か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

釜山  広安里 APEC会議場 広安大橋

2024年05月01日 | 韓国
ところで、
私はいったい何をしている人なのか。疑問に思うのは当然。ブログを読んでくださる人は思うだろう。田舎に行って苦しかったりする記事もあるが総体としては能天気。

勝手に決めつけて僻んで因縁つけてくるバカもいる。しかし、継続して読んでくださる方々は真面目さをお持ちの方々だ。ありがたいことだ。

バカも極めつけになると、もっとまじめに努力しろとか僕を諭そうとする。今の仕事先は契約があって言えない。だがずっと努力してきたし今後もする。

韓国の疲弊した田舎は研究に値するので今後も考えていく。興味深い点については今後も書いていきます。


で、今日は、ドライブ。広安大橋。タイトル画像の奥に見えているつり橋の中。

片側4車線、反対車線はこの橋の屋根。20㎞ぐらい何個かの橋が続いて、料金100円。日本なら5000円ぐらいかな。町のど真ん中貫く4車線。スカッするよ。

冬柏島(椿島)。そのまま車で行く。APECの会議を誘致するためわざわざこの島に会議場を作った。外面(そとづら)ばかり気にする奴は人前で妙に金持ちぶる。そういえば貧乏人の子供ほど無駄に金遣いが荒かったな。

見栄しか頭にないのよ。いや、決してどこぞの万博のことではありません。
ウエスティンチョースンHOTEL。この椿島にある。カネさえ出せばだれでも泊まれるホテルが多い中、このホテルは差別的だ。


そこのロイヤルスイート。「それなりの社会的地位の方がお泊りになります。」到底貧乏人には理解不能なホテル。ただ、とにかくゆったり安心、まったり、ほっこり。僕を含め、ここに一か月ぐらい泊まるとその怒りっぽく厭世的な性格治るかも。韓国ではほかにない。

そのホテルの横にAPEC会議場があった。アジアの成金国家の下品な政治家の趣向は予想に違わない。わざわざ貴重な木々を伐採し悪趣味な建物を作った。

会議場の窓から。ダミーの灯台まで作った。

そこではしゃぐ私。

小泉が座った椅子だと案内のお姉ちゃんが言った。座りたくないよ。

高層アパート。100階以上だそうだ。

バベルの塔だ。褒められたもんじゃあない。そこからは対馬が見えるそうだ。

だから何だ。

<つづく>





釜山  釜田市場 パンドラの箱

2024年04月30日 | 韓国
チェーユックッパって何の意味だろうと辞書を見た。もちろん載ってない。NAVERの辞書にある。

猪肉の発音がなまったものだそう。ご飯がどれだけでもいけるから別名飯泥棒。1年前、隣の席の人があまりにもうまそうにがっつくものだからなんという名前か聞いてみた。チェーユックッパというから僕は体育系の丼かと思ってしまう。猪肉も体育も発音はほとんど同じ。

男の食いものだ。さあ今から一仕事、気合を入れるぞという時の。朝から何にも食ってないぞという時の。昼飯。豚肉炒めなんだが10辛。しかもがっつり食いつける豚肉の厚み。脂身が少なく画像のように色黒豚肉。飯の上にガバッと盛っただけ。 おかわり自由だが普通の日本人には無理。大食いのぼくですらおかわりは3回に一回。

注文から1分以内に出てくる。しかし、仕込みには時間と手間がかかってる。円安と物価高で苦しいが、500円以下で食えるので満足だ。一日2食。あと一回はコンビニサラダと全粒パンと牛乳。ゼニがたまる。日本にいるときより確実に血糖値は下がる。
値段を見ろ。庶民の経済はそれなりに回ってる。僕以外外人はいない。絶望から至福に心臓の負荷が大きい。大体9で割ると日本円。


昨日まで老人の町、ゾンビ村、機能停止の絶望の町にいたので僕は精神を病んでいた。気がつく。

こうでなくっちゃあ。なあ、おい。ここは釜山だろ。


僕はこの店毎日行くからね。どうしても僕に会いたい人はこの店に来てくれ。知性が輝いているのですぐわかる。
このまたスープが、ね、泣くよ。

釜山に戻って僕は悟った。脳が優秀なだけに僕は考え込んでしまったよ。あの街の絶望の妖気は何のせいだったのかと。

悟ったんだよ。妖気の原因?分かったところでどうしようもない。酸欠の原因を探るより脱出するのが先決なんだ。モヤモヤ払拭のために歩いて海に行く。

1時間半。見るほどの町並みはない。玉石混交、混沌のカオスだ。それを避け公園や美術館を通って広安里。広安里、これちょっと日本人には発音無理。クァアンリとでも書きましょう。

海雲台。ここは日本人にもおなじみ。ヘウンデ―だね。そこの隣が広安里。花火大会を除いて日本人が来ることはない。ワイキキのように海までのアプローチが長い。
向こうに見えるつり橋のロープ。

<つづく>

密陽  これでも国か

2024年04月27日 | 韓国
これでも国か。若者は国の将来に絶望して叫んだ。パククネ大統領に対する100万人のデモ。

当時の韓国は国民に不可能なことを要求した。頑張って一流大学に行け、と。バカなことを言うな、カネも勉強の環境もない人間にどうしろというのか。100人で一個のイスを争って、全員みんな椅子に座れという。

