か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

先生、私覚えられません、バカになりそうです。狂ったな。お前は最初っからバカだ。

2013年06月11日 | 受験・学校

山川出版社とは悪辣なことをする。僕らの前では「歴史教科書専門です、学研みたいに大きくないからどうか採用してください」と言いつつ政治経済も倫理も出している。さらにそれにまつわる参考書、ノート、問題集、10分テスト、となると膨大だ。

教科書においても、詳説、標準、要説があり良い子用、ややバカ用、本格的なバカ用とわかれさらにそれにすらついていけないホームラン級には世界史Aが用意されている。親戚の先輩と教科書を合わなくしてもう一冊買わせようという魂胆だ。

同一校であっても、先輩から教科書などを譲り受けることもできないようにしている。毎年編集の順序を変えるのだ。挿絵の位置を変えどうでもいい文章を変え、最新のデーターや資料を用いたと宣伝する。ばか。1000年も前のことが今年になって変わったりしない。

すると変なことが起きる。山川の教科書は難しいので他の学研か何かにしよう。意外と福岡でトップの修猶館高校とかはそう思って山川を使わないことが多い。片意地を張らないのだ。見栄とかこだわりとかは本来バカが抱くものだ。たとえば、隣の犬を食う原始人はプライドが高い。二流どころの高校で最高の難度の教科書を使う。

出版社もその狂想曲に加わる。山川に負けず詳しい、ということで売り込みを図ったのが三省堂という常軌を逸した出版社だ。ページ数は文科省が管理しているためこれ以上本文に盛れなくなった事項は脚注に入れた。本文より脚注が長いページが出た。入試には絶対に出ない事項で埋め尽くされた。慶応の入試にも出ないもので。

そこで奇形教科書ができる。年表のない教科書、挿絵の異常に小さい教科書、準拠した問題集がない、図表がない、あってもお粗末。その分小さい字の脚注、あるいは左右に注の欄を作った。これで詳しさでは山川に勝ったと快哉でもあげるのだろう。

そこで生徒たちは言う。こんなに覚えたら頭がバカになります。ばか。よく考えろ。教科書がバカなのとお前たちがさぼっていいというのとは別問題だ。

どんなに山川がでたらめでも、三省堂が理解の浅い奴の執筆によるものだとしても、それらは一切己の無能の弁解にはならない。役に立たないとかいう。じゃあ学校やめて自動車学校に行け。役に立つぞ。ばか。学校や教師や教科書など目に見えるモノの矛盾にはどんなに敏感であってもよい。しかし学ぶ者は学ぶことに対しては一言も発してはならない。黙って覚えろ。それが学問の流儀だ。

【昨日の解】
5-√3=a+b   ここで√3は1より大きく2より小さい  5-√3=2-√3+3  だから2-√3が小数部分、与件より整数部分は3  これらを与式に代入すると  (2√3-3)/9

Posted at 2013/06/10

先生、私解けません。狂ったな。お前は自分のバカを叫び散らすな。

2013年06月11日 | 受験・学校

手とり足とりが当たり前だと思い、チヤホヤして問題の答えを教えるのが教師だと思っている勘違い生徒、教師が増えた。

からけん先生は答えを教えてくれない。こう言われて僕は日本で教師をするのをやめた。黙ってついて来れば僕から習えば必ず力がつく。バカだ、あほだ、と言われてもそれを笑い流すゆとりがあれば必ず力がつく。恐ろしく宿題が少ない。最後までとかない。でも不思議なところに妙にこだわる。それが僕のスタイルだ。

今年は口が滑って日本で教えることになったが、レジャーランドに遊びに来て身障者トイレでセックスをして帰る生徒にどうして力がつくのか。看板には高校とか大学とか下がっていたが授業と名の付く授業があっているのを見たことがない。

ごく一部の生徒を除いて僕のやり方は人気がない。まるで僕のブログのようだ。アホが「詳しい」と「真実」とを混同して読むに堪えない文章をコメントしたり、本気で腹をたてるのもいる始末だ。たかがクルマのSNSのおまけに書いているものだ。バカと言いたくもなるだろ。嘘をつこうとするからやたら複雑な話をでっちあげるのだ。

真実はいつも単純だ。何千とある定理を見よ。すべて単純だ。

人の器が小さいからやたら表やグラフや統計に頼るのだ。

必要以上に詳しい数字は必要ない。まあ、大体で答えに到達できるという意味での問題を一つ。数学が得意でなかった人は人生の途中からはなかなか上達は困難かもしれません。数学の力のピークは21歳と言われています。スルーしてください。

5-√3の整数部分をa、少数部分をb。  b/(2a-3b)の値は。

√3には所与の少数はありません。

よく研究された問題です。公立高校に出題したら教育委員会とPTAが引きつけを起こすでしょう。子供がかわいそうだとか言って。かわいそうなのはお前の頭脳だ。ラサール中学入試。次回回答します。

子供には血へどを吐くくらい努力をさせるべきだ。犬を食う原始人に負けているんだぞ。

(写真は韓国体操選手で女子高校生、孫延在)

