斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

冬営地を探して(角田《スミダ》編)

2024年01月26日 | 自己満

*カネディアン🔱牧民の軌跡を探している。

 

前回は、カネディアン🔱牧民の冬営地候補の一つと踏んだ上三増(カミミマセ)に行った。

 

カネディアン: 金田地区という蒙古集落の痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。

 

*蒙古.... 特定の国の名前を冠してしまいました。大変申し訳ない。

 

カネディアン🔱とは約400年前、日本に渡航して来たモンゴル系牧民である。

 

冬営地・前回の記事

冬営地 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

前回、家畜の糞・薪などの燃料を囲う「石囲い」を探した。

 

石囲いがどんなものか?以前は想像上だけであったが、石囲いらしいものをツイッターXから入手した。

 

 

 

 

モンゴルの冬営地での動画。石囲いというより、土を人為的に固めたものによる囲いである。

 

規模感は掴めた。

 

モンゴルの丘陵地は日本のように雑木林ではない。

 

400年前のカネディアン🔱は、家庭にもよるが、平均的にどれだけ家畜の数を有していたのであろう?

 

家畜の数によって石囲いの規模も変わる。

 

往時の倭国(戦国末期から江戸中期頃)に存在した家畜といえば、牛と馬と山羊しかいなかった。

 

カネディアン🔱絨毯問題を考えていたが、山羊の毛で作っていたのであろうか?

祖国から持ってきた絨毯は羊毛だが、倭国に来てからの絨毯は山羊毛?毛先が痛そうである。

 

カネディアン🔱はどこから倭国にて家畜を得たのだろうか?

 

農村などからの掠奪である。

 

幕藩体制以前の倭国に於いて、馬は騎乗に使われていた。その他には荷物運搬用の駄馬としても使われていた。農耕にも使われていた。牛も同様に農耕や荷運びに使われていた。山羊は非常時の食用として飼育されていた。

 

 

冬営地にも*オボーがあるのではないかと考えるようになった。

 

オボー: モンゴル人が神や先祖を祀る祠のようなもの。

 

モンゴルの旧正月、ツァガーンサルでは丘の上にあるオボーに牛乳や米などの白いものを撒いたりしている。

ツァガーンサルは「白い月」という意味。

2024年のツァガーンサルは2月10日。

 

冬営地にも夏営地にも祭祀オボーがある。

 

春夏秋冬全ての宿営地にあるのだろうか?

 

カネディアン🔱冬営地にも天神(テングリ)祠がある可能性がある。

 

あるとすれば丘の上だろう?

 

祠なり、何らかの形で残っていればいいが、オボーは永遠に定着するものではない。

 

 

 

愛川町 角田(スミダ)地区に行ってみた。

 

 

冬営地と踏んだ理由は、川(中津川)の近くで、緑色の部分の近くである為。

 

緑色の部分は小山で、北西の風を避けられる場所であろうか?

 

地図上で見る限りそう見える👀

 

愛川町役場前のバス停で下車し、角田地区へ向かうが...

 

緑地というのは小山ではなく、段丘に沿って茂る雑木林であった。角田地区にはこの段丘を降らなければ行く事は出来ない。

 

段丘というより、寧ろ「崖」

 

これでは山羊🐐以外の家畜が降れない。人も降れない。

 

降った先には田地が広がる。

 

これが角田地区。

 

地図上で見てるだけでは絶対に分からない地形。

 

台地から対岸までの地形

 

台地→崖→田地→高い堤防→川(中津川)→対岸の山

 

田は、川沿いに延々続いている。

 

 

 

堤防から見る田んぼ

 

中津川沿いは延々田地のようだ。

 

中津川は狭い川である。

 

中津川河畔を宿営地にして、放牧地にする事は難しい。

 

まず、どうやって中津川河畔エリアに入り、角田地区まで行くのか?

 

中津川沿いの厚木市妻田まで戻らなければ入れない。

 

中津川は、崖と崖の間に挟まれている状況である。

 

両岸の田地は湿地帯だったのだろうか?

 

川の近くには、高い堤防があり、田んぼの方が川よりも低い位置にあるように見える。

 

このような場所は400年前には定住農耕民が住み、カネディアン🔱とは棲み分けていたのだろう。

 

カネディアン🔱は耕作に不向きな台地で放牧。

 

今昔まっぷを見なければ昔の植生は分からないが、今昔まっぷも遡っても江戸までだろうと思う。

 

カネディアン🔱の末路はどうなるのか知っていても、それまでの自由な余生をどう過ごしていたのか?

 

それにしても田地から台地まで上がるのは非常に大変だった。

 

角田地区には石囲いとオボー(天神祠)は無かった。

 

石囲いは本当にあるのだろうか?

 

愛川町役場付近。ここは台地だ。

 

 

ここから小山が見える。

 

ここの方が冬営に向いているのかも知れない。

 

機会を作ってまた行くつもりだ。

 

営地選択は一筋縄には行かない。当時のカネディアン🔱の倭国の複雑な地形に於いて、営地選択の苦労が伺い知れる。


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