か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

大学受験の思い出は?

2017年01月21日 | 受験・学校

入試の日の朝、ばあちゃんだけが見送ってくれた。母は自分の趣味の世界に没頭していた。それまでうるさく言っていた父は、妾のところに行ったので、母は羽を伸ばすように趣味に没頭し、子供のことは眼中なかった。

障害者のばあちゃんが玄関まで見送ってくれたのがうれしくて、僕は他の受験生と対等だという気持ちになった。

ところが玄関のドアを開けると、愛犬が死んでいた。

大型犬だったので庭にかなり深い穴を掘った。埋めて墓標を立てお参りをして…するうちに時間が無くなったが金は父が持って行き、残りの金も母がこの時とばかり浪費した。アタシ(母)はそのうちすぐ金を稼げるようになるから,それが母の口癖だったがそんな日はついに来なかった。

だからタクシーに乗れなかった僕はバスで行った。そして3分遅刻して会場に入れなかった。浪人できるはずはなく馬鹿でも入る大学に行くしかなかった。障害者と知的障害者が不規則な生活をする中で勉強は無理だ。学費はばあちゃんが一部工面した。

バカ大学に入ったことで、自分の人生が暗転し二度と日の目をみることはないと確信した。周りのアホ面を見て、すぐさまやめて公的な試験を受けることにし、国費留学生になることができた。

大学入試は僕の人生で最悪の時期であり、抜け出すことのできない不幸と極貧のるつぼの中にいた時期だ。勉強の苦しさは全くなく、僕はどこにでも合格した自信がある。

だから合格しようと努力する人が不思議だ。環境がそろって合格できなかった人は相当能力が不足した人だ。

思い出さないことにしていた。

 


Love is blind.

2015年09月06日 | 受験・学校

俺はもうすぐ死ぬから、書斎の本を好きなだけもっていっていいよ。そういう奇特な人間がいたので、ありがたくごっそりバイクにのるだけ乗せて持ち帰った。

死に際にそういわれて持ち帰らないと失礼なようで、本当のところはしかたなくそうした。つまらない本ばかりだった。

人生には、意に反することもせざるを得ない時がある。

(Love is blind.)

ポイントとなる点は次の2点だ。

①  競争原理は人間を差別するものだから教育になじまない。

② 教育(学校教育)は万能である。(これについてはまたの機会に)

すると、点数のつかない教育が正しい教育であり、教師はどこまでも一人の子供のために人生をすりつぶし、他の多くの子供を犠牲にしなければならない、となる。

理由のない差別、合理性を欠く差別は、最高裁判例を待たずとも許されない。ただ、一見やさしさにあふれたその言葉が残忍な言葉であることに気が付く教師はほとんどいなかった。

能力のある子供が犠牲になるじゃないか。子供は信じられないほどの可能性を持つ。そこを競わせ伸ばしていくのが教育じゃないか。

教える技術、つまり授業の上手下手は結果としてあまり成績には影響しない。その影響は0ではないが思ったより少ない。たしかに「お前の数学を聴いたのでわからなくなった。」という出来損ない教師もいる。

ひとまずおく。

今にもその影響はあるが、5,4,3,2,1、の五段階評価は差別であるから廃止しよう、というばか。当時一クラス60人以上のクラスを一人ひとり文章で評価したら、一学期かかる。遠山は国家予算が5兆円にも満たない貧乏国で無謀な思想を展開した。(昭和30年代)

運動会は手をつないで走ろう。男女は一緒に着替えよう。騎馬戦は馬になるものと馬に乗るものとに差別がある。出席簿は男が先なのは差別だから50音順でいこう。・・・こうして差別のないよい社会を作ろう、と。

バカは加速する。だからバカな組合に責任があるというのも可愛そうだ。

少なくとも知識の戦場で生きたものは責任を取るべきだった。人一倍子供を大切に思う善人のフリをした悪性の硬直能無し野郎=Love is blind。

もう遅い。

 

 

 

 

 

 

 


Roller coaster(ジェットコースターが怖かった)

2015年08月11日 | 受験・学校

小学校2年生ぐらいだったか、巨大なそれを目の前にしたとき思った。きっと僕が乗る順番が来て轟音とともにこのコースターは壊れる。

第一バンク角も十分についていない。骨格は木製だ。腐れた木製だ。そんなものに乗る人はきっとやせ我慢をしているかバカで鈍感なのだろう、と直感した。

(Woody coaster in Los)

 

うちの縁側のレールを抜き取りミニカーを走らせて遊ぶのが好きだった。曲率と下り角とバンクの関係はすでに実験済みだった。レールはうちのばあちゃんがこっそり修理屋を呼んで直してくれた。父親が気が付こうものなら、僕を半殺しにして日ごろの鬱憤を晴らすのが目に見えていたからだ。

僕は先生と乗った。小学二年生。

僕は先生と遠足で行ったのか、先生が連れて行ってくれたのか、今では分からない。その上どこに行ったのかさえわからない。

とにかく確実に事故が起こると信じ込んだ僕はシートベルトを断った。先生の腰に抱きついたほうが安全だ。記憶は断片的だ。ふわふわして気持ちよかった。小2からスケベだったのか。

断ればしなくてよいシートベルトなんて、なんておおらかなのだろう。コーヒーが熱いのを店のせいにしてカネを取ろうと言う時代ではない。

(Woody coaster)

