北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「向う三軒両隣り色彩差分法」について その3

2015-03-23 02:22:17 | 日記
向う三軒両隣の、隣の隣は又、隣なのですから、これを組み合わせたり繰り返せば、二十

軒でも三十軒でもシュミレーションする事は可能なのではないでしょうか?ただ、そこに

はやはり、この色とこの色の組み合わせは了とするけれども、いくらなんでもこの組み合

わせはないでしょう、とか、同じ色でも彩度を落とさなければ使えないなどの、ある程度

の操作は必要だと思いますし、設定の中に組み込まなければならないかも知れません。

(センスの良し悪しも、住民のうち五人に一人はセンスがいいけど十人に三人はセンスが

どうしようもなくて、二回目以降はそのうち二人は学習効果でなんとかなるけど残りの一

人は最後までどうしようもないとか、ある程度は操作はしなければダメかも知れません

し、中には経済的な事情その他で五回に一回しか塗り替えられない家があるかも知れませ

ん。)あと、前回の講評に書いた、世の女性たちのブラウス選びの際の修練云々などの経

験値を組み込むのは勿論ですので念のため。


仮に以上のようなプログラムが出来たとしたらば、そのシュミレーションの結果を個々の

住民なり第三者がどう評価するかによって、今度は逆にいろいろな設定をどのように変え

たらば良いかまたは変えるべきか、変わらなければならないかを繰り返すのです。孫子の

代くらいになれば少しは良くなるのではないでしょうか?(つまり現状はあまりにも酷い

というか酷過ぎて、絶望的なくらいに残酷なのです。)



   

    何年か前に一晩で書いた文章です。数学とかコンピューターのことは何も分から

    ずに書いています。最後の「現状はあまりにも酷いというか酷過ぎて、絶望的な

    くらいに残酷なのです。」は、今でも、そのままです。
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「向う三軒両隣り色彩差分法」について その2

2015-03-23 02:15:03 | 日記
私の11歳の子どもが(男の子です)、某N天堂のDSと言うゲームで休みの日は朝から

晩まで野球ゲームばかりして困っているのですが(現実には「ブリコラ少年」なんて夢の

また夢なのです)、これが実は悔しいくらいに良く出来ていまして、アバターのような選

手の一人一人の能力や、得意不得意などの技能の設定がいろいろな組み合わせで出来るの

です。ある選手は走るのは遅いが飛距離は長いとか、別の選手は変化球には弱いけれども

ストレート系には滅法強かったり、ピッチャーならコントロールはないけれども球種が多

いとか、両手の親指人差し指中指の合計六本でカチャカチャカチャと超高速で遊んでいる

のです。

これを応用して向う三軒両隣の場合では、最初から極端な設定では結果が悲惨でしょうか

ら、例えば、ある家の住人の人は基本的には暖色系で焼き物のようなほんの少し赤みのあ

る土壁系が好きだけれども、人の意見は聞き入れるし、隣の建物と余りにも合わない色は

避けるだけの分別が五段階評価なら四くらいあるとか、別の住人の人はベージュ系が好き

だけれども単色では物足りなくて、どこかでアイボリーを使いたいけれども隣と似てしま

うのなら敢えて拘らないが先程の分別で言えば、実は五段階評価のニだったり、また別の

住人の人は基本的にはシックな感じが好きだけれども屋根だけは隣と同じは嫌で、案外頑

固で人の意見は聞かず、さりとて分別で言えば五段階評価で五だったり、などと設定し、

最初に与えられた与条件としての町並みの建物を誰から順番に建て直すかを仮に決めて、

(建て直された建物は次の人の与条件とします。)

ここで差分法なのですが、現実には隣が建て替わったからと言って自分の家をわざわざま

た建て直す人はいないのですが、ここでは「今度は隣がこう来たんだから、次は我が家は

こうしてみるか」で、また更に色を変更しても良い事にするのです。これを二、三回か

四、五回繰り返すと、最終的にある一定の色の組み合わせに近似的に収斂または収束する

のではないかと思うのです。実際は先程のような恣意的な設定だけではなく、その地域の

県民性とか、水蒸気の多い少ないなどの気象条件、周囲の山のみどりの多い少ない、海ま

たは湖沼の有無、また、そのそれぞれに対する個々の住民の色彩的な好み、トライアンド

エラーを何度か繰り返すうち住民の人達が身に付けるであろう学習能力、などなど、考え

たらばきりがないような要素を設定しなければならないとは思うのですが....。




「向う三軒両隣り色彩差分法」について その3に続く



追記  「ブリコラ少年」というのは私の造語です。「ブリコラ少女」と対なのです。

    もちろんレヴィ・ストロースの「ブリコラージュ」からきています、、、。




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「向う三軒両隣り色彩差分法」について その1

2015-03-23 02:07:21 | 日記
私自身は意匠系の人間で建築の構造計算は出来ませんし、した事もありません。理数系も

コンピューターもまったく苦手なのですが、学生時代の構造計算の原理を思い返して以下

のような事を考えてみました。


均一な同じ材料で弾性仮定の成り立つラーメン構造の構造計算は、多元一次連立方程式と

して表わされる接点方程式を解く作業のはずです。これはマトリックス(行列)として表

わされ、コンピューターでは逆行列の解として求められるようです。この場合、解は近似

値ではなくコンピューターの能力のあた得る限りの、小数点以下どこまでも実用上は全く

不必要な単位まで出てしまうようです。しかし手計算の時代では固定モーメント法にせよ

撓角法にせよ「差分法」による、せいぜい三回くらいの操作で実用上はまったく問題のな

い小数点以下二桁くらいの数値に収斂させたり収束させてたりしていたように思います。

この差分法を向う三軒両隣の色彩計画に応用できないかと思うのです。


実際の町並みでは、駅前の道路拡幅計画のために短期間で何十件もの建物が一度に建て替

えられるようなケースとか一団地の総合計画でもなければ、じつは長い年月の間に少しず

つ住民の人達の個々の家族や商売の、そのときその時の事情で建て替えが進んでいるはず

ですし、その場合、建て主を含む建築の関係者は、たとえ個人的な好き嫌いであろうが、

人より目立ちたいとか他の建物と同じじゃ嫌だとかの訳のわからない理由だろうがなんだ

ろうが、とにかく野中の一軒家でもない限り周りの建物のことを無意識にでも意識的にで

も頭の片隅に置きながら、その建物の形とか色を決めているのではないでしょうか?(実

は実際に建築の仕事をしていると、自分の気持ちだけが大切で周囲の事なんかどうでもい

いわよって言う建て主さんって結構多いので、なんだかなー、なんですけど....)も

ちろん、二十年三十年あるいは場合によっては五十年百年という単位の長い年月ですか

ら、その間に世代も変われば人々の趣味嗜好も変わるでしょうが、それでも現実に目の前

に建っている周囲の建物または建物群は、ある意味、決定的で与えられた前提条件のはず

です。

ここでは、あまり風呂敷を広げずに、とりあえず向う三軒両隣を前提条件とした色彩決定

と言うか、人の好みの無理難題のあれやこれやを、何がしかの近似的なプログラム?に置

き換えて考えたり、操作したり、評価したり出来ないかと思うのです。(プログラムと言

ったって私はコンピューターなんてサッパリ判らないですし、専門用語なんてチンプンカ

ンプンなんですけど...)でも、そのプログラムは多分こんなプログラムになるはずな

んです。


             「向う三軒両隣り色彩差分法」について その2に続く
                 
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