い民族や国でなければ入れてくれるらしいが、何故か日本人は入れてくれないらしい。外国人同士といっても、国は違えど同じ言語圏や同じ語族圏はつるむと言っていた。

 

そこで海外移住者の日本人だけポツンとなる。日本人はおかしい奴ばかりだ。かといって色んな外国人の群れには入れてくれない。特にアメリカではそういう傾向が強いらしい。

 

英語が流暢に喋れても、非英語圏にしてみれば、母国語で話せる人やそれと近い語族の人と付き合いたい。母国語英語話者は、日本の拙い英語の人と話すより、細かいニュアンスまで意思疎通の出来る母国語英語話者同士と付き合いたいと考えるらしい。

 

どこの国の人も、細かいニュアンスまで意思疎通が出来る人と付き合った方が楽である。

 

そこで日本人は、自分のアイディンティを自覚する事が多い。日本人だけは独特だと。日本人同士で日本語が通じるはずなのに、意思疎通が難しい人が海外移住者には多いと聞く。

 

他の外国人コミュニティー、例えば中国人、インド人、アフガン、中央アジアなどのコミュニティーは結束が非常に強く、中央アジアコミュニティーは、住居から車から就職から何から何まで世話をする。そしてたまに広い公園などでプロフ(中央アジアのピラフ)パーティーなどをやったりしている。

 

日本人コミュニティーではそういう事はまずあり得ないという。

 

中央アジアの人は、古来より民族ベースで動く事が多かった為、このようであると考えられる。

 

中央アジアのタタールは、この戦争中、ロシアとウクライナのタタールに中央アジアに来られるように手を差し伸べる。

 

テュルク系民族は同胞には優先的に手を差し伸べる。日本人はこの仲間には入れない。例え手を差し伸べられたとしても、日本人側が拒否する可能性がある。日本人はこの手の付き合い方には慣れていない為、距離を置いて自ら離れていくだろうと思われる。

 

日本人は「日本民族」という民族ベースで動く事は歴史上あり得なかった。

 

日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。だから海外での日本人コミュニティーの意味が無いのはしょうがない。

 

元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが「日本語」。

 

それに比べ、大陸では国を持たなくても民族ベースで動いていた。日本とはまるで違う。

 

日本語には、英語の「ネイティブ」に相当する言葉は存在しない。これはロシア語にもタタール語にも存在する。

この「ネイティブ」というのは、「祖先の故郷を想う。」 「血に刻まれた懐かしさ。」 「遠祖から自分に伝わる想い」などのニュアンスである。日本語にはこの概念がなく、日本人にもこの概念は無い。

 

日本人の多くは自分の民族的ルーツに関心がない。眼中にないというか、発想にない。

 

自分の両親をはじめとして、幼馴染みや、懇意にしていた人などに、民族的ルーツについて話をした事があるが、返答が「カルガリー氏はとっても変わった事を考える人だね」と鼻であしらわれたり、それに答える事なく、違う流れに変えられたりした。

 

真面目に答えてくれた人でも、家業の話をしたり、田舎の話をする。日本人に民族的ルーツについて話すのは意味がないのである。

 

そもそもそんなものはない。そんなものは日本人には理解出来ない。自分も旧ソ連圏や、遊牧民族に興味関心を持つ迄、そんな概念は無かった。

そういうものに触れてみて、目新しい概念だったので初めの頃は面白かった。

 

自分が異国と血縁的な繋がりがあるのではないか?という事を大半の日本人は考えもしないのでそれは仕方のない事だ。

 

「国が破滅や追い込まれると自分たちのアイデンティティを確立するのは、バビロン捕囚のユダヤ人もそうだし、南宋での朱子学成立もそう。タタールのくびき後のモスクワ大公国が第三のローマ論もそうよね」

《引用: 耶律阿保機氏ツイート》

 

「日本民族」として、国が破滅に追い込まれた事は第二次世界大戦で敗戦した事以外にはかつて無かった。

 

「日本人らしさ」を形づくっているのは「民族性」などではなく、「教育」や「制度」や「情報統制」や「マーケティング戦略」ではなかろうか?と考えている。

 

日本に移民して来た様々な民族は、国を追われた経験がある者が多いと思う。彼らの民族的アイデンティティや、文化や慣習、精神性など、それこそ「ネイティブ」があったはずだが、日本にはそれらの面影や痕跡が全く見当たらない。