 

僕は泣いたようだ。降りたときの景色がゆがんでいたように思う。

「たらけんちゃんは、だんだん勇気のある人に成るとよ。あーん心、安心。先生も怖くて泣いてしまったとよ。」「皆がなんかゆーたら言い返しなさい。一番ゆれた座席で先生も泣いていたと。」

その年の暮れ、先生から年賀状が来た。「給食を盗られたら誰でも泣くよ。忘れ物をしたら、なんか恐ろしいことがおこりそうな気がするね。もっと大きな気持ちでいましょうね。」小学校の先生らしいきれいな字で書かれている。

僕は泣き虫だったらしい。年賀状は手元にある。今のはがきの2/3の大きさだ。

先生は、僕に特別に何かをしてくれたわけではない。だけど、先生はいつも僕を心配していてくれた。

昇進気違いは、書類に残ること、議事録に残ること、教務日誌を丹念に書く。・・・そんなうそは子供は見破る。

僕は「先生」と呼ぶ人は三人しかいない。その中の一人、井口妙子先生。どうして死んだんですか。寂しいじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 


ファシストはお涙に歓喜する。

2015年05月01日 | 受験・学校

(日本の空はきれいだ。60年代は空も川も汚かったが。)

 

株は上がった。リーマン以降一向に改善しなかった含み損は大体解消した。原発の再稼動で配当も復活するだろう。僕は株で生きているから死活もんだいだ。

 

外交。

全般に言って安部のおかげで何がよくなったか。不安定になったことはたくさんある。日本国のパスポートを持てばほとんど世界中どこへでもいけた。今は渡航可能な国の数はミャンマーより少ない世界8位だ。

まず中東は渡航不能だ。昔80年代、手に手に銃を持ってはいたが、僕を歓迎してくれた。今やそのひげの男たちは、僕を殺そうとするだろう。アメリカのポチはアメリカと同じ目にあわせる。

竹島や尖閣が話題になる前、国有化し中国を刺激したのは日本だ。竹島は韓国側もそれほど気違いになって取り上げていたイシューではなかった。漁業協定では領土まで含めた解決にむけ両国の官僚たちは粉骨砕身努力した。ところが、無能な韓国政府は世論をたきつけおじゃんにした。領土をわが身の安泰に利用したのだ。

尖閣は石原の痴呆がおじゃんにした。

このように、領土問題に正義はない。正義はないものを解決するのは力だ。力は双方に被害を与える。

中国がけんかを売ってきたというあほらしいのが日本にはいる。尖閣の国有化は中国に最高の口実を与えた。

竹島。韓国が不法占有を続けているというが、50年間何もできずにいていまさら蒸し返すと相手も必死になる。僕も50年前の浮気を蒸し返されると、ちゃぶ台返しだとなり理性なんて吹っ飛ぶ。

 

内政。

働いて1000万の年収と配当の1000万の税金が同じとはおかしい。その上かなりの税金の戻りがある。貧乏人の年末調整はどうかな。

安倍の大風呂敷にだまされる前に自分の貧乏の心配をすべきだ。何も生活がよくなってない。3ヶ月ごとに、後3ヶ月したら良くなると繰り返しているがうそつきだ。貧乏から抜け出した人がどこにいるか。安部は全員がよくなるといったぞ。

たった年収5000万の下層中流をピークにそれ以上の金持ちは税金が少なくなる。太陽で皮膚がめくれて道路工事の交通整理をしているお嬢ちゃんは時給1000円だ。ここには安倍の矢は来ていないし永遠に来ない。そんなカネが有ったら金持ちの減税に使う。

 

外交も内政も課題は山積しているまさに内憂外患だが、ひとまず置いてポン介たちのバカ踊りを紹介。

「10歳を記念する1/2成人式」がはやっている。子供が親に手紙を読み親は感激して成長した子供の姿に嗚咽を漏らす。

その涙のお手紙の材料に生い立ちをアンケートで聞く。先生たちは自分らの知る権利の主張には熱心だ。あふぉ。子供には知られない権利がある。生徒の家の中に先生を理由に土足で上がりこんではならぬ。

かつ、先生は忙しい。それは無能だからだ。無能だから判断がつかない。判断がつかないから不安だ。不安を消したいから会議をして皆の同意を得る。その同意によって大勢の中にひとりとなり己の存在を消し無責任体制を作る。

何故か勤務時間が終了すると会議も終わる。だが全体の合意は形成された。アホ。そうして日教組は膨大な時間とエネルギーをどぶに捨ててきた。このごろはは文科省にしっぽを振る。

バカは死んでも治らない。

だがこのペテン成人式で多くの生徒は団結する。ああ、皆おんなじことで悩んできたのか、と。しかし、はじかれた少数が確かに存在するのを忘れるな。

子供に親への手紙を書かせるとは何とむごいことか。

親のいない子もいる。離婚再婚を繰り返す親もいる。虐待を受けている子、親戚から通う子、親から逃げている子、・・・勝手に世の中の典型を作るな。

「お母さんありがとう、お母さん大好き。」ウソツケ。捨て子に何てこと言わせるんだ。

貧困は、外交内政を問わずすべてを覆う影だ。さあ安倍、解決するといった以上やってもらおう。

 

 

 

 

 

 


