彼岸の中日、お墓参りに行って来ました。
毎年、当たり前に見ていた彼岸花・・・
なんだか、見事に咲いている場所も少なくなったようで・・・
例年になく、たくさんのお花を買って墓参りに行きました。
母が亡くなって、今年で29年が経ち、
先日とあるTVドラマを何気なく眺めていると、
母子のちょっとした会話が目にとまり、
無性に涙がこぼれて来た。
たぶんその理由は、
遠慮も何もない、ごく普通の会話でした。
よく考えると、今の僕には気を使うことのない言葉を、
心の思うままに発する相手がいないんだと感じて、
なんだか無性に悲しくなってしまったのだと思いました。
ほんの少しの間でいいから、ゆっくりできればと、
いつもより、長く手を合わせた今回の墓参り。
お墓に納骨する時に、
怖がりだから、夢には出てこないでとお願いして以来、
一度も夢に出てくることのない母。
10年も経たないうちに、この世を去った父。
生きてる者が、勝手に自己満足で墓参りしていることは、
自分自身、十分理解はしているのだが、
お参りするたびに、
今まで幸せに暮らせてありがとう。
これからも、幸せに暮らせるように・・・
と、手を合わせてお願いをしている自分がいる。
何も、無理していろいろ考えるのではなく、
なる様にしかならない人生を、
素直に受け止める人生が、
本当は幸せなのだろう・・・
なまじ、いろいろ考えて、
自分を責めることが、
自分を苦しめることにつながっているのかもしれない。
それは、プライドであり自分の人生を肯定することであり、
自分の生き様なのかもしれない・・・
なんにせよ、生きている証なのかもしれない。
毎年、当たり前に見ていた彼岸花・・・
なんだか、見事に咲いている場所も少なくなったようで・・・
例年になく、たくさんのお花を買って墓参りに行きました。
母が亡くなって、今年で29年が経ち、
先日とあるTVドラマを何気なく眺めていると、
母子のちょっとした会話が目にとまり、
無性に涙がこぼれて来た。
たぶんその理由は、
遠慮も何もない、ごく普通の会話でした。
よく考えると、今の僕には気を使うことのない言葉を、
心の思うままに発する相手がいないんだと感じて、
なんだか無性に悲しくなってしまったのだと思いました。
ほんの少しの間でいいから、ゆっくりできればと、
いつもより、長く手を合わせた今回の墓参り。
お墓に納骨する時に、
怖がりだから、夢には出てこないでとお願いして以来、
一度も夢に出てくることのない母。
10年も経たないうちに、この世を去った父。
生きてる者が、勝手に自己満足で墓参りしていることは、
自分自身、十分理解はしているのだが、
お参りするたびに、
今まで幸せに暮らせてありがとう。
これからも、幸せに暮らせるように・・・
と、手を合わせてお願いをしている自分がいる。
何も、無理していろいろ考えるのではなく、
なる様にしかならない人生を、
素直に受け止める人生が、
本当は幸せなのだろう・・・
なまじ、いろいろ考えて、
自分を責めることが、
自分を苦しめることにつながっているのかもしれない。
それは、プライドであり自分の人生を肯定することであり、
自分の生き様なのかもしれない・・・
なんにせよ、生きている証なのかもしれない。