三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【縄文「火炎土器」は優しいおばあちゃんの造形?】

2020-11-09 06:26:59 | 日記

先日書いた米大統領選の推移ですが、
米国内状況とは別に世界の超大国ということで、友好国・同盟国の対応が難しい。
有力米国メディア2社が「当確」を打ったら流れが決まる、という情勢根拠から
EU諸国と日本はバイデンさんに「祝意」を送ったとされている。
EUの場合はメルケルさんとトランプの「確執」もあって、
どちらかといえば民主党政権寄りの姿勢が伝統的スタイルなので、
言外に常識的スタンスへの復帰「歓迎」的なニュアンスが感じられた。
それに対して日本は、よく情勢判断したうえでこのタイミングで意思表示した。
まぁ常識的な対応だといえるでしょう。しかし、EUと日本のスタンスには違いがある。
今後、民主党左派の影響力が増大しそうなバイデン政権には、
相当デリケートな対米外交の構築が迫られるでしょうね。
移行期、前政権との良い関係を持っていた国として、距離感が難しい。・・・

一転して本日は火炎土器テーマ。写真は全国の縄文時代展示のなかでも特異だった
新潟県立歴史博物館で見学したモデル展示の様子であります。
ほぼ実寸大と思われる人物マネキンがさまざまな「縄文の世相」を
わかりやすく伝えてくれている展示です。
だいたい全国のほかの施設では画像とか、テキストでの説明が一般的。
ところが、新潟では研究員のみなさんの「思い入れ」が強く反映されている。

縄文土器でも、火炎土器というデザインはその着想の奇抜さに驚く。
ふつう生活必需品であれば、日常の手入れなども考えて
扱いやすく、洗浄などに便利なようにスラッとしたデザイン志向が優勢なはず。
ところが、弥生時代になるとそのように自然な傾向になっていくのに、
はるかな長期間、1万年も続いた縄文土器時代には、
この「火炎土器」のような生命力そのものを感じるデザイン。
造形的にも複雑で、まるで岡本太郎さんが生活雑器を作ったみたいなカタチ。
岡本太郎は作風からも、また著書でも火炎土器の生命力への心酔を語っていた。
先日のブログで書いたように縄文時代には、海の幸や山の幸をこの土器鍋で
「鍋料理」として食していたとされている。
この土器を石のつっかえ棒などで立てて底や側面側から直火で炙って加熱した。
デザイン表現の意図としては、その直火のさまを同調表現したものでしょうか?
自然の産物を火で調理して、食べやすく美味しく変容させることに
ある種の「呪術性」をそこに投影させたのか?
火への信仰にまで高められた人類の祖形を感じさせる造形ぶり。
いずれにしても意思的な、強い「表現性」が感じられる。
そういうことなので、男性・女性という概念からすれば男性的と思っていた。
ところが、この表現を見ると女性で、しかも高齢な方。
この優しげなおばあちゃんの手から、このような火炎土器が生み出された?
この点について「考証」がどのようであったのか、知りたい。
公共的な博物館の学芸員さんの「監修」であれば一定の根拠があったに違いない。
そう考え、了解するのが普通だと思います。
土器の制作自体、縄文の世では女性が担っていたという根拠事実があるのか、
そして高齢の女性の方がこうした作業に与っていたのか。
う〜む、岡本太郎さんにその血を伝えた偉大なおばあちゃんだったのかなぁ?

追記:こういう先史時代において、
日常の容器・土器は世界的に女性の手によって作られたのが人類普遍的とのこと。
細い口をもった煮沸容器などでも底に手で平滑化させた状況など、
女性らしい作り方が見られるとされているそうです。
やっぱり火炎土器は女性が作っていた可能性が高いのでしょう。う〜む。