知的好奇心

2015年01月06日 | 受験・学校

家にいても、なんだかんだ町内ごとがうるさい。枯葉マークしか使わない公民館の掃除、草取り。じっと家にいても早起き会とかが来る。早起きをしろということは僕に死ねということだ。

卑怯にも子供連れで宗教の話を始めたりする。玄関を閉めてもドアの向こうでしゃべっているのが分かる。バイク泥棒を野放しにする警察も私有地の不法行為は見逃さないだろう。現行犯110番。

さらには脳波を狂わす、さおだけ、灯油、網戸の修繕の巡回車。

こんなだったら学校のほうが静かだった。

世間はなぜこうもうるさいか。

ルミエールは、安倍の暴走に抵抗する庶民の味方だ。金正恩はミサイルを撃ってもルミエールだけは残してほしい。

だが、うるさい。痴呆が妻を呼ぶ声。走り回り兄弟げんかをし僕のカートに当たり、謝りもしないしつけられてない貧乏人の子供。

話はここだ。彼ら生活廃棄物たちの行動基準は、利害である。儲かるか、いくらになるか、どんな利益があるか。・・・


あるとき二人の学生が質問に来た。ひとりは絶世の美女で僕は迷わず毎週おいでといった。もうひとりは頭の出来はともかく顔の出来が非人道的だった。仕方なく一緒に教えるうちに僕はだんだん気づいていった。

他の学生もいるので30分が限度だ。家で出来るかぎり解いて来ないと何にも出来ない。

経験的に可愛いのは、まじめであったためしがない。継続性がなく、やがて興味は男に走る。今回もそのとおりになった。ところが、もうひとりの方はまじめに解いてくる。

するとなんだかその醜いアヒルの子の瞳の中に知的好奇心が見えてくるのだ。つまり行動の動機が純粋な好奇心に根ざしている。

世の中は、行動の動機は利害に根ざしている。「顔」だのプライドだの好き嫌いだの上下関係だの慣習だの、さまざまなことが人の行動基準のようだが、つまるところ、銭金を超えて行動できるほど純粋な人は、少ない。

知りたいという知的好機心のみで食らいついてくる人はだんだん美しく見えてくる。

倒錯の世界に入ってはいけないと心の悪魔がささやくが、ちゃらちゃら人の部屋に入り込んで興味が失せるとさっといなくなる無教養美人より、分かった喜びに顔をほころばせるその子の笑顔は、やはり時として美しい。






 


消えた笠原小学校

2014年11月14日 | 受験・学校

その時はどんなに憎んでいたとしても、死んだり引っ越して行ったりして目の前から消えると、しだいに寂しさがつのってくる。

想い出は美化され、よかったことだけが残る。

ふもとの息子夫婦の断熱の効いた暖かい部屋に身を寄せていても、時折は隙間風に苦しんだ山間の軽トラも入らぬ急坂の上の家が懐かしくなる。

便利さ、快適さを責める人はいない。しかしはたして、都会が持つ「よいもの」はウソをついていないか。あるいは、「まぼろし」ではないか。たのしみで作った白菜を道の駅で売るとき感じた充実感を、マンションの一室ではいかにして得ようか。


学校の統合が進んでいる。能率、安全、成果、・・・ たしかに、息子の扶養に入ったほうが道の駅でいくばくかの白菜を売るより能率がいい。限界を超えた集落に一人で住むのは危険極まりなく都会が安全なことは統計の示すとおりだ。

山間部に住む子供はバスで送り迎えを受け、山の学校は消えた。子供のいる家はバスの時間を気にして、小学校の校門はそのバス停に変わった。

福島に行けば九州の大工は日当が2万だ。とても林業では夢の夢。ガキが高校上がったら通学は無理だからわしも山を降りる。

村落は限界をこえ崩壊し、山は間伐ができず数万本の檜が価値を失う。


僕は何も無制限に学校の統廃合に反対しているのではない。むしろ統廃合を推進してきた。しかしそこには合理性がなければならない。子供が減った。A町とB町の境界があるため、その境界をはさんで二つの小規模校がある。それどころか背中合わせに3校の高校がある。・・・

こんな場合は統合してよい。日本社会党は頭が悪いのですべてに反対して不当な既得権(少ない授業コマ数、授業時間、定時制手当て10%)を護った。北九州市の定時制高校は10校以上あり教員は手当てをもらいつつ週10コマ程度(2コマの人もいた)の35~40分/1コマの授業をしていた。今にすれば100万以上の給与だ。こんな10校は3校程度にまとめればよい。

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全国の公立学校のうち平成24年度に598校、25年度に482校が廃校になったことが、文部科学省が13日に発表した調査で分かった。少子化による児童・生徒数の減少や、市町村合併に伴う統廃合が主な原因で、15年度以降の廃校数は毎年度400校を超え、高止まりの状況が続いていることが明らかになった。
                                産経新聞 11月13日(木)21時3分配信

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トータルすると、全国ここ10年で5100校が消えた。

やることが巧妙だ。時としては大量復員者の受け皿として、国策として引き揚げ者たちの開拓団は山に入った(戦後)。高度経済成長とともに木材価格が高騰すると人口増にあわせ山中に新設小学校まで作った。しかし、外国材が入ると林業は衰退し即座に閉校にした。

