内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩その2
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内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩 - カルガリーたん
相模川中腹の内陸の平原地域を散歩。色んな曲を聞きながら歩きました。(途中、バス移動🚌もあります)
景色とか場所に似合う曲を聞きながらの散歩は、なんにもない所でも感慨に浸れる。特に歴史を妄想しながらのお散歩は余計テンションを増長させる。
この日は寺社仏閣に行ったが、めっちゃくちゃ間違ってる事を書いてしまっている可能性大で、神仏に大して大変失礼に当たる可能性が高いので、正式名称は伏せておきますので、悪しからず。
2社立ち寄ったんですけど、大まかに言えば2社とも厚木市。それだけしか情報開示が出来ない。
在来線を降りて、川に向かって坂を下る。この時トゥバ共和国国歌をビンビンに聞いていた。丹沢山塊ってデカいんだなー。天山山脈だったらこれの何倍もでかいんだろうな。
天山山脈とトゥバ共和国は、ある場所が全然違う。トゥバ国歌カッコいい!中央アジアの風を感じる。
そこらへんにあるモノも中央アジアのそこらへんにあるモノに見えてきた。
この木造の車輪、カザフスタン🇰🇿とかウズベキスタン🇺🇿の民家に立て掛けてありそうな雰囲気。
橋を渡る。
渡ってすぐ、小さな神社がある。Мэдлэг(メドゥレグ)神社(仮)という無人神社。
・Мэдлэг(メドゥレグ神社(仮))の概要
《猫の足あとさんのHPより引用》
写真見て神社の名前バレバレ💧逆に神社名隠す方が失礼かと思える。
祭神は「磐筒之男命」
初めて行ったので、初対面で、向こう私の事知らんのに、お願い事をするのもアレやし……
心の中で「初めて立ち寄ります。ここに来るご縁を頂きありがとうございます。」
という挨拶と、世界平和🕊を願った。
来た理由は本当に単純で、この神社は昔
「奉納神事」で競馬が行われていたという事に魅了されました🏇
どこに競馬場があったのか?皆目見当もつかず。
「奉納競馬」って遊牧民もやってる!!!
祭典にはАлтан Талбар(アルタンタルバル)(仮)まで神輿が渡御するМэдлэг(メドゥレグ)郷(仮)の鎮守社として祀られていたとの伝承がある。
もしかしたら….だけど、ここからАлтан Талбар(アルタンタルバル)(仮)まで奉納競馬🏇も行われてたんじゃないの?!
非常にビリビリするワクテカな妄想が始まる!
Мэдлэг-Алтан Талбар間は10km強ある。
ナーダムやん!!!!ナーダムの競馬部門やん!!!プチ・ナーダム🇲🇳
ナーダムとはモンゴルにおいて年に数回行われる国民行事、民族の祭典である。
最も大きいのが国家主催の国家ナーダムと呼ばれるもので7月11日の革命記念日にちなんで行われる。11-13日まで行われる。
国家ナーダムの競馬は、約30kmを子供が騎乗して行われる。元々は奉納神事だった。
昔、某滞在記という番組モンゴル編で、このガチ国家ナーダム30km競馬に日本人の大人が乗ってレースしてしまった。後日モンゴルから番組宛に大苦情が来たという有名な話がある。
某滞在記はヤラセが多く世界中から苦情が寄せられた番組だった。
という事で、このМэдлэг-Алтан Талбар間の距離を実際に感じてみたくなり、Мэдлэг神社前で馬ではなくバスに乗り、Алтан Талбар神社前で降りる事にする。
バスの途中の写真を撮り忘れた。
右手に山脈が見える原野を、馬で疾走した!
馬だったらこんな距離へでも無いのかも!
バス乗ってると結構な距離があった。
このバスなんかよりも早く走ったに違いない。
距離が距離だから中央競馬ほど爆走はできなかったろうけど、ここを遊牧民みたくナーダム競馬の名残りのような事をしていた!
ヤバい!!!
馬ならモンゴル平原からフィンランドまでも遠くない!
そんな気がしたりと
ビリビリしながら歴史妄想浪漫に浸る。
遊牧民みたくと言ったが、厚木平原は良馬の産地。日本に流れ着いた遊牧騎馬民族が本当にこの辺り一帯で暮らしていたのかもしれない!
ガチでそんな気がしてきた!
馬を連想させるモンゴルのロックと、トゥバのパンクを聞きながらナーダム気分に浸っていた。
そしてАлтанталбар神社前で降りる。
・Алтан Талбар(アルタン タルバル神社(仮))という無人神社。
アルタン神社の概要
《猫の足あとさんのHPより引用》
祭神は「豊玉姫」
ナーダム競馬奉納神事のゴール、Алтанталбарに到着。
来た理由は、前社よりもっと単純で、プチ・ナーダム競馬神事のゴール地点なのと、ここの地名に
Алтан(アルタン)→「金」を意味する。が頭文字としてついているのが以前から気になっていた事。
遊牧アディクトとしては、相模川中腹内陸平原に「Алтан(金)〜」なんて地名があったら、もしかしたら渡来牧民居留地だった可能性大かもとか思うやん。モンゴル本国にアルタン〜という地名がいかに多い事か。
この社も初めて行ったので、お願い事などをせず、Мэдлэг神社と同様に挨拶と、世界平和☮️を願った。
元々のАлтан神社の祭神は分からなかったそうです。
神号を或いは「舶来」と書す。祭神を知らず。
北条と信玄の戦争により焼失し、再建され、祭神を「豊玉姫」という海神を安じた。
この社は、不明な事が多い。
元来この村は「船田」と言われていたらしい。
部分的にビリビリする部分を抜粋したが、まず
「舶来」→「はくらい」とも読む。
舶来といえば、欧羅巴や亜米利加大陸などから貿易船でワインなどを運んでくる印象だ。
舶というのは大型船舶を意味する。船よりもデカい。
何故鎌倉時代、南蛮貿易やら大航海時代が始まる前で「舶」か?
