か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 123

2025年01月20日 | 韓国
<前回のつづき>

その後幕藩体制の時代になると日本の封建体制は大きな変化を遂げる。江戸時代の日本でわかるのは安定し高度に組織化された中央集権的封建制度は地形上孤立した日本独特の事物であること。ヨーロッパでは地域によってこのような中央集権的封建制度が現れなかったか現れたとしてもわずかな時期だけつづいたのであるが、これは互いに国境を接していたヨーロッパは日本の場合よりもさらに激しい競争をするほかなかったためだ。このような理由でヨーロッパの後期封建制度は速やかに日本式統一封建制度の段階を経てさらに中央政権的な民族国家に成長した。このように封建制度は人類の歴史上全世界の2ヵ所にのみ表れたとてもまれな現象である。


であるとしたらなぜ日本とヨーロッパにのみ封建制度が現れたのか。日本の学説によると封建制度は異質な社会政治的要素が特殊な形態で互いに融合したものだという。すなはち封建制度が成立するためには強力で発達した法令体系とこれを執行できる政治組織が存在しなければならず、これをより広い範囲で統合する中央集権政府が存在しなければならないという。


この三つの要素の中で一つ二つが欠けるとか力を持ちすぎるとかすればその社会は原始的な部族社会段階を抜け出られないばかりか王がすべての権力を持つ専制君主の形態なってしまうだろう。封建制度が稀であったのはこの「均衡状態」という状態を保つのが難しかったためだ。狭い地域を包括している発展した法と政治組織は中世ヨーロッパの場合ドイツの部族国家戦士団(騎士団)が最初であり日本は古代氏族制度にその起源が見える。


六朝時代の中国でも似たような形態の社会が発達し封建制度に移行する契機になったのだが最終的には成熟できずに消滅した。このような場合はこれら地方権力と中央権力という二つの要素の間に適当な均衡が維持できなかったからであるが、中国は中央政府の力があまりにも強かった場合でありまたほかの国では部族国家の傾向が圧倒的に強く中央政府が発展できなかった事例も散見できる。その結果ヨーロッパと日本を除いた地域では古代氏族社会だとか部族社会の中で一つ二つが強くなったとか連合して周辺地域を従わせることで封建社会の時期を経ずして一足飛びに大規模な専制(君主)王朝に発展した。


であるなら封建制度はなぜ近代化に有利な条件を作ったのか。世界の大部分の地域で現れた専制制度に比べると封建制度のもとではそれぞれの経済主体の法律的な義務と権利が重要視されておりこれによって近代の法治主義という概念に適応できる社会の発達が進行したからである。また、封建領主は征服とか領土の拡大よりは土地の所有と土地税の徴収に専念したため領主の統治を受ける商人と製造業者は国家に属することよりもさらに幅広い活動範囲を持てた。


このように自由な経済と先に述べた法律関係の発達が互いに相乗作用をなし生産力を向上させその結果近代的な形態の産業社会が胎動を始めたのである。封建社会で経済主体にあらえられた活動の自由は実用的な倫理観を育て分権と自治という政治制度は指導者に対し強い義務感と責任感を要求した。これによって活発で進取的な挑戦精神と起業家精神が現れたのであるが、これは近代ヨーロッパと日本の大きな特徴をなすものである。


  韓国(大韓帝国)においての経済単位の発展は自発的ではなく伝来的でし
  かなかった。伝来的であるということはある発展した経済組織を持つほか
  の文化に同化することだ。これは韓国の土地を開拓し耕作し徐々にこれを
  資本化できるようにその価値を高める方法を知るものしかできないこと
  だ。であるなら韓国に多くの経済的設備をもたらし数千年海交流を潮てき
  た培った理解と共感で韓国人を使うのに慣れまた韓国人の土地を事実上私
  有し徐々に農業経営をはじめて、中でもその生産品である米と豆(大豆)
  に対し最大の顧客であるわが日本人はこの使命を果たすことのできる最も
  ふさわしい者ではないのか!


  ましてやその封建的教育は世界史的に完璧に行われたものの中の一つであ
  り土地に対しては最も集中的な農業者であり人について言うと韓国人の最
  も欠けた勇敢な武士道精神の代表者であるわれら日本民族は、いかなる封
  建的な教育とこれを土台にした経済単位の発展を成し遂げられずにいる韓
  国人に対しその腐敗衰亡の極致に至った民族的特性を根底から消滅させ我
  らに同化させる当然の名分と義務を持ち有力優秀な文化の重大な使命に臨
  む者ではないのか。


福田がこの論文を発表した当時はすでにロシアと日本の戦争が既成事実として固まっていた時期であることからしてある程度は日本を美化し朝鮮に対する侵略を正当化しようとする目的性と意思があったようだ。しかし彼が主張した基本的な事実は否定しがたい。

以後、福田の停滞性理論は、福正男、三谷、四方博など主に日本のほかの経済史学者に継承され発展し今日に至る。彼らは福田の思想を受け継ぎ朝鮮は発展困難な停滞した経済であると規定し朝鮮が発展したのは日本資本の栄養と血液だったと看破した。四方博は世界経済を見て資本主義が成立する条件は最初に自己社会の陣痛を通じてなされることであり二つ目が偶然に外来資本主義の刺激に強要されて望まない形で資本主義の段階に入る場合であり、前者は西欧と日本の場合であり韓国は後者の場合に属するとした。

<つづく>

ウソはしきりと絶叫する 122

2024年12月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

第2部 オレンジ畑でリンゴを探す 〔11〕 
 [2-1] オレンジ畑でリンゴを探す p159

以前偉大なマルクスは人類の歴史が原始共産制社会から奴隷社会封建社会を経て資本主義社会に発展してきたのであり、その後には過渡期である社会主義を経てすべての人間が労働から解放されて共産主義社会が到来するのだと予見した。このすべての歴史発展を導く原動力は生産力の発展であり、これは社会の土台である下部経済構造と上部構造つまり政治と文化が相互に変化、適応をし合うことによって成し遂げられていくとした。


