カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

「自然とゆる山歩き・・・その1」赤岩寺

2025-03-12 19:33:08 | Weblog

時々は奥方様に出掛けさせるために、自分が行った所で見て歩けそうな場所を選びました。

豊橋市多米町にある赤岩寺です。私は二度くらい来たお寺で、山の上の赤岩城跡が目当てで来ていました。

私もじっくり見ていないので、二人で散策です。

時々見ますが、手水舎の龍が格好よくて好きですね。

伐採した木だと思います。何にするのかな?

お寺の裏へ上がって行きます。

ここにもありました。

砂防ダムや赤岩城は急なので、こうした階段や山道を避けて、緩やかな道で、お寺の南西側にある展望台へ向かいました。

左下の丸い所にある展望台です。←あっち・・・。

撮影に夢中になっていると、奥方様に置いて行かれそうです。

展望台です。

展望台だから、もちろん上がって景色を見ます。

豊橋市街地が見えます。

景色を見たので戻ります。

お寺が見えました。

所々で花も見れました。

仁王門です。

赤岩寺を歩きました・・・。

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「浜松市史跡だけ巡り・・・②」

2025-03-11 20:07:21 | Weblog

浜松市は広い。だからまだ行けていない所は多いはず。

2024年4月下旬、出掛けたついでに少しだけ寄ってきました。

浜松市中央区鹿谷町にある犀ヶ崖古戦場。何度か来ています。ただ史跡を見たくなったら、浜松城からも近いので、すぐに寄れます。

三方ヶ原の戦いにおける犀ヶ崖の戦いのエピソードがどこまで事実なのか分かりませんが、今残っているこの崖の一部もけっこう深いです。

一度下へ行ってみようかな。

資料館です。こんなに新しくない時に入って説明を受けたことがあります。今回はスルー。

本多肥後守忠真は、本多平八郎忠勝の叔父で、三方ケ原の戦いで討死した武将のひとりです。

ここから次の目的地へ行く途中、浜松城ではないお城を見つけました。

こじんまりとしたお城ですが・・・。堅牢な建物なので、そう簡単に落城しないと思います。

浜松城公園前交番でした。

次にやって来たのは、中央区三組町にある浜松秋葉神社です。井伊家ゆかりの地だそうです。

奥平信昌の屋敷に建立。「井伊の赤備え」発祥の地、らしいです。

ここから帰り道で見かけた場所がありました。

根上がりの松。樹齢200年と推定される2本のクロマツで、根の部分が2m以上も地表から浮き上がっているそうです。

・・・だそうです。

あれかな?

どこかにあるはず。

佐鳴湖にやって来ました。築山殿の最後の地です。

 

そんな場所とは思えない長閑な景色。

佐鳴湖でした。

ここで帰宅でしたが、佐鳴湖へ来る前にケーキ屋へ寄っていました。史跡とは関係ないですが、出掛けたら寄りたい場所であります。

佐鳴台2丁目にある、ル・シェルブルーと言うケーキ屋さんです。

珍しくロールケーキにしました。

ああ、一本全部食べたい!

もちろん、みんなで食べました。

「浜松市史跡だけ巡り・・・②」終了です。

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桜の季節かな?

2025-03-10 18:34:50 | Weblog

河津桜は終わったみたいだけど、掛川へ行ったら桜らしき姿が見られました。

先日の土曜日、仕事で行った掛川市で、ついでに掛川城下の史跡を回ろうと思い、掛川城へ行ったら、濃いピンクの桜らしき花が咲いておりました。種類は何だろうと思い、帰って調べたら、掛川桜らしいです。知らなかったなあ。

ばらつきはあるものの、綺麗に咲いている木もあり、掛川城と一緒に撮ろうと思いましたが、上手く撮れませんでした。

次はどこへ行ったら、桜とお城が撮れるかなあ・・・?