Posted at 2013/06/09

先生、それは習ってません。狂ったな。お前は習ってもできぬ。

2013年06月11日 | 受験・学校

学ぶということは、餌を雛が親鳥から口の中に注いでもらうこととはまったく異なる。日本では、何かを学ぶということを、芸を覚えることと勘違いしている人が多い。

犬が「おすわり」、「おて」を仕込まれるようにその要領を教わるのを待っている。児童生徒が悪いのではない。教師が悪い。

たとえば分数の計算は難しい。とくに割り算掛け算は難しい。数学をよく知らない人は通分がないだけ加減より乗除が簡単だという。それは意味を考えず答えを求めるスピードだけを考えるからだ。

公文などがその最たるものだ。正解が書けたということと分かったということは全然違う。であるのに子供を計算マシンにして親が喜ぶから公文が喜び教師も喜んでいる。

たとえば、3/2÷2/3=3/2×3/2=9/4なのだがなぜ2/3を3/2としたら掛け算になるのか。これには深いわけがあり、そここそが算数の妙味であり、子供がその仕組みを分かったと思った瞬間数学の力がついたのだ。

子供を計算マシンにしてよろこぶ教師と塾と親がいる以上、子供が真の思考に目覚める余地はない。ただ数学嫌いを毎年毎年生産している。

と、ここで数学なんかできなくてもいいじゃないかという意見がある。それは違う。そういう本人にとって数学が不必要なものであっただけだ。たしかに、ちんぷんかんぷんだったら何も勉強しないのと同じだ。

だがひとたび分かると、紙と鉛筆だけで宇宙の広さを眺めることができる。その素晴らしさに、震えが来るはずだ。だがなぜかそのことを教えようとはしない。スピード、スピード。丸はいくつ、何点取った。

これでは力がある子供ほどバカらしくなってやってられなくなる。

安易に質問するな。多くの問題をとくな。宿題は半分でいい。間違えた問題と悪戦苦闘せよ。

基礎とは簡単な問題を解くことではない。X自乗を微分したら2Xだということができたとして何になる。これで微分をやったとだまされている生徒が実に多い。微分をするということは多くの意味を包含したものだ。

僕は「ゆとり」世代においても十分に考える材料は与えられていたと思う。円周率を3だとした教科書はない。問題は指導要領のいかんにかかわらず、考える余裕を与えなかったこと、優れた者をほめたたえなかったこと。席次すらつけない学校で韓国に勝とうと思っているのか。

受験できる高校が増えれば高校は必ず序列化する。またしなければ頑張った生徒はバカをみる。
だがそのことは、何ちゃって高校に進学した何ちゃって高校生が何ちゃって高校生活を過ごしていいことにはならない。

高校は勉強をするところだ。根性焼きや火事場泥棒養成所ではない。

韓国の理系大学においては学部を問わず因数分解ができない学生はいない。それは高校で本質的な課題に取り組み、間違ってもスピードごっこをして解いた気になったりしてないからだ。

今や韓国と日本の学力は雲泥の差がある。DQN予備軍の男子、化粧をして襟首の汚れた不潔女子高生、見たくない。

Posted at 2013/06/08

貧乏人のくせに大学やら行くな。

2013年05月22日 | 受験・学校

福岡市のはずれに品のいい料亭がある。先日そこで大学の会合があり僕はいやいや参加した。風呂も当然付いている。お偉いさんとか、本人が自分は偉いと思っているだけの人が話しかけるので僕は風呂を上がった。

僕は分かっている。僕は無謀に徒手空拳で自分勝手をしているのではない。「お前いやなら辞めろ。」という人が絶対にいないからだ。僕は閥に守られている。若いころはこれが嫌で辞めちゃったわけだが、年をとるとなかなか便利だ。

閥の連中は僕が女子事務員の乳をもんでも東奔西走し僕を娑婆に出すはずだ。

宴会が始まると5分ぐらい遅刻して鹿児島の学校経営者が来た。「すいません、ジェットの加速が悪くて。」ほう、プライベートジェットだった。

この非人道性が成功のコツだ。学生は借金しまくり栄養失調になりながら沖縄から天草から愛媛の山奥から出てきて爪に火をともす生活をしている。

僕は帰りにはいろんな金券、サービス券のほかボヘミアグラスその他の調度品をもらった。荷物が乗らなくてタクシー2台で帰宅した。

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国公立大進学率は、400万円以下の低所得層が7・4%。所得階層が上がるほど進学率も上がり、1050万円以上の高所得層では20・4%となった。    >ニコニコニュース 2013.5.16

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貧乏人が日の目を見ることはない。低所得者は金がなくて進学していないのではない。金がないから不潔な家に住み勉強部屋もないかあるいはあっても狭い。年収400万でどうやって子供の部屋が確保できるというのか。部屋がないのにどうやって落ち着いて勉強できるというのか。勉強できないのにどうやって成績を上げろというのか。

片付かない玄関。しかも狭い。汚い台所には昨日とったピザの大きな箱。散らかるスナック菓子。大きなボリュームのテレビ。さあ、一ついい成績でもとってもらおうか。

むせるような部屋干しした洗濯物、飲み干した缶ビールにたばこを指している。湯呑みには丸めたティッシュがはいっている。ざらざらした床、兄弟げんかが始まる。さあ、勉強して国立大に行ってもらおうか。

ボンレスハムも負けそうな母親、ピーピープープーゲームに夢中な弟、鏡から離れない姉。芸能界、ファッション、ゴシップにやたら詳しく、絶対尖閣なんぞ知らない。とどめは毎晩酔って帰る父親。そうか接待だろ。それにしては年収400万のままだぞ。