そして実際に封建社会の伝統を持つヨーロッパと日本は順序どおりに資本主義に移行、産業革命と急速な生産力の発展を経験した。 この過程で新しい生産構造に適合する政治社会構造が導入され近代市民社会が誕生した。しかし、奴隷社会から封建社会の発展がなされずこれによりこの地域は資本主義帝国の植民地に併合され様々な形態で歪曲した社会発展を経験することになった。マルクスはこのような第三世界の停滞性についてはアジア的生産様式という概念を持ち出し説明しようとしたがその原因をはっきりとは示せなかったようだ。実際マルクスの時代には第三世界の停滞性という概念すら存在していなかったので問題意識も生まれなかったのであろう。


封建社会の伝統を経験していない台湾と朝鮮もその他の世界に属していたがこれらの地域は日本の統治に基づく市民革命を成し遂げ近代資本主義社会に発展することができた。日本の知識人ははや20世紀初、朝鮮と日本社会の発展水準において大きな格差がありことを認め、すすんで朝鮮の文明開化を先導する助産婦の役割を自認していた。


日本で韓国社会の停滞性を始めて主張したのは福田徳三であると知られている。彼はヨーロッパの経済学を日本に紹介した西欧的な経済学者であって、19世紀末ヨーロッパに渡りドイツのライプツィヒ大学とミュンヘン大学に留学した。彼は帰国したのち1904年「大韓帝国の経済組織と経済単位」という論文を発表、初めて朝鮮社会の停滞性理論を主張した。この論文は近代的経済史学という方法で朝鮮の経済史を研究した最初の学術論文である。


福田は財貨の交換流通に立脚し経済が発展していく段階を自足経済、行商(到付)経済、国民経済の3段階に区分した。彼は自足経済を封建制度が出現する前の時期に、行商経済は封建制度に対応している時期に、そして国民経済は近代国家に対応する時期であるとみた。彼の研究は20世紀初め朝鮮の社会経済状態が何ら行商経済の兆候がなく自足経済の段階に属していた、封建制度が形成される以前の跛行的状態の水準にとどまっていたとした。


この段階は日本の9世紀末から12世紀初に該当するものだった。これは20世紀初、朝鮮の社会経済状態が日本とヨーロッパに比べて千年以上遅れていたという結論であり、近代国家の国民経済が形成されるに不可欠な先行必須的条件がまさに封建制度であるので朝鮮は資本主義はおろか封建制度の段階にすら達してはいなかったといえる。


このような福田の考えを停滞性理論、あるいは封建制欠如論という。まさに隣同士で交流していた二つの国家の経済発展が千年以上差が出るという主張はすぐさま納得しがたい主張ではあるが日本が長い歳月を外部勢力との交流をほとんどせずに発展してきたという事実を考えるとあり得ないことではないようだ。とにかく福田の研究は当時の学問水準としては独創的で斬新なものであった。


彼はこのように停滞した朝鮮の経済が近代化を成し遂げるためには自らの力では不可能であり外部の力が必要であると考えた。当時清はほとんど滅亡状態であり朝鮮に隣り合っている外部の存在は日本とロシアなのであるが、ロシアの場合朝鮮と同じく経済が低調でありその助けで発展の転機を得ることは期待できないのでつまるところ朝鮮の発展は日本の力によってのみ可能となる。すなはち、自力で近代化をすることができない朝鮮がとることのできる唯一の選択は日本の同化する道しかないのである。


そうであるなら、ある社会が資本主義段階に発展するために必ず必要だと考えられる封建制度というのは何なのか。封建制度とは一種の政治的社会的現象である。それは人間の社会的地位と機能が土地の所有関係を中心に決定される制度であり、このような制度では個人の財産のみならず社会的地位とか権力が個人の能力とは関係なく世襲される。また封建社会の政治権力は封土という名の領地を部下に分け与えることにより発生する忠誠と君臣関係により維持されるのである。



このような社会、政治制度は中世ヨーロッパで栄えたのであるが、例えばフランスにおいては12世紀ごろにその絶頂を迎えた。ヨーロッパ以外でこれと類似した社会政治的制度がいち早く存在していたほかの地域は全世界で日本だけだ。室町時代後期、すなはち応仁の乱で織田信長が現れる時期まで日本の封建制度は全盛期ヨーロッパの封建制度と極めて似ていることが知られている。



<つづく>


ウソはしきりと絶叫する 121

2024年11月20日 | 韓国
<前回のつづき>

アメリカ人たちは日本による太平洋戦争と1980年代の経済的な進出で二度にわたって「攻撃」を受けた。1941年日本艦隊の奇襲攻撃でアメリカは太平洋艦隊の大部分を失い茫然自失するしかなかった。彼らは実際に戦争で敗北する危機に置かれていたがミッドウエイ海戦で奇跡のような勝利を得、自信を回復して次第に戦争を勝利に持ち込むことができた。以後敗戦国日本はアメリカの植民地になり再び立ち上がることはできないだろうとみられたが1980年代末になると国民総生産で日本はアメリカを追い越すという信じられないことが起こった。当時ハリウッドで作られた未来を描いた映画を見るとほとんどすべてのアメリカの会社の社長として日本人が登場するほどこの時期アメリカ人の恐怖は相当なものであった。


このように日本という国は開港以後工業化の奇跡を成し遂げ軍事力であっても経済力であっても堂々と欧州人を圧倒したという歴史があるため日本人は世界のどこに行っても尊敬されている。


いま世界の人々は黄色人種に対してよいイメージを持っているなら、たぶんその中の大部分は日本によるものだといっても過言ではないだろう。東洋の文化も大部分日本人の努力で全世界に広がった。食事の文化、碁、武術など日本によって伝えられたもののうち、海外においてはいまだに「碁」もキムチも日本語だとか、テコンドーは空手と思っている人が多い。(テコンドーは実際空手の亜流である)韓服さえも少し前まではコリアン着物と呼ばれていたほどだ。最近中国と韓国が世界各国に進出したので自国の文化の独自性を広めようと努力してはいるが日本が蒔いた宣伝効果を圧倒するまでには長い時間がかかりそうだ。