【狩猟・貯蔵・住宅etc 「穴を掘る」人類知】

2020-11-08 07:03:01 | 日記


人間は農耕を始めたり、縄文で「定住」をはじめるより前に
移動採集という長い暮らしがあった。
現生人類では8万年と言われる出アフリカの過程で定住をはじめたのは
高々、1万数千年前からであり、それ以前の古ライフスタイルは移動採集だった。
主要な食糧調達手段は木の実などの採集とともに狩猟。
人間が食料として獲得したかった他の動物、大型動物は長距離走行は難しかった。
それは体毛が発汗を阻害するためだった。そういった必然性から
人間は狩猟するとき長距離を走れるように、体毛を脱ぎ去ったと言われる。
その狩猟では、さまざまな「技術・工夫」が開発されただろうけれど、
なかでも最大のものとして「落とし穴」製造技術があったことが知られる。
大型の動物を人間狩猟集団が「追い込んでいく」ことはできるけれど
「確実に殺す」ためには、さらに決定打が必要になる。
マンモスのような大型獣の場合など、大型の穴が必要とされたに違いない。
そして掘った穴に「目隠し」の被覆をする必要がある。
そこで伐採した木材や下草などの類で「煙幕」を張り巡らしておいただろう。
集団で四方八方から追い込んで全身ではなくてもカラダの自由を奪ってしまえば
槍や弓矢などで確実に仕留めることができただろう。
この推定で気付く点が多いけれど、穴を掘ったり、木を利用するという営為は
竪穴住居づくりにおいて決定的な要素技術だと思う。

移動採集生活での住居は「洞穴」が最適な場所だったに違いない。
風雨をしのげると同時に、温熱環境でも最適環境であると
かれらの肌感覚で知っていたに違いない。
人間の温熱感覚もそうだけれど、獲得した食料の「保存」にも
非常に有益であることがかれらの常識になっていったことも間違いない。
地中の穴倉に食料を長期保存するのは普遍的なくらしの知恵。
大型獣や木の実など採集食物もある地域で採りつくしてしまうと枯渇する。
そういう理由で洞穴生活には時限性がつきまとっていたけれど
しかし人間の居住環境として、洞穴の温熱環境の快適性はDNAに刷り込まれた。
日本列島では定住=縄文ということになる。その生業とは漁撈と採集。
海や大河川流域が食糧確保の最適環境というのが普遍的選択。
残っている竪穴住居痕跡は、おおむねこのような地域に存在する。
ウォーターフロント型の環境の中で、長く居住することになる。
最初期定住では移動採集時代の延長的な意識が強かったかも知れない。
定住を始めるとき、前時代の要素技術の中で確実に、
「穴を掘る」という技術が最重要技術として次代に受け継がれていった。
たぶん最適環境としての洞穴環境がアナロジーされていた。
結果出現したのが「竪穴住居」という人間定住を長く支えた住環境。
食を満たす火の場を中心に、温熱的に有利な竪穴をある深さで掘り床面とした。
そして落とし穴作りのときの木や葦の利用技術で、屋根が架構された。
その地域の気温に合わせて葦類の屋根の厚みで調整していった。

こういった推論を上のいくつかの博物館展示画像などから
思い描いている次第であります。人類と居住のひとつの解ではと考えています。

【シカ・モモ肉サイコロステーキ ジビエ料理 in北海道 】

2020-11-07 06:59:46 | 日記


初雪も降って、いよいよ白い季節へまっしぐらの北の国から。
野生動物の猟が解禁されて、スタッフの旦那さんがまたことしも
シカをハンティングしてきてそのお肉をお裾分けしていただきました。
ことしはテレワークでスタッフは半々の出勤という体制なので、
ふるまいは、きのう出社のスタッフのみ。総勢10人。
3密を避けて、サイコロステーキを焼いて大皿に盛って
各自が紙皿に取って、オリジナルソースも各自お好みでという食べ方。
オリジナルソースはわたしのテキトー特製でして、
シカ肉を焼いたフライパンに秘密の特製スープをベースに
赤ワイン、各調味ソース、ショウガすりおろしなどをブレンド焼成して作った。
シカ肉自体は粗め塩こしょうをふっただけで、写真のようにカットして
2時間ほど冷蔵庫で寝かせて一気に火を通した。
しかしシカ肉って、みた目、まったくの赤身。
マグロかと目まごうばかりでありますが、野生の俊敏さのまま、
ムダのない精肉感がジワジワと迫って参ります。
ステーキとして焼くと、結構な脂肪分が肉汁として出てくる。
この肉汁がベースになるので、オリジナルソースの味わいが深くなる。