こういう奴らの子供が間違えて国立に行っても恥をかく。マナーが、品位が、その一つ一つのたち振る舞いが貧乏のにおいを発散している。貧乏のにおいとはたち振る舞いにおけるゆとりのなさである。

これじゃあいかんだろうが。前にこの様なことを書いたらチンピラどもが一斉に反論しやがった。反論の余地はない。人間はスタートラインにおいてすでに差がある社会を作っちゃあいかんのだ。

これを忘れるな。フェアな競争の結果生じる差別に関しては一言も不満を言ってはならぬ。

Posted at 2013/05/16

教員にもインターン制、バカをこれ以上多忙にするな

2013年04月16日 | 受験・学校

採用試験合格後、3~5年の試用期間を置く、その間は一年更新の常勤講師として勤務するという。自民党の考えそうなことだ。試用期間だから当然不採用もある。

人々の教員に対する意識は屈折している。一般に先生というものに対する尊敬の念と同時に、高い給料、その他恵まれた労働条件、などなどに対して強いコンプレックスを抱いている。3時を過ぎれば生徒とテニスでもして楽しむ先生達を見た住民は、夜中まで働く自分が悔しくてならない。

そこで教員の労働管理が強化されることには、ひそかに快哉を叫んでいるはずだ。

世の中が見た通りなら学問はいらない。必ずまさかと思う視点がある。たったそれだけのために例えばドイツ語を理解しようと頑張る。しかし一つの言語をマスターするには血を吐く努力が必要だ。そうして頑張っている人間はちょっと見ると怠けものに見える。違うのだ。ぼんやり空を見上げていても頭は究極まで発熱して思考している。

そうして頑張るから東大や京大の入試の指導ができるのだ。そこらのドブに咲いた3流低脳大学の教員よりはるかに実力があり教養も広く人間的にも素晴らしい人たちだ。

その伝統は先生達が教え合うことによって培われていく。校長が評価するとは何だ。気でも狂ったようだ。教壇を離れて10年もたち教科も違う人間が何を評価するとぬかすのか。英語上がりの校長なる者が美術の評価ができるのか。ばか。高い給料をもらって天下りの心配でもすればいい。

現実には試用期間に該当する者(インターン)どものゴマすり合戦になるだろうか。

いいや、僕はそうは見ない。こんなにいつまでも結婚を先延ばししてあげくの果てに振られるかも知れない交際は避ける。20やそこらの人間にとって新採用であることの強みを考えるべきだ。5年してお前は不適格だと言われることがあるわけだ。その時その人は27歳だ。あまりにも残虐だ。

少々授業が下手でもいい。問題を解く力を高めようと思う心があればいい。高校の問題なんてそんなにインターンだなんだとカッコつける必要はない。

必ず良い人材は逃げる。ゴマすりは集まる。教壇で問題が解けず立ち往生するやつは増える、低能だから。その他校務運営に関しても能率的な企画力のある人は減る。

荒れた学校を減らそうと知りもしない学校現場に口を出し国民の人気取りをしたかったようだが、かならず結果は逆効果だ。


任侠道の分からんやつは俺がたたっ切る

2013年04月09日 | 受験・学校

筑後川の河口に中の島という三角州がある。小学校や中学もある大きな島だ。国道は二つの橋で繋がっていた。橋はその島をまたぐ有料橋だったが昭和30年代には無料化した。その島の中央に「中の島ホテル」がある。8Fからは筑後平野がパノラマで見える。写真はすぐ横の昇開橋。

僕が受けていた試験は残虐な試験で、合格したからと言ってそれは採用を意味するものではなかった。合格者が数人選ばれるとその中からコネのある者が採用となって行く。

一年間秒単位で石にしがみつくように努力したのに、一番の成績をとった僕は何も手にすることはできなかった。また一年間頑張るのか。もう問題は覚えてしまっている。どうして僕は一年待たねばならぬのか。

僕が成績で及ばなかったのならあきらめよう。しかし、逆ではないか。なぜ僕よりバカが合格なんだ。
世の不条理を嘆いた。再チャレンジとはなんと世間知らずのボンボンが言う言葉なのかと思う。一年経ってまたコネ採用のアホが一番の僕をさしおいて採用されていったときの僕の気持ちが分かるか。

そんなとき、あるやくざの親分が僕を「中之島ホテル」に招いた。彼は言う。「絶対なると思え。おれは絶対やくざになると思った。」宮崎県で肉体労働をしながら、「いつまでもこんなことするもんか。」と。「歯を食いしばって醤油樽を運んだぞ。5年間。2年間で泣きだすからけんは男じゃなか。(男じゃない)」

「からけん先生の息子さんが一年や二年であきらめたらたたっ切るぞ。」その言葉に僕は申し訳なかったし怖かったが反論した。「親分はすでに親分になっているから何とでも言えるでしょう、僕は採用がなかったら何にもないのです。」

この時親分は肩をふるわせて怒った。「だから限界まで努力せろといっとるやないか。」に対し、「僕は限界まで努力しました。」親分の怒りは頂点に達した。僕の思慮が足りないのだ。誰がよその息子にこうまでして言ってくれるだろう。親分は小声になるとこうつぶやく。「おれがお前を見こんどる(みこんでいる)のが分からんとか(わからないのか)。」

