18~19歳の頃、空手が嫌になって一度足を洗った事がある。
山ほどあった空手雑誌もまとめて捨てたりして・・・
上京する前だったので、田舎で自分を縛っていた一切合財を清算して、人生ゼロリセットでもするつもりだった。
それは事実だが、実際は遊ぶのに忙しくなった、というのも要素として大きい。
人生を切り開いてゆかなければならない疾風怒濤の日々の中、再度空手の世界に引き戻したキッカケは、その頃盛んになってきた「空手vsキック」の流れであった。
その発端となったのが 、マーシャルアーツのドン・ナカヤ・ニールセンと、正道会館の佐竹が闘った試合である。
当時の佐竹は、全日本を3連覇した川地に次ぐ関西の強豪であったが、本流である極真カラテの選手ではなかったため、名前を知る者は少なかった。
佐竹はリング上での初試合で、プロ空手の選手にKO勝利し、「実戦カラテ強し」のイメージを格闘技界に印象付けた。
次いでプロ格闘家に挑戦したのが、慧舟会(けいしゅうかい)を旗揚げして間もなかった西 良典である。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%89%AF%E5%85%B8
この人は元々、大道塾という面を付けて殴り合う団体のトップクラスの選手であったが、ライバルであった長田賢一がムエタイのリングでKO負けしたのをきっかけに、グローブテクニックの必要性を唱えた末、独立した人であった。
私は極真の道場生であったが、大道塾の西選手をひそかに応援していたものである。地味で不器用ではあるが、勝利への執念深さ、ライバル長田選手を封じ込める投げ技など、魅力がある選手だったのだ。
その西が、キックの帝王・ロブ・カーマンと闘うという。
「あの人がカーマンと・・・・!?」
私は、もう現役としては完全に終わった感のある彼が、キックの最強王者として君臨するカーマンに挑戦する姿勢に、完全に打ちのめされた事を昨日の事のようにハッキリ覚えている。
勝負は、あっけなくついた。
1R、カーマンの右ストレートをカウンターで喰らい、失神KO負け。
・・・残念だった。
しかしこの一戦が私の闘争心に再び火を付け、空手の稽古をもう一度やろうと決心させた出来事だったのである。
彼は負けてしまったが、その熱き想いは私に充分伝わったのである。
あれから20年、私はまだ空手をやっている。
西選手のあの一戦を思い出しながら・・・・
(100930 手前私 赤グローブ沼澤師範代とスパー中)http://blog.livedoor.jp/jcm800zakk/archives/51947826.html