で、仕事の絡みがあってごはんを炊き込むのが
やや時間遅れてしまって、いちばん後から「おにぎり」にした。
こちらも6合ほど炊いて、全16個、大急ぎで握って
なんとか食事時間に間に合わせた。
シカ肉は昨年にも同様にお裾分けいただいたけれど、
まことに自然な風合いで、臭みもほとんどなく牛肉以上の洗練された味わい。
まぁ味わいとしては牛肉に似たうま味が感じられますね。より淡泊。
付け合わせにレタス+キャベツ+ピーマンなどで生野菜もセット。
お好みでニンニクもすり下ろしておいたのですが、
まぁ仕事中だと言うことで、そんなには消費されなかった(笑)。
ショウガ入りのオリジナルソースは盛んにスタッフから製法を聞かれたけれど、
テキトーなので、ほぼ再現性はゼロ(笑)。一期一会であります。


で、ちょうどタイミング良く次兄が自宅庭でことし収穫された
青葡萄を持参してくれて、たのしいデザートまで提供することができた。
人間は他のイキモノのいのちをいただく罪深い存在です。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、・・・・。しかし、
北海道でしか食べられない自然な味覚、堪能させていただいた秋の1日でした。

【アメリカ混迷 安保の動揺は日本に自立を迫る?】

2020-11-06 05:38:49 | 日記

アメリカ大統領選挙。時々刻々と情勢が流動していて最後まで混迷すると
事前のアナウンスが喧しかったけれど、どうもそのシナリオが現実化してきた。
テキサスやフロリダという激戦が伝えられていた州ではトランプ勝利。
カリフォルニアやNYという人口密集地域では最初から民主党優勢だったけれど、
本当の勝敗の分岐点は、スウィングステートの帰趨だといわれ、
事実その通りの展開になってきている。開票も進んでいない様子。
まだ各州での「不正」までが云々されている段階で、推移は微妙な情勢。
万が一、不正の事実が証明されたら民意がどう動くかわからない。
ただいずれにせよ、事前にアメリカのマスメディアが伝えていたような
バイデンの圧倒的優勢という報道ぶりの不見識は露わになった。
あきらかな「情報操作」だったことがあぶり出されてきている。
まぁアメリカメディアはハッキリと党派性を謳っているので正直ともいえる。
一方でアメリカメディア以上のバイアスが顕著な日本のマスメディアは
その「報道」姿勢においてあまりにも問題が多いと思わざるを得ない。
トランプの「善戦」ぶりからは、英米社会のエスタブリッシュ・エリート批判が
今後とも大きなうねりなのだと示されているだろう。