このように日本がまず全世界に進出し黄色人種に対するよいイメージを植え付けたので韓国と中国人はその分良い目に合っているのだ。彼ら欧米人は日本人と韓国人、中国人を外見では区別できないために、韓国人も日本人のように豊かで親切でマナーがよいだろうと考えている場合がある。しかし、韓国人と中国人はたいてい性格が荒くマナーがよくない上に人をだます人も多く純真な外国人たちは被害を受けている。


このように有色人種、その中でもとくにアジアは日本という経済の中心があったため日本をまねて技術も導入し商品を売り投資を引き入れりことで経済発展を成し遂げることができたのである。海外においても日本がしてきた黄色人種に対するよいイメージを活用し有利な立場で移民したり事業を営むことができるようになったのである。


<つづく> 第二部 オレンジ畑でリンゴを探す


ウソはしきりと絶叫する 120

2024年10月20日 | 韓国
<前回のつづき>

日清戦争と日露戦争に勝利した日本は台湾、サハリンなどを合併しさらに強力な国家になり以後1940年代には東アジア全体を日本の日本的秩序に再編しようという壮大な計画のもと米英と全面戦争もくりひろげた。たとえ戦争には負けたとはいえ戦後の再建に成功し、1970年代以降は世界第2位の経済大国の地位を維持している。現在の経済大国日本はたとえ領土と軍事力という面からは大日本帝国時代に比べ小さくなってはいるが、世界に与える影響力やその地位を見るとき歴史上もっとも隆盛を誇る全盛時代を享受している。


このように近代以降二度にわたる日本の成功によりヨーロッパ人たちが持っていた有色人種に対する優越感は次第に影を潜めるほかなかった。有色人種の後進性が人種の違いを根拠にするのもではなくたまたま先に産業革命を起こしたことによるものだという認識が広がった。


これに先立つことモンゴルはユーラシア大陸を覆うほどの大帝国を築き東西の文物と商品交流の通路を開拓した。これにより東アジア地域の発達した文物が未開のヨーロッパに伝わり白人社会のルネッサンスが始まることができたのである。このような事実をよく分かっている西洋人たちは過去1000年間の最も偉大な人物としてジンギスカンを挙げている。(時事週刊誌タイム)長い時が流れたがモンゴル帝国のユーラシア大陸進出は非常に驚くべきことであり衝撃的な事件であったので現在でもヨーロッパ人たちはモンゴルに対して恐れと畏敬の念を抱いている。 


ヨーロッパ人の立場からして13世紀モンゴルの進出が有色人種の最初の存在誇示であったとするならば19世紀以降日本の進出はその二番目の事件であるといえよう。開港以降二度にわたる日本の浮上により白人社会では黄禍論、すなはちヨーロッパは黄色人種によって滅亡させられるのだという考えが生まれたりもした。日本に対する恐怖が過去モンゴルのヨーロッパ侵攻のような悪夢を再び思い出させたのだ。実際、1970年代以後日本商品の無差別絨毯爆撃によってヨーロッパとアメリカの多くの工場が門を閉めた。失業者が町にあふれ経済は崩壊状態になった。この時期ヨーロッパとアメリカ経済は破綻に近づいたが日本の経済力は日増しに強まりほどなく全世界が日本の支配下になるのだという憂鬱な見方があふれた。


このようにモンゴルと日本は過去1000年間有色人種、とくにモンゴリアンの偉大さと可能性を見せつけることで白人たちの人種優越主義を打ちこわした二つの事例だ。白人はルネッサンス以降あまりにも長い間世界の征服者として過ごしてきたせいか有色人種に対する敬いとか畏怖するとかいう気持ちを持ちえなかった。そのうえに日本の浮上がなかったら今全世界の文明版図はすべての有色人種がヨーロッパ人たちにより搾取され永遠の貧困の中で苦しむ図式になっていたかもしれない。


アメリカはヨーロッパの宗教迫害と貧困を避け新大陸に移住した人たちで構成する国だ。18世紀末彼らは戦争を通じ独立することができたのであり以後次第に西部に進出しインディアン原住民を虐殺しメキシコと戦争をして北米大陸全体を掌握した。以後アメリカは世界の超強大国として君臨し事実上世界の主(あるじ)として行動したのであるが(アメリカは世界すべての国に干渉した)ただソビエト連邦だけが冷戦期間アメリカの自尊心を傷つける国だった。


ソ連はアメリカより先に人工衛星を発射し冷戦初期核兵器など軍事力において圧倒的な優位を維持することで西欧諸国を震え上がらせた。今日ソ連は崩壊しロシアは貧しい開発途上国に転落した。だが、アメリカ人が相変わらずロシアを無視できないのはこういった過去を覚えているからだ。つまりある時期自分たちとまともに対立した国である故、今後もずっと尊敬していくのだろう。

<つづく>




ウソはしきりと絶叫する 119

2024年09月20日 | 韓国
<前回のつづき>

このように考えると世界を白人と黄色人種地域、黒人地域、イスラム、インド地域など5個の区域に区分することができる。今後50年を眺めてみると白人文明圏と黄色人種文明圏がいろんな分野で競争する反面で、残りの世界は遅れてしまう時代になるだろう。中東とアフリカ、インド地域は宗教と人種、気候など経済発展を阻害する要因を持っており急速な変化と発展を期待することはできない地域だからだ。


日露戦争の風刺画


西ヨーロッパはいち早く文芸復興運動と産業革命を起こし世界を支配したのであるが、その分東アジアの黄色人種は日本人がいたのでヨーロッパの直接的支配をうけなかったのみならず戦後にも迅速な迅速な経済発展に成功することができた。18世紀にイギリスで産業革命が始まって以来産業化は疾病のように都市中心から近隣の地域に拡散する傾向が見られた。このような特徴がヨーロッパでもっとも典型的におこった。中東部ヨーロッパを見ると西ヨーロッパから近い順に工業化が進展したという事実が容易にわかる。北中米地域ではそれなりにアメリカと近いメキシコがほかの中南米国家よりも経済成長がましな方だということ。