分かった顔をして偉そうに言う顔が浮かぶ。その時の人口に応じて学校が増えたり減ったりするのは当たり前だ、と。

そんなら僕が述べてきたことはすべてノスタルジーに過ぎなくなる。

今、廃校になっている小学校の在籍児童数はほとんど開設時(明治10年前後)の4倍程度だ。子供が減ったから廃校にする、合併するというのは屁理屈だ。

まず、住民の業種は一種類だ。都市とは違う。収入の道を確保しようとする政策はいくらでも取れたのにそれを怠った。民間企業による山林復活の試みはいたるところで成功している。木の一本も切ったことのない公務員がふらっと思いついたことなどことごとく失敗する。

とにかく高級低脳公務員の無作為犯(何もしないことでしでかす犯罪)により限界集落は増え行政機関は撤退した。

困ったのは学校だ。校長になるというぐらいがせいぜいのエサなのに、学校が減って校長のイスも減った。何と昔は校長も授業をするのが当たり前だったし子供の実情を把握する上では必要なことだが、いまや、教務主任もあわせ3.5人のタダ飯食いを校内に配置してイスを確保し不満を抑えた。


木屋小学校 平成26年3月31日 〒834-1204
八女市黒木町木屋2422番地
笠原小学校 平成26年3月31日 〒834-1222
八女市黒木町笠原4341番地1
大淵小学校 平成26年3月31日 〒834-1202
八女市黒木町大淵3998番地  (以上2014年3月31日廃校)

黒木小(存続校)へ統合(この部分は詳しく別記事で後述する)

今年の3月まで子供の声が響いていたはずだ。市議もさして廃校に反対しない。平成の大合併があり必ずしもその土地の代表ではなくなっている。縦割りの皮肉として、校舎増改築は担当部署が違うので、廃校が決まっていてもどんどん行われる。

新しい校舎にいるのは猫だけだ。

データとして示せるよう各地の教育委員会を回った。協力していただいたところのみこうして書けるので、非難するようになり申し訳ない。僕は危機感を持った。

教育とは、能率とか効率とかを求めて、子供に芸を仕込むところではない。子供が行きたくなかったら行く必要はない。だが、行きたくなったら学校はそばになければならない。

それが一等国の資格だ。











先生、1000円ちょうだい。あたしなんでもするから。

2014年09月16日 | 受験・学校

とか、自宅に押しかけたりする発情ブス子豚はそこらじゅうにいる。

用心すべきことがある。変に拒絶すると今度はからけん先生からわいせつされたと教育委員会に泣きつく。中坊とはいえ、若い男がどんなにやりたがっている人間かは、経験豊富でよくご存知だ。

そのテクニックは女房はもちろんJKもJDをも凌ぐ。

トラブルが起これば、すべていたいけない中学生をたぶらかした大人が悪い、となる。

ラサールから東大、文部官僚となったやつらが命の大切さについて指示を出し課長あたりに書かせる。つまり、荒れた学校を一度も見たことも聞いたこともない、もちろんそこで授業したこともないボンボンがえらそうに講演する。

でまかしで内容のない講演録を基に県教委の低脳が冊子を作る。

自分らは困らないから、官僚も役人も、教育委員会も適当にお茶を濁す。

では、誰が困るのか。二人いる。

① 中三DQNが廊下をバイクで走り回っても「止めないか」というしかできない勇気のない教師たちだ。本当はけり倒して息ができなくしてやりたい。が、それを殺ると首だ。女房、子供が路頭に迷う。ここは不愉快を我慢しよう。という「切れない」無能たち。

② バカDQNたち以外の普通の子達。彼らは迷惑をしている。学力は低くなる。まともな生徒は私立に逃げる。貧乏で私立にいけないか、そもそも私立には通らないバカDQN予備軍の巣になる。

日本をこんな不良の巣にした原因は複合的だ。一般の教員たちに絞って述べる。

普段えらそうに男女平等を説くブスは生徒のケンカを止めに行くのに体を張ることはない。傷がついて困る顔でもないのに、「からけん先生どうしたんですか、早くとめてください。」という。

担任とか教科担任という偶然の少数に責任を押し付けて、大多数の教員は他人事を決め込む。特にそういう生徒指導に何十年も苦労した人は利用価値があるからいつまでも昇進させない。

アホがコネですぐ校長になる。いったん校長になるとその学校には平均2年程度しかいない、授業もない。じつは校長は死者が出ない限り勤務する学校が荒れようとどうなろうと関係ない。

つまり、学校はDQNのパラダイスだ。なあ、佐賀県の一部の中学。

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授業の直前の休み時間に数字遊びをしていた男児らに「先生にゲームで勝てなかったら、飛び降りてもらおうかな、冗談だけど」と発言した。当時教室には保護者らも含め10名ほどが教室にいて、保護者らの抗議をうけて教論は授業後に謝罪した。 - See more at: http://www.xanthous.jp/2014/08/12/sasebo-teacher-mado/#sthash.tinJCA2Z.dpuf
                     日刊時事ニュース2014年8月12日17時57分

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これくらいはありうる。子供は大人が思う以上に大人だ。人の首を切り落としても保護してくれる国はイスラム国と日本ぐらいだ。飛び降りろ、を本気にする子はいない。いたらその子が異常だ。