すこーしそれに気がつくともう一回チャレンジしてみるかという気分になった。親分の残した名言だ。「絶対なると思えば必ずなる。」

今でも元気がなくなったときはこの「中の島ホテル」に来てこの時のことを思い出す。結果的にはコネ採用のアホが自分にはできないと思ったようですぐ辞退した。そこで僕に採用が回ってきた。

僕は親分のおかげで、苦しんで採用される人に対する思いやりが分かった。受験生はすべてを「採用」の信念のために犠牲にして生きている。体は弱り頭はおかしくなり心は折れる。同じ試験をうける人は敵ではない。同志だ。日本が、その中枢に入る人間をそう簡単に選抜することはない。みんな気絶する競争率の中でもがいている。みんなにコネがあろうものか。

僕は分かった。任侠は可能性のありなしを気にしちゃいけない。正面突破に美学がある。アホはコネで任用されるならしろ。俺は満点をとって見せるぞ。これが僕の進む道だった。

親分がだれかって? 西日本の人なら知っているだろう。 井上半吾。

Posted at 2013/04/06

馬鹿は話が長い

2013年03月26日 | 受験・学校

話せと言ったらだらだら話す。じつに中身がなくてイライラした。よくもまあそんなに中身のないことが言えるもんだ。僕は若かったので「いい加減にしやがれ、中身がなかろうが。止めんか。文句あったらかかって来い。」と癇癪をおこしたことがある。

もうその教育委員会も中学も高校(分校)もない。先日訪ねたら教室には海藻が干してあった。つまりだらだら時間を潰して日程通りに事を運ぼうとした最低級公務員のロボットみたいな棒読みは無駄であった。どころか本人はあの世だ。

僕は今や分からなくなる。少しは、本物の行政はそんなもんじゃないぞといいたい面もあった。ほとんどは、ただの怒りだったが。ただ時間が過ぎるのをひたすら耐えていれば一番賢かったのかもしれない。

そこは法定公簿ではないモノまで提出させ僕のために一冊の本にしていた。つまり教員の個人的手帳まで文部省は覗いていたのだ。これをハイと言って提出するバカ教員もその馬鹿さ加減が極まっている。

またその費用もばかにならない。いわゆる官官接待だ。僕はこのての接待には福岡県でもおよばれにあずかるが行くカネも来るカネも税金だからとんでもなくいい目に会える。

おかげでしばらくはそこらの腐ったような刺身がのどを通らなくなった。国民は無制限に税金を払うべきだ。有能な人間は宴会で育つ。

その宴会のとき。案の定、「公教育の立場から・・・」と何の理由にもなってないことで僕に因縁をつけてきた。どこかのへき地の校長を定年で辞めかろうじて熊本市内に戻ったアホは、自分が権力の一端を握っているような錯覚をしていた。僕をエラそうに諭す以外に最底辺天下りはやることがない。

何を勘違いしているんだ。あほ。公教育は私だ。

言い合いになった会場の会議室にも、今は海藻が干してあった。一人の男が黙々と作業をしていた。その街は検察庁も裁判所もある大きな街だったが今はその両方がない。僕が暴れた料亭も駐車場になった。

むなしかったんじゃない。僕は正義をつらぬきそれなりの誇りがある。今もある。ただ、誰が勝ったんだ。誰が勝ってそして今からも勝ちつづけていくんだろう。

新しく建つものといっては熊本のカップルが利用するラブホテルぐらいだ。あとはなくなり更地になる。裁判所も検察庁も小学校も料亭も漁港も。

海藻を干す男に僕らは何の影響を与えたのか。僕が勝とうと、低能三流校長や市教委が勝とうと、海藻は毎日運ばれ干される。僕らはそれになにも影響することはできない。

Posted at 2013/03/26

意地を張る貧乏人は利用されるだけだ。

2013年03月23日 | 受験・学校

豊かな家庭の子どもほど、よりよい教育を受けられるのは「やむをえない」。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターの共同調査では、全国の公立小中学校の保護者でそんな考えを持つ人が増え、過半数を占めていた。          2013年3月21日朝日デジタル

また本日の朝日新聞によると夫婦とも非大卒の家庭の方が夫婦とも大卒の家庭より5ポイント、経済的ゆとりがないと答えた家庭も5ポイント週6日制を支持する結果を示した。
                     2013年3月21日朝日本紙
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これにはとても悲しい現実がある。ウソをついて意地を張ってなんとか自分のおかれた絶望的な状況を糊塗しようとしているのだ。

誰が自分の子供がバカの方がいいと思うもんか。塾に行って習い事もして品のいいお友達がいて学校の成績もよくて偏差値の高い高校にやりたいとどの親も望んでいる。

ところが先生達は口では戦後の民主主義をひきずってキチガイの平等主義を唱えながら、ちゃっかり自分の子だけはいい学校に進学させている。

貧乏人はそれを見てどうしようもない壁を感じる。なぜかって?だってお前の子はバカじゃないか。そこでひそかにうなずいている自分がいるだろう。

俺がこんな成績だったからこいつがいい成績のはずなかろう。先生の息子さんの何とかさんが成績がいいのは親が優秀だったから当たり前で、どうせ俺の子なんか…

教育投資をあきらめる。あるいはその価値を自分が高校時代不勉強だったため分からずにいる。この循環は貧困の悪循環となり無能の悪循環となる。

なんと狭い視野だろう。なんと低質な思考だろう。その場その場で浮かんでは消えるうたかたのような思考だ。バカは環境により遺伝する。しかしそれが繰り返されるとDNAに刻まれていく。