アジアにおいてはもちろんのことだが、日本が産業化社会の中核となってその役割を担ってきた。東アジアにおいては日本との距離に比例して工業化レベルと生活水準が低くなっている。アフリカと中東、中マン米、南アジア地域にはこんな中心国家がないため経済発展に成功できずにいるのだ。実際、19世紀に遅ればせながら門戸を開いて産業革命を始めた日本が50年もならないうちに西ヨーロッパ産業文化水準に追いつき列強クラブにそれも列強の上層部に合流することができたというのは人類史上一種の奇跡のようなことだと記録されている。こういう面から見て日本はアジアの発展に莫大な寄与をした後言っても過言ではない。



1980年代韓国と台湾が工業国として浮上してくる前は後進国と先進国の違いはあまりにも大きく格差は縮まるどころか日ごと広がっていった。このため資本主義体制後進国は永遠に先進国について行くほかないという悲観論が広がっていた。これが1970年代以後アフリカとラテンアメリカではやったいわゆる従属理論なのである。この考えが説得力を持って広がり世界の新生独立国家が続々と資本主義をあきらめてソ連式の社会主義の道を選択したのだ。



ならばなぜヨーロッパに属さない日本だけがこれほど迅速に産業革命を成し遂げ先進工業国になれたのか。この問題もまた1970年代と1980年代にわたって従属理論と合わせ体制の学者が頭を悩ます問題だった。今になって考えてみると、これは全世界で日本と西ヨーロッパだけが中世の封建社会を経験した社会であるという事実と無関係ではない。



封建体制というのは一種の原始的な連邦制の形態の社会構造で封建社会の領主たちは狭い地域で君主となり父の使用権を行使し独自の軍隊を維持しながらことによっては王を中心に集まりあるいは王権を取り合ったりした。王から封土を下賜された貴族はその領土の大きさにそって、侯爵、公爵、伯爵、子爵、男爵などの序列を持ち領主になってそれぞれの領主は城を作り荘園を維持した。各荘園には絶対君主国家に比べ王権がとてつもなく弱いのが特徴だ。長い間封建社会を経験した社会だけが初期資本主義社会を順調に発展させることができたのだ。



産業社会において日本のもう一つの優れた点は原理主義の伝統がないということ。王の親が死んだ後3年喪に服すか1ねん喪に服すかで対立が生じ命がけで戦った昔の朝鮮とか、なんてことはないコーランの一説の教えを守ろうと喜んで命を差し出すイスラム教徒たちに見出せるこのようなことを日本に見出すのは困難だ。日本人たちはたやすく力に屈するとか体制に順応するとかいう態度を見せる。このような文化的特性があることは毛店ともなりうるが開化期日本には長所として作用したのであろう。このような文化伝統があったので強制開港御西洋の軍隊と力で対立できないという事実を理解するや否や家柄とか自尊心とかを押さえ速やかに西洋をお手本として日本を改造するという仕事に着手できたのだ。
 
 <つづく>

ウソはしきりと絶叫する 118

2024年08月20日 | 韓国
<前回のつづき>


[1-12] 日本と有色人種  P147   【新 親日派のための弁明】 第1部 目覚めるアジア tag :日露戦争



16世紀以降ヨーロッパの白人たちは全世界を侵略し自分たちの植民地とした。20世紀初めになると白人統治地域は地球上の90%以上におよんだ。ヨーロッパ地域の植民地ではない地域は中国と日本、タイ、エチオピア程度に過ぎない状態だった。この時期に白人たちが持っていた人種的優越感は現在では想像もつかないほどの確固たるものであった。白人は世界各地を手当たり次第に侵略し植民地ではない地域の運命を破壊し有色人種たちを抹殺した。



ヨーロッパ人たちは有色人種を殺害し奴隷にしこき使いながら何の罪の意識も感じていなかったし多くの場合原住民に対する殺害行為は殺人として扱われなかった。この時期にヨーロッパ人たちは良心の呵責を避けるため「有色人種」という概念を作り出し自分たちと同じ人間であるとは考えようとしなかった。彼らは有色人種を動物と人間の中間程度の存在であると考え各地の未開な原住民にキリスト教を伝え人間として教化することが自分たちに与えられた使命だと思っていた。



帝国主義時代のヨーロッパ人たちはアフリカ、アジア、アメリカ大陸の有色人種たちに比べはるかに優越した武器と国家力、学問と芸術が発達した状態であったので有色人種たちは白人たちの侵略に対して抵抗できなかった。このとき、ヨーロッパ人たちがアフリカ黒人とアメリカインディアン、アジアの黄色人種に対する態度を見れば有色人種であっても皮膚の色の黒さに応じて差を設けて対処したようだ。すなはちアフリカの黒人たちに対しては何の罪責感もなしに家畜のように飼育しこき使い殺しもしたが皮膚の色が白により近い東アジア黄色人種に対しては黒人たちのようには対応しなかった。ともかくこの時期の有色人種の運命とはほとんど似かよったものであり、神は人間を白人と彼らの奴隷である有色人種の二種類に分けていたようだ。



1904年日本が戦争を通じてユーラシア大陸の覇者であるロシア帝国に勝利した歴史的意味を評価するためには当時のこのような時代背景を理解する必要がある。この戦争は確かに日本という国家が世界の列強クラブに正会員として受け入れられる契機になったものである。有色人種が圧倒的な白人国家を相手にした戦争で成し遂げた最初の勝利であるという点からして少なからぬ意味を持った。



日露戦争と以後の日本の急速な成長と急浮上によりヨーロッパ人たちが持っていた有色人種に対するすべての固定観念は根元から揺さぶられた。このような点から見ると1904年を契機としてアジアアフリカには新たな黎明が輝いたというのは決して誇張された話だとは言えない。日本によって有色人種世界では新しい歴史が開いたのだ。