教室は閉鎖空間だ。多くの話の脈絡(流れ、やり取り)や生徒のメンバー(顔ぶれ)を勘案して教師は言葉を選んでいる。「これが分からんなら窓から飛べ」と僕は何度言ったことだろう。突然、専門性もないくせに、言葉尻を捕らえて発狂されては迷惑だ。その証拠に高校になると、勉強内容がカバゴンには理解できないから急におとなしくなる。

失言ばかりに気をつけ官僚の話のように面白くない授業をする人は、文句が来ないいい先生としてすぐ校長になった。だが彼は肝心なものを持っていない。

生徒からの尊敬、信頼だ。







 

なめやがってこの野郎、殺すぞ。かな。アホは引っ込んでろ。かな。

2014年04月11日 | 受験・学校

日本大学に通う女子学生(21)は昨年12月、いっしょに就職活動をしている友人と時報を聞いていた。午前11時00分00秒。志望企業が、採用説明会への参加申し込みをネットで受け付け始めた。名前や大学名は事前に登録済みだ。申し込みボタンを押そうとスマートフォンで採用ページを開いた瞬間、目を疑った。画面には、全日程が、「満席」「満席」「満席」……。

                                  朝日新聞デジタル(2014年3月30日)

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企業は日本大学を締め出そうと小細工をして説明会からも締め出した。なぜ日大を嫌うか。分かりきっている。バカだからだ。江戸と明治とどちらが先か分からないやつがいた。

間の抜けた顔。スポーツとセックスとスクリーン。アメリカの3S政策に見事に乗った、おめでたいゆでダコが五万といる。DNAの欠損か、変異か。脳の疾患か、酸欠か。

このあほたちにせっせと仕送りをするのもたいてい日大出だ。これこそを、歴史は繰り返すというのだ。

と、上智は内心思うのだ。否定するなら、おまえ上智の学生よ。日大生と換われるか。このとき、えもいわれぬ悔しさを嚙みしめるのは日大の上位層だ。バカ層は自分の惨めさも分からず、へらへら笑い腐った脳を耳からこぼしながら、えろバカとの合コンしか考えない。

日大生は悔しかったろうなあ。学歴無用論とか、東大でもこんなバカがいるとか。こんないいかたほど日大生を侮辱するものはない。僕はそんな気休めを言うことがやさしさだと勘違いしている能天気な社会党崩れに言ってやりたい。だったら、お前、換われよ。東大と日大と換われよ。上智と日大と換われよ。

仕方なくバカにまみれて低俗な話題にまみれて勉強に関心のないアホに囲まれる苦痛が分かるか。

世の中は日本ほど発展してもまだ、子供を殺して愛人のところに行く親がいる。離婚して仕送りを続ける親は少ない。3年送れば上等だ。大学どころか高校をどうやって出ろというんだ。本来、上智にいけた人間が、このような家庭の事情により大勢日大に来ている。確かに、上述した、脳が腐り耳から汁をたらした気違いも多い。

だが、ひそかに唇を嚙みしめながら4年間もバカの牢獄で過ごし、能力が開花できなかったものは、上智では持ちえなかったものを持っている。

どうかお願いだ、一概に日大出身であることを理由に切り捨てるのは止めてくれ。




 

遠い日の記憶

2014年02月24日 | 受験・学校

ずいぶん昔になった。よど号事件。まだ犯人のうち4人は北朝鮮にいる。

Boeing727 犯人の中に知り合いが一人いた。ハイジャック犯だ。幼稚な奴らだ。犯行時刻に一部の奴らは遅刻する。主犯は福岡で降り、列車で東京に帰る。もう一度やり直そうというわけだ。

飛行機の乗り方も知らず朝鮮半島を武力統一する。革命は、中国の林彪一派を駆逐した後、毛沢東主義による統一から、ベトナムの英雄的米帝撃滅の戦いへとまさに燎原の火のごとく広がるのだ。というママゴトに人生を捨てた。

スローガンを叫びつつうねるように街を蛇行する。ヘルメットに角材、長髪、マスクにもなるタオル(催涙弾)。日本だけかと思ったら、僕は韓国に行ってからもこの催榴弾に悩まされた。(世界最強で発がん物質が混ぜてある)

日本の学生運動はやさしい。韓国は角材ではなく鉄パイプだ。敵も機動隊ではなく戦闘警察だから武装のレベルが違う。

学生たちは鉄パイプを地面に打ち付け、鉄パイプの先がめくれるようにする。これはきわめて鋭利だ。学生同士の仲間割れはない。日本はこれがひどかった。(内ゲバ)

さらに僕のように参加しない奴がいると、日本では大勢で取り囲み、革命性が足りないといって集団で詰問した。(総括)

僕は、日本でも韓国でも、まやかし戦闘ゴッコはやめろ、という立場だった。明日にも革命が起こりそうだと信じ込む奴らは、僕をさして「ヒヨル」と言った。日和見主義から来た造語だ。

角材が武装か。長髪はすぐケンカに負けるぞ。僕は生れて一度も2センチ以上髪を伸ばしたことはない。機動隊はピストルすら持ってない。だが自衛隊には長距離砲がある。なにが革命なんぞ起こるもんか。

このあたりまえのことが気違いには通じない。僕に向かってひきょう者と言ったので研究室の扇風機をもって20回ぐらいたたいた。昔のは、金属製なので今思うとぞっとする。長髪がまきついて頭を切った。やり足らなかったが、しつこく共産党に追われることとなった。反代々木系だったら僕を殺していただろう。