その、まさにその現実を認めなければならない。金持ちの家には絵のある雑誌がない。間食をしない。政治の話をする。子供は学校で習った連立方程式の話をする。

ここまで読むのはよい方で、そろそろ嫌になってきただろう。だからいつまでたっても貧乏なんだ。

たいした金も持たぬくせ金持ちのつもりになった中流極貧は、たいした頭も持ってないくせにさも頭よさそうに日本のエリートのように振る舞い日本の進路を決めたつもりでいる。そして貧乏人はいい素質を持ちながら死んでいく。

僕はそれがいやだ。

Posted at 2013/03/21

消えた大学

2013年03月23日 | 受験・学校

西鉄電車に乗って大溝(おおみぞ)駅を過ぎると、線路の東側にさも誇らしげに巨大な看板があった。

福岡歯科大建設予定地。ダーツの矢はついにここに刺さったのだと言わんばかりの醜悪な自慢だった。常識的にいってどんなに世間知らずが大学を迎えるとしても、ここまでの気色の悪い看板でアホな自慢はしない。

ことの起こりはこうだ。2000年代を迎えると深刻な歯科医師不足を迎える。だから大学としては手狭な現キャンパスの一部を移転し学生の収容人員を拡大する必要があるというのだ。ところがこれにはとてつもないウソがあった。歯科医師不足は迎えたがそれは優秀な歯科医師が不足しているのであって、不器用な試験上手のガリ勉君は行き所をなくしている。

福岡歯科大の危機感はここにあった。だから思い切って拡大路線に打って出たのだ。自分さえよければいい教職員が多いとみえてさしたる反対意見は聞いてない。体育大学ではあるまいし、またとなりの金もうけ第一主義の福岡大学でもあるまいし、今のキャンパスで十分だ。カネは学問に使え。

こんな簡単な理屈が分からなくなってバブルの世に酔った福岡歯科大は三潴(みづま)町に目をつけた。三潴町にとっても千載一遇の好機であった。十年一日、生き代わり死に代わり田を耕す必要がなくなる。日本の食糧を守ろうとかいうのがおかしくて、へそが茶を沸かしやけどしそうだ。ほんとにそうならどんな話が来ても田を売っちゃあいかんぞ、なあ。農民。

ところがダボハゼみたいに食いついたまではよかったが、時はすでに緊縮の世になっていた。大学はできなかった。宙に浮いた金と土地は町が買い取るという形の和解しかなかった。

いつの時点においても正義は金持ちであり貧乏人は不条理を舐める。

大学建設予定跡地は今、素晴らしい公園になっている。さらに神は見放さなかったようでなんとここに温泉が出た。200円。食事もその程度でできるので僕は筑後地方に行くときはとてもありがたい。
                                         「みずぬまのさと」

Posted at 2013/03/20

消えた竜岩小学校

2013年03月07日 | 受験・学校

ドライブの帰り、竜岩(たついわ)小学校跡に立ち寄った。山間の小学校跡はキャンプ場となりもう学校の跡はない。

まえに僕が来たのは45年前だ。まだ校舎があり花壇の緑は生き生きとしていた。不思議なもので、子供の声がしなくなると校庭の木は枯れる。幼稚園みたいにバスに乗せて、ふもとの小学校まで送り迎えが始まった。

校庭は雑草で覆われ木々は枯れた。1950年の児童数、68名。1981年の児童数、14名。

これじゃあ気の毒だけど廃校も仕方ないなと思っていた。今日学校を通りかかってバンガローと体育館に姿を変えただれもいない竜岩小学校跡を見た。

ちょっと待てよ。明治のころから児童数に変化がなかったら、廃校にする根拠もなくなるんじゃないか。そもそも学校の統廃合のねらいとは経済効率、すなはちコストパフォーマンスの向上による均質な子供の大量生産にあったのではないか。

そうでなかったら竜岩小学校が今まで通り存続できない理由はない。

僕は図書館に行って市史を調べた。児童数は開校以来変化がない。1950年の68名は特殊事情があったとして、戦前も戦後も大体10人から20人の間だ。

つまり、ここを心して読まなければならない。あの貧乏明治政府ですら財政的理由で竜岩小学校を廃校にしようなどとは一度も考えなかったことだ。

明治5年の学制はこう書いている。大政奉還からわずか5年で明治政府は津々浦々に学校を立てたのだ。

「從來沿襲ノ弊(よくないしきたりとして)學問ハ士人以上ノ事トシ國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ學費
及其衣食ノ用ニ至ル迄、多ク官ニ依頼シ之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト(やってもらってあたりまえだと)思ヒ一生ヲ自棄スルモノ少カラス 是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ 自今以後、此
等ノ弊ヲ改メ一般ノ人民他事ヲ抛(なげうち)チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心
得ヘキ事」

「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」

「幼童の子弟は、男女の別なく小学(校)に従事(通学)せしめよ」

つまり、国家のための滅私奉公の強制などみじんもない。学問は自分のためにするのだと堂々と述べている。そのために学校をつくったのだから粉骨砕身学問にはげめ。これは国家の指示というより願いだった。

さあ、一等国民を作ろうじゃないか。義務教育は4年間にすぎなかったし先生は一人しかいなかったし先生の給料は16円だったが。初年度入学生の15人は校庭を全力で走った。明治8年。