ハンチントンというアメリカの学者は1993年夏  'Foreign Affairs' という雑誌に載った「文明の衝突?」という論文ひとつで一躍世界的スターになった。このころ日系米人学者の福山は「歴史の証言」という著書を通じ冷戦以降の世界には西欧の価値が普遍化するだろうと予見したのである。ハンチントンは福山の西欧中心説にかえ8個の互いに異なる文明圏が衝突しながら西欧の影響力は日ごと縮小するだろうと異論を唱えていた。



ハンチントンの8個の文明圏は西ヨーロッパとスラブ、イスラム、アフリカ、あ天アメリカ、インド、中国、日本文明圏をいう。おもに宗教と人種によって分類されたのではあるが、同じ白人地域でキリスト教を信じる西ヨーロッパとギリシャ正教を信じるスラブ地域、カトリックを信じる西ヨーカトリックを信じつつスペイン語を話すラテンアメリカは信じつつスペイン語を話すラテンアメリカはさほど大きな違いがあるようには思えない。さらに中国と東南アジア、朝鮮半島、日本の黄色人種地域は一つの文明圏だとみてもいいようだ。



<つづく>





ウソはしきりと絶叫する 117

2024年07月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

韓国はこの時代を、日本統治に抵抗した人々中心に記述している。しかし、彼らはどう見ても日帝時代朝鮮半島の主流グループだということはできない。合邦(日韓併合)以前日本に抵抗した勢力はまだ儒教理念から抜け出せていない。時代の流れに逆らっていた「惰性グループ」だ。一社会の革命期を評価するとき、 われらはこのような集団を反動勢力あるいはアンシャンレジームという。18世紀末フランスが革命を通じて王朝時代を清算したとか、日本が明治維新を推進する過程で深刻な内戦を経験したこととかのようにどの国家でも大きな変化が起きるときにはこのような「惰性グループ」による反動を経験するのである。そうして市民革命はしつこく継続する反動勢力の挑戦をぶち壊す過程で完成されていくのである。



1910年8月23日韓日合邦(日韓併合)締結の事実が国内外に知れ渡ると日本のマスコミは今回の合邦が朝鮮半島に文明という贈り物をもたらし平和を保障するものであるので韓国人たちのため幸せなことだと論評した。アメリカ政府は韓日合邦がよい意図を持っており韓国国民の幸福のために良かったことだという声明を発表した。アメリカのマスコミは一斉に今後韓国人の幸福が増進することだろうとして祝賀の意を伝えた。



ロシア、イギリス、フランスも支持の意向を表明し唯一韓日合邦に非難声明を出したのは滅亡一歩手前だった清国のみであったのだ。実際当時の朝鮮の現実を見たとき日本という新しい支配者を迎えたことは朝鮮人民の生活の質を速やかに改善する可能性のある望ましい選択だった。一方、独立教会の指導者として強力に自主独立運動を推進した李完用が結局韓日合邦をリードするようになったのもこのような現実を認識して愛国の決断をしたのだと解釈しなければならない。この後朝鮮半島の統治権を引き継いだ日本は今の基準で見ると多少無理強いした人権蹂躙の事例がないとは言えないが、当時の時代状況からみると非常に礼儀正しく日本主義に立脚した統治をおこなっている。



日帝時代は世界どの地域でも帝国主義による残虐な植民地弾圧と搾取が横行した時期である。アメリカ大陸では西欧人が入ってくる前、北米地域だけ見てもインディオ二千万人が平和に暮らしていた。中南米地域でもアステカ三千万、インカ二千万、マヤ二千万など多くの原住民がいた。彼らは氷河時代ベーリング海峡を越えシベリアから移住していった黄色人種である。



しかし、西欧人たちが入ってき始めると彼らとともにやってきた風邪(インフルエンザ)、天然痘、麻疹(はしか)など多様なウイルスにより中南米原住民は死んでしまった。北米地域の原住民たちも白人による持続的な大量虐殺で次第にその数を減らしていった。現在ではわずかに50万程度のインディオが生き残っているのみである。英国の残酷なインド統治とアジア、アフリカで行ったヨーロッパの国々の植民地搾取と虐殺、さらには新大陸に奴隷として引っ張られていった多くの黒人たちの運命を思うとき、台湾と朝鮮に対する日本統治はきわめて紳士的であり人間的であった。



実際,日帝時代(日本統治時代)朝鮮では1919年の独立運動と光州学生運動以外にはこれといった反日騒擾がおこったことはなく台湾人も日本の統治に満足しつつよく協力した。3.1運動だけ見ても国内教科書では当時日本軍の鎮圧を誇張している側面がある。全国的なデモが発生しはしたが日本警察はただ万歳運動をしたという理由だけではだれも捕まえたりはしなかった。暴動を主導した人たちに対しても大部分訓戒と軽い罰金刑におさえた。全国的な騒擾過程の渦中で若干の人命被害が発生したことはむしろ当たり前のことだった。朝鮮の警察は万歳事件自体に対しては平和的に対処しデモ隊による破壊と殺人のようなことに対してのみ武力を行使し鎮圧したのである。このようなことを考え合わせると3.1運動に対する韓国側の歴史記述には客観性が欠如しているということができる。

  <つづく> 毎月20日発行                             



ウソはしきりと絶叫する 116

2024年06月20日 | 韓国
それによって朝鮮では1910年代に一時的に農業生産の向上と教育と社会制度改善事業が整うと1930年代から本格的に工業化の時代に入った。戦争末期には日本の核心的な重化学工業施設を大部分朝鮮半島に建設したのである。このように朝鮮の工業化はたとえ日本の敗戦によって中断されたのではあるが日本において朝鮮半島がどのような意味を持つ地位にあるのかをよく示す証拠になっている。


朝鮮を占領した日本は翌年から土地調査事業を通して農業の基盤を整備し所有権を確定したのである。この処置を結果的に国家と支配層など不特定な公共所有権が農民と地主の名義を明確にする結果ももたらした。すなはち、朝鮮の自作農は調査事業によって自分の土地の主人になったし、地主たちはこれ以上国家に税金を納めることなく自分の農地を所有することができるようになった。このことは長い間自分の土地を持てないまま支配層の奴隷としてのみ生きてきた農民たちにとっては新しい時代が始まったかのようなことだった。土地調査事業は事実上甲午改革当時後回しにされていた土地分配処置が遅ればせながら日本によって完成されたという意味だ。