さて、世界のたったひとつだけの「同盟国」である以上、
アメリカの動向は日本にとって安全保障・存立の根幹に関わる大事だと思う。
政権の帰趨があきらかになるまでは対米で行動を起こすことは難しい。
現状ではバイデン民主党の手中に権力が収まる可能性も高い。
トランプ政権が継続すれば戦略はそのままで日米関係は推移するだろうけれど
バイデンが対手となれば、日本の基本戦略も練り直しを迫られる。
そもそも日本の憲法など占領政策は米民主党左派の「置き土産」色が強い。
高齢・認知症疑惑でその失言ぶりが知られるバイデン大統領となれば、
民主党の「集団指導体制」的な権力になる可能性が高い。
共産主義者といわれるサンダースまでが「何々長官になる」と
テレビで発言しているとされるので、バイデン自身の権力意志というより
個別の「長官」による分割統治に近い権力体制になるのではないか。
そうだとすれば、対応はそれこそ複眼的なやり方になっていくだろう。
また、明確な指導理念とか指導力というものは見えにくいかも知れない。
なにより「反トランプ」政権という性格が一番の特徴であって、
個別政策では世界への強いリーダーシップは当面望めないように思う。
それを見越して中国がどう対応してくるかが最大の危機要因。
どう考えてもアメリカの国際パワーの相対的低下は免れない。
たぶん日本はトランプ政権時よりも中国から攻撃が強められる可能性がある。
場合によっては台湾侵攻とワンセットで尖閣強襲があり得るのではないか。
ANTIFAやBLMを容認する姿勢のバイデン政権で対中国政策がどうなるか、
親中派のスーザン・ライスが国務長官候補という一部報道も見られた。
日米豪印の準同盟関係構想や、ファイブアイズへの日本参加なども
どう展開していくのか、見通しは立ちにくい。
しかしアメリカが混乱するほど、日本の「自立」も現実テーマにならざるを得ない。
もしアメリカの影響力が今後大きく低下し日米安保が動揺する場合、
国際関係で日本はどう位置取りすべきか迫られることになるのは自明。
ごく一時期を除いて、歴史的に見て対中迎合姿勢は日本には馴染まない。
そこから導かれる流れとして戦略的「自立」やむなしとなったとき
いまの自縛・自虐的憲法体制でそれは可能か、冷静な選択が迫られるのでは?

世界は固唾を飲んで、アメリカ大統領選挙の対応作戦会議に
いま没頭させられていることだけは間違いがない。・・・

【2020年度インフルエンザワクチン接種】

2020-11-05 05:43:40 | 日記


例年、かかりつけのお医者さんでシーズン前にはインフルワクチンを接種。
昨年まではとくになんの感慨もなく淡々と受けていた。
お医者さんが言うことには基本的に従順な平均的日本人。
なんですが、ことしは「おお」という感じでありました・・・。
おかげさまで今のところ、健康状態は維持し続けているので、
新型コロナ禍もあって、う〜む、といった心境になった次第。
ま、そうはいっても接種しない選択肢もありえないので、謹んで受けました。
接種は月曜日2日でしたのできょうで丸3日目というところで、
特段健康状態は変わりなく推移しているので無事通過儀礼は終えられたかと。

昨日は早朝散歩でことしの「初雪」を体感。
北海道人には初雪というのは、ある種の感慨があるもので、
はじめには、すべての終了を深く思い知らされるものであり、
その気分、まことにメランコリックな諦念をもたらせるのですが、
しかし一方で「浄化」というような気分も底深くジワジワと広がってきて
やがて、あの静謐な日常がふたたびやってくるワクワク感にもつながる。
その両方の感覚が相前後して心理に訪れてくる回生感。
例年であれば、そこまでの「活動期」の一服感が支配的なのですが、
その部分でことしはかなり違いがあるように思われます。
というのは、新型コロナ禍で自分で予定していた行動目標が
ほぼ9割方フリーズされてしまいその未達感が自分で受け入れられないまま、
この年の「活動期」が終わってしまうという感覚。
この「大きな未達感」が、消化不良のままに残置された。
しかし、その喪失感ばかりかと言えばそうでもなくて、
これまで気付かなかったいろいろな「新しいこと」も生起している。
やがて人類は新型コロナ禍を克服していくでしょうし、
多くの日常を取り戻していくでしょうが、
奥深いところでチェンジしたものもあるのだろうと思うのです。
そんな心理状態の中でインフルワクチンを接種して、季節の節目も迎えた。
前に向かって開けている感覚はあるけれど、まだ慣れていない、
そんな気分でことしの初雪が巡ってきたと思えるのであります。

なんとか基本的な健康は維持されているようで
体調には変化もなく、ことしのインフルにも対処用意はできた。
さらに新型コロナへの警戒は維持しつつ、この一変した社会環境に柔軟に対応し
ジワジワとやってくる白い季節にもしなやかに臨んでいきたいと思います。
あ、医者からは同時に要ダイエット警告もあった・・・、う〜む、ジワジワ頑張ろう。