嫁の実家で飼っていた犬、カズ。(110312、被災翌日に救出後の写真)
こいつの出自をたどると、私の実家で飼っていたビーグル犬「ダンコ」に繋がっていきます。
ダンコはメスで、ある日どこか近所の犬と子供を作り、5匹の赤ちゃんを産みました。
天使のように可愛い子犬を保険所で処分するなど絶対出来ません。
なんとか貰い手を確保したのですが、その中の一人に嫁の実家があり、1匹貰ってくれる事になりました。
それで、我々がその模様からあだなで「牛」と呼んでいた子犬は嫁の実家で飼われる事になりました。
1月3日生まれであった事から、当初「カズミ」と呼ばれていましたが、その後
略されて「カズ」が通称になりました。
カズはうちの息子と同い年(生まれはカズの方が早い)なので、今年すでに14歳、海岸に吹き付ける寒風を耐え忍び、飼い犬として必ずしも特別な愛情や躾を注がれて育ったわけではありませんでした。(あまりかまわれなかった)
こいつはとにかく昼間はず~っと昼寝してました。
今まで構ってくれる人も無く、定期的な散歩に連れてってもらえるわけでもなかったから、昼寝するしか愉しみが無かったんでしょう。
そんなある日の3.11。押し寄せる津波からカズを助けたのは大じい様でした。
大じい様は助けて逃げる際、もう足元に来ていた波に足をすくわれ転倒・骨折。
嫁の実家家族は助かりましたが(家は全壊)、避難所で犬は飼えません。
そこで白羽の矢が当たったのが私のところで、元々は私の実家で生まれた犬という事もあり、急遽ウチで面倒を見ることになりました。
しかし14歳の高齢犬、この歳では躾ももう無理だろうし、環境の変化に付いていけるだろうか・・・との不安がありました。
カズを飼うようになり、ある意味犬中心の生活になっていきました。
なにせまず糞尿、食事、散歩、医療、住管理の面倒などなど・・・子供がもうひとり出来たようなせわしさです。
そして、ウチは共稼ぎなので、昼間お散歩に連れてってやれません。
帰ってくると綺麗だった庭のあちこちにウンコやションベン、その匂い・・・
だんだん我が家が「スラム化」してゆくのが判りました。
震災の閉塞感もあり、私も戸惑っていました。カズもそうだったでしょう。
しかしやはり犬は可愛い。無駄吠えを怒ったあとでも、ハグして「よしよし」と愛情を込めて・・・
我がままで、人の言う事を聞くと言う事はありませんでしたが、そういう風に育っちゃったんだから仕方ないという感じで可愛がっていました。
少しずつ、時間をかけ互いを理解をしていきました。
しかし、高齢と言う事もあり、病魔は確実に身体を蝕んでいたのでしょう。
引き取ってから数日後、てんかん持ちである事が判り、定期的に発作が出るようになりました。
動物病院で処方された発作用の薬は飲んでおり、リズミカルに歩く姿からは死期が近付いているとは思いもよりませんでした。
今日、私が庭木の手入れの片づけをしていると、昼寝をしているカズが足をバタバタさせはじめました。
てんかん発作のパターンです。発作を起こした際は暴れて怪我をしてしまうので、手足を押さえつけておかなくてはなりません。ヘルニアのため腰が凄く痛かったのですが、こちらも必死で頑張ります。
しかし、今日の発作は今までにない特別長い発作でした。
30分以上痙攣が続き、脱糞、放尿、泡吹きも伴いました。
嫁は中学校のバザーに行っていて、手を借りられません。(しかも歩きで行っておりすぐに帰宅できない状態)
しかし明らかにいつもと違う長い発作、こっちも焦って電話口で嫁に「全速力で走って帰ってこい!!」と怒鳴りました。
嫁が着いた頃にはこっちも疲労困憊、腰痛でヘトヘトの状態で、嫁にカズを病院に連れて行ってもらいました。
てんかん発作が始まると、意識不明になります。そのままの状態で先生に診てもらうと、結論から言うと脳腫瘍で、最初のてんかん発作からの周期から考えて、今夜がヤマだろうと言われました。
判りませんでしたがてんかんも、要するに脳腫瘍からきていた症状のようです。
その後、病院で点滴や注射等してもらったのですが、呼吸が小さくなってゆき、意識不明のまま永眠しました。
それを聞いた時、カズの子犬の頃の姿や子供だった頃の姿、豊間の海風の寒さに耐える姿、そしてこの半年の最期の共同生活の事を考え、涙があふれました。
冷たくなったカズを何度も何度も、なでてやりました。
カズ、ここでの暮らしは楽しかったかい?
食べ物は美味しかったかい?
お散歩は楽しかったかい?
お風呂は気持ち良かったかい?
カズ、もう寝る時間だよ・・・
命の終わりがこんなにもあっけなく、はかないなんて、ただ涙しかでません。
私は、カズの余生になにがしかの貢献が出来たでしょうか。
幸せな余生だったのだろうか。
カズ、ありがとう。それだけだ。でも寂しくてたまらない気持になる。
経験した事の無いような喪失感、虚脱感に襲われ、無気力になっていた時、兄からメールが届きました。
「ペットは飼い主と過ごした日々に感謝しているという」
この簡潔な励ましで、少し気が楽になりました。