か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Affaire Boulanger

2012年02月01日 | 西洋歴史
民意をよく反映するのが民主主義であるが、ただそれだけのことにすぎず、それに正義とか真理の実現を期待してはならない。ところが、民意とは多数でありこの多数に逆らうときは独裁専制の汚名を覚悟しなければならない。

少数のくせに実権を握って、とか不正で多数をねつ造したなとか。

しかし、それほど多数は価値あるものでありえてきたか。熱狂する多数は真理に見える。多数の行進は正義の行進だ。

ブーランジェ。生粋の軍人だ。立派な軍歴を持ち最後は普仏戦争で活躍する。その後国防大臣となり憲法改正を主張する。軍人がすべてそうであるように彼もまた反議会主義的であった。その後プロシアとの危機が高まるたびに彼の軍事的側面からのみの発言は民衆に熱狂的に支持された。

であるなら多数から支持されているのだから何もめんどくさい議会など必要ない。プロシアへの復讐心は党派を超えて燃え上がった。

ブーランジェの名前を出しさえすれば急進派からナポレオンの残党、ブルボン王党派、亜流のルイフィリップ派までフランス各地の地方議会で当選した。ところが彼は中央議会では少数派であったため直接民衆に訴える方法をとった。きわめてわかりやすく単純に煽情的に。反共和制各派を大同団結せしめた。それが可能であったのも間違いなく「民意」によるものであった。さあ、怨念のプロシアへの反撃だと思った瞬間。事件は起きた。

彼のカリスマが急速に終息する時が来た。クーデターで政権を奪取せよと迫る群衆の前に彼は本性を現す。愛人マルグリット夫人の故郷に逃亡する。マルグリット夫人が死ぬと墓前で自分も自殺する。

こんな男にフランスの将来を託してはならなかったのだ。だが、だれが責める資格があろう。ブーランジェは多数だった。

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Posted at 2011/12/13 15:21:48

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