桜の開花に合わせて行くのも難しい。

ちょうど休みの日に当たればいいなあ・・・。

調べてみよう。

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「浜松市史跡だけ巡り・・・①」

2025-03-09 18:59:33 | Weblog

浜松市は、仕事も含めてよく出掛ける自分にとって身近な街です。だから史跡、城跡巡りでもネットでいろいろ探して出掛けています。

そんな中、2024年4月中旬に出掛けたのが、今回の「浜松市史跡だけ巡り」のその①です。

浜松市中央区頭陀寺町の南北に走る中郡福塚線と、斜めに走る国道150号線が交差する頭陀寺町北交差点のすぐ東側を、南北に走っていた旧掛塚街道の名残りの道を入ると、右手奥に小さな神社があります。

この画像の左下を見てください。

豊臣秀吉鎌研池跡とあります。

こんなところに?と思ってしまいました。

 豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3月(1533年)より永禄元年4月(1558年)の間、下僕として奉公していたそうです。

藤吉郎が馬草を刈るのに、池のはたで鎌を研ぎ試し切りのため、池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになったという説が「遠州七不思議」のひとつとして残されているそうです。また松葉で手裏剣の練習をしたその松葉がメダカの目に刺さったので、池には片目のメダカが見られるようになったと言い伝えがあるそうです。

浜松市で秀吉の史跡があるとは思いませんでした。

ここから少し上がって東側へ走ると、国道1号線の西側に飯田町があります。

駒塚。源範頼公の愛馬を葬った駒塚です。

駒塚のある道から一本北側の道へ行きました。

龍泉寺の入り口にこんな標柱がありました。飯田小学校は、この奥の龍泉寺の東側にあります。

そしてこの右手に、先ほどの駒塚の主人公の供養塔があります。

行ってみました。

源範頼。源頼朝の異母弟です。この時代の史跡もあるんですね。

さらにここからずずっと2kmほど北へ移動すると、浜松市中央区篠ケ瀬町。増福寺の南西側の道路脇です。

増福寺には江戸時代に落下したと言われる隕石が伝わっています。落下年代は諸説ありますが、1700年前後のことと思われます。隕石は、現在、浜松科学館で展示・保管されています。

アルマゲドンか、それとも未知との遭遇か、はたまた宇宙戦争の前兆か?T・クルーズの出番なのか?

これも史跡と言えますかね。

とにかくいろいろありました。

「浜松市史跡だけ巡り・・・①」終了です。

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「桜と城2024&御城印・・・その10」上郷SA(帰り)

2025-03-08 21:09:24 | Weblog

黒田城から南へ下りながら国道22号へ移り道なりに南下。途中で高速の下道をさらに進むと一宮市から北名古屋市へ。そして車は北名古屋市から清須市へ入りました。

そう目指していたのは清州城。御城印目当てで向かっていました。

向かっていました・・・。

ところが、ナビ通りに清州東ICの下で右折して、さらにその先で側道へ入りましたが、目の前には車の渋滞。ピタッと止まってしまいました。進むには進むけれど、国会の牛歩戦術のように、先の信号の左折を一台ずつくらいしか進めない状態。渋滞が進む先が左手の方の道路にあり、反対向きに進んで行くが、数メートルですぐ停車するありさま。このままでは夜になってしまう。多分清州城も桜祭りなんだろう。私たちは夜桜を見る余裕もないので、ここで渋滞から離脱、結局ICまで戻り、高速に乗りました。

ああ、残念。

帰りも休憩は上郷SAでした。残念な気持ちで運転していると、余計に疲れた気分になります。

慣れない店は入りません。だからいつまでも慣れません。

休憩、休憩。

飲み物。

食べ物。

残念な気持ちをこれで晴らします。

買った飲み物は、これで購入しました。

「所さんの目がテン!」で紹介されたみたいです。

何がユニークかと言うと、・・・何だったかな?