不条理。

ソウルのアパート価格が1億(円貨)を超える現実。1ヶ月に10万づつ返しても2000年かかる。金持ちは転売して一瞬で返す。

不条理。

給料は最低だけど子供を産めという。保育園も学童保育もない中で子供を産めという。韓国の離婚率は50%。理由は主に経済的破綻。

不条理。

私は日本のことを言ってるのではない。念のため。日本は違うよね。

このような状況に、「これでも国か」という言葉がデモ隊から全国に広がった。

韓国を象徴する事件が密陽で起きていた。

概要
妹と2つ年上のいとことの3人で密陽市に行き、男子高校生と会う。男子高校生は密陽市内の3校から構成する不良集団「密陽連合」のリーダーに女子生徒3人を紹介した。リーダーと不良集団約10人は、女子生徒3人を脅迫して殴るなどして、旅人宿(ヨインスク、簡易宿泊施設)に連れ込み、そこで集団性暴行を行った。 by wiki

韓国の事件であることの特徴。それは事件のその後。被害者は精神に不調をきたす。事件後も脅迫は続いていた。自殺未遂。母親が警察に申告。加害者のうち14名に逮捕状。しかし、ここからがポイント。被疑者が刑事罰を受けることはなかったのだ。そればかりか、警察に知らせたことをネタに被害者を脅迫し個人情報をネットにさらした。そのこともおとがめなし。

こともあろうに、警察の対応はこうだ。一人一人対面させては「入れたか、入れなかったか」と警察官が被害者の目の前で問いただし、被害者を保護するどころか報復の恐怖と羞恥心を与えていた 。by wiki


僕は言う。これでも国か。日本との比較に話をすり替えられるのは低能だからだ。悪は絶対的に存在する。今密陽市で20代になった犯人たち、約40名。密陽の町を歩いている。顔も氏名も保護されて。

これも不条理。


町は悲しさに満ちていた。僕は韓国の田舎に家を買って退職に備える予定だった。もちろんそんな気は消えた。

映画「密陽」のセットを見学した。ソンガンホ主演映画。緻密な脚本でリアル感が増す。僕は薦めます。

セットの中のカフェ。コーヒー、160円。味もまあ良い。ソーサなし。

密陽のホテル。こんなところでもカネをとった。

などなど、いちいち書けばきりがない。個々の不愉快さは省略。

疑問はずっと残っている。釜山に帰り空気が変わるも、あの妖気は何だったのか、ひょっと韓国全土の田舎がこうなのか、ずっと考え続けている。友人の韓国人大学院生は言った。わざとだよ。ソウル一極集中政策。篩(ふるい)からこぼれた奴なんか知ったこっちゃあないよ、ウリナラの政府は。やがて黄砂のように日本も覆うに違いないから。そうなること否定する要素、なにかあるかい。

なるほど不条理。

僕は釜山に向かった。サウナから出たときの気分。

<つづく>


密陽 HELL朝鮮

2024年04月26日 | 韓国
票にならないことのために頑張る政治家はいない。そんな政治家は次の選挙で落選する。

人口比例で政治家が選ばれるのが民主主義だ。したがって田舎は切り捨てるという政策が民主的に成立。

仕事がないところに人は来ない。子供を育てる環境がないところで子は産めない。

少なくとも田舎よりましなソウルの仕事。苦しいがが不可能ではない子育て。この条件下で田舎を選択することはありえない。競う。競って都会を目指す。


密陽もかつては25万の人口。今5万。問題は人口減少が世代別にみると均等ではないこと。

全体の人口が5分の1になる中で60歳以上の人口は30%も増えている。すべてが機能停止したゾンビ村を想像できるかい?


具体的な話を少し。

そのときの注意事項。事実がどうだとこだわる人には思考力がない。何一つ思考の工程がなく事実の羅列を楽しむ。増えたな、こんなバカ。劣化日本。

事実とは思考の出発点である。出発しない人はサルだ。

といいつつ僕にはまだわからないことも多い。密陽のような韓国の地方都市に必ずまつわりつく妖気と絶望。みなさん、事実を示すので考えてほしいのだ。韓国は今や先進国だ。その劣化に関しては日本よりはるかに先進国。僕は密陽に日本の未来を見た。避けようはない。

なぜかと問うなら言いたい。過疎の恐怖に震える地方。日本の97%は過疎だ。日本の田舎のどこで人口減が止まったか?一つ二つ例外をあげて錯覚するな。

で、

密陽、secret sunshine だそうだ。
町全体が機能してない。一方でそびえるタワマン、近未来のショッピングモール。必ずスラム化する。タワマンは供給過剰になる。国の人口が3分の1になるとき、問題は簡単だ。算数。

K-POPに騒ぐ人は多い。沈むタイタニックの船上で饗宴をやめない一等船客。


密陽。悲しいsunshine.