ひとつ思い出すと手品の万国旗のようにスルスルといろんなことが記憶から出てくる。

ただ、充実していた。秋田明大と話していたら朝になっていたこと。講堂に立てこもったとき近所の婦人会や子供会から激励の手紙をもっらったこと。機動隊の放水は薬品を混ぜているのでとても痛かったこと。

僕らの要求はこうだ。

時間いっぱい授業をしろ。コネでバカ教員を雇うな。公平な採点をしろ。学内にスパイを放ちスパイにえさを与えることはするな。私立ばかり学費値上げをして国立私立の差を広げるな。

 

 

 

 

 

 


ファンを減らすいけない日々の告白   4

2013年11月24日 | 受験・学校

5yjimage強い奴にはよく向かって行ったが、弱いのには手を出したことはない。まさかまさか。極端に体格の差がある場合を除いて、ケンカの勝敗はやって見ないと分からない。しかも偶然の要素が支配する。近くに棒があった、高い位置にいた、逃げて大勢を振り切り勝てる相手を選んで血祭りにあげることができた。・・・という偶然。

1対1のケンカのときは周りは介入しなかった。これもウソ。少しでも形勢が悪くなった方(ほう)には、それまで中立を装っていた奴らが一斉に飛びかかり再起不能にし、学校でのケンカ序列を一つでもあげようとした。もちろん格段に弱い奴は、仕返しを恐れて手出しはしない。

男の子というのはほんとにバカだ。

負けられないのだ。決して負けられないのだ。負けた悔しさは、人生最大の再起のバネともなるが、たいてい一生を支配するとれない劣等感となる。一方、勝った優越感は負けた人が思うほど大きくない。僕は数学ではあまり負けなかったが、人が命がけでひがむほどの優越感は感じたことはない。

男は勝負する。負けたら一生負け犬であり子分になる宿命だ。僕は無謀にもその気概だけはあった。今もある。とくに、勝った奴から情けをかけられるくらいなら死んだ方がいい。この気合は多くの場合、僕を便所の団子虫になる危機から救った。

冷静になると、そんなに誰でも彼でも勝者になれるはずはない。それぐらい分かる。だが、勝負を避けろということは、 ぼくにチョウセンチビクロゴミムシモドキになれということだ。

僕はチョウセンではない。

高校の頃、50に二人乗りして坂道の下を走っていた。上から白バイがガンをつけた。直線を逃げてもすぐ捕まるので人しか通れない急なところ(バイクはふたりで担ぎあげ)とか住宅地の直角カーブの連続を狙い振り切ろうとした。

そんなことをするのを何と言うか。バカという。だがやっぱりここでも負けられない。頭脳を使えば必ず道はある。死中に活を見出す美学は、僕をとても悪くした。

万事休すと思った瞬間、右折した僕らを見落としたのか、白バイは直進した。そこで申し訳なかったが尊い勝負の途中だ。住民には我慢してもらって、バイクを抱え庭をのりこえ逃げた。どうだ。どんなに白バイが上手でも、白バイを抱えて庭を乗り越えることはできんだろう。

僕らの勝ちだ。さらに都合がいいことにガレージがあった。僕らはバイクをガレージの中に入れるとシャッターを下ろす。暗闇の中で息を殺した。

20分後。前で大型バイクの止まる音がした。ノック。ここで僕の友人が返事。「ハイ。」 げにバカとは恐ろしい。友達は選ぶべきだ。

白バイはぼくのバイクのエンジンが熱いのを確認すると僕に手錠をかけた。

それでも勝負をしてよかったと思っている。負けてもいいから勝負をすべきだという信念はバイクがはぐくんでくれた。


オマエ、どこ大学出たんだ。

2013年09月19日 | 受験・学校

高校の同窓会のお誘いがあった。カネも高い。恩師に対する贈り物とかで一人何万もとる。考えたらCROWNが来るじゃないか。送られてきた名簿にはこれ見よがしに上場企業の重役たちがいる。個人情報も自分の自慢をするときは、いいわけか。医者や弁護士は肩書が短いのですぐ分かる。あふれる笑顔で書いているな。

僕は母校の同窓会館に行って書くなと強く言ったので空欄になっていた。今は学校勤めだがあと半年で辞める。それを思うとうれしくてたまらない。

肩書に頼る人間は概して実力がない。ところがその肩書自慢のクズたちが集まったのが僕の高校だ。

中流だ。僕を除いて億を下る収入の人間はいない。

だからなんだ。僕はいつも思う。たかが資本主義になって組織の奴隷になり、また人を奴隷にして、秘書と、看護婦と事務員と「妻とは別れるから」と言って浮気をし妻にばれ、送り迎えのクルマの中が唯一のくつろぎの時間となっているだろう。