 

欧州や英米諸国から日本は「孤立文明」と言われ惑星扱いをされ馬鹿にされている。

 

日本には大陸に影響を受けた文物、建築物はあるが、世界と共通する慣習などの痕跡がないと言う。

 

よく、「日本の常識、世界の非常識」と言われるのは、世界と共通する慣習などがなく、日本独自の慣習で生きているからである。

 

これは以前からとても不思議に思っていた。

 

 

ミスコンは、毎年決まって日本人らしい容姿の女性と表向き謳うが、実際にいかにも日本人の容姿が選ばれた試しがない。

 

日本人が考える日本人らしい容姿。ミスコンは160cmから出られる。

 

身長160cmでミスコンの中で一番背の低い、短足で直毛黒髪、一重瞼、下ぶくれの顔形、まるで源氏絵巻きから出てきたような顔立ち。

 

そんなにくびれてもいないし、貧乳であるが、努力してシェイプアップのおかげで身体が引き締まっていて姿勢も良い。

 

馬に例えると「日本古馬」といった感じ。

 

知性も品性もあり、内面の美しさも滲み出ている完璧な女性であるが、ミスコンには選ばれないと思う。

 

ミスコン側としては、日本古馬より「サラブレッド」のような女性ばかりを選ぶ。

 

ミスコンは、表向きとはだいぶ違うように思う。

 

女性本人の努力以外の部分の、身長や瞼やプロポーションなどの、どうにもならない特徴がある。

 

それが、日本人が考える日本人の特徴である。特に西洋人と比べた場合に顕著にでる。

 

結局、ミスコン側の美意識に当てはまる女性が選考される。その美意識というのが、西洋の美意識。

 

だから「日本人女性として相応しい」と謳う以上は、ミスコンの美意識を改めなければならないと思う。

 

いつか「日本古馬」ばかりが優勝するミスコンを見てみたいものだ。

 

この「日本古馬」のような女性、日本人男性から見ると、安心出来る女性のような気がします。

 

知らんけど。

 

そして教養も品格もある。最高じゃないですか。

 

*普通、やまとなでしこというが…..

 

自分が思うに、ミスコン自体が馬の品評会のようだ。

 

馬の品評会みたいな事を女に対してやる事自体が、非常に田舎くさく、今の時代に適してはいない。

 

 

椎野カロリーナ氏は日本人である。

詳しく言えば、ウクライナ系日本人である。

 

ツイッターXでバズっていたのが、「日本人らしさ」とは何か?国籍(制度)以外で、何をもって「日本人」と判断するか?という議論ばかりが流れて来た。

 

それが、どうやら「日本人」という品種の外見、内面的特徴とはなんぞや?

 

から始まって「日本人」という品種は他の東洋人と顔立ちの区別は出来るか?出来ないだろう?

 

という話になり、「日本人」は周辺の色んな民族が渡来して出来上がった品種だから、様々な種が交雑して現在に至っている為、「日本人」という固有の種は元々存在していなかった(日本人の原種は存在しない)というツイート(ポスト)も見かけるようになる。

 

これを要約すると「日本」は「アメリカ」っていうものと同じだと言っているようである。この人はどうやらアメリカ在住である。

 

アメリカは言うまでもなく、多民族国家である。そして公用語は英語(事実上)である。

ロシアや中国も多民族である。

 

ロシア、中国は地続きで包括的に支配している為、結果的に多民族国家になってしまった。

 

アメリカは、色んな所からの渡航者による寄せ集めでアメリカという国が成り立っている。ロシアや中国と違うのは、大陸(ユーラシア大陸)と地続きではなく、海を渡り、理屈上「島」のような環境の大陸に渡り、先住民と移民で出来上がった多民族国家である。

 

その点、日本も米国と似たような環境であった。日本との決定的な違いは、米国が植民地であった事。

 

学校🏫の教科書が言うのには、日本人のアイデンティティは、縄文人と弥生人が交雑して現在に至るという設定である。

 

これは冷静に考えなくても、明らかにおかしいデタラメであると分かる。

 

それを信じる大人が多い。縄文顔、弥生顔という冗談を本気で言う大人が多い。酷い話になると関東は縄文で関西は大陸と二分する人までいる。

関西は関東よりも比較的、大陸的な文化の特徴が強いように思えるが。

 

日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

近現代カマー

平成→令和

 

