国際宇宙ステーションの船長に日本人飛行士、若田光一氏が就任したという話題は、日本人として晴れがましい想いをした。就任の挨拶で、他国の飛行士に対し、和を持って仕事を進めたいとの表明がなされた。久しぶりに聞く言葉である。最近は流行語でもあり、震災からの復興の合い言葉にならんとしている「絆」等と同様に、人間関係の一体感を表す言葉である。
「絆」とはそもそも動物をつなぎ止める綱の意味から派生した言葉であり、家族相互の間に、ごく自然に生まれる愛着の念や親しく交わっている人間同士の間に生じる、断ちがたい一体感をいっている。又は、何かのきっかけで比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつきをいう。本来の意味の誤用である、理由無くして束縛し、分け隔てするもののことに使う場合もある。例えば、先入観や階級意識などの結びつきから解放を願うときなどにも使う。
「和」については聖徳太子が制定した17条の憲法の重要な柱で、「「和」を持って尊しと成し、三法を敬え、三法とは仏、法、僧なり」と記憶しているが、その内容は次の通りである。和をたっとべ、多勢の協力によって政治を行え、君臣の分をわきまえよ、人民は皇室の民である。仏教を敬い、礼や信を守り、善を行え。怒ったり嫉んだり、自分の利益ばかりを求めないで、人の過ちを許し、広く公のことに眼を向けよ。裁判が偏らないように、賞罰は公平であるように、仕事をなおざりにしないように、民を使う時をよく考えよ、の意味である。
制定は、推古天皇の十二年、(西暦604年)であるから、1410年前のことである。時代の変遷を知ることが出来るが、言わんとしていることは今でも共通しており、よく分かる。
人が集まると必ずといってよい程、人間関係にひずみが生じ、軋轢を産む。利害関係の違いや、思惑の違いが原因となるが、関係が悪くなっても、物理的環境で狭い空間の中では退避することができない。和が大切といった意味が飛行士に対し、率直に通じたかどうかは判らないが、和が大切なことは、「合わせる」ことがその手段であり、「選び」の文化とは根本的に異なる。自己を大切にするあまり、他人との関係を絶つ世界では、和は生まれてこないであろう。他人を尊重し、敬うことによって初めて和ができる。相手の立場に立つことの意識が希薄になっていないか考えさせる言葉である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます