(5)二木の松・道祖神社
そこから白石ICまで高速道路を通り、11時、宮城県岩沼市の竹駒神社(岩沼市稲荷町1‐1、0223‐22‐2101)に着いた。小野篁が842年に陸奥守として着任する時、祈願した神社と言う。神社は稲荷社で大きいものだが、鉄筋造りで新しい。そこの売店でソバを食べながら、おばさんに武隈(たけくま)の松、あるいは二木(ふたぎ)の松とよばれる松の場所を聞く。教えてもらった神社の横手方向3分くらいの所に、根元から2本に分かれた7代目の松があった。古くから歌に詠まれてきた所で橘李通の歌碑には
武隈の松はふた木を都人いかがと問はばみきとこたへむ 橘季通
とあり、芭蕉の句碑には
桜より松には二木を三月越し 芭蕉
とある。江戸を出る時に二木の松の辺りで遅桜でしょうか、と送られたことに対し、ここに来るのに三月越しになったと詠っているのである。
次いで名取市にある道祖神社(名取市愛島笠島字西台1‐10、022-382‐3887)に行く。日本武尊が東征の折、ここに祈願したとされ、また藤中将実方がここで落馬して亡くなったといういわれのある場所だ。政争に敗れた実方は995年、陸奥守に左遷されてこの地に来た三六歌仙の一人である。
くねくねとした山道のような所を通って着いた神社は、ひっそりとしていて人もなく、ホトトギスが鳴いていた。西行も訪れたこの地を、芭蕉は探し求めながら五月雨にぬかる道のために諦めて素通りしている。
笠島はいずこさ五月のぬかり道 芭蕉
朽ちもせぬ其名ばかりをとゞめおきてかれのゝ薄かたみにぞみる
西行
西行の歌は実方の墓の薄を詠ったものである。この神社は1602年に焼失したが、元禄13年(1700年)、藩主伊達綱村により再興されている。
われわれは、仙台空港付近の津波被災地跡をぐるりと一巡りして、その惨状の一端をみた。
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