 ① 妖気漂うホテル。観光案内所も街の人も推すMホテル。衝撃は、お湯が出なかったこと。機能していないホテル。フロントに言うと銭湯に行けと。キャンセルするというと態度豹変。隣の銭湯に掛け合ってくれた。タダで入れた。

レトロで個人的にはGOOD。


2時間いてだれも来なかった。機能してない。

集中力の訓練になる凸凹歩道。転んだ。駅前派出所でしばらく雑談。やっと若者を見た。画像左のタワマンを見ろよ。あれが発展だと。20年後は必ずスラムだ。国の人口が3分の1になる。この田舎は10分の1になる。どうやってマンションを維持するかい。北朝鮮、ミサイルを撃て。

4個の照明のうち3個がつかなかった。
やはり、機能してない。壁紙まで劣化。

久しぶりに出したようなアメニティ。歯磨きチューブ、硬化。


気がめいってくる。僕はこの町最高のホテルといわれてここに来た。

<つづく> 

密陽(ミリャン)

2024年04月25日 | 韓国
慶尚南道公式アカウントから引用
嶺南楼は韓国の3大楼閣の一つであることをご存知でしたか?密陽の景色を一望できる場所として有名です。昼間は密陽江の美しい景観を見ることができ、夜は密陽の華やかな夜景を見ることができる場所です。 

 
 
よかった点は多少誇張してもかまわない。そんな暗黙の合意でもあるのかい?
僕はここ行って見たんだよ。結果、言いも言いたりという感じなんだけど。


どんなブログにも観光ガイドにも、麻薬のような言葉が並ぶ。誤解と幻想に目がくらむ。いつの間にか空想の理想郷が出来上がる。・・・で、実物を見て落胆。

何回も騙されていると、ま、こんなもんかなと現実を目にして納得。観光なんてその手のガッカリの繰り返し。


でもね。そりゃあ程度もんだよ。白と言ったが灰色だった、ぐらいならまあいいとして。ね。黒を白と言っちゃあ犯罪だよね。

話が長くなりそうだ。だから今回は良かった点について。

 ① 交通費がべらぼうに安い。

僕がいる釜山からは1時間ぐらいの距離。80㎞。3,4駅止まって密陽に到着。400円。日本のグリーン車待遇。釜山駅では知らないお姉ちゃんが切符を買ってくれた。なぜそこまで親切なのか。きっと僕がイケメンだからだろう。ほかに考えられない。

広軌


 ② 飯がうまい。

これで大抵その町の印象は良くなる。食堂のおばちゃんがなんとかという薬草をおかずに加えてくれた。「あんた運がよかったねえ、これは今の3週間しか採れないのよ。」ビビンパの値段は数年前から1.5倍になったけどそれでも700円。


絞り出すように考えたが、どうしてもほかに良い点が見当たらない。だが、僕にとっては良かろうが悪かろうがあまり関係ない。

今の日本の将来を暗示する重要な点があると思ったのだ。とくに悪い点の中に。これは皆さんに考えていただくだけの価値があると思った。

韓国は日本の発展の後追いをしているだけの国ではない。こんなことを言うとそうですねITでは先進国ですね、と相槌を打つ人がいる。

それ僕のポイントとは違う。

道を歩いているだけでもまとわりついてくる妖気がある。特に地方都市。それは絶望と混然一体となり街を覆う。僕は仮にそれを「失敗資本主義の廃棄物だ」とした。それを具体的に次回に密陽旅行の悪かった点として書いていく。




ウソはしきりと絶叫する 114

2024年04月20日 | 韓国
<前回のつづき>

当時締結された日韓基本条約の第5条には「国家と国民のすべての請求権を放棄する」と明示されている。すなはち、この条約とそれにより提供される有償無償の金(かね)で日韓両国の政府と民間次元のすべての争点に対し合意が成立したという意味である。両国間にこのような合意が成立しているにもかかわらず、以後韓国の挺身隊関連団体とか太平洋戦争遺族会等では引き続き個別的な補償を要求するデモをして日本の裁判所に訴訟を起こしている。これは協定に正面から背く行為である。



日本の立場はこうだ。朝鮮に残してきた莫大な財産を奪われたし多くの日本人たちが殺害、追放されたという被害に対しても何の要求もできなかったのにそこまで韓国側に大幅譲歩しつつ締結した条約に対しても再びこれに違反する行動と主張が後を絶たないでいる、と。日本人からしたら韓国人はいくら受け入れてやっても何かと理由をつけて要求してくるおかしな集団だと思っているだろう。



韓国国民が朴正煕政権を根本的に否定し新しい政府を作らない限り日韓基本条約は有効であり、韓国人たちはよしんば不満があったとしてもこの協定を遵守することがまともな判断だ。賠償や補償を要求することがあれば韓国政府に対し要求するのが正しい方法なのであり莫大な経済援助で韓国の経済開発を助けてくれた日本に対しての礼儀でもあるのではないかと思う。



最近日本と修交交渉を行っている北朝鮮もこのような前例に倣って堂々と分け前にあずかろうとしているようだ。日本側ではその名目を何と呼ぼうと北朝鮮と国交正常化する対価として20億ドル程度を出せるという考えのようだが北朝鮮としてはそこに「0」をもう一つつける考えのようだ。金正日は朴正煕のときに6億㌦なら今の600億ドル該当する金額になるだろうから今更北朝鮮は最小限100億ドルぐらいは受け取れるだろうと考えているようだ。今の日本はその昔の純真な日本ではないから20億㌦であってもおとなしくもらうほうが・・・



[1-11] 我々はなぜ日本を選択したのか?  p140
                              Category:   【新 親日派のための弁明】キムワンソプ::第1部 目覚めるアジア


