<高天神城の戦い>
天正2年(1574年)と天正9年(1581年)に武田勝頼と徳川家康との間で行われた、高天神城における2度の攻城戦です。
第一次高天神城の戦い・・・天正元年(1573年)武田勝頼は、高天神城攻略の足掛かりとして馬場信房を遠江に派遣して諏訪原城の築城を始める。
天正2年(1574年)5月、武田軍は小山城を経由して高天神城を攻撃。
(小山城)
高天神城は、織田・徳川陣営の援軍がなく約60日後に開城し落とされた。
第二次高天神城の戦い・・・天正3年(1575年)5月、長篠の戦いにおいて武田軍は織田・徳川軍に大敗し、これ以降、二俣城や犬居城で徳川勢の反攻が始まった。
(二俣城)
(犬居城)
同年8月、徳川勢に高天神城の補給路だった諏訪原城が攻撃され開城。
天正6年(1578年)徳川勢は馬伏塚城に配していた大須賀康高に命じて、新規に横須賀城を築城させ、ここを拠点に武田方の高天神城への補給輸送を妨害。高天神城の兵糧は日々乏しくなっていった。
(馬伏塚城)
(横須賀城)
天正8年(1580年)8月までに「高天神城六砦」と呼ばれる小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦が完成し、これらの砦に囲まれ高天神城の補給路は断たれた。
天正9年(1581年)3月、兵糧攻めを受けていた武田方の城兵が打って出て激戦後に討ち取られ、城内での掃討戦で城は陥落した。
今回この「高天神城の戦い」に関連した「高天神六砦」を昨年11月に訪問して来たので、次回からその砦を順に紹介して行きます・・・。
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