このように日本の支配がはじまったとき文明開化の時代が開かれたのだ。多くの学校が建設され、警察署や裁判所、行政機関が作られて市民たちは法の統治とサービスを一度にうけることになり資本主義的経済システムが動き始め朝鮮は大韓帝国の百姓から日本帝国の市民に身分が変わったのでありこのような変化は朝鮮の民衆にとって歓迎されることとなった。



たとえ植民地統治末期には日本が総力を傾けた戦争を遂行するため朝鮮人たちは多くの苦痛を味わったが、日本の植民地だった期間が朝鮮の実質的な産業革命期だったのであり朝鮮の民衆たちは文明開化という史上初の変化を経験しつつ幸福を享受できたという点は疑いようもない。この時代には朝鮮半島は日本の植民地だったのではなく日本の一部だったのだ。



韓国人たちは大体において朝鮮王朝に対し心情的な帰属感を持っている。歴史を評価するときには朝鮮王朝から一定の距離を保つ必要がある。隠遁の王国であった朝鮮は500年間外部世界とは壁を作っていたのであり偏狭な儒教思想に没頭し存続してきたのである。時代が変わるにつれ自然に新しい勢力に統治者の場を明け渡したとみるべきである。われわれは国を取られたのではなくこれは明らかに発展であり朝鮮民衆の自然な選択であった。明らかに発展であり朝鮮民衆の自然な選択である。


<つづく>  毎月20日発行 今回は文字列に不都合がありご迷惑をおかけしました。

ウソはしきりと絶叫する 115

2024年05月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

この歌では「ファミレミミ」という音程で急に変化する「追って追いまくる」という部分があるのだが、そこが一番難しかった。いつも間違って歌うクラスの子供がいたので何時間も繰り返し練習した記憶が今でも生々しい。このようにおさない時期に私たちの世代は北傀(北朝鮮の蔑称)共産党を赤いオオカミにたとえ不倶戴天の敵と考えてきた。今は時代が変わり6月になっても誰もこの歌を歌わない。我々はもはや北朝鮮の傀儡の頭目さえ冗談をよく言う人だとわかったし韓国のテレビを楽しんでいるという事実も知った。


このように反共イデオロギーはいつの話かというほどに消えてしまったが反日イデオロギーはいまだ相変わらずである。このごろは政府の策動により日ごとひどくなっているようだ。書店でいくら探しても日帝時代(日韓併合時代)の韓国社会を地道に客観的に記述している本を見つけることは困難であるし、そのかわり独立運動史、反日抗争史、親日派研究、反民特委研究、挺身隊研究というタイトルをつけた本があふれている。仮に日本が大変な間違いを起こしたとしてもこの状態はとんでもなく深刻な知識の偏向に他ならない。



韓国に住んでいた一介の国民からすると、日本は朝鮮王朝を継承した新しい統治者であるのみなのだ。人間以下の生活条件のもと一日一日をいかに生きながらえるかという状況(人民)にとって朝鮮王朝は消えてなくならなければならない存在だったのだが権力を維持しようとする既得権勢力は存在だったのだが権力を維持しようとする既得権勢力は変化に対し必死になって抵抗した。これに対し朝鮮の愛国者たちは日本と協力し朝鮮王朝を倒し近代化を成し遂げようという道を選択したのであった。


19世紀中盤まででも朝鮮と同様に鎖国政策をとり通商を拒否していた日本は米国の強圧により門戸を開いた。そののち奇跡のように発展し19世紀末になるといつしか列強の一員に上りつめた。当時日本は朝鮮半島と満州の覇権を握り日清、日露の戦いにつづけて勝利することで世界を驚かした。



ロシア英国フランスに代わって隣国の日本が朝鮮の支配者になることは我々の立場からして幸いなことであった。英国フランスはアジアを侵略しインドとインドシナ地域を長い間支配したのであるが彼らが去った後はインド東南アジア地域に残ったものはあいかわらずの貧しい植民地農業経済のみであった。一般的に言って植民母国(宗主国)において植民地とは原料供給基地と工業製品の販売市場としての意味しかなさないものだ。これは永遠の搾取を意味する。



一方、日本にとって朝鮮は単純な植民地ではなかった。朝鮮は日本が大陸に進出するため占領しようとした戦略的地域だった。日本にとってはロシアの侵略を防ぐ前進防御基地であったし、大陸に進出するための前哨基地でもあった。そして紆余曲折の果てに多くの犠牲を払い朝鮮を合邦した日本は、あとになり時も流れ朝鮮が独立するなどとは考えなかったため、朝鮮を植民地ではなく新たに拡大した日本の一部であると考えたので莫大な投資を惜しみなくした。

<つづく>

釜山  今度こそホテルB

2024年05月19日 | 韓国
KR釜山駅。草梁方向。5番出口。50m。ここはうまかったぞ。純豆腐(スントゥブ)。

外国でふらっと入った店が美味しいと幸福感は半端ない。なぜかお赤飯。
 ↓ まずこれが出て、

どーんとスンドゥブ。

グツグツ沸騰しているのが出る。アサリがたっぷり。さすが港湾都市。

不愉快な絶望都市にいたので、ギャップ大、特大。ご飯は1~2分おいておこげを作る。(石窯)すかさずスープを入れてジュ―ッ。卵一個はこのご飯に加えて、もう一個はスンドゥブに。

このごろは、どうして食おうと干渉する人はいなくなった。いいよ外国は。

よい孤独感、満喫。これがあるからまた来てしまって去りがたい。


密陽にもこれに匹敵するビビンパがあったし、食堂のおばちゃんとも親しくなれた。でもどこからか絶望のガスが漏れていて疲労困憊。明日がない。妖気の蔓延。・・・これは考えないといけない。何が原因か。

きっと他人事じゃあなくなるから。

なんて書いてるとホテルBに行きつかない。

道を歩いていると知らないおばちゃんが紙コップコーヒーをくれた。神を信じますかだと。バカ野郎。私が神だ。さらに歩いて、この↓一角。ホテルB.