韓国の教科書で日帝時代(1910年からの日本朝鮮合併時期)は一種の「消えた歴史」だ。韓国人たちに朝鮮末期から1945年まで朝鮮半島を統治した日本はこの世に二度とない悪魔であり平和に暮らしていたわが民族を侵略し搾取し殺害し苦しめた不倶戴天の敵である。この時期に関する歴史記述というのは大まかに言ってこうだ。開港以後日本の侵略を押しとどめるためにわれらの先祖はいかに血と汗を流し戦ったか、日本は朝鮮を侵略するにあたりいかに非道なことをしたか、しかも合併以後わが民族は独立をかちとるためにいかに熱心に戦ったか。日本はこのような独立運動家たちをいかに残忍に拷問にかけ苦しめたのかを記述することに焦点を当てている。



韓国社会において反日策動はもはや一つのイデオロギーでありドグマになっている。過去きわめてひどかった反共イデオロギーの時代と比較すると反共の時代のほうがさらにひどかったといえる。私たちがまだ幼かった頃、共産党は嫌だ~と叫び続けていたせいか共匪(共産匪賊)に対し残忍に殺されたイスンボク少年を思い出しつつ涙声になって歌った。毎年6月になると「今こそ仕返しをしよう。その日の恨み。追われる敵を追いまくり最後のひとりまで打ち取ろう。やるのだ、今こそ光り輝く我が国、わが民族~」と歌いつつ痛ましい歌詞にあふれる6.25の歌などというものを練習させられた。

<つづく>

ウソはしきりと絶叫する 113

2024年03月20日 | 韓国
<前回のつづき>

当時の日本の立場はこうだ。未開な朝鮮半島を引き受けて40年間すさまじい投資をして教育し現代的な制度を導入し膨大な産業基盤施設を建設してやったのにいまさらカネを返してもらえないとかならまだしも賠償金を払えとは納得がいくはずがない。戦争に負け一文無しになったのち何の発言権もない状況で再び独立をするために周辺国にたいし低姿勢外交を行ってみたものの、的外れにも過去日本の領土だった韓国すら強引に奪われるのを受け入れざるを得なかったのだ。


そうではあったが朝鮮戦争により急激に経済が復活し1964年アジア最初のオリンピックも開催するなど景気のいい時代だったので6億ドルという巨額なカネを速やかに出すことができたのだ。第二次大戦の戦勝国でもない日本に賠償金を要求するということは国際的な視点から見るととんでもない主張なのである。


戦後日本が台湾と樺太は放棄したといっても朝鮮だけはもはや日本と一体になっていたのであるから植民地と考えるのではなく日本として取り扱ってくれとアメリカに何回も頼んだのであるが、戦勝国はこのような要請を拒絶し日本から韓国、北朝鮮、台湾、樺太をもぎ取ることで5個の地域に分割占領してしまった。国交協議の歴史を見ると日韓国交正常化のための会談は日本が米軍軍政下から独立した1952年から始まった。韓国政府の主張は、

     1. 1909~45まで朝鮮銀行を通じて日本に持ち出された金249トンと銀67トン
     2. 朝鮮総督府が韓国国民に支払わなければならない各種逓信局の貯金、保険金、年金
     3. 日本人が韓国の各銀行から引き出していった貯金額
     4. 在朝鮮金融機関を通じ韓国から日本に流出した金品
     5. 韓国法人の日本国内の財産
     6. 徴兵、徴用された韓国人の給与、手当と保証金
     7. 終戦当時韓国人の法人又は自然人が所有していた日本法人の株式、各種有価証券および銀行券

など6個の項目に対し8億ドルを支払えというものであった。これを対日請求権という。以後、韓国と日本は対日請求権問題の妥結のために7年も会談を続けた。しかし、韓国の要求した8億ドルと日本が主張する最高額7千万ドルとの差が大きくなかなか両国の意見が近づかなかった。そうしたなか朴正煕政権に至ってはついに1962年11月12日金鍾泌特使と大平日本外相との秘密会談で合意したいわば「金-大平メモ」をもとにして協議案が妥結した。1965年6月22日日韓基本条約の締結と同時に「財産と請求権に関する問題解決と経済協力に関する協定」が正式に調印されたのであるが重要なことは財産請求権に対し日本が無償で3億ドルを10年間の分割払いをすることと、経済協力として政府間借款2億ドルを年利3.5%で7年据え置き20年償還という条件で10年間提供し、民間産業借款として1億ドル以上を提供するというものだった。これによって14年間も長引いた日韓国交交渉が終わったのであるがこれにより韓国では長い間激烈な反対デモが絶えることはなかった。日本はまともに対韓請求権を要求できないまま交渉を終わらせたのであるから後日日韓間に複雑なしこりが残ることになった。

<つづく>  

ウクライナが勝つわけない

2024年02月23日 | 国際・政治
そうあってほしいと、そうあるべきと、そうなのだの混乱、人気取りたちの迎合。


ジャベリンが入るからとか、レオパルド2は無敵だとか、士気が高いとか、プーチンは重病だとか・・・いくらでも書けるウソの類。個々の事柄が真実であっても因ってウクライナが勝つとはならない。個々の事柄が本質ではないからだ。

小さな都合のいい事柄を積み上げてウソをつく。

これ権力プロパガンダの常とう手段。

たしかに総合的な戦力は算定しにくい。それは算定しにくいのであって関係ないのではない。バカは目の前の細かな数字にだけ反応し、自分のあってほしい現実に合う事実のみを積み上げて納得し、結果騙される。

