山川出版社とは悪辣なことをする。僕らの前では「歴史教科書専門です、学研みたいに大きくないからどうか採用してください」と言いつつ政治経済も倫理も出している。さらにそれにまつわる参考書、ノート、問題集、10分テスト、となると膨大だ。
教科書においても、詳説、標準、要説があり良い子用、ややバカ用、本格的なバカ用とわかれさらにそれにすらついていけないホームラン級には世界史Aが用意されている。親戚の先輩と教科書を合わなくしてもう一冊買わせようという魂胆だ。
同一校であっても、先輩から教科書などを譲り受けることもできないようにしている。毎年編集の順序を変えるのだ。挿絵の位置を変えどうでもいい文章を変え、最新のデーターや資料を用いたと宣伝する。ばか。1000年も前のことが今年になって変わったりしない。
すると変なことが起きる。山川の教科書は難しいので他の学研か何かにしよう。意外と福岡でトップの修猶館高校とかはそう思って山川を使わないことが多い。片意地を張らないのだ。見栄とかこだわりとかは本来バカが抱くものだ。たとえば、隣の犬を食う原始人はプライドが高い。二流どころの高校で最高の難度の教科書を使う。
出版社もその狂想曲に加わる。山川に負けず詳しい、ということで売り込みを図ったのが三省堂という常軌を逸した出版社だ。ページ数は文科省が管理しているためこれ以上本文に盛れなくなった事項は脚注に入れた。本文より脚注が長いページが出た。入試には絶対に出ない事項で埋め尽くされた。慶応の入試にも出ないもので。
そこで奇形教科書ができる。年表のない教科書、挿絵の異常に小さい教科書、準拠した問題集がない、図表がない、あってもお粗末。その分小さい字の脚注、あるいは左右に注の欄を作った。これで詳しさでは山川に勝ったと快哉でもあげるのだろう。
そこで生徒たちは言う。こんなに覚えたら頭がバカになります。ばか。よく考えろ。教科書がバカなのとお前たちがさぼっていいというのとは別問題だ。
どんなに山川がでたらめでも、三省堂が理解の浅い奴の執筆によるものだとしても、それらは一切己の無能の弁解にはならない。役に立たないとかいう。じゃあ学校やめて自動車学校に行け。役に立つぞ。ばか。学校や教師や教科書など目に見えるモノの矛盾にはどんなに敏感であってもよい。しかし学ぶ者は学ぶことに対しては一言も発してはならない。黙って覚えろ。それが学問の流儀だ。
【昨日の解】
5-√3=a+b ここで√3は1より大きく2より小さい 5-√3=2-√3+3 だから2-√3が小数部分、与件より整数部分は3 これらを与式に代入すると (2√3-3)/9