「桜と城2024&御城印」終了となります。

来年、いや、今年も桜と城、企画しなくちゃ・・・。

ご訪問ありがとうございました。

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「桜と城2024&御城印・・・その9」城№521・・・黒田城

2025-03-07 19:30:06 | Weblog

岐阜市の川手城から南へ一気に下り、笠松町を経由して木曽川橋を渡り、愛知県一宮市に入りました。市街地方面である南東へ下って行きながら途中で左折し、名鉄名古屋本線を越えるとJRとの間に小学校があり、城跡を調べた限りではここが城跡の住所でした。

ナビが案内した小学校の位置が校舎の東側の名鉄寄りで、城跡らしき物が見えず、戻って東へ移動してやっと見つけました。

山内氏の紋です。仕事で着物を扱っているので、紋には馴染みがあります。

校舎、グランドの北側の水路(野府川)脇を進んで行くと、その先にJRの踏切があり、その手前の道を右折すると、グランドの北東角に城跡がありました。

黒田城。天文年間に城代として居城した山内盛豊の二男が、関ヶ原の後土佐藩主となった山内一豊です。

お子ちゃまの一豊です。

桜がありました。一応「桜と城」かな?

戻ります。

桜と城の黒田城でした。

さてと、次は御城印目指して清州へ行くぞ・・・。

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「桜と城2024&御城印・・・その8」城№520・・・川手城

2025-03-06 19:06:38 | Weblog

加納城から西へ進むとすぐに川があり、橋を渡って信号を右折して南へ、三本目の路地を左折すると高校があります。その高校の校舎とグランドの間(グランド側)に城跡がありました。

川手城。革手城ともありました。土岐氏の築城。

遺構はないので、画像もこれだけです。加納城からおよそ300mの所にある川手城でした。

次は、愛知県に入ります。

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「桜と城2024&御城印・・・その7」加納城

2025-03-05 19:07:37 | Weblog

スシローから南へ進んで、高山本線と名鉄各務原線を越えてから右折して市街地方面へ戻り、加納公園の駐車場へ入りました。

多少記憶にある景色です。

城主がいるんだ。

誰だろう?あの女の子か?

公園(本丸跡)の中は、家族連れで賑わっていました。

こちらは、城址見学です。

石垣の上からの景色です。

桜もあります。

加納城。1445年に斎藤氏が築いたのが始まりのようですが、一時廃城となり、関ヶ原の戦いの後、家康が岐阜城の替わりの築かせ、奥平氏を城主にしたそうです。その後城主は、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏がなったようです。

本丸を出て、外を見て回りました。

外側からの方が、立派な石垣が見れるからです。

城跡の東側には、テニスコートやグランドがありました。

お城と桜がコラボした加納城でした。

次は、初訪問の城跡へ向かいます。

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「桜と城2024&御城印・・・その6」昼食はスシロー

2025-03-04 18:38:10 | Weblog

岐阜公園からナビで選んだ昼食は・・・?

スシロー岐阜石長店。次の目的地から遠くなかったのでここにしました。

さほど待つことなく席につけました。

回転ずしへ行っても、最近は10皿も食べられないんですよね。二人とも60代だからお寿司を食べられるだけで満足。好きなものを頼んで、最後はデザートを頼みます。それでも10皿には至りません。

食事を済ませて駐車場へ。駐車場から見えるのは・・・?

岐阜城が見えました。桜は見えないけれど、お城が見れたスシローでした。

ええやん、スシロー。

次は、加納城。ここも2007年11月訪問以来です。

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「桜と城2024&御城印・・・その5」岐阜城と御城印・・・後編

2025-03-03 20:46:15 | Weblog

振り出しに戻るような感じで、岐阜公園の後編をお送りします。

この辺りの歴史については、ほぼ知識がないです。名前は分かりますけどね。

織田信長居館跡。

信長のことだから、金華山の麓に立派な居館があったんだろうなあ・・・。

発掘調査とか一緒にしてみたいなあ・・・。どこかであったら誘ってほしいです。

本木君の斎藤道三、良かったよね。(個人の見解です)・・・いつの話ですか?

けっこう広かったですね。段差もあるし、いい運動でした。

今回は、見るだけのロープウェイでした。

このエピソードは、功名が辻の時に知りました。・・・またまたいつの話じゃ。

岐阜城と桜と居館跡とロープウェイが見れた岐阜公園でした。

岐阜城御城印。収集第九十五号の御城印です。

歴史博物館の前の噴水を挟んだ向かい側にある金華茶屋でお団子を買って食べましたが、それだけでは足らないので、昼食の場所をナビで探しました。

奥方様と出かけるといつもの・・・。

・・・です。

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