たしかに戦力において、アメリカのF16やらが100機くれば戦況は変わる。ところがパイロットはそう短期間で出来上がるものではない。つまりあり得ない。

ありえないことまで動員して白昼夢を見る。もしもこうだったらいいなあが、きっとそうだに変わり、ロシアの侵略を許すなと絶叫する。

今、許す許さないの話かい。

昨年のウクライナの大反攻。もうロシアは終わりだと言わんばかりの解説があふれた。低能が集うSNSでは特に顕著だ。

ウクライナを支持するならもっと気合を入れろよ。ウクライナが負けても支持するということだよ。ロシアの石油を買っておいてなんというバカかい。


今ウクライナ側の戦況が不利になったのではない。細かい有利不利は繰り返す。ポイントは、最初っから勝ち目はなかったんだということよ。

工業生産力。これだよ。ナチスドイツを撃退したのは士気の高さではない。いわばT34の生産力だよ。石油だよ。食料だよ。人数だよ。おまけとして作戦だな。


おまいら100人とじゃんけんして勝ち続けられるかい。2,3人とのじゃんけんで勝った勝ったと喜ぶのはだれかい。脳天気日本人。

ウソはしきりと絶叫する 112

2024年02月20日 | 韓国
<前回のつづき>

李承晩は交渉初期において日本との会談が決裂すると日本海の公海上に好き勝手に平和線というものを引いて大韓民国の領海であると宣言した。この線を侵した日本の漁船をむやみに捕まえては釜山港に抑留するなど国際法上到底あり得ない強盗行為を行った。李承晩の本当の狙いはこうやって捕まえてきた日本漁船と漁師をカタに国境交渉において最大限のカネをもぎ取ろうというのであった。韓国政府自体がこのようにごり押しと強盗行為によって一貫して日本との交渉にあたったのである。だから韓国に対する日本国内の感情がよかろうはずもない。その結果日本は当時100万名に達した在日朝鮮人たちを対象に報復措置をとり在日同胞はいろいろな不利益を甘受するほかなかったのだ。


以後1961年のクーデターで政権を握った朴正煕は何らかの経済開発などしなければ政権が維持できないという切迫した気持であちこちの国に出かけ物乞い外交をしていた。1964年には、もしやという気持ちでヨーロッパまで出かけてみたものの誰も乞食国家の韓国にはカネを貸してくれなかった。貸してやっても回収する可能性が0なのだから当たり前だ。当時の韓国はソマリア、エチオピアと同様に世界3大最貧国に分類される国だった。北朝鮮は順調であったが韓国は悲惨な状況だった。韓国の住民たちは足りないながらもアメリカの援助物資によってかろうじて延命していた。


今も同様であるが、このような国家に借款とか経済協力であれ何の用途であってもカネを与えるということは回収可能性がほとんどないのだから貸してやることとたただそのまま与えるということは事実上同義であった。それなりに所得が同水準の分断国家であるという同病相憐れむという気持ちから韓国の看護院と鉱夫を送るという条件で4500万ドルを借りられただけだ。(ドイツは1998年、我々が経済恐慌に見舞われた時期に最も多くの投資と経済協力を提供し再建を助けた。多分ドイツは地球上で韓国に対してもっとも好意的な国家だ。)朴正煕の経済開発というのは日本からもらった6億ドルとベトナム戦争特需、この二つがなかったら不可能なことだった。


6億ドルということは今日年間1800億ドルを輸出し国内総生産が5000億ドルに達する韓国経済を基準にみるならどうということないカネだ。しかし、輸出1億ドルが国家的目標だった当時の価値で考えると、総輸出額(外貨獲得額)の6倍であり国内総生産の15%に該当するこの金額は今日の価値に換算すると1兆2千億ドルに該当し、国内総生産で見ても700億ドルに相当するすさまじい金額なのだ。当時は女でも軍人でも何でもかんでも売って外貨を生み出さねばならなかった韓国の行き詰った立場を考えると輸出額を基準にする価値基準がさらに現実的だといえる。とにかく日本はこのように韓国経済の再建初期段階にすさまじい規模の経済協力をすることで産業化のもととなるカネを提供した。

<つづく>



ウソはしきりと絶叫する 111

2024年01月20日 | 韓国
<前回のつづき>

しかし戦後独立した東南アジア国家は日本に賠償を請求した。日本は仕方なくミャンマーの2億ドル、フィリッピン五5億5千万ドル、インドネシア2億3千万ドル、ミャンマー、ベトナムは3900万ドルに達する賠償協定をそれぞれ締結し賠償金を支払うほかなかった。インドは賠償請求権を放棄しミャンマーに対しては1965年4月から1億4000万ドルの無償経済援助がさらに提供された。



しかしながら台湾と朝鮮は大東亜戦争とは何の関連もなくすでにはるか昔から日本の領土であったし戦時中も日本帝国として共に戦った地域だったので賠償を云々する議論自体が成立することはなかった。にもかかわらず韓国政府は李承晩時代からしつこく植民地支配に対し賠償要求をごり押ししていたため国交正常化に至ることができないでいた。



