三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【「死ぬまで好きなこと続ける」人生価値感】

2020-08-19 05:55:01 | 日記

現代世界では人間はふつう、企業人として生きている。
資本主義という人類的な叡智が結集した社会であり、
民主主義という基本的な価値感で運営統御されている。
そのことは、人類生存のための自然な社会進化の結果だと思います。
人間が生きていくためには経済活動は欠かせない。
食べていかなければ生きていけない。
その基本を構成しているのが、資本主義であり、経済活動。
多くの人が人生の大部分で経済活動は「企業」を基盤にして生きていく。

しかし、人生というのは1回きりしか許されていない。
であれば、人間は本来いろいろな「生き方選択」があってもいい。
現代人は就職という段階で、学歴とか技能・希望その他の条件で
いわばお仕着せのようなカタチで職業も選択することが優勢。
しかし自分が本来なにをしたいのか、やがて時間とともに見出すことが多い。
そういう「ずっとこのことを続けていきたい」と思えることがらは大切。
そういう風に見出したことは、たぶん淡々と続けられるものでしょう。
日本は世界でも未曾有の「高齢化社会」が実現している。
いわば「セカンドライフ」が、現実になってきてもいると思う。
わたしの場合、きのうのブログでも書いたが歴史とか民俗とかの探究が
どんなことよりも楽しいと思える。いつも新鮮な発見感を得られる。
歴史・民俗探究は別に専門的学究にしか本質を見出せないものではない。
たとえば現代という時代を今われわれは生きているけれど、
この時代の受け止め方には、それこそ人の数だけの理解があり得る。
過去においても、間違いなくそうであった。
だから歴史探究とは多様な生きざま、価値感を「掘り起こす」ことだと思う。

たまたま住宅という領域で生きてきたことで、
歴史を見る視点にも、住宅というモノサシで見ることが近しい。
そういうモノサシはたぶん人それぞれで違いがあると思う。
こういうフィールドで、過去の人々とも「対話」を仕掛け、
確からしいなにごとかを確認できたときは、やはり非常にうれしい。
住関連空間探訪から先人の生きざまが「伝わってくる」瞬間がある。
習い性となったのかどうか、今となってはよくわからないけれど、
探究する心はずっと長く持ち続け、きっと死ぬまで続けられると思っている。
高齢化社会の実現は、人生の価値感も多様化させていると思う。