店内にサボテンがある。熱帯島原は、気絶するほど暑かった。
フロンだ,CO2だとうるさいが、ここまで暑いともう原因などどうでもよくなる。しかもでかい車は走行のエネルギーの5%程度で冷やしているから、暑さを実感することはない。ところがFIATはブレーキを踏みながら走っているようでもやもやする。
娘はスカートを広げ、冷気の吹き出し口を独り占めしている。僕一人なら窓を開ければ済むのだが、それをやったら駄々っ子は即JRで帰る。
島原は、その昔、ある高校から僕に対し求人を受けたところだ。その頃は、県教育委員会に人事権があるとはいえ、まだ有力校の校長は陰に陽に人事採用権を持っていた。とくに、ど田舎長崎情実採用県では。
僕は寡聞にして島原高校がいかに優れた高校であるかを知らなかった。今でもその片鱗はある。
本校は島原半島の「とうだい」と言われております。と教頭が言った。あまり教員になりたくなかったのでお断りしたが、「とうだい」と言われて灯台と思ったが若かったので聞き返すこともできず「ああ、はい」とごまかした。心の中ではなんで俺が島原半島を照らさにゃならんのかと思いつつ。
お分かりのように、灯台ではなく東大だった。もったいないことをした。おかげで僕は息のくさいバカ役人の下っ端どもと、その後の人生を無駄にした。
歴史にIFはないというのは勉強が不得意な人だ。IFを探して歴史の分かれ道を探ることこそ歴史学の使命だ。翻って人生についてはどうだろう。やはりIFは重要だ。人は過去の変曲点を探し未来の判断材料にするしかない。
日本語が不得意な人は字が続くと読まないのでここらで画像。
街なかに湧水を集めた筧があり鯉がいた。なぜ誰も盗らないかと中国人はきくそうだ。右のブロックにギターを弾く青年がいたのでストリートミュージシャンかと思ったら、ただギターの練習をする中学生だった。そうか。観客がいない。
人生にはいくらでもIFがあり後悔の種にしかならない。それは当たり前だ。誰が常に最善の選択をなし得よう。
でも、こう考えたらどうかな。だからなんだ、と。振り返れば失敗ばかりを思い起こす。それがなんだ。それを糧に次はよりよい選択ができる。
それでも失敗したら、その次がある。さわやかな島校生を見ていた。娘がすねたので雑貨店に入った。
レストランは昭和だった。宿は江戸だった。店員さんがなぜか駐車料をまけてくれた。ディーンからけんなので仕方ない。