<引用開始>
1951年、であるから6.25事変がどうやら峠を越えたあたりで休戦交渉が         
行われていたその年の晩夏。ある日親日派の巨頭が、つまり解放後にもどうにかして親日を通じてゼニを稼ごうともがく実業家P氏が警務隊の李承晩博士を訪ね妙な提案をした。
「韓国近海には魚が多いです。しかし我が国の漁民は技術と漁具が不足  しまともな操業ができていません。ところが日本の会社(現在では大洋、西大洋の2社に分かれている)と工作をして魚を捕り利益を分配するというのはどうでしょう。」この言葉を聞いた李承晩はたちまち顔色を変え怒髪天を衝く勢いで大声を出しP氏は這う這うの体で警務隊を後にした。そしてすぐに李承晩は法務国防両長官を呼び地図を広げて、「日本人たちが我が国の近海に来られないようにしろ!<マッカーサーライン>とか<コラークライン>とかなんとかあるだろ?それと似たような線を引けということだよ!そして日本の船がその中に入ったらごっそり捕まえてしまえ。」
このような激しい命令が下ると関係部所では初めて線を引きそれを合法化するために<魚類資源保護法>という法律を作ったりして1952年1月18日にはついに国際的に宣言をしたのである。(この平和線を内外に宣言し宣言文を書いた人は当時李承晩の顧問だったアメリカ人である)このように李承晩をして突然の平和線を宣言するように刺激したのは親日を夢見るP氏の野望が原因だったのだ。こうなると日本側はとんでもないと強く否定し激しく反論した。
「李ラインは無効だ。(われらは平和線というが彼らは李承晩が引いたとして<李ライン>という)国際法上認められない野望である。日本は李ラインを認められない。」
しかし李承晩は頑として耐えた。そして平和線を侵犯した日本の漁船をどんどん捕まえて漁民を釜山に抑留した。日本にとってはこれは重大問題である。日本の世論は、こういう。「日本が敗戦国だから国際的な発言権は大きくない。そのせいで生じたことだ。海に好き勝手に線を引き船と人を捕まえるなんて!普通だったら一戦を交えるところだ。」とまで怒ったのだ。
                                                                                                                                                                   李承晩は最後までこの平和線にこだわり持ちこたえようとしたわけではない。いつの日か国交正常化のための日韓会議をするようになった時の有利な布石としたのだ。(「これが日本だ」国民哲学宣伝社 1965)
<引用終わり>



<つづく> 毎月20日発行


 

暖かいので美術館へ

2023年12月27日 | 思想
久留米市美術館。「芥川龍之介と美の世界 夏目漱石、菅虎雄」来年1月28日まで開催中。1000円。ちょっと高い。

この美術館は元石橋文化センター。そうです、ブリジストンの石橋さん。周辺を散策。ちょっとした公園。

出来てから年月が経ち植栽も風景にしっくりなじんでいる。

このごろはいたるところで体育館などスポーツ施設がどんどんできている。ところが、美術館や図書館が新設されることはない。選挙の票になるんだろう。とくに田舎は体育館ばかりゴロゴロある。かと思えば隣町に張り合って無理したホール。ストリップ小屋かと思った。

ポピュリズムの果てに何が待つのか。下品な国になった。

本来公共施設は行政の担当のはず。それがたかがタイヤ屋の道楽に頼るしかなかったのだ。


それでも現在のような脳が筋肉の輩(やから)が喜ぶスポーツ施設。そんな下品な市民受けを狙った施設よりもはるかにましだ。石橋財団。


そしてここで展示を見た。

漱石や芥川の小説原稿を見た。意外と字はへたくそでぼくのほうがうまい。

だが、気絶するほどの教養の蓄積の中からごくごく一部が結晶して作品になっていることを知った。彼らの天才性と同時に努力に感服した。

人は相手をよく知らないと大抵バカにする。相手をバカにしぐうたらな自分への言い訳を探す。



時々は文豪の遺品に触れ襟を正すことが大事だと思った。



ウソはしきりと絶叫する 110

2023年12月20日 | 韓国
<前回のつづき>

一方は与える人もう一方は受け取る人。このとき受け取る人はさらに多く受け取ろうとする。与える人はより少なく与えようとするのは当たり前だろう。むやみにたくさんくれと言ってももらえるわけではない。どこかの国内債権債務関係であったら裁判をし強制執行をするだろうが、国際関係ではどんな方法で相手方を見動きとれない状態にして受け取ろうというのか。もしもカネは出せないと言い張ったらどうするのか、戦争をするのか、裁判をするのか?方法があったとしても会談を決裂させる方法しかない。破綻しないわけがない。そのようになったらどちら側が残念な結果になるだろうか。日本側としては一つも残念な問題はない。ただ平和線(李承晩ライン)の中で魚を取るのに支障があるくらいだ。それと反対にわが方はいろいろ関連した問題が連続して出てくる。


このことが時間がたてばたつほど正比例して受け取る側を不利な立場に追い込むので日本側はその時さらに出すことは渋り続けるだろう。民政党代表尹潽善氏は27億ドルを受け取らなければならないと主張したが、こういう主張は、自分がすれば27億ドルを受け取れた、というたぐいの話と同じ意味であり李博士(李承晩)が尹潽善氏ほどにはできす4億ドルを考えていただろうか?こんな巨額のカネを受け取ることができる実力の人が大統領でいるとき請求権はないまま6億ドル程度の技術援助と物資を与えようという話が出たとき、なぜその当時に27億ドルを受け取るべきだという発表をしなかったのか?日本が27億ドルをくれないならどうするつもりかという話だ。夢みたいな数字をむやみに言いだし待っていればいいというのだろうか?