中流と信じる貧乏人だ。農地解放前は極貧小作人が。

そんなことだからいつまでたっても修猶館に勝たない。むしろ勝ってほしくない。

出身大学名を聞いている。東大には何十人も行くので何のハッタリにもならないが、そういう奴らが無神経に学部を聞く感覚で聞いたのだろう。だが不愉快だ。

用心してモノを言え。私はいやなのだ。職業を詮索されること、自分の過去をほじくられること。どこを出てもお前に関係なかろうが。

だれがどこを出たということが、人生の一大事であるという奴どうし、ネットワークを作って子供の就職に利用せんか。僕の子供たちは立派な子供たちだからその必要はない。

便所の団子虫とは関係ない世界観の人がいることを知れ。

Posted at 2013/09/16

ファンを減らすいけない日々の告白   2

2013年09月08日 | 受験・学校

たった人口5万の都市に風呂屋が5軒、映画館も5軒あった。今はもう風呂屋は1軒、映画館はない。その5軒あった風呂屋にいたずらをするのが楽しみだった。

女湯のすりガラスの窓の角が、小さく一辺が5サンチ程度三角形に欠けていた。窓の位置が高かったので小学生の僕は覗くこともできず、きっと窓の向こうには、おとぎの楽園があるに違いないと想像するばかりであった。

あるとき金もないくせにどこで仕入れたか、水鉄砲を持ってきた奴がいる。その三角形の隙間から水鉄砲を撃ちまくった。

「なんばしょっとか。」(女性)という怒りの声と共にお湯をかけられた。だが、窓があるのでその小さなガラスの割れた隙間を通してくる若干のお湯は、かかる量がわずかだ。

あるときそんなことを繰り返していると、窓がガラッと空いた。僕は今まであれ以上の醜悪な生き物を見たことがない。へその位置まで肉塊を下げて怒りまくる婆。両方の乳はぶらぶらするより結んでいたほうがよい。縦ジワのよった乳とその先のどす黒い乳玉。動くだけに余計に醜悪だ。もちろんトラウマになった。僕の夢を壊した責任を取ってほしい。

時々おっぱいパブでフラッシュバックする。

でも子供が遊ぶにはパラダイスの町だった。表の道に出なくても塀の間や床下を通り隣に行くことができた。どこにも水路があり筏を自作して遊んだ。年に2,3人は水死した。だからなんだ。楽しみもなく60になって自殺して何の意味がある。

中学はバイクの世界だった。高校生が怖かったので50しか乗らなかったが、やはり多くの友人は、死んだ。高校になりCBに狂ったころはもっと多くの友人が死んだ。

しかし、高校は決してバイクを禁止しようとしなかった。きちんと乗らないのが悪いのであってバカが死ぬのに高校の知ったことではない。

僕はちゃんとした考えと思うのだが当時は、ヒステリーがバイク自体を敵視した。今やっとその考えは修正されきちんと訓練させ乗ることを許可しようという方向が出てきた。

大きいバイクはそのぶん面白いがいきなり乗るのは無理だ。50から125から400から1000と進まないといけない。いきなり1000に乗ったやつはいつまでたっても上達しない。

学校のくせにバイクのことを何も知らず、「命を守ろう」とかとって付けた理由を持ち出すのは、言葉に裏がある。官僚の中でも一番あほ官僚の思い付きに全国が右ならえをした。

今そのバカ官僚が死に、状況が変わりつつある。よいことだ。


小学校、毎年400校が消える。

2013年07月04日 | 受験・学校

バスで通えばいいのか。いいや、その小学校に先生がいることが大事なのだ。女の子は名前の知らない花をだれに見せるだろう。男の子はふと見つけたクワガタをだれに自慢すればいいのか。理科の本を見ながら科学的に考えてくれる頼れる「先生」という大人はいなくなった。

通学バスが去れば遮断された山里が残る。運動場のような広いスペースを走ることもできない。

僕はぜいたくを言っているのか。ド田舎のくそガキはバスで送ってもらえるだけ感謝しろというのか。チャイムとともに一切を切り上げ遮断されバスに乗り込む。これは工場だ。学校ではない。

返す返すも明治政府の偉業に驚嘆する。帝国は貧乏国だったのだ。そのうえ700万の軍を抱えた。ラジオ、自転車、新聞、田畑、米、モミ。あらゆるものに課税しようと税収は伸びない。国民はそれを所有していないからだ。なのに帝国は全国で3万校の小学校を造った。一等国になるためには何ともない苦労だったのだ。

寺子屋の部屋を借り、郷学の庭で理科の実験をした。判任官たる小学校の先生の給料は無償であることすらあった。

戦後のバカ政府は、結局6834校を廃校にした。山間部から小学校が消えたと言っていい。この時、文科省は昔から気がくるっていたが、さらに錯乱したことを始めるようだ。

僕はみんなが歩いて行けるところに学校を作れという主張だ。能率や安全なんかを持ち出して屁理屈を言う低脳役人は黙れ。お前の頭脳に聞いてもなにも出てこない。あの貧乏明治政府が3万校を造ってちゃんと運営していたのだぞ。

文科省はこういった。

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授業が成立しにくい教育困難校の校長や部活動顧問ら負担が大きい教員に対し、文部科学省は手当増額の検討を始めた。公立小中学校を対象に、部活動手当は倍増させ、現在最高で給料の17・5%ついている管理職手当を20%までアップ。一方、主任教諭や休職教員の手当は減額する方針だ。教育予算の大幅増が難しい中、手当にメリハリを付けて意欲ある教員を支えるのが狙い。国庫補助基準額の見直しを来年度予算の概算要求に盛り込む。毎日新聞 7月3日(水)2時31分配信

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え?管理職手当が高すぎないか。単に20%付くのではない。給与表が違うのだ。それに対する20%は大きいぞ。公務員の給料を減らしている時期にお手盛りをするとはどういう神経だ。校長は暇だ。校長になりたがっている総括教頭やら教頭やら管理職を増やしたからやることがなくなった。ポチの頂点が校長で運がいいと教育委員会にいける。そう言うやましい人間は人相が悪い。

Posted at 2013/07/04

どうしたらそんなに「完全無欠のバカ」になれるんだ?

