8月6日 帰途
京都に来て四日目、いよいよ京都を去る日です。京都の印象として持っていた夏の暑さは、ついぞ感じないで過ごせました。毎日が快適指数気温のだったことに心から感謝したい気持でした。見学しながら考えたことは、日本は神社仏閣が各地に建てられ、参詣する人も沢山いるので信心深い国民だと言われている一方、”困った時の神頼み”とか”他力本願”だとも言われるようです。参拝する時はご利益を信じてお参りするのでしょうか。旅のついでにお参りするという考えや、元朝詣り、安全祈願、学業成就等の目的の場合もあります。それが叶わなかった場合は、諦めたり、神も仏もないと恨んだりしてはいないでしょうか。日本には、仏教が入ってくる前に神教があり、現在も事初めー例えば、山開き、海開き、建築の初め、結婚式等で祈祷をして頂き、未来の幸運を祈る習慣が続いています。これも信心と祈りに違いありません。でも、祈っても最後は自分の自助努力にかかってくることを受け止めなければならないのではないかと思います。不幸に遭った時も、神仏を恨まず状況を受け止めるようにするべきなのではないかと気づかせられました。
最後に、老舗で有名な聖護院八橋本店でお土産を買い、「おおきに」に名残を惜しんで名神高速道に入りました。名古屋を過ぎると東名高速に入り北上します。その途中、琵琶湖がかすかに望むことができ広々とした湖に思いを馳せながら後にしました。静岡の浜名湖で休憩をとり、三保の松原へ向かいました。東名高速の静岡から降りて久能街道を海岸沿いに走りましたが、イチゴ栽培の石垣がずっと続いているのを見ることができました。左手の方に東照宮のある日本平久能山を見ながら夕方旅館松原荘に着きました。
8月7日
朝、食事の前に羽衣の松を見に行きました。羽衣を掛けたという松は、松らしい威厳は感じましたが、やはりコンクリートの柱で支えられており、歴史の証人という印象でした。近くの茶屋のそばに、フランス語で書いた羽衣の碑があり、フランスにも羽衣のメルヘンを理解した人がいたのだろうかと思いました。旅館をチェックアウトして清水灯台へ行きました。そこからは、富士山の姿がくっきりと見え、葛飾北斎の版画を思い出させる素晴らしい光景でした。
次に、東洋一と言われる東海大付属水族館へ行きました。入ってすぐ、2階までに及ぶ大水槽が私たちをびっくりさせました。中では海流に乗って様々な大きさの沢山の魚が泳いでいました。小さい案内板に沿って歩いて行くと、水槽の陰で働いている裏方さんの姿も見えました。あの想像もつかないような大きな水槽を作った人や、それを維持している人々ですが、その姿からは、働く喜びも感じ取られ、感射の気持ちが湧いてきました。
このあと次郎長の菩提所梅陰禅寺へ行きました。ここは清水市の大きな観光源ではないかと感じました。大そてつで有名な龍華寺では、一面に生えているように見えたそてつが、雌雄の2株だけと聞き、これも長年の歴史が感じられ、植物の寿命に感心しました。
最後に登呂を見学しました。竪穴住居や倉庫がいくつも復元され1つの集落を作っているのを見ると、日本の歴史の曙を目の当たりにする思いがしました。今とは全く異なる単純な昔の生活が、しみじみと仮想上に再現していくようでした。
登呂の近くから東名高速に入り日本坂トンネルを通りました。大きな火災事故のあったところという思いを秘めながら通り過ぎました。ところが、出口に近付くにつれ渋滞が始まっていました。
何車線もあるのにぎっしりと詰まり、首都高速に入っても渋滞は続き、高速道と言う名がいかにも空しくいらいらするばかりでした。下の一般道が空いているのを見ると尚その矛盾を感じました。
首都高にいる間に日が暮れ、ネオンが輝き出しました。首都高速5号線に出てやっと普通に走り浦和に出た時は8時半になっていました。勿論ホテルでも食事を準備して待っていて下さいましたが、二男は疲れのためかどうか取らずに寝てしまいました。
8月8日
東北自動車道は、東名ほど神経を使わずに済む雰囲気でしたが、制限時速を遵守しているパトカーの後ろに車が数珠つなぎになった時は、初めての経験でこういうこともありと笑っていました。登坂車線にパトカーが道を明けたあとは、車の一群は、そろりそろりとスピードを出し、パトカーの視野から離れた辺りから元のスピードで走り始めました。
追記
延々一週間の「京の旅」の記録をお読み頂きありがとうございました。三十余年も前のことで
読んで改めてよみがえった所もありました。記憶がうすれていたところもあり、間違いがあった らと懸念しています。今の事情はこれとどのように変わったかということにも関心がありまし た。高速道の渋滞もその一つで取り上げました。
この旅行の後は、共済組合の宿になっている ”花のいえ”に宿泊し、見たかった施設を見ま したが、紀行文は書きませんでした。”花のいえ”は、京都の渡月橋の近くにある豪商屋敷角倉 家を改装して営業しています。この度の豪雨で、5年前に引き続き被災なさっているのではない かと心を傷めております。心からお見舞い申し上げ、筆を置かせて頂きます。読後の感想をお寄 せ頂ければ幸いです。