カロリーナ氏は、近現代カマーのウクライナ系日本人という定義づけで宜しいかと思います。

 

縄文人自体が単一民族であるはずがない。縄文時代にも、一日あたりなん人かは分からないが絶えず外から渡来していたと考えられる。

 

あまり信憑性は無いが、ある人のYouTube では縄文時代で一番人口が多かった時期は日本全土で26万人いたという話をしている。

 

江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと言われる。

 

それを考えると「本当の日本人とは何か?」という質問がアホらしく思える。

 

縄文人と弥生人が交雑して、現在に至るとは?縄文人を先住民、弥生人を移民とする概念で語れば、その通りである。人種的な違いではない。

 

縄文人も弥生人もそれぞれ単一民族ではない。縄文時代は15,000年程続いた平和な時代だった。それは人種的な遺伝子のせいではなく、自然環境のせいである。縄文時代は温暖な気候で、食物が豊富で、土地の所有もなく、人口も過密ではない為、戦争をする理由が無かった。

 

弥生時代に入ると、気候がやや寒冷になり、食物が安定的に手に入らなくなる。そこで大陸からの移民で稲作に詳しい人間が食糧問題の解決の為、米作りを始めたらしい。

稲作にあたって土地の所有が始まり、大陸から鉄器文化が入って来た。つまり、武器が入って来たのである。農具は鉄の平和利用であったが領地を所有して武器を手にすれば人は戦争を始める。

 

縄文人だったものが、弥生人になったと考えた方が自然であると近頃言われはじめている。

 

縄文人が先住民、弥生人が移民という概念で語れば、日本にはそれだけしか存在しない設定になる。

 

日本はいつの世も、次の移民が入って来れば、かつての移民は先住民になり、さらに移民が来ればまたかつての移民は先住民になる繰り返しの歴史である。

 

 

そんな偉そうな事ばかりを書く自身は昔、英国白人から「カルガリー氏は大陸のアジア人と顔立ちが全然違う、まさに日本人の顔立ちをしている!」

と日本語で言われた。だから日本人特有の骨格はあると思う。

 

日本人からは「東南アジア」とか「ポリネシア」寄りの顔をしていると言われる。

 

確かに、ベトナム人かインドネシア人で、総務が自分とその人をよく間違える人がいる。

 

昨年、マイ・ヘリテージ社のキットで興味本位で自分の先祖のルーツを調べた。

 

自分は100%日本人でした - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

純度100%の日本人である事を自慢するわけではない。自分は全く他の現存するいかなる民族とも血縁関係に無いと断言されてしまった。

 

自分はどうやら純度100%のアンシェントカマーの日本人。つまり「日本固有種」「日本人の原種」「日本の原住民」であるようである。5万年から3万年前に日本に渡航し、全くその後の移民とは交雑をせず、現在に至るという。

 

純度100%の日本人である事のメリットは何もない。第一自分の家系は王族でも皇族でも何でもなく、なんにもない家系である。ただの無能な原始人である。これのどこが人様に誇れるものがあるのか?

 

純血より混血の方が優秀な子孫が出来ると思う。様々な複雑な要素を人格の中に取り入れる事が出来る。複雑な要素を持つ人は性格が複雑な人が多いかも知れないが、優秀であり、懐も深いと思う。多様な歴史の歩みが刻まれているのだから。

それが羨ましい。

 

単血って、面白くもなんともない。原始的な順風満帆な歴史を延々歩んで来ただけであって、人格が薄っぺらい気がする。人の苦労も分からなければ、深みもない。

 

そんな事を書くと人種差別だと言われそうであるが。

 

ここまでの単血は日本ぐらいにしか残っていないとも書類に書いてあった。

 

これは冗談ではない。初め、マイ・ヘリテージ社が冗談を言っているのかと思った。

 

信じたくはない!!

 

不愉快な真実を突きつけられてしまった😱

 

その後日談。役所や寺などに一人で赴き、戸籍などを調べて家系図を作った。衝撃‼️の事実が分かった。

 

辿れる範囲内のご先祖様の全てが、氏族内婚である。(親戚同士でしか結婚をしていない)

父と母は両方とも違う内陸県の出身だが、両親の家系とも氏族内婚しかしていない!!!

 

皇族でなくてもこんな事あるのか?!

