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日本神話が隠した大きな秘密?(@_@)?

2024-09-21 12:15:48 | 古代史

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スサノオの大冒険:第一弾 誕生から高天ヶ原追放 No019
UMAたんさくちゃんねる@YouTube

記紀神話について、ほとんどの皆さんは驚かれると思いますが、江戸時代にできたものなのです。そのまえは日本書紀に書かれた神話が神仏習合、修験道、道教などの影響を受けて記紀神話とは全く異なるナーガ(龍蛇神)信仰の中世日本紀に変貌していました(斎藤英喜「読み替えられた日本神話」(講談社現代新書2006年)参照)。

江戸時代になって本居宣長がそれまでほとんど読まれていなかった古事記を発掘し、絶賛したので、神道家の平田篤胤が影響を受けて記紀神話に基づく復古神道を提唱したのです。それが幕末の志士などに人気となって、明治新政府が神仏分離令を発すると、廃仏毀釈運動が全国で起こり、神を祀っていた寺院が打ちこわしに遭い、僧侶も無理やり還俗させられたのです。後にやりすぎに気づいて寺院は残されましたが、国家神道が創設され、学校で国史が教えられたので、戦後の日本人も記紀神話が太古からの伝承だと思わされています。

日本書紀は天武天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書だと思わされていますが、完成したのは崩御34年後の720年なのです。時の権力者は藤原不比等でした。皇后とされた鵜野讃良(持統天皇とされていますが、即位していないことが判明しています)と組んで孫を天皇にした正統性を主張するために天孫降臨など高天原神話も創作されたのです。人代の歴史も藤原氏に不都合な史実を隠し、相当改ざんされています。

古事記は9世紀の学者によって突然表に出てきたもので、正史に古事記の記録はありませんし、日本書紀が古事記を参照したとわかる痕跡もないのです。古代史を探求すると古事記は日本書紀が隠した史実を暴露する暗号書だと分かりました。暗号を解くと空白の4世紀に隠された天皇も倭の五王も分かりました。2世紀から3世紀の建国時代の史実も考古学や民俗学の成果から判明しました。

高天原から追放された暴れん坊の神スサノヲは、実は、宋史 王年代紀第十八代奴国王だったのです。奴国宮廷祭祀の司祭師升(107年に後漢に朝貢した倭国王帥升)の反乱で殺されたのです。志賀島の金印はその時に脱出したアズミ族(江南系の倭人)が隠したのです。また奴国を脱出したスサノヲの王子イタケルとスサノヲの弟ニギハヤヒが出雲に逃亡し、ニギハヤヒは吉備を平定して奴国を再興し第十九代王天照大神尊、先代旧事本紀の天照国照彦天火明櫛玉饒速日命とされ、倉敷市楯築王墓に葬られています。ニギハヤヒ大王の子孫が纏向遺跡に遷都してヤマト王権が成立したのです。イタケルの子孫は出雲・丹後王国を作って日本海沿岸を根拠地とするムナカタ海人族を束ねる王として日本建国で活躍しました。

そしてスサノヲの祖先ですが、初代奴国王は天御中主です。春秋時代に越に滅ぼされた呉の王族でした。倭人に助けられて半島南部で王国を作っていましたが、寒冷化の影響で福岡市吉武高木遺跡に遷都しました。日本最古の三代の王墓(二代目天村雲尊、三代目天八重雲尊)が発見されています。天孫降臨神話も四代目王天彌聞尊(あめのににぎのみこと)が祖父からレガリヤを授けられて糸島平野と福岡平野に進出して、奴国繁栄の基礎を築いた史実から創作されています。記紀神話で洗脳されているので、こういう事実に気付かないのです。

詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」などをご参照ください。どうもお邪魔しました(;^ω^)

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以下の図は藤原不比等が神話を創作して史実を隠した事実を示しています。神話の神と実在人物の対応関係が分かります。日本書紀が隠したかった大きな秘密のひとつは藤原不比等が権力を握るために天皇を弑逆した史実で、もうひとつは天智天皇と藤原氏の出自だったのです(詳細は「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?」・「天智天皇とは何者だ?( その1 )( その4 )」参照)。

 

日本の最初の王は江南の倭人(海洋民族アズミ族)を支配した呉の太伯の後裔の天御中主でした。吉武高木遺跡に日本で最初の三代の王と妃ら王族の墓が見つかっています。第二代王天村雲尊の墓から三種の神器が発見されています。四代目の王が天彌聞尊(あめのににぎのみこと)ですが、四代目以降の墓がないのです。記紀神話で女神アマテラスが孫のニニギに三種の神器を授けて日向の高千穂の峰に天孫降臨させた神話は、天村雲尊が孫の天天彌聞尊に王権の標を授けて周辺の糸島平野・福岡平野を平定して奴国を拡大させた史実から創作されたと推理しています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。

そして神話のニニギからホホデミ・ウガヤフキアエズの三代はスサノヲの子孫で出雲・丹後王国の三代八束命・日高彦・高野御子の史実を隠すために作られてます。最後の高野御子が記紀神話の大国主とされた人物で、初代ヤマトの祭祀王応神天皇の本当の父です。

初代神武天皇は応神天皇の史実を隠すための虚像なのです。

卑弥呼の死後に13歳の姫巫女の台与を外交上倭国の女王に立てて魏を後ろ盾にして纏向遺跡を王都とした狗奴国王(記紀の崇神天皇)と対立しました。狗奴国王と同じニギハヤヒ大王の子孫の尾張王建稲種命(注1)が父(注2)の仇として大国主高野御子を討って、大国主傘下の地域を平定しました。ところが西晋が呉を討って三国志の時代が終わったので、次は狗奴国が討たれることを狗奴国王卑弥弓呼は怖れ、大国主の祟りということで、大国主と台与の子ホムダワケ(応神天皇)を探し出して纏向遺跡で祭祀王としてヤマト王権を成立させました。日本書紀では大物主大神(大国主)に祟られた崇神天皇の大田田根子の話を創作しています(詳細は「国譲り神話は都合の悪い史実を隠すためだった!」参照)。

日向三代の最後のウガヤフキアエズが神武天皇の父としていますが、上で述べたように、大国主の子応神天皇が初代ヤマトの祭祀王として即位した史実を隠すためだったのです。これによって持統天皇とした鵜野讃良(天智天皇皇女、天武天皇の妃)の孫を文武天皇として即位させたことを正統化する神話にもなっているのです(詳細は神話が隠した不自然な史実(;一_一)参照)。

出雲・丹後王国三代の話は日本書紀で徹底的に隠しましたが、出雲国風土記の国引き神話から謎が解けました(詳細は「国引き神話は史実だった?(その1)(その5)西谷墳墓群の被葬者は?」参照)。

(注1)熱田神宮の祭神、東国遠征した創作された英雄ヤマトタケルのモデル、国譲り神話のタケミカズチとして、藤原氏は春日大社や鹿島神宮で氏神として祀っています。東海遠征の途中で戦死し、沼津市高尾山古墳で葬られていると推理しています(詳細は「【検証26】建稲種命の終焉の地は?」参照)。

(注2)尾張王建稲種命の父乎止与命(ヲトヨノミコト)。卑弥呼の後に立った男王で大国主に討たれた。記紀で仲哀天皇とされた。神話のカグツチとして隠され、愛知県やその周辺にたくさん見られる秋葉神社で祀られた。

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【関連記事】

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)



 

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初めての方は【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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