京都に来て四日目、いよいよ京都を去る日です。京都の印象として持っていた夏の暑さは、ついぞ感じないで過ごせました。毎日が快適指数気温のだったことに心から感謝したい気持でした。見学しながら考えたことは、日本は神社仏閣が各地に建てられ、参詣する人も沢山いるので信心深い国民だと言われている一方、”困った時の神頼み”とか”他力本願”だとも言われるようです。参拝する時はご利益を信じてお参りするのでしょうか。旅のついでにお参りするという考えや、元朝詣り、安全祈願、学業成就等の目的の場合もあります。それが叶わなかった場合は、諦めたり、神も仏もないと恨んだりしてはいないでしょうか。日本には、仏教が入ってくる前に神教があり、現在も事初めー例えば、山開き、海開き、建築の初め、結婚式等で祈祷をして頂き、未来の幸運を祈る習慣が続いています。これも信心と祈りに違いありません。でも、祈っても最後は自分の自助努力にかかってくることを受け止めなければならないのではないかと思います。不幸に遭った時も、神仏を恨まず状況を受け止めるようにするべきなのではないかと気づかせられました。
最後に、老舗で有名な聖護院八橋本店でお土産を買い、「おおきに」に名残を惜しんで名神高速道に入りました。名古屋を過ぎると東名高速に入り北上します。その途中、琵琶湖がかすかに望むことができ広々とした湖に思いを馳せながら後にしました。静岡の浜名湖で休憩をとり、三保の松原へ向かいました。東名高速の静岡から降りて久能街道を海岸沿いに走りましたが、イチゴ栽培の石垣がずっと続いているのを見ることができました。左手の方に東照宮のある日本平久能山を見ながら夕方旅館松原荘に着きました。
8月7日
朝、食事の前に羽衣の松を見に行きました。羽衣を掛けたという松は、松らしい威厳は感じましたが、やはりコンクリートの柱で支えられており、歴史の証人という印象でした。近くの茶屋のそばに、フランス語で書いた羽衣の碑があり、フランスにも羽衣のメルヘンを理解した人がいたのだろうかと思いました。旅館をチェックアウトして清水灯台へ行きました。そこからは、富士山の姿がくっきりと見え、葛飾北斎の版画を思い出させる素晴らしい光景でした。
次に、東洋一と言われる東海大付属水族館へ行きました。入ってすぐ、2階までに及ぶ大水槽が私たちをびっくりさせました。中では海流に乗って様々な大きさの沢山の魚が泳いでいました。小さい案内板に沿って歩いて行くと、水槽の陰で働いている裏方さんの姿も見えました。あの想像もつかないような大きな水槽を作った人や、それを維持している人々ですが、その姿からは、働く喜びも感じ取られ、感射の気持ちが湧いてきました。
このあと次郎長の菩提所梅陰禅寺へ行きました。ここは清水市の大きな観光源ではないかと感じました。大そてつで有名な龍華寺では、一面に生えているように見えたそてつが、雌雄の2株だけと聞き、これも長年の歴史が感じられ、植物の寿命に感心しました。
最後に登呂を見学しました。竪穴住居や倉庫がいくつも復元され1つの集落を作っているのを見ると、日本の歴史の曙を目の当たりにする思いがしました。今とは全く異なる単純な昔の生活が、しみじみと仮想上に再現していくようでした。
登呂の近くから東名高速に入り日本坂トンネルを通りました。大きな火災事故のあったところという思いを秘めながら通り過ぎました。ところが、出口に近付くにつれ渋滞が始まっていました。
何車線もあるのにぎっしりと詰まり、首都高速に入っても渋滞は続き、高速道と言う名がいかにも空しくいらいらするばかりでした。下の一般道が空いているのを見ると尚その矛盾を感じました。
首都高にいる間に日が暮れ、ネオンが輝き出しました。首都高速5号線に出てやっと普通に走り浦和に出た時は8時半になっていました。勿論ホテルでも食事を準備して待っていて下さいましたが、二男は疲れのためかどうか取らずに寝てしまいました。
8月8日
東北自動車道は、東名ほど神経を使わずに済む雰囲気でしたが、制限時速を遵守しているパトカーの後ろに車が数珠つなぎになった時は、初めての経験でこういうこともありと笑っていました。登坂車線にパトカーが道を明けたあとは、車の一群は、そろりそろりとスピードを出し、パトカーの視野から離れた辺りから元のスピードで走り始めました。
追記
延々一週間の「京の旅」の記録をお読み頂きありがとうございました。三十余年も前のことで
読んで改めてよみがえった所もありました。記憶がうすれていたところもあり、間違いがあった らと懸念しています。今の事情はこれとどのように変わったかということにも関心がありまし た。高速道の渋滞もその一つで取り上げました。
この旅行の後は、共済組合の宿になっている ”花のいえ”に宿泊し、見たかった施設を見ま したが、紀行文は書きませんでした。”花のいえ”は、京都の渡月橋の近くにある豪商屋敷角倉 家を改装して営業しています。この度の豪雨で、5年前に引き続き被災なさっているのではない かと心を傷めております。心からお見舞い申し上げ、筆を置かせて頂きます。読後の感想をお寄 せ頂ければ幸いです。