カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

妻籠宿

2009-03-12 23:24:51 | Weblog
旧街道の宿場町は、所々残っていますが、私の地域は東海道。今回旅行で行ったのは、中山道・妻籠宿。途中馬籠宿の付近を通り過ぎ、妻籠へ。
以前、同じ中山道の太田宿(美濃加茂)に寄ったことがありますが、こちらの方がしっかり残っていて、見たり、食べたり、買い物したりがたくさん出来ると思います。
妻籠宿は長野県で、馬籠宿が岐阜県。県境にある宿場町で自分の計画でも妻籠も馬籠も近くの城巡りのルートの中に入れようと思っていましたが、妻籠は、外して計画を立てることにします。


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妻籠宿


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今一度・・・・城とは?

2009-03-09 23:54:14 | Weblog
戦国時代にどれ程の男達が自分の城を持ちたいと思ったか?
そのために戦い、策略を駆使して出世をし、ある者は城を手に入れ、ある者は散っていった。



少しずつ暖かくなってきた今日この頃。旅行の新聞広告やチラシには、桜の名所を巡る企画などが目につきます。
今小さな城を造って仕事を始めたばかりの私たちは、こんな広告を目にしても行きたい思いはあっても自重してしまいます。
しかしそれも小さな目標の一つとして城を大きくしていきたい、そんな思いも強くなります。



商売をすれば、当然敵が現れます。戦って相手の城を落城させたり、乗っ取ったりするわけではないですが、自分だけが儲かれば良いと思っている城主もいます。
そんな城主に屈することなく、自分の信念を貫き、地道に城を大きくして行こう・・・サービス業は、人からの本当の信頼を受けなければ成長しない。上辺だけのサービス、口だけの仕事では、信用も信頼も受けられない。



多くの人が集まってくる、人を見て集まってくる、そんな城を築いていけば、今の不況で暗くなっている時代にも、光が見えてくるのではないかと思っている今日この頃です・・・。

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夏の日の越前大野城

2009-03-07 00:46:32 | Weblog
暑い夏の日に越前大野城を訪れたので、大量の汗を流し、山道を息を切らしながら歩いて天守に登りました。
この城は、戦国武将の金森長近が織田信長からこの地を与えられて築城しました。
金森長近という武将、そんなに目立った存在として時代劇(大河ドラマなど)に登場してきません。でも実際は、信長・秀吉・家康と主君が替わってもしっかりと主要な戦に関わっています。そして飛騨高山や美濃などの大名として移り替わっていきます。まだまだ戦国武将の存在は奥が深いですね・・・。


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越前大野城


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一乗谷朝倉氏遺跡・・・再び

2009-03-03 23:36:19 | Weblog
意外と遠かった福井県。・・・最初にたどり着いた一乗谷朝倉氏遺跡。
二十数年前に訪れたことがあってもほとんど覚えていなかった。復原武家屋敷を見てから一乗谷川に架かる諏訪館橋を渡って朝倉氏遺跡へ・・・。
唐門をくぐると広い屋敷跡が・・・。
朝倉氏は、名門でしたが織田信長によって滅ぼされました。そんなに大きな町ではないこの地に、浅井氏とともにあの信長と敵対した武将がいたのか・・・と思うほどひっそりとした館跡でした。

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一乗谷朝倉氏遺跡(唐門)
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シリーズ ザ・城巡り ④ 掛川市城巡り 

2009-03-01 23:53:51 | Weblog
掛川市に最初に行ったのは、ガーデニングを始めた頃、近くにバラを売っているハウスがあったので通ったのが最初でした。そしてそこに城があることを知ったのは、城の写真を撮り始めた頃です。
何年か後に城巡りを初め、仕事でも2週間に一度掛川市を訪れるようになり、身近な城になりました。また大河ドラマで山内一豊が城主となったことでも知られるようになったのでは・・・?
高天神城と横須賀城は、城巡りを始めてからその存在を知りました。城巡りとしては、掛川城とは一緒に訪れて写真を撮ったのではないのですが、2008年2月の高天神・横須賀城城巡りの日に、掛川城の近くで昼食をとり、車窓から掛川城を眺めながら、郊外の城巡りをしましたのでまとめてみました。
歴史的に見て高天神城と横須賀城は、家康と武田の勢力争いの時に名前の出てくる城で、当然一豊が掛川城に入ったのは、家康が江戸に移封なった後ですよね。
ちなみに横須賀城の石垣(建物はないです)は、丸い石を積み上げて作ってあります。城の本に載っていて関心を持ったので行きたかったのでした・・・。珍だよね!

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掛川城
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