もちろん3億ドルという金額と有償3億ドルは36年間彼らが我々を搾取してきたこととか無数の愛国志士が殺戮されたこと、強制して学徒兵、徴兵、徴用に引っ張っていき死と苦痛をあじあわせた事実を思い起こすならば6億ドルはもちろん600億ドルを受け取ってもすっきりはしない。しかし現実は現実だ。我々は過去の憤りを押さえ受け取れもしない金に固執するよりはより将来の利益のために妥協をするほかないのである。(『これが日本だ』国民哲学宣伝社 1965)




上記の文章は40年前日韓国交正常化会談当時の国内議論の雰囲気を知ることができる面白い資料である。上記に引用した本の著者は朴正熙政府の国交会談を支持する立場から現実論を主張する人物だったようだ。実際今日考えてみると有償無償借款あわせて6億ドルを受け取り日本と国交正常化をすることができたということは韓国の立場からしても大いにもうかる商売をしたのだ。1965年当時韓国の国民総生産が45億ドル余り、現在の100分の1に過ぎない時期であったし当時我が国の輸出1億ドル達成のために総力を傾けていたのを考えると6億ドルがいかにものすごい金額であるのかがたやすくわかるだろう。当時朴正煕政府がどんな手を使ってでも外貨を確保しようとしたのは、外貨がなければ先進国から機械を買い入れ輸出産業を打ち立てることができなかったからだ。今日でもすべての開発途上国が同様の状況におかれている。後進国ということはいつも売るものは少なく買ってこなければならないものが多いため外貨不足に悩ませられるほかない運命である。


大東亜戦争(太平洋戦争)で事実上唯一の戦勝国であったアメリカは日本を占領したのちすべての産業基盤を抹殺し農業国にして再び強大国にならないようにしようとした。しかし2次大戦(太平洋戦争)が終わると同時にソ連を中心とした社会主義陣営との間に冷戦が始まり日本に幸運が舞い降りた。とくに韓国戦争(朝鮮戦争)以降アメリカには太平洋防衛が焦眉の課題となったので韓国、日本、台湾を成長させて共産主義の拡散を阻止する政策をとらざるを得なくなった。アメリカが戦後再び日本を独立させいかなる戦時賠償も求めないという無賠償主義をとったのもこのせいであった。莫大な賠償金は事実上日本経済を相当の期間再起不能にするからだった。



<つづく>毎月20日発行



筑紫女学園大学公開講座 英語前置詞の世界 

2023年11月25日 | 受験・学校
近所なのでママチャリに乗って行った。講師は松崎先生。

あまり期待しなかったが、聞いてみてびっくり。さすがプロだなと思った。めんどくさく細かくまれな使い方を説明されたらいやだなとか、・・・。

さにあらず。こんな先生から習えるなんて学生は幸せだ。

Oxford English Dictionaryによると前置詞は200以上あるそうだ。先生は、こんなにあるからしっかり勉強しろ、じゃなくて、こんなにたくさん理解できるはずない、ということから話を始めた。

ちょっと安心したが、テキストの英文についての質問をする。( )に何が入るか受講者に指名し発問。僕は当たった。

英文はこんなふう。
I bought this computer (     ) 50,000yen.

ぼくは、 withと答えた。またある人は、at と。

で正解は、for。ここからが先生の腕の見せ所。
先生 said,
buyがあるので前置詞はforと覚えていた人もいるでしょう。まちがってもbyじゃないぞと考えたでしょう。図星を言われてドキッ。with, at でも通じますと慰めてもらった。

だけど正解は for だが、そんな覚え方をして正解にたどり着くという方法では面白くありませんというようなことを言ったのだ。

目からうろこ。


学生のころさんざんイディオムをたたき込まれた。ところが外人は、イディオムという単語自体を意識してない。どころか、知らない人が多いそうだ。

in front の次には of が来ますと教え込まれた。そうやって僕の頭の中には膨大な英単語が入った。高3のときにはそのバカな暗記作業はピークを迎え一日50の単語試験が毎日あった。

高校はバカな苦痛を与えただけだ。学校は間違った英語を熱心に教えた。



forの使い方というかイメージみたいなものを解説された。今回、多くの意味を覚えるより概念として for のイメージをつかむことが大事だと教えてもらった。

最後には僕ですらこの文章の意味が分かるようになった。


I cannot speak for everyone.

「私は皆の意見を代弁しているわけではない。」 ここでは、for だなとよく納得した。


僕は今更遅いけど悟ったよ。
丸暗記は百害あって一利なし。問題は理解なのだ。丸暗記ばかり強調するバカな高校を出た。

ウソはしきりと絶叫する 109

2023年11月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


さらに最近のことでは1980年光州抗戦(光州事件)のときのこともある。当時光州に進駐した戒厳軍は「現在、光州市内をスパイが掌握している」というようなとんでもない教育を受けて侵入し良民を虐殺した。彼らは銃剣術や射撃の練習をするように光州市民を殺した。これがわずか20年前のことなのだ。こんな国がはたして60年、100年前に発生した戦争において不可避的に行われた人権蹂躙を根拠に日本を悪く言う資格があるのか。日本は過去に原初的な軍国主義の時期に侵略戦争をしつつ他国の国民を大勢殺したが少なくとも敗戦後には理性を取り戻し人権が保障された文明国になった。反面、韓国は子息を殺しても2か月過ぎれば釈放されすましてそこらをうろつくことができる未開社会だという事実を知るべきなのだ。他国を卑下する前に最小限の身の程をわきまえるべきだ。



また、中国はどうであろうか。良民虐殺と侵略に関する限り中国は一定の見識を持っている。実際そのような事情が分かっているので中国は日本の過去に言及するときにも抑えた口調でポーズをとっているようだ。中国共産党は1949年大陸を統一したのちにも満足できずにチベット、ウイグル族の国を侵略したのみならず、いまだにその地域の独立運動家たちを無慈悲に虐殺している。