遊牧アディクトだからこんな考えを持つのはしょうがない。
「舶」は、遊牧騎馬民族が馬を始めとするラクダや山羊などの家畜や家族、一族郎党を乗せた舶。
遊牧民は大所帯!!
舶来牧民は、シャーマニズム信仰であった。
憶測に過ぎないが、チンギスが動き始める少し前に、一人のシャーマンによって海を越え、日本に導かれる。
チンギスが侵略をしてまで領土を拡大した理由を考えた事が今まで無かったが、これを機に考えるようになった。
本当に憶測だが、気候変動による大干ばつなどの予兆があり、実際に何らかの気候変動が起きたのかも知れない。遊牧民は領土を他から奪ってまでも生きて行かなければならなかった。
或いは海に出て新天地へと。
そして舶来牧民となった。
船田村はどういうワケかいつの間にか金(Алтан)田と名称が変わっているが、これも大陸の遊牧民が頻繁に使用する金(Алтан)を自分らによってつけてしまった可能性がある。
鎌倉時代に地頭という体制側の暴力機関の人間、本間氏がこの社を創建。
シャーマニズム信仰の牧民がどういう経緯で、この社を建てさせたのか?或いは建てろと言われたのか知らんが、創建。
祭神を知らず。
そりゃ倭人は知るわけがない。シャーマニズムは精霊が憑依して言葉を語らせる。
その精霊というのが語り手の先祖霊である。
この社に祀られている祭神は、この一族この集落に住むシャーマンの先祖霊の一人である可能性がある。そして現在でもこの社にいる可能性大。
舶来牧民は厚木台地一帯に居住していたが、幕府の都合で船田村(金田村)に強制移住されてまとめられた可能性がある。
そして北条vs武田の戦争
社焼失。
再建。祭神を豊玉姫という海神にする。
豊玉姫は、海洋の航行の安全を守る神。
これで良かったのかもしれない。和人による策なのか、集落の牧民の要望か分からんが、豊玉姫が最適だろうと思う。
大陸から航海の間、犠牲者もいたかも知れないが、航行の安全が守られたおかげで倭国のこの地に辿り着く事が出来た。
という事で妄想は以上。
参拝後、Twitterを見ると偶然「旅の本屋のまど」という本屋のツイートがモンゴルの事を呟いていた。
これは縁だ!と感じ、旅の本屋のまどさんに、先のモンゴル旅行の経費を質問してみた。
関連する記事があると質問がしやすい。
こないだアルタンボラグをググったら風の旅行者出て来て5日間のツアーが27万8千円ヒョエー😱で、スルマック作るテンゲル合宿3日間で78,100円!これでも私にとっちゃヒョエー😱やんか!
あとスーホダイニング!福岡だし家からめちゃくちゃ遠いー!!!ヒョエーだらけだったが、
旅の本屋のまどさんの返答によれば、非ブルジョワの私でも、モンゴルに旅行出来そうな手が届く範囲の金額であった。
旅の本屋のまどさん、ありがとうございました😭
アルタン集落にあるコンビニに立ち寄る。
月餅の取り扱いが無い!!!!!!!!
これは!金田だから月餅を忌避するんか?!
昔からモンゴル人に月餅あげちゃいけないと言われ続けて来た。
元支配下に置かれた漢人が元を倒すために月餅の中に「モンゴル人を殺せ」書かれた紙を入れて渡したとか。
↓
月餅をモンゴル人に薦めてはいけない理由 : モンゴル情報クローズアップ!
漢人の謀反により元朝が滅んだ元凶である。
そんな史実があって金田牧民も月餅を忌避するのか?!
金田牧民が定着した時と元帝国崩壊は時系列が少し変だが、なぜか月餅を忌避しているように思える。
後日金田集落のコンビニやスーパーに行って月餅という月餅の取り扱いが無いのか確認しに行きたい。
蒙古神は元寇襲来を嫌うようだ。
元寇襲来のネタを開いて、金田神社の情報(猫のあしあと)さんのページをwifi繋げて同時に開いたら、金田の方が元寇に反応したのか?金田のほうがサーバがダウンしてしまった。
偶然かもしれないが、これ以上並べ立てるのはやめようと思った。
在倭国蒙古人は当時、相当心を痛めただろう。彼らは迫害されたり、倭人に殺されたりしたのかもしれない。「元寇」「元寇」と言われる事をとても嫌がった。人のやる事と人の心は過去も現代も、何も変わってはいない。元寇襲来によって九州で迎え討つ倭人兵士は全員討ち死にした。狭い日本では情報の伝播に時間は掛からない。
日本に昔々からいる神と大陸出身の神とでは性格が全然違うということが解った。
日本に昔々からいる神の領域は、神の存在が強くない気がした。神は主張しないというか。
大陸出身の神は自分が領域に人が入ると存在を主張した。強い力を感じた。
日本古来からある社の周辺の地域の雰囲気と大陸から来た舶来の社周辺の地域の雰囲気も全然違う。
日本と大陸はそもそもメンタリティが違うと言われるが、その意味が体感として分かった。
遊牧アディクトだから、何でも遊牧国家と関連づけて考えて、何でもそれに見える。もう、勘違いの嵐。100個の憶測のうち一つぐらいは当たってもいいと思います。日本、関東に舶来牧民の痕跡は有りますでしょうか?九州だったら山のようにありそうですよね。
パカパカー
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