↑この看板読めるかい。日本の韓国語教室は使いもしない言葉にこだわり、使う言葉を教えない。韓国語教室。何年通ってるかい。これ読めないだろ。あー、僕に習えばよかったね。

いよいよホテルB。必要十分。なんと一泊2000円。アメニティ完璧。コーヒー紅茶タダ。ミネラル水もただ。(冷蔵庫)テレビ300チャンネル。エアコンと電気毛布。電子レンジもある。夕食はマートで買った野菜とパンとカップ麺。

東横より広いが、


くたびれ感は隠せない。恐怖の一枚刃。

雑な床処理。
これで歯、磨けるかい。

次回は釜山駅から国際市場。



釜山  ホテルBに行くまで

2024年05月16日 | 韓国
釜山駅。外観↓


動線は相変わらず悪いが、改札をなくしたのでその分スムーズ。休むところがない。休みたいならスタバに行けということだ。

したいことがあったら全部カネ。カネを出せということ。落ちこぼれは知らないよ、という新自由主義。その点、日本より先進国だ。

日本では落ちこぼれどもが一様なつもりで自己責任という。一度ここに来てみるべきだ。

この社会には見えない且、言い逃れのできないスキャン装置があって、本人は失敗人生に分類される。バカ人生という無期囚。自己責任を主張する自己責任論の被害者。

哀れ哀れ。ここではね。一歩社会に出ると、徹底した自己価値のスキャンがなされる。負け犬が遠吠えしたら殺される。資本主義という価値尺度でスキャン。お前、いくら稼げんの?

すさまじきものかは。からくにの地に極まれり。反論するかい、やめとけ。お前どこ大学出たんだい、とかもろに聞かれるから。

面接でもないのに、スペック(学歴資格経歴)あんの?


すっきりしていいだろ? スペックないのに吠えんなよ?・・・
↑この言い方頭にくるね。

僕は言ってきた。人間が作り出したものに人間が拘束されてはいけない。滅ぶべきはそんなつまらない組織や慣習や概念やシステムのほうだ、と。

命すつる会社はありや、ということね。


ま、よその国のバカまで心配できない。僕は、草梁(チョーリャン)市場へ。



たまに日本家屋に出くわす。日本帝国主義の残滓だそうで早々に無くすそうだ。日本の仏像を泥棒したくせに。
そんな中で、立派に保存されているものもあった。



近代を知らしめた日本の矜持。僕は見たね。百済病院。今はカフェと図書館、ギャラリー。

便所の床タイル。すごいだろ。こんな便所を日本は100年前に作ったんだよ。いま、日本のどこにこんな便所あるかい。


日本からの観光客は低質で、素敵なレンガ造りの歴史や意味を知ろうとしない。劣化国を支える劣化国民。脳天気。

ぶ厚い漆喰。手入れされてない上に下手くそなリフォーム。それでも僕には息をひそめる日本が見えた。近代日本が半島に見た夢。僕はこの百済病院跡のカフェでその夢を一時共有した。ホテルBは明日。

釜山  釜山景點∥草梁故事路 (초량이바구길),草梁木牆藝廊 (초량담장갤러리)

2024年05月08日 | 韓国

釜山超可愛的小覧車。台湾人が言っていた。台湾語、聞き取りができないので紙に書いてもらった。漢字とは有り難いね。↑これ鉄の梯子ではなくモノレールの線路。分かる?この上に何トンもの鉄のかごが載って走る。僕は怖いよ。

案の定、10月まで運休。故障ならいいけど事故ならこの坂大変だよ。ゴンドラの中で洗濯機の中にいる気分になるから。

この軌道の説明がまた韓国的。

店名草梁イバグキル・168階段
住所釜山広域市 東区 草梁洞, 一帯
(부산광역시 동구 초량동, 일대)

[道路名住所]

釜山広域市 東区 草梁上路51番キル , 一帯
(부산광역시 동구 초량상로51번길 , 일대)
電話番号なし
Eメールなし
営業時間なし ※無料モノレール運行時間(4~10月)7:00~22:00、(11~3月)7:00~20:00
休業日なし
日本語不可
その他外国語不可
交通・釜山地下鉄1号線釜山(プサン、Busan Station)駅 7番出口 徒歩9分
関連サイトなし
料金無料
詳細情報・バリアフリー施設:なし

気に入った。嘘の笑顔で何とかカネを落とさせようというのが一般的観光地。

スカッとしないかい。バリアフリーなし 日本語不可 電話なし なんか突き抜けていて素敵だよ。

民家にぶつかりそうになってクネクネ。ちょっと細すぎだね。

釜山はこういうの流行みたい。懸垂式のモノレールも近くにある。

タルマジコゲにはこんなの。
ちょっとやりすぎね。景観が台無しだ。


草梁市場。昔は人が多くて歩けないぐらいだった。
会話がないと買い物は楽しくない。

究極の迷宮がこの市場にあった。
とくにこの画像、

怖かったよ。腕っぷしに自信がある人にはここのラビリンスは天国だろう。
どんな人が住んでるんだろうね。だけど田舎みたいな絶望感はない。妖気も感じない。フシギな小路が迷路になって網の目をなす。

DEEP KOREA.  ホテルBについてはまたまた明日。 一部ネットからお借りした画像があります。

釜山   ホテルA ホテルB

2024年05月06日 | 韓国
二岐台(ニキデー)と冬伯島(椿島)を紹介した。少しでも韓国に興味がある人はぜひ行ってほしいのだ。免税店と化粧品とご当地グルメ・・・あ、そうかBTSもあったな。などなどに興味がある人。200円でほくろを取ってもらいたいひと。

そんな日本人。僕は本気で素晴らしいと思っている。

ときに直感は論理を凌駕する。どんなに日本の愛国右翼が叫んでも韓国は崩壊しないしデフォルトもやらないし、賃金が日本より高いのは常識だ。

ITやエンタメの世界では完全に韓国に先を越されたのよ。最初っから5Gだし4K.

