ほーら、○○ちゃん、よーくできました。すごいね。上手ね。先生感心しちゃった。
一日中この言葉を浴びせかけるのが養護学校の教員の仕事だ。役者ぞろいで障害者を心配したフリがとても上手だ。
先生様の狙いは一つ。特殊教育手当て。これは毎月の給与のみならずボーナスにも退職金にも年金にも反映するから笑いが止まらない。
しかし笑ってはだめだ。腹黒い偽善者である自分がばれてしまう。難しいことは無い。チヤホヤ仲良しゴッコをしてほんの数時間をごまかせば、また帰りのバスが3時ごろ来てバイバイすれば、後はすることは無い。
ところがバカはその後、「子供の障害と向き合う姿勢」とか「・・・のきづき」とか「・・・と食育のあり方」とか「子供を伸ばす生き方の指導」などという訳分からんくだらん日本語のプリントを山ほど作り、何時間も会議する。
養護学校は最近特別支援学校とか言うが聞きなれたほうでいく。その養護学校にもっともふさわしいのはそこにいる先生たちだ。
脳が器質的に異常をきたしている。夢の給料を平気でもらい意味の無い会議で仕事をしたつもりになる、それが平気なのは偽善でありペテンでありそうでないなら気違いだ。
労働者は時給2000円もらえばいいほうだ。家庭が破壊される寸前までとことん働いているのだ。
子供は、体が植物状態なのに、ちやほやゴッコで教育と強弁してはならぬ。子供本人は迷惑している。犬をカラオケに連れていき、さあ歌えと強要するのと同じだ。
唖とかめくらとか言葉だけを使わないようにして意識から遠ざけ世の中はすべて健常者で成り立っているという仮想世界を作る。
その反対側の閉鎖社会では子供を褒め殺すという微笑みの残酷社会が毎日狂宴を開いていることを誰も知らない。
そこにいる子供達はきわめて横着である。当たり前だ。彼らは教育されたことが無い。お遊戯と洗濯ばさみを組み立てる実習とか言うのがあるだけだ。
何をしても怒られなかったら人はどうなるだろう。神で無いかぎり出来そこないになる。障害に輪をかけるのが養護学校だ。
あほらしくてやってられるか。そう思うのが人間だろう。
世の中の不正に怒ることが無い人は、自分の中の悪魔性にも気づかない。