師走に入り、無職の身にもなんとなく気ぜわしくなってきたようである。自分の関係する忘年会開催のうわさは、ちらりほらり聞こえてくる。例年に比べ、気乗りしない主な原因は、新型コロナウイルスの蔓延で、今の時期、宴会どころではなく、マスク装着や集まった仲間との距離を取っての会食には、不自然さがあり、親密さの形成とは真逆の防御体制というべき、拒絶の様相を助長するのでは様にならない。
しかしながら、我々の年代では、何らかの持病と共存し、それなりに生活しているとしても、外野の喧騒は耳障りである。盛んに言われることの一つに、糖尿病や高血圧の既往症(基礎疾患)を持つ者にとっては、居づらくなってきたことであろう。親族や家族に対しても、実際、ゼロでない感染リスクの伝染可能性を示唆されており、その可能性が誇張され、恰も反発できない重苦しさを強要されている。その多くは、マスコミにあり、それを作り出すニュースショーの類(たぐい)である。例えば、外出の自粛や、遠出についても不要不急と指摘され、会話における、唾の飛散、密室環境での行動の制限等はまるで加害者となり、犯罪者のごとく、枷をかけられたような印象を与えられ、連日、刷り込まれているようで、まるでテレビドラマに登場する、警察官役の、誘導尋問にかけられたような、精神的な不安定さを感じさせられている。このことは、言葉による一種の暴力であり、脅しである。専門家と称する、発言の影響を考えない、口から出まかせの責任を取らないコメンテーターの横暴であろう。
本来は、新型コロナウイルスの撲滅が最優先であり、ベクトルはコロナウイルス感染の終息にあるべきであるのが、本末転倒で、個人に的が向けられ、個人攻撃が多発している。発散できない重苦しさは、具体的には、暴力行為を誘発し、その形は、カスタマーハラスメント、パワーハラスメント、DV(ドメステックバイオレンス)となって、暴力が頻発している。一方では、精神的な鬱や自殺者が増える傾向にあるといわれている。ワクチンの開発は急がねばならず、発病すれば、適切な治療と回復に全面的に対応すべき医療体制の強化が望まれている。
その防疫はインフルエンザと同様に、今までコロナウイルスに罹患したと思われる場所や環境へは、近づかず、室内に於いては換気を行い、三蜜(密閉、密集、密接)を防ぐことにある。特に手洗いの励行、マスクの装着、ソーシャルディスタンスを取ることが求められている。最近では、下水からウイルスが見つかったと報じられているし、院内感染の原因は、トイレの共同利用や、トイレでの下足が原因との説もある。自宅ではトイレのスリッパは室内履きのスリッパと別にしているが、共同利用のトイレスリッパは不可能に近い。
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