ブログ一覧
Posted at 2013/02/20

力のない教育は悪ガキの天下になる

2013年03月07日 | 受験・学校

中学教諭、女子生徒の頭たたく 授業中に携帯電話触り

 三重県名張市の市立中学校で昨年12月、男性教諭が女子生徒の頭をたたいていたことが14日、同市教育委員会への取材で分かった。女子生徒にけがはなく、市教委は男性教諭を口頭による厳重注意とした。

 市教委によると、女子生徒が授業中に携帯電話を触っていたため、授業をしていた別の教諭が注意。女子生徒が言うことを聞かなかったため、授業終了後、男性教諭が呼び出して注意している際に女子生徒の頭を平手で1回たたいた。

 男性教諭は「素直に非を認めなかったので手をあげた」と話している。男性教諭は直後に女子生徒と保護者に謝罪したが、女子生徒は数日間欠席したという。

 市教委は2月上旬に学校からの報告で把握。男性教諭による体罰は他には確認していないとしている。和南義一学校教育室長は「体罰は許されない。教員の指導を徹底し、再発防止に努めたい」としている。

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見え透いていたことだ。いまや、生徒はなにをしても叩かれることはない。叩いた先生は場合によっちゃあ首だ。男性教諭は謝罪しているようだが女子生徒がなかなかのあばずれだ。数日休んで見せて事を大げさにした。男性教諭は悔しかっただろう。

これじゃあ全国の中学が滋賀県のいじめ殺人の皇子山中学になる。は何をしても腫れ物に触るような扱いを受ける。そうして生徒同士はどんないじめ暴力も是認され、教員は生徒の殺人や破壊行動すらやめさせる力を否定されてしまった。

は、さあ殴ってみろと頬をさしだしてくるぞ。殴ったが最後、精神的ショックとやらをうけて損害賠償を受け取るまでは立ち直らないだろう。

ヒステリー顧問が中体連につなげようと罵り殴るのはいけない。だからと言って制裁一切を禁じたら中学は悪の巣窟になる。身障者トイレはセックスの順番待ちができる女郎屋になる。運動場に乗りつけるゼファーはかわいい子を乗せて街へ走り去る。

大津市のいじめ殺人事件を第三者委員会があれほどのどをからして叫ぶように筆をおこしているのに市長は何もしない。無能と臆病による職務放棄だ。

僕に対してこう言った生徒がいる。「先生達は叩かれんとば(叩いてはいけないのを)知っとおぞ。食堂に行くけんなんかしきるとか。(食堂に行くのをどうにかできるのか)」その生徒は授業中に飯を食いに行っていた。八女工業高校だ。

もう一人の先生と協力して顔を2倍ぐらいに腫れあがらせた。これをしないと工業高校はヤクザの養成校になる。全部がそれならそれでいい。面白い。僕が我慢ならんのは学校にちゃんと勉強に来ている子供がいることだ。そんな真面目な者が損をする社会を人生のスタートから示してはいけない。

Posted at 2013/02/14
 
 
 
 
 

女子学生と数学 5

2013年01月30日 | 受験・学校

あまり人気のないシリーズだが現在進行のドキュメントだから書きとめておこうと思う。

先々週、中学の教科書を持って来いと言ったら、フグのようなふくれっ面をした。消え入るような声で「はい」と答えた。こりゃかわいいもんだ。どうも彼女のプライドが傷ついたようだ。根拠のないプライドはどんどん傷ついてもらおう。

彼女は機嫌も直して僕の前に教科書とノートをさしだした。ここが低脳とできる娘との違いだ。バカはいいわけ上手だ。これに比してできる子は言い訳しない。

「頭悪かったから。」ならばそれを凌駕する努力をせよ。脳に組織的異常がないかぎりだれでも偏差値70はいく。単にずぼらででたらめな性格だっただけで低質な誘惑に負けた生活をしていただけだ。バカの家に行けば必ずある大型テレビ、ゲーム器、散乱した韓流スター雑誌、片付かない台所。

理学部の彼女はしつけがよい。なぜか。親がガミガミ言ったか。違う。親が行動で示したので彼女はそれを見ていたにすぎない。

「子供は親の言うことはしないがすることはする。」けだし名言だ。

中学の時のノートまできちんと揃えて持っている。素晴らしいことだ。中学はおろか小学校の教科書が必要なDQNたちは自分の通う高校の教科書さえそろっていない。

「貧益貧、富益富。」という言葉が朝鮮にはある。日本にはこの言葉をさしあげる。「痴益痴、賢益賢。」

後は、彼女を怒らした数のお遊び。

円周率が3以上であることを証明せよ。これは半径nの円に内接する正6角形を描き、一辺nと一辺を両端とする弧に注目し、6角形の辺の長さの合計は6nだから弧は弦より長いことにより円周は6nより大きいことを見つける。∴円周率は3より大きい

これは練習問題で、次になるとそう簡単ではない。円周率が3.1以上であることを証明せよ。僕が中学の教科書を持って来いと言った理由はここにある。問題というものは解けさえすればいいというアホがいる。そんなことを言う人は、その人の能力がかろうじてその問題だけに注がれるだけで精一杯となり、本質的に力量が不足している人だ。そもそも、ものごとは難しく考えてはいけない。なるべく簡単に考えることに力を注ぐことが、おろそかにされてきた。それこそが本当に難しい。

この問題は小学生の算数大好き少年でも解く。ちなみにこれ東大の入試。

煙草に火をつけるのに火炎放射機を使ってはいけないのだ。

取って付けて引きまわしてほがして塗って、エンジンルームは貧乏人のおもちゃ箱だ。汚い問題の解き方をされると悪寒がする。

Posted at 2012/11/07

猫も杓子も大学に来るな。真紀子ちゃんよくやった!

2013年01月30日 | 受験・学校

大学は大勢受験して定員いっぱい来てくれれば、間違いなしに儲かる。そこで運送会社や自動車学校や宗教団体が色気を出して大学経営に乗り出してきたのが、三流四流大学のスタートだ。

およそSCIENCEとは無関係な人がやるものだから不祥事もすさまじい。しかし、象牙の塔はあまりにも頑丈でその実態が外に漏れることはまれである。いきおい、内部でごまかす、もみ消す、お茶を濁す、脅す、札束を口にねじ込んで黙らせる、のが日常となる。

三流大学で批判的なスタンスをとろうものなら、まずはガタイのいい先生あるいは先生まがいが脅してくる。それでもダメとなるとそこらのチンピラがわけも分からず学校帰りに因縁をつける。職員はそれでビビりあがってしまい経営者としては一罰百戒のつもりだろう。

そうして言いなり小僧を集めた大学管理職なる者は、職員を徹底管理して、研究室をとりあげ、ゼミに干渉し、高校みたいに全職員を集めた職員室を作り常時監視の体制をつくって安心する。論叢や外部に出した論文まで、ご丁寧にない頭で調べ上げ因縁をつける。

脅し文句はいつもこうだ。「来年は席がないかもしれませんよ。」

学生たちは僕をとどめようと頑張ってくれるがそれも有難迷惑だ。僕は糞大学に食わせてもらっているんじゃない。僕は道端の草を食えば生きていける。あたかも生殺与奪の権を握っているような態度をとるな。お前たちの様な貧乏人の尺度で僕を図るな。と、強がりを言って数人が辞めたがまさに蟷螂の斧だった。

それから僕は韓国の大学からお誘いが来てサカリのついた犬のようにしっぽを振ってそこに行った。韓国は日本以上に大学が多いので学生の質の低下は目を覆うものがあった。全国6位の私大ということだったが正しく韓国語が書ける子が少なかった。

ただ管理職を気にすることはなかったので、ゼミでは一定の成果をあげた。学問の自由独立とは権力からの独立なくしてはなく、権力はただカネを出すことを考えていればいい、ということを管理職はよく理解していた。「権力はただカネを出すことだけ考える。」都合のいい話のようだが学問をしたことのある人は分かるはずだ。研究には気絶するほどのカネがかかる。

それをいいことに金を流用着服する奴が出て来はしないか。もっともな心配だ。韓国の、あるいは日本でも3,4流の大学の研究者ならさもありなん。しかし、現実にはほとんどない。なぜか。興味関心がカネにないのだ。日常生活でも真面目に研究している人ほどカネに無頓着だ。

目を皿のようにしてカネとおまけに地位を求める似非経営者は、さらなる大学増設を求めていた。必要性もなく、研究する気もなく、あってもその設備もなく、学生の学費を山分けする算段しかできない悪の巣窟をこれ以上増やしてはならぬ。

秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大。大学という名をつけて公金を食いまくってはならない。たった人口30万の秋田市は10校も大学のある市になりたかったようだ。気違いも限度を持て。下品な野望のために市民の税金を使うな。札幌保健医療大。専門学校のままでよい。門外漢が遊びに来るところではない。岡崎女子大。もともと勉強しに行ってる学生がいたか。ならば短大で十分だ。

至極妥当な不認可だ。

経営者は職員を絞りあげ経営資金をねん出してはならない。ゴマを絞ってもそういつまでもゴマ油は出ない。

ぎゃくだ。研究者に自由を与えよ。SCIENCEのしもべとして働くのであり、臭い宗教あがりの偉そうぶったニセ経営者に忠誠を誓ったわけではない。

それができない経営者はやめなさい。認可取り消しの判断を唐突だとか批判があるようだがそれは些末な理由であり本質ではない。ましてやこれを民主党への攻撃材料にしようとする蛆虫は僕のブログに発言するな。

Posted at 2012/11/03

予備校さん、うちの問題作ってね。

2013年01月27日 | 受験・学校

という大学が増えた。どうせインチキ入学ばかりだから、どんな問題で選考しようとさして違いはあるまい。福岡大学などは合格者の60%しか入学しない。近隣の国立に合格したか、そもそも大学というものに入学前から愛想を尽かす者たちがいるためだ。

大学としては、法外な受験料をどぶに捨ててくれるわけだ。金は払うわ学校には来ないわ、まるで天使のような学生さんだ。

九州大学は合格者の97%が入学する。そして遊びも勉強も能率的にする。一応九州の最高峰の帝大だから女の子にもてる。ティッシュみたいに使い捨てにされても一縷の望みを託してアホ女子大生が群がる。

私大の入試問題は、予備校に問題作成を頼む以前は僕らが作成していた。大学は受験料を稼ぐために、受験機会の均等化などという屁理屈を盾に、5種類も6種類も入試問題作成を要求した。学部別学科別地方試験別となると種類はその積となる。

