佐鳴湖へやって来ました。大刀洗の池からそんなに遠くないのですが、佐鳴湖は意外と広いので、湖畔と言っても車で行けるのは、いろいろな所があるので、帰路ついでの南東側へ行きました。
佐鳴湖。佐鳴湖公園として整備されているので、憩いの場所として訪れるのも良いかも・・・。
今回のミニツアーは、「どうする・・・・」の中でも、築山御前に関する場所がいくつかあり、架純ちゃんの築山御前(瀬名)を思い出しながらの投稿でした。
さあ、ケーキを買って帰りましょう・・・。
佐鳴湖へやって来ました。大刀洗の池からそんなに遠くないのですが、佐鳴湖は意外と広いので、湖畔と言っても車で行けるのは、いろいろな所があるので、帰路ついでの南東側へ行きました。
佐鳴湖。佐鳴湖公園として整備されているので、憩いの場所として訪れるのも良いかも・・・。
今回のミニツアーは、「どうする・・・・」の中でも、築山御前に関する場所がいくつかあり、架純ちゃんの築山御前(瀬名)を思い出しながらの投稿でした。
さあ、ケーキを買って帰りましょう・・・。
普済寺から北側の道路まで出て西進。歌謡坂(g…マップに載っていた名前)を通って高校の北側の交差点をそのまま直進、カーブしながら下って行きました。浜松市中央区佐鳴台5丁目、医療センターの前にやって来ました。南側は工事中、どこかに史跡があるはず・・・?
戻ったりしてもありません。
あらら、工事中。
大刀洗の池。築山御前が佐鳴湖畔で斬首され、その刀をこの池(どこにあるの?)で洗ったので、大刀洗の池と呼ばれているそうです。
工事が終わったらどうなっているのだろうか・・・?
今度行ってみよう・・・。
亀山トンネルの向こう側へ行きたいけれでも、そのまま真っすぐは車で行けないので、少し戻って回り道。ナビでついた所は、亀山トンネルの反対側、しかしそこに目的地の入り口はありませんでした。
やって来たのは、浜松市中央区広沢1丁目、そこにあるお寺、普済寺です。
普済寺は、三方ヶ原の戦い時に、浜松城が炎上しているかのように見せるため、家康によって焼かれ、その後、家康によって再建されたとのことです。
北山稲荷堂。
この道案内通りには来ていませんね。
もうすでに帰り道になっているのかな・・・?
浜松城の駐車場の北側、ホテルコンコルド浜松の前の道を西へ進むと・・・。
突き当りで車は前へ進めません。
そこに何があるかと言うと・・・。
もう少し右側です・・・。
これです。
トンネルです。
亀山トンネル。1964年(昭和39年)に廃線となった遠州鉄道奥山線で使われていたトンネルです。この上は、国道257号線です。
通れないので、少し戻って回り道して次へ向かいました・・・。
椿姫観音堂から引間城の脇の道へ戻って、国道152号の交差点をホテルと市役所の間にある駐車場へ入りました。浜松城は何回目だろう?
駐車場から出てお城へ向かいます。
いつ出来たんだろう?目の前にスタバがありました。
スタバには入らないので、そのまま通路を市役所方面へ向かって歩きました。
通路の左手にあったのは大河ドラマ館でした。ここも入らないのでそのまま進みます。
市役所の手前の道を左に入って、大河ドラマ館の外観を見に行きました。
ここも今はどうなっているんだろう?
元の通路へ戻って、浜松城の登城口へ向かいました。
登城口を通り越して、南広場へ行きました。
こちら側からの浜松城はこんな風に見えていたのかな?あまりはっきりした記憶がありません。
この辺り建物があったような気がします。かなり前のことかな?
鎧掛けの松。この説明版も新しいから、以前ここへ来たのはかなり前かもしれません。国道からの浜松城は何度も見たことがありますが・・・。
さてと、お城へ行こう。
家康像。
この復元門を潜るのは、二回目だと思います。
けっこう賑やかでした。
お城へ入ります。
売店だったかで御城印を購入して天守を出ました。
駐車場へ戻って訪問終了です。
浜松城御城印。収集第二号の御城印です。
駐車場を出て、ホテルの前を通っての152号へ向かわずに、左折して西へ向かいました・・・。
本多忠勝屋敷推定地から北上してきた先は、浜松市中央区元浜町133です。
椿姫観音堂。椿姫とは、今川方だった亡き夫・飯尾連龍の代わりに引間城の女城主となっていたお田鶴の方のことです。
「どうする・・・・」でもそのエピソードが描かれていましたが、家康に攻められて討ち死にしたお田鶴の方が祀られているのが椿姫観音です。
社会勉強中?の子供たちが先に見学していました。
お田鶴の方、さようなら。
次は、浜松城へ向かいます・・・。
引間城から南東の浜松市中央区田町へやって来ました。遠鉄の西側になります。
そこには稲荷神社がありました。
本多忠勝ゆかりの地と言うことで散策です。
角の辺りに標柱がありました。
徳川四天王では、井伊直政が好きですが、「どうする・・・・」で本多忠勝を山田くんがやっていたので、少し忠勝寄りになりました。
あちこちで見かける幟旗もあります。
無断駐車しないように・・・。
稲荷通りには、家康公の旗が多くありました。
さあ、次へ行こう。北へ向かいます・・・。
御城印と御城印帳を購入して、坂道を上がって行きました。
上がって左手に元城町東照宮があります。
ここが引間(曳馬)城跡です。
引間城は飯尾氏などが城主でした。
元城町公民館。そこには例の「どうする・・・・」のポスターが貼ってありました。
元城町東照宮。
その東側に何やら像が二体ありました。以前はなかったような・・・?
一緒には撮りませんでした。記念にそういうことをしてもいいかもね・・・。
東照宮を出て、東側の坂道を下りました。
史跡の道案内です。
引間城の北側の城門跡。
屋台置き場の後方の小山が東照宮です。
坂道を戻りました。
再び東照宮の前へ。
駐車場へ戻ります。
これが御城印第一号の引間城御城印です。
ここから浜松城の東側(引間城側)の史跡を探しに行きます・・・。
坂道を下って国道152号へ出て右折、市役所方面へ向かい、次の交差点の右側がホテルとその向かい側に浜松城の駐車場があります。この交差点をそのまま通り過ぎ、左手のお店の駐車場へ入りました。
歩道へ出て店の外を回って南側へ出て、坂道を上がって行く手前に説明版がありました。
家康公ご住居跡。ここから浜松時代が始まったと言うことですね。
・・・でここの奥に目的の所がありました。
引間城御城印所と言うことで、御城印と御城印帳を買いました。
御城印帳です。小遣いの少ない自分的には少し高かったです。
御城印は、そのお城へ行った時に・・・。
そのまま坂道を上がって行きました・・・。
数十メートル南へ戻って駐車場へ入りました。
浜松市中央区鹿谷町25の犀ヶ崖古戦場です。 三方ヶ原の戦いの中のいくつかのエピソードが伝えられている場所です。
ここも最初に来た時より、綺麗に整備されたような気がします。建物もこの向きや位置ではなかったのように思います。
まずは資料館の奥側へ行ってみました。
崖の方へ移動。
けっこう深い崖です。
犀ヶ崖古戦場でした。
次は、駐車場を出て資料館側の信号を左折し、浜松城近くへ向かいました・・・。