8月5日ー2
次は祇王寺です。ここは、前に権太呂を探した時に通った道で、あまりにも狭いので不安な気持ちで聞きながら行きました。坂を上った所で行き止まりになったので駐車しましたが、他に車は全く来ません。新聞配達の青年が突き当たりの小さな門を入って行ったので、普通の住宅かと思い大きな門をくぐりました。入場料を払って中を見ているうちに、様子が違うと感じてパンフレットを見たら壇林寺と書いてありました。そこを出てさっきの小さな門の方に入り、竹林の中を登って行きやっと目当ての祇王寺に着くことができました。うっそうとした竹林の中に、ほんとうにひっそりと建っているのです。
普通の家より小さいくらいの大きさですが、その中に平清盛にまつわる薄倖の女性の物語を秘める故に、現代の女性にとっても関心の深いお寺なのかも知れません。平清盛を真ん中に、祇王、祇女、母刃自、仏御前の座像があり、その前に香が焚かれていました。説明のテープが繰り返し話していました。突き当たりの障子に丸窓と竹枠の影がうつり、和風の風流なシーンでした。
清涼寺へ行った時は5時を回り閉門となっていました。くぐり戸が開いていたので中に入り、聖徳太子殿、法然上人像、二重の塔、仁王門等を写真に撮って帰りました。最後に嵐山を望み、渡月橋を渡りました。時代劇の撮影に使われるだけあって、昔を彷彿させる橋を感慨深く渡りました。上流は保津川で、下流は桂川となり、更に下れば祇園先斗町を流れる淀川と合流するそうです。帰り道で東映の映画村の前を通り、時代劇を沢山生む場所を垣間見ることができました。
これで二日間の京都探索が終わりました。二日間京都を往来して、大きな通りの今出川通り、丸太町通り、烏丸通り等碁盤の目は地図と共に頭に入りましたが、大通りから一歩中に入ると、戦火を免れた昔ながらの京の風情を残す通りは、狭い道でした。歴史のあとをそのまま残したような街並みとなるのです。
明日は京都とも別れるので、名残を惜しみ夜の街に出かけました。三条通りから四条通にかけて河原町を歩き、鴨川の橋のたもとから先斗町へ入りました。川に沿って一軒ごとにビアガーデンが作られ、涼を求めた客で賑わっていました。道路向かいは、落ち着いた店構えの料理屋さんが軒を連ねていましたが、客の出入りはビアガーデンと対照的に静かでした。
そこを離れて祇園へ行き、大通りに店が続いている中の大原女屋さんに入り夫婦善哉を注文しました。白あんと小豆あんの二つのおしるこでした。有名な南座の看板とのぼりをみて帰路に着きましたが、タクシーが二条城のそばを通ったので、次の機会には是非訪れたいと思ったのでした。仙台からは少し遠い存在ではありますが、季節ごとに違った風景を演出する京都に何度も来たいと心に願いました。大文字は左大文字右大文字とあり、それも街からはっきり見えるのも驚きの一つでした。京都は、アメリカが意図して攻撃をしなかった大切な遺産なので、歴史的な諸行事も季節を追って行われています。観光客が、簡単に昔を偲べる貴重な建造物が博物館のように豊富に揃っています。その他、食べ物やお菓子の文化も保存され人気の的になっています。昔の首都、宮廷文化の粋を残し、日本人のルーツを偲ばせるすばらしい都市を改めて日本の誇りだと思いました。
次は祇王寺です。ここは、前に権太呂を探した時に通った道で、あまりにも狭いので不安な気持ちで聞きながら行きました。坂を上った所で行き止まりになったので駐車しましたが、他に車は全く来ません。新聞配達の青年が突き当たりの小さな門を入って行ったので、普通の住宅かと思い大きな門をくぐりました。入場料を払って中を見ているうちに、様子が違うと感じてパンフレットを見たら壇林寺と書いてありました。そこを出てさっきの小さな門の方に入り、竹林の中を登って行きやっと目当ての祇王寺に着くことができました。うっそうとした竹林の中に、ほんとうにひっそりと建っているのです。
普通の家より小さいくらいの大きさですが、その中に平清盛にまつわる薄倖の女性の物語を秘める故に、現代の女性にとっても関心の深いお寺なのかも知れません。平清盛を真ん中に、祇王、祇女、母刃自、仏御前の座像があり、その前に香が焚かれていました。説明のテープが繰り返し話していました。突き当たりの障子に丸窓と竹枠の影がうつり、和風の風流なシーンでした。
清涼寺へ行った時は5時を回り閉門となっていました。くぐり戸が開いていたので中に入り、聖徳太子殿、法然上人像、二重の塔、仁王門等を写真に撮って帰りました。最後に嵐山を望み、渡月橋を渡りました。時代劇の撮影に使われるだけあって、昔を彷彿させる橋を感慨深く渡りました。上流は保津川で、下流は桂川となり、更に下れば祇園先斗町を流れる淀川と合流するそうです。帰り道で東映の映画村の前を通り、時代劇を沢山生む場所を垣間見ることができました。
これで二日間の京都探索が終わりました。二日間京都を往来して、大きな通りの今出川通り、丸太町通り、烏丸通り等碁盤の目は地図と共に頭に入りましたが、大通りから一歩中に入ると、戦火を免れた昔ながらの京の風情を残す通りは、狭い道でした。歴史のあとをそのまま残したような街並みとなるのです。
明日は京都とも別れるので、名残を惜しみ夜の街に出かけました。三条通りから四条通にかけて河原町を歩き、鴨川の橋のたもとから先斗町へ入りました。川に沿って一軒ごとにビアガーデンが作られ、涼を求めた客で賑わっていました。道路向かいは、落ち着いた店構えの料理屋さんが軒を連ねていましたが、客の出入りはビアガーデンと対照的に静かでした。
そこを離れて祇園へ行き、大通りに店が続いている中の大原女屋さんに入り夫婦善哉を注文しました。白あんと小豆あんの二つのおしるこでした。有名な南座の看板とのぼりをみて帰路に着きましたが、タクシーが二条城のそばを通ったので、次の機会には是非訪れたいと思ったのでした。仙台からは少し遠い存在ではありますが、季節ごとに違った風景を演出する京都に何度も来たいと心に願いました。大文字は左大文字右大文字とあり、それも街からはっきり見えるのも驚きの一つでした。京都は、アメリカが意図して攻撃をしなかった大切な遺産なので、歴史的な諸行事も季節を追って行われています。観光客が、簡単に昔を偲べる貴重な建造物が博物館のように豊富に揃っています。その他、食べ物やお菓子の文化も保存され人気の的になっています。昔の首都、宮廷文化の粋を残し、日本人のルーツを偲ばせるすばらしい都市を改めて日本の誇りだと思いました。