1950年中国は「帝国主義の脅威からチベットを解放する」という犬にも笑われる名分を立て平和なチベットを侵略、500万の人口の半分を虐殺した。中国はチベットを占領したのち1964年にはヒマラヤ山脈を越え征伐軍を送った。が、インド軍の熾烈な反撃に耐えきれず押し返された前歴もある。また1979年には30万の大軍と800余機の航空機を動員しベトナムを侵略し全面戦争をくりひろげた。幸いにもインドとベトナムは強力な軍事力を有する国家だったので中国の侵略を防ぐことができたのであるが、万が一にもこれらの地域までの中国の手下になっていたら今日の中国はインド洋から太平洋に至る大帝国になっていただろう。しかし私は中国がこのような過去にしでかしたこのような侵略に対し謝罪をしたという話は聞いた事がない。



1960年代、江清らを前面に立て毛沢東が行った紅衛兵のクーデター、いわゆる文化大革命のときには手に毛沢東語録を持った気違い紅衛兵が全国を席巻し数百万の無辜の人々を虐殺した。また1989年、天安門広場で発生した民主化デモを鎮圧する過程で2000名の市民を虐殺した国がまさに中国なのである。こんな国が日本の総理の神社参拝を問題にし非難声明を出し、日中戦争のときは日本が自国民を虐殺したと宣伝しまくっているのだから中国という国は実に面の皮が厚い。



日本が起こした戦争というのもまた同様だ。1895年日清戦争に始まり日露戦争、日中戦争に至るまで太平洋以前に日本が介入した戦争はすべて世界のどこでも起こっていた領土獲得競争であっただけだ。アメリカだけをとっても20世紀初までネバダ、オレゴン、カリフォルニア、テキサス等の地域を挟んでメキシコと血生臭い戦争をした。帝国主義時代の論理というのは力のある国が多くの地域をわがものにするということであり、力がなければすでに獲得していた地域もとられてしまうということだ。そのようにして戦争に負ければ日本の様に戦犯国になりおとなしく引き下がるしかなく、勝てば戦勝国として分け前にあずかり大きな口をたたいていけるのだ。日本の罪といえばただ負けたということ一つであると言いたい。




【1-10】経済開発の種を提供した日本 
         
李承晩博士(韓国初代大統領)は日本から4億ドルとれるなら大成功だと考えた。長期政権のときには請求権をあえて最初に放棄し6億ドル相当の技術と経済協力をもらうという話がでた。さらに今度は2年間の引き延ばしののちついに無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款1億ドル以上という決定を見たのである。


<つづく>

What is essential is invisible to the eyes.

2023年11月02日 | 受験・学校
若いころ、ある公務員試験を目指していた。試験は6~7月にかけてあり合否は9月に発表された。しかし、合格とは採用を意味するものではなく合格したが不採用という場合も多かった。

ひどい時には合格が僕一人で採用ゼロという年もあった。

試験会場には高校の教室が使われた。一つの教室に受験生は50人。競争率は最低100倍。ということは2教室の中から一人しか合格しない。

何を血迷ったのか、身の程をわきまえず、などなど罵詈雑言を浴びつつ悪口雑言を振り切って我ながらとんでもない挑戦を始めてしまった。

一番つらかったのは自分の位置がどの程度にあるのか皆目見当がつかなかったこと。全然手が届かない無謀な挑戦をしているのか、一点差で不合格になっているのか、まったく知る手立てがなかった。

勉強をしていると悪魔がささやく。大手銀行の内定通知が来たじゃないか、このままじゃあお前の20代は暗黒時代になるぞ、もう意地を張るのはよせ、と。


そんなこんなを振り払いやりかけた試験合格にかけることにした。ここでやめたら20代を棒に振るどころではない。不合格という烙印は一生のコンプレックスとなること必定だった。


紆余曲折あって、

僕は何とか合格&採用になった。4年間の絶望的な努力には見合わないが、世間は手のひらを返したように揉み手すり手、平身低頭して僕の周りでしっぽを振った。先生様先生様、様様。

僕は全力を出し切って疲労困憊していたので、ちやほやされてももはや何ともなかった。

意外なことが嬉しかった。研修を受けている中で、指定された銀行に口座を作れと言われたこと。

絶望と極貧の中で頑張って勉強していたので当たり前のことを忘れていたのだ。そうか。今からはお金をもらえるのだ。しかも夢みたいな大金。毎月。俸給という名の賃金が降ってくる。

中核とか革マルとかが僕を裏切り者だといった。どーーぞ、言ってください。僕は心の中で快哉を叫んだのだ。僕はぼくの勝負に勝ったのだから。


午後から銀行口座を持たないやつばかり連れ立って口座開設に行った。まだ現金支給の時代。都市銀行に口座なんて。

銀行の行員たちが全員起立した。「ありがとうございます。」


帰りに台所用品をくれた。そのころはバブルの予感がする豊かな時代。立派なボウルやザルや水切りをもらった。


時は流れ、

40年後、何千回と使った水切りについに限界が来た。うどんはいいがそばは壊れた水切りから漏れるようになった。


僕の子供たちは、けち臭く劣化したプラの水切りをいつまでも使いやがって、と思っている。僕は説明しない。

到底理解してもらえない。


プラの水切りを捨てた。