 

両親の出身地は、両方とも深い山の中の隔絶的な孤立集落である。そしてそれを更に深掘りしてみた。両方ともかつては被差別部落であったとネットに書いてあった。

 

自分は両親の田舎に行った事があるが、被差別部落の独特な雰囲気を肌身で覚えたのではないだろうか?と思う。

 

だから自分と全く無関係な被差別部落に足を踏み入れる事があっても、ここは部落だとすぐ解るのではないか?

 

部落民は部落民としか結婚出来ないとよく聞くが、部落の垣根を超えても被差別部落民同士であれば婚姻は可能なのか?

 

今は両方とも解放され、部落婚の制度から解き放れている。いつ制度から解放されたのか、それが明確にわからない。

 

それとも「差別」などがまだ酷い時代だった為、部落解放後も移民日本人との結婚を自らしなかったのか?

 

移民日本人と結婚しても差別されるから。

 

しかしそれらはネット上の情報であって郷土資料などに依るものではないので、「部落」という事が事実かどうか分からない。

 

被差別部落でも何でもなく、日本の歴史とも世界の歴史とも全く関係なく、山奥で外との接触も皆無でただただ順風満帆に生きて来た家系だとすれば、本物の「平和ボケ」である。

 

だから自分の両親は、順風満帆で何も問題のない家庭が築けたのではないか?と思える。他人の家庭の内情を聞くと複雑で色々あるなーと思う。

 

自分は両親の口から直接、自分は「部落民」だったという話を一度も聞いた事がないが、自分は親戚の顔をろくに知らない。父方の実家は山深過ぎて非常に遠い為、最後に行ったのは自分が小学2年の時以来である。

 

母は実家と絶縁しているので、自分が知らない間に祖母が亡くなっていたらしい。

 

正月や盆に親戚全員で集まるという感覚が自分には全く分からないのである。親戚とか、血縁同士という感覚が全く理解出来ない。親戚との繋がりが全く無い。

 

孤立核家族家庭で育ったが、家庭環境は順風満帆だった。両親と自分と妹の4人家族だが、父は定年まで平社員だったが、問題も起こさず勤勉に働き続け退職し、現在は静かに穏やかに余生を送っている。母は自分達が高校を卒業するまで専業主婦だった。母はやたら世間の目を気にする。妹は兎に角糞マジメで、真っ直ぐな性格で、曲がった事は大嫌いで冗談も通じない。妹とはふざけた話は出来なかった。自分としては大ザッパで、他人からはおっとりしてる。マイペース、気が効かないと言われている。変に愚直でマニュアル的なものがあればそれに従順に従う。義務的な事さえ終わればあとはどうでも良い性格である。

 

家族全員、誰も特定の宗教など信じてなく、だからと言って無神論者というわけでもなく、彼岸には墓参りに行くし、正月にはイベント感覚で初詣に行く。クリスマスなども普通にやる。

とにかく順風満帆だった。それで今でも実家が居心地が良い。逆に実家にしか自分の居場所がない。

家から一歩でも外へ出ると敵ばかりの人生だったので、家族と本当の幼馴染以外誰にも心を開けない。だから身内がもっと欲しい。親戚が欲しい。

 

欲を言えば、大陸や島嶼に血縁があって、大陸の人間のように氏族同士が密な環境下に生まれたかった。

 

自分が他人とのコミュニケーションが、幼い時から全く上手く出来ないというのも、孤立核家族家庭という生育環境の影響もあると思う。

 

大陸に憧れがあるものの、自分は全くそれに相応しくはない。

 

大陸と自分との違いが、逆にとても新鮮で面白い為、大陸に魅了されるのではないか?と思う。

 

大陸や島嶼との血縁に恵まれた多くの日本人は、先祖帰りをすべきだ。自分のルーツを知り、自分のルーツのある国を訪れる事や、その国を愛でる事を勧める。

 

自分はそういう理由で特定の国を訪れるなどという事は不可能なのだから。

 

大陸とか島嶼など異国にルーツがある人が非常に羨ましい。

 

マイ・ヘリテージから送られて来た書類やDVD、何処かにしまいこんで、探しているが出て来ない。

 

先日、その懇意にしていた人から

 

「チャットGPTと会話してるみたい。」

 

と言われたきり、連絡が取れなくなりました。

 

 

長文の駄文のご精読、本当にありがとうございました。私事をつまびらかにしてしまい、デリカシーなく申し訳ございませんでした。


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