一人め、佐野常民。
佐野常民(さのつねたみ)が日本赤十字社を創設したことはまえに書いた。近所で僕は生まれたので何度も何度も彼の生涯について親から聞かされた。要するに日本最大で最初のNGO、Japan Red Cross(JRC)をつくったのは佐賀の人ということだ。(日本赤十字社)
佐賀の人はもっと誇れと書いたが全く反応がなくがっくりした。反応のために書いているのではないといっても、これほど偉人が続出した県はなく戦後は逆に、まったくぱっとしない県も珍しい。お前たちはもう赤十字病院に行くな。
僕はいつも不思議に思う。なぜ佐賀に佐野は生まれたのか、知識はどこから得たのか。百姓に生れたら百姓で終わる。これ以外に選択肢は全くないと思えた。それに加えて極貧であった。
二人め、市村清。
市村清は佐賀県三養基郡北茂安村(現・みやき町)の農家市村豊吉の長男として生まれる。旧制佐賀中学校に通う。現佐賀西だ。彼は、養子に出されている。その貧困のため佐賀西を中退している。さぞや無念だったろう。
頭の出来が悪いのはそもそも競争心に欠ける。だから席次をつけ生徒の競争心をあおらないといけない。席次のない学校を保育園という。十分な向上心がありながら、頭以外の理由で退学するなんて。
貧しい国はこうして逸材を逃す。だが能力は貧困を凌駕する。佐賀市の中心に立つ不釣り合いな体育館兼展示会場は彼が寄付したものだ。あるときは盛田昭夫や大宅壮一、邱永漢が教えを請い市村学校と称された。
不幸や不運を必ず克服しているからだ。市村は運のない男だ。大学は中退、もちろん貧困のため。やっと入った銀行は倒産。いったんは勤めていた企業が分社化されのちのリコーの社長になる。だが無配に転落。しかし復活。
これが何ともない佐賀人はリコピーを使うな。リコーのカメラを捨てろ。
僕が無線の試験をうけたとき計算尺は必需品だった。もともと日本の計算尺はフランスの製品をコピーしたものだ。 逸見(へんみ)治郎が特許をとる。市村はこの計算尺を佐賀の竹を使い生産した。そしてここがすごいところだ。そのサルまねの代名詞、Made In Japanの計算尺を元祖フランスに輸出したのだ。精密で狂いがなく耐久性があった。アポロ13号の映画の中で計算尺を使うシーンがある。名称は逸見(へんみ)という。HEMMIと書かれていたので僕はずっと外国語と思っていた。
アポロ宇宙船自体佐賀のアポロ電子工業の協力がなかったら飛んでいない。世界の計算尺の70%はHEMMIだった。
佐賀の人はなぜこの誇らしいMade In Japanに胸を熱くしないのか。