入試問題を予備校に頼んだ時には実際ホッとした。多くの同僚が疲労で倒れた。A3,10.5ポイントで5枚の問題を去年とダブらぬよう出題範囲に偏りのないよう考えていたら、普段やるべき授業どころではない。ところが本来は今は一番授業が充実する時だ。私大はカネもうけでやっているので授業なんてどうでもいいんだろう。

大学としては、学費さえきちんと納めてくれれば医学部に横流しできるのでその他は関心事ではない。

思い出すだけでもおぞましい。それをまたみんな狂ったように一言一句間違いのないようにヒステリーになって作る。どうせバカしか来ないのに。

自分はいい大学を出ておきながら、学歴なんて関係ないよ、とか平然と言う奴がいる。最高に失礼な言葉だ。じゃあお前は学歴を利用するなよ。

学歴は幸せのほとんどだ。昨日高校について書いたが大学も同様だ。でたらめな選抜により高いカネを払いでたらめな授業をうけでたらめな友人と共にでたらめな職に就く、でなければ一生アルバイトだ。これでも学歴が関係ないというのか。

しかし、針の穴のような範囲の中から昨年と異なる偏りのない入試問題を作るということは、殺されそうな苦痛だった。

今はほとんど入試問題は外注している。僕がここでなにを言おうとノホホーンとしている学生ばかりだもんな。

ライオンに兎の世話を頼んで、ライオンが兎を食ったら責任はライオンにあると主張して逃げるやり方は卑怯もののすることだ。

このように厚顔無恥の言い草を臆面もなく言い放ち、試験問題の外注は似非私大の逃げ口上にすらなった。

私学に人員を増やして充実した教育体制を整えよ。そしたら必ず応募者は増える。ゆとりあるスタッフが手分けして問題作成をすればいいだけの話だ。西南大学を見よ。

学生が怒らなければならない。

                               (写真は僕の彼女が通った梨花女子大です)

Posted at 2012/10/23

あはれ私立校、社会矛盾の吹きだまり。

2013年01月27日 | 受験・学校

数日前、朝日の記事によると私立高校は36%が非正規教員だとあった。詰め込めるだけ詰め込んだ満員の映画館のような教室に高い校納金を払って生徒はひしめく。授業は安上がりの非常勤講師が受け持つ。

県立の退職した低脳校長を天下り校長として受け入れるとその学校は補助金で「イロ」をつけてもらった。なにも知らず払われる県民の税金は公立と私立の慣れ合いによって山分けされていたのだ。
独立採算の私立高校はない。県民がまく餌に群がる二匹の鯉にすぎない。

バカでも通る小学校中学校の教員採用試験と違い公立高校は数十倍から数百倍の競争率がある。コネ採用が皆無だとは言わない。しかし、がごり押しして教員としてインチキ採用させる以外、右翼が自民党の県議とグルになって無理やり低脳を押し込むぐらいでほぼ職員は健全だ。ああ、もう一つあった。校長の子供は必ず先生になる。例外なくバカだ。

それどころか入学試験の点数が足りないのに出身だから合格させろと横車を押してきたことがあった。それが通れば有名進学校がダメになる。さすがに無茶だと思ったのか社会党がおさえた。

しかし、足が速い、速く泳げる、ボール蹴りがお上手、なんて特技があると無試験だ。全国の私学は青森山田になっていく。

私学は非常勤講師をショックアブソーバーと考えている。生徒数の増減によっていつでも切って捨てられるマルクスの言う労働力プールだ。

自校の宣伝はなかなかお上手だが、なにせ放課後となると蜂の巣をつついたようの流れだすアホづら。その間抜け面がすべてを物語る。

職員の待遇も雲泥の差だ。悲しいのは貧しければ貧しいほど私学へ通っている現実があることだ。所得の高い県は話が別だ。

県立修猷館の生徒たちの凛とした顔立ちを見よ。将校だ。

悲しい右翼は青筋立てて日教組だ共産党だと悲鳴をあげるが、偏差値73がいかほどのものかご存じ?組合活動のゆとりはない。大学よりはるかに厳しい学問の競争にさらされている。

いいですか。中学の成績が3年間オール5ないしは一つ4がある程度じゃないとこの高校には合格しない。こいつらに向かって日々悪戦苦闘している先生を軽々に批判するでない。東大の教養部程度の数学は高2で解いてしまっているのがぞろぞろいる。

そういう500人のうちの5%しか東大には行けないのだ。

悲しい私立の兵隊たち。救いは天が二物を与えなかったことだ。冷凍室の中のような修猷に比して彼らはとにかく明るかった。

言いたいのはこうだ。実際に教壇に立たないと分からないことが多い。僕の教える受け持ちの授業時数は大学の時も高校の時も週に12時間だった。一日2時間。僕はこれに一番象徴されると思う。知らない人は天国じゃないかという。ところが、年齢別人口の優れた上位0.5%の生徒たちと真剣なやり取りをすることは命をすり減らす作業だった。

組合運動のために教員をしている本末転倒のバカも確かにいる。それは今や日教組の牙城という福岡県ですら10分の2だ。日教組とは小中学校の先生たちの労働組合でわれら高校では高教組と言った。組合員はほとんどいない。僕らとは関係ない人たちだ。

公立の修猷にしろ私立の九大附設にしろ、予習に予習をかさね命がけで授業に取り組み修猷、附設から東大に毎年30人輩出している苦労をもっと認めてほしい。

Posted at 2012/10/16