三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【明治30年まで日本人口は国土均衡型】

2020-08-20 05:48:36 | 日記

先日、明治以来の北海道人口を調べる機会があって、
関連して、図表のような面白いデータをWEBで発見させられた。
現代になって人口の首都集中は至極当然のことと受け止めてきたけれど、
明治4年以降のここ147年間での「人口日本一になったことのある都道府県」。
それ以前の江戸期では西洋近代的な「人口調査」は行われていなかった。
こういう統計記録をさかのぼって調査すると現代常識とは違う実相も浮かんでくる。
で、なんと、わが北海道が人口日本一になったことがある? 
ちょっと現代の岩盤化した常識を破砕するデータであります。

147年間で、通算では東京が延べ120回トップだったので、81%以上の占拠率。
以下、2位は14年トップだった新潟県。
明治20年代にはほぼ一貫して日本最大の人口集積県だったのは、
やはり米作が経済の基本だったこともあり、大国・新潟の面目躍如。
続いて3位は合計4年トップだった石川県が続いている。
新潟もそうだけれど、江戸期から明治に掛け日本海海運は最重要幹線ルート。
石川県は京大阪への玄関口、近江商人の交易拠点として繁栄していた。
北海道の「めずらしき」産品が、高田屋嘉兵衛、北前船交易の活躍などで
日本各地の相互流通も活性化させ、日本経済の最大物流ルートになっていた。
蝦夷地を巻き込む北前船交易でサケとか昆布の主要産品に加え
ニシン魚肥による繊維産業の活性化などあらゆる産業を活性化・刺激して
日本経済のまさに大動脈だった実相を、この統計は浮かび上がらせる。
江戸期の各藩はこの物流ルートに「地場産品」を全国流通させた。
必死の「地域生き残り」の先人の努力・知恵がいまも各地に根付いている。
まさに「国土総活躍」として地方・地域がまことに活性化している。
ある時期から「裏日本」という言い方がされたけれど、
この時代の「表日本」はまさにこちらの環日本海地域だったことがわかる。
江戸期にもっとも都市化が進んでいた大阪も合計3回首位で第4位。
あとは、明治初年段階で各1回ずつ広島県、愛知県がトップを占めている。
江戸期からの社会が人口集中型ではなく適度に分散型だったことがみえる。
その後、ようやく明治30・1897年に至って、東京がトップで定着する。
日清戦争の勝利によって近代化への歩みが加速していった時代。
さらに日露戦争へと向かっていく時代、東京一極集中が図られていった。

そしてもっとも直近の東京以外のトップに戦争直後の北海道が栄誉を担っている。
戦争での疎開、そして戦争からの引き揚げ者の「土地を持ちたい」意欲、
とりあえず食料を栽培できるという農地獲得意欲が、
まだまだ人口収容力が高いと目された北海道に注目が集まったのでしょう。
しかしそれは1年だけの「緊急避難」的な事態で、その後の戦後74年間、
一貫して東京への一極集中が極まってきている。
さて、新型コロナで「家の価値」への関心拡大が言われてきている。
これまでの人口集中型、都心密集でのビジネス「効率化」の趨勢が
テレワークの拡大などでより「分散型」への移行を促すことになるのか、
住宅ビジネスの今後の趨勢ともからんで、興味深い転換局面。
この図表を見ると、江戸期までは各藩の自治的な経済努力が垣間見える。
封建領主たちの経済は火の車であったとも言われるけれど、
地域の経済主体はそれぞれで必死に努力もしていた様子がわかる。
新型コロナ禍はあっても社会構造自体の岩盤は容易には動かないでしょうが
しかし変化も十分に起こりうると思えますね、さて明日はどっちだ?