化粧品の実感、BTSのダンスにビビビ、来たんだよね。



韓国の反日もろくも崩壊。日本の嫌韓のほうはもっと早く消えた。よい時代だ。


自分の劣等感から目をそらすため隣国をけなして留飲を下げる。あわれ。日本の嫌韓。現実は変わらないよ。低学歴低賃金長時間労働。

こちら韓国のエリートはすごいよ。大学行っても会社に入っても競争が続く・・・なんてことは日本のマスコミのでっち上げ。SとKとYのつく大学さえでれば、地を這う虫になることはない。天国だよ。

僕は庶民目線なんて決して立てない。SKYは天国だけど、99%の庶民は地獄。庶民になるくらいなら死ぬね、僕は。努力してよかったよ。つくづく思う。

久しぶりの雨。干天慈雨。皆さん運転は大人しい。福岡よりも断然。
道路中央がバスレーン。いろいろ考え方あるもんだ。



ここから自宅までは遠いので、ホテルに行った。気に入って2泊した。一泊目。3500円。と二泊目1800円。十分。エアトリやトリバゴなんて暴利だね。こちらではパガジという。みんなも自分で歩いてフロントと交渉しろよ。英語でいいよ。

但し、釜山での話。初心者が下手に田舎にあこがれると、お湯でないし電気すら点かないホテルで鬱になって首を吊る。このホテルの妖気、町の絶望感。きっとこの国の失敗資本主義の謎を解くカギがある。と思って研究テーマにした。

ホテルのバスタブ。ヒト型の浴槽。後ろから抱かれたみたいでした。ゾクッと。

ロッテよりも広い。価格10分のⅠ。こんなとこいくらでもある。


ホテルBについてはまた明日。

<つづく>

釜山   二妓台 (イギデ) 

2024年05月03日 | 韓国
二妓台 (イギデ)の由来は諸説ありますが、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、2名の妓生 (キーセン)が、進行してきた日本の将軍に酒を飲ませ、崖から一緒に身を投げた、という説が有力です。 敷地は広大で北端では「広安大橋 (クァンアンデギョ)」が、南端では「五六島 (オユット)」が眺められます。by KONEST


ということで、二妓台 (イギデ)。妙に観光化しようとして失敗しているところが多い。ここもその一つ。しかしここはなぜか憎めない。なぜか。

けなげだからだ。一生懸命映えスポットを作ろうとした。

ほら、



僕はとてもここで写真なんて。ところがここのおじさんたちは平然と両手でハートを作って写っている。すさまじいメンタル。



岩石記念公園とあった。いたるところこんなふう。



綺麗な海岸。




でも極めつけはこれ。廃墟予定。ロープウエイを作ったところ、反対運動が起き中止になったそうだ。そんなら最初からつくらないとかできなかったの。作る前に反対するとか。とにかく最高のロケーションで観光客は集まったはず
だ。

もったいないねえ。でも陰鬱な感じはない。明るく大失敗。メンタル強し。




散歩する。住宅しか見えないが展望食堂があった。穴場だね。多分僕は毎週行くよ。観光客は来ないから価格は心配ない。軽く飲んで海鮮もの。普通に食べれば合計2000円以下。僕1000円。
写真を撮り忘れたので画像はネット。おしぼりがないがトイレットペーパーのでかいのが天井から吊ってある。業務用換気扇の音で会話不能。

よしよし。それでこそKOREA.

飲んだのでクルマはやめる。ドビチホテルへ。顔見知りになったら安くなった。ドビチというホテルの名前。The beachのことかな。

あしたはプジョン(釜田)市場。あと一週間ぐらい閑。

<つづく>

釜山  広安里 APEC会議場 広安大橋

2024年05月01日 | 韓国
ところで、
私はいったい何をしている人なのか。疑問に思うのは当然。ブログを読んでくださる人は思うだろう。田舎に行って苦しかったりする記事もあるが総体としては能天気。

勝手に決めつけて僻んで因縁つけてくるバカもいる。しかし、継続して読んでくださる方々は真面目さをお持ちの方々だ。ありがたいことだ。

バカも極めつけになると、もっとまじめに努力しろとか僕を諭そうとする。今の仕事先は契約があって言えない。だがずっと努力してきたし今後もする。

韓国の疲弊した田舎は研究に値するので今後も考えていく。興味深い点については今後も書いていきます。


で、今日は、ドライブ。広安大橋。タイトル画像の奥に見えているつり橋の中。

片側4車線、反対車線はこの橋の屋根。20㎞ぐらい何個かの橋が続いて、料金100円。日本なら5000円ぐらいかな。町のど真ん中貫く4車線。スカッするよ。

冬柏島(椿島)。そのまま車で行く。APECの会議を誘致するためわざわざこの島に会議場を作った。外面(そとづら)ばかり気にする奴は人前で妙に金持ちぶる。そういえば貧乏人の子供ほど無駄に金遣いが荒かったな。

見栄しか頭にないのよ。いや、決してどこぞの万博のことではありません。
ウエスティンチョースンHOTEL。この椿島にある。カネさえ出せばだれでも泊まれるホテルが多い中、このホテルは差別的だ。


そこのロイヤルスイート。「それなりの社会的地位の方がお泊りになります。」到底貧乏人には理解不能なホテル。ただ、とにかくゆったり安心、まったり、ほっこり。僕を含め、ここに一か月ぐらい泊まるとその怒りっぽく厭世的な性格治るかも。韓国ではほかにない。

そのホテルの横にAPEC会議場があった。アジアの成金国家の下品な政治家の趣向は予想に違わない。わざわざ貴重な木々を伐採し悪趣味な建物を作った。

会議場の窓から。ダミーの灯台まで作った。

そこではしゃぐ私。

小泉が座った椅子だと案内のお姉ちゃんが言った。座りたくないよ。

高層アパート。100階以上だそうだ。

バベルの塔だ。褒められたもんじゃあない。そこからは対馬が見えるそうだ。

だから何だ。

<つづく>