刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

真実の探求は科学的にね!(^_-)-☆

2024-09-18 08:07:43 | 古代史

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83.後漢書東夷傳(その1)-會稽東冶ー
=水行20日、水行10日陸行1月の呪縛=  2024.9.8

いい記事をありがとうございます。
次回は倭に関することとありますので、待ち遠しいのですが、
その前にひとつ教えて欲しいことがあります。


>邪馬臺國は福岡県八女市と比定しました。
とありますが、根拠となる遺跡・遺物なり伝承はあるのでしょうか?
卑弥呼の墓は魏志倭人伝に径百余歩(約150m)の冢とあり、塚ですから円墳でしかも卑弥呼の死の前後の状況を考えると、急造りの円墳になると思います。そのようなものが八女市周辺にあるのでしょうか?
よろしくお願いいたします(#^.^#)

 はじめまして。たまに先生のブログは拝見させていただいています。
 コメントをいただきとても光栄です。
 ブログを続けてきたことの励みに成ります。

 以下のご質問をいただきました。
 
 「根拠となる遺跡・遺物なり伝承はあるのでしょうか?

 私はこれまで古代中国の古文書の解読をしてきました。
 しかし古文書を離れてた、例えば遺跡・遺物に関して考察したことはありません。

 もしよろしければ、刮目天先生の遺跡・遺物に関してのご見解に関してご教授をいただければ幸甚です。

お返事ありがとうございます
そうでしたか(#^.^#)
いや、わたしも気づきましたが、陳寿は西晋の創業者司馬懿が作らせた邪馬台国への行程記事などが載っている報告書をそのまま載せています。しかし、陳寿は政治的に書かれたでたらめだと理解して、歴史家のプライドからか?自分で想像した場所に後世の史学者を導こうとしたので、ほとんどの文献史家は陳寿に騙されたと思います。

なぜなら、卑弥呼の墓が見当たらないのですから。

八女市付近や安本先生の朝倉・甘木付近では大きな弱点がもう一つあります。范曄後漢書が魏志倭人伝の記事を書き換えた「自女王国東度海至狗奴国」という記事を信じると九州に邪馬台国があるなら周防灘辺りでなければ、魏志倭人伝の記述にも該当しないと思います。なので、最初に宇佐説を学説にされた富来隆先生はこれを大きな根拠としていました。

わたしは考古学や民俗学の成果から卑弥呼は宗像三女神で宇佐神宮の比売大神と推理しています。宇佐市安心院町下毛に魏志倭人伝にある径百余歩の冢を発見しています。墓だけでなく卑弥呼に関する地名や伝承・遺物も発見していますので宇佐が邪馬台国の有力な候補と考えています。

宇佐神宮の辺りは吉野ヶ里遺跡と同じ60ヘクタールの環濠集落があった可能性がありますので、邪馬台国の長官らが居たと考えています。瀬戸内航路の九州側の起点になる要衝ですね。検証していくと自分ではほとんど信念になっていますが、大きな反証が出現したら考え直さないといけないとは考えています。同好の士のよしみで反論を頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します(;^ω^)

 返信ありがとうございます。 
 私は2015年に邪馬壹國を比定すべく調査、考察を始めた新人のアマチュアの歴史愛好家です。
当初から、古文書とMapの地形だけを調査、考察を対象とし、遺跡、遺物に関する調査、考察は重視しない方針で進めてきました。
先生とはアプローチの方法が異なるのかもしれません。
 先生が宇佐説であること認識させていただきました。
 これは私の考えとは異なります。
 でも百科乱舞です。
 多くの研究者は自分の考えが正しいと信じているはずです。
 ですので、議論してもお互い平行線で意味がないと思います。


お返事、感謝します。
わたしも同じころに本格的に研究を始めましたが、きっかけは、なぜ「百花乱立の邪馬壹國の比定地」があるのか、全部正しい訳はないので、岡田英弘「日本史の誕生」(弓立社)を読んでこの理由に気づいたからなのです。

三国志魏書になぜ西域伝がなかったのか?魏志倭人伝は何のために残されたのか?の理由が分かり、陳寿が政治的な理由で邪馬台国への行程記事を残したと気づいたのです。

ですから魏志倭人伝だけをどのように天才的な解釈を発明して読んでも、万人が認める場所には到達できないのですよ(^_-)-☆

多くの研究者はこのことに気付かないから、自分が最初に思った場所に合うように、解釈してそこで満足して、他人の説はどうでもいいという話になっているのが現状のようです。

事実、つまり考古学や民俗学などの成果と文献の乖離は単なる謎という次元ではなく、文献にウソがあるという証拠なのです。

ウソに気付いたら何故その嘘が書かれたのかを推理すると、仮説が生まれますので、さらに事実で検証していくとその仮説を修正したり、その仮説を廃棄して新たな仮説を作ることになります。

こういう作業が科学的な手法なのです。わたしは科学・技術の分野の研究に長年携わって来ました。具体的な解決手法を自分の専門分野では確立していますので、それを古代史に応用したということです。そうすると、謎がイモずる式に解けて来たのでこの手法の威力を再認識しました(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」参照)。

重要なことは、その仮説に大きな欠陥があると気づけば、その仮説は間違いなので検討し直す必要があるということなのです。

それが真実に近づく唯一の方法なのですよ(;^ω^)

こういう科学的な思考をあなたや他の研究者に気付いてもらいたいので、あなたには最初に八女説の根拠についてお伺いしたのですよ。余計なおせっかいとご不快に思われるかもしれませんが、事実に基づかない、真相と乖離している説は空想・妄想ですので、研究者ではない一般の方々を混乱させることになります。特に権威のある学者はその弊害が大きくなります(;´Д`)

是非、このような万人が理解できる科学的な検討をして、お互いに、真実の探求に頑張りましょう。

通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっと応援をお願いします( ^)o(^ )