2013年07月01日 | 受験・学校

六千万人が教科書で読んだ「ごんぎつね」。今論争が起きている。数点の論点があって整理が必要だ。

① 童話作家の新美南吉(にいみなんきち)の原作が雑誌「赤い鳥」に乗った。そこで「ごん」が死ぬ部分で一定の改竄を受ける。その他何ヵ所かの恣意的な改竄がある。

子供というのは低脳な教師が思うほど子供ではない。親が解けない問題をといているし、モンスターペアレントが恥をかくほどその学力は高いのだ。このモンスター、学校が進むに従って大人しくなる。自分の学力が付いていかないらしい。大学で授業に口出しをする親はいない。本当は負けずに勉強すべきなのだが。

鈴木三十が主催する「赤い鳥」に初出する「ごんぎつね」は無残な改竄を受ける。「ごん」は盗ったうなぎの頭をかみ砕く。という文章は「葉の上に乗せてあげました」とかわる。そんなら盗る筈ない。不自然な話の流れだ。撃たれた「ごん」に「兵十」は聞く。「ごん」、お前だったのか、いつも栗をくれたのは。という問いに対し、原作は「ごん」はぐったりなったままうれしくなりました。に対しかいざんした「赤い鳥」は、「ごん」はぐったりと目をつむったままうなづきました。

兵十は火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が銃口から細長く出ていました。これも書きかえられ、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

あきらかに原作がいい。議論する余地はない。それでも議論になるのは頭が悪いからだ。


② 次はストーリー全体に対する小学生の感想。バカ教員はなぜ人の才能の芽を摘むつまらん指導をしたのか。概略のストーリー。


いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む兵十を見てごんは反省、償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付く。                            ねとらぼ 2013,05,09

これに対し、「ごん」がかわいそうだとか「兵十」も一人ぼっちになってかわいそうとかいう感想は十分予想できる。これは遠足どうでしたか。と聞かれて条件反射に「楽しかった」と答える、洗脳された子ヒツジたちが持つ感想だ。こういう無知蒙昧の、数だけ多い兵隊予備軍たち、役立たずの自分の頭で考えない文科省お気に入りの完全無欠のバカたち。いい加減バカをやめろ。

久しぶり気に入った男(小4)を見た。素晴らしい。くされ教員どもの読解力をはるかにしのいでいる。

「こそこそした罪滅ぼしは自己満足でしかない。撃たれて当たり前。やったことの報いは受けるものだ。」

Posted at 2013/06/20

大学行きたいか。新テスト三回受けろ。

2013年06月19日 | 受験・学校

一回も高校の授業をしたことない奴が偉そうに、受験機会を増やそうとか「到達度テスト」による基礎力を図るとほざいている。

早稲田と言うネームブランドに人は集まるから、5万も6万も人を入学させ銭儲けをしてきた学校のくせによくも全国150万の高校生の心配をしたふりをしているな。

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文部科学省は5日、大学入試センター試験を5年後をメドに廃止し、高校在学中に複数回受けられる全国統一試験「到達度テスト」(仮称)を創設して大学入試に活用する検討を始めた。大学志願者の学ぶ意欲を引き出すことで高等教育の質を高め、国際社会で活躍するグローバル人材の育成につなげる。1979年に始まった共通1次試験以降、1回の共通テストが合否を左右していた大学入試が抜本的に変わることになる。   <文科省2013.06.06

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まず、高校で大学入試を何回もしちゃいかん。3回したら問題作成労力は3倍になる。「国立大学入試センター」みたいなところができると思うが、その分必ず不幸にして貧乏くじを引いた准教授あたりは問題作成に地獄の苦しみが待っていることになる。

当然予備校との疑惑のかかわりが発生する。

つぎに、高校生は三学期の冬休まで著しい学力の向上をする子がいる。これを3で割って平均化したらむしろ有能な子を落とすことになる。ゴールというのは100メートルむこうにあるものでそこに到達するまでは、トップになったりビリになったりを繰り返しながら走るのだ。ゴールで一番が一番だ。

役所というところは一度やると決めたらどんなに批判を受けても止まらない。共通一次をやった時欠陥はほぼ出そろった。ところがなぜかセンター試験と名前を変えてその後10年以上続いた。

しかも英語以外の外国語は極めて易しい。また年によって難易度に極端な差がある。低脳大学はこの欠陥だらけのセンター試験のみの受験でほぼ合否が決まる。それでも大卒だ。

同じ3回の試験をしたいなら、一次二次三次を一月から三月に行う三回にしろ。高三の時にだらだら試験があってはかえって学力を落とす。

そういう僕も現状をなんとかせねばならぬという意見には賛成だ。中教審の原案は気違いだから中身には賛成できないが。学生にはひどいのがいる。セックスするため大学に来たのもいる。男を誘って捨てるために大学に来たのもいる。なんでこういうのを通したんだ。全く勉強に意欲はない。これじゃあいかんとは分かっている。