「建築家じゃない人の建築」と言ってしまえば、これもその範疇に入る建物なんでしょうけ
れども、深川の永代通りに、1938年までは建っていたらしい「ニ笑亭」。(戦災で焼けたの
だとばかり思っていました、、、。)
たぶん木場に近い、長谷川萬冶商店のあたりか?隣の建物と並んでいる写真はこちら、、
1階の平面は、こんな感じ、、、
入口を入ったところの、1階の「ホール」?
当時の和式建築?としては、かなりダイナミックなスケールだと思います。立っているの
は、設計した?赤木城吉さん(仮名)御本人ではないようです、、、。
一応、これは「狂人の家」と言う事になっているとは思うのですが、普通?の人でも、敷地
の境界とか、建物の端部に「こだわる」人は、いっぱい居るような気がします、、、。
(敷地境界ピッタリに、1ミリも違わずにコンクリート・カッターを当てて工事をしろと言
われて、そのうち建築会社に直接指示されてしまって、勝手にやられてしまった事があり
ます、、、。あとで隣の家の塀にひびが入ってしまって、設計士の私が仲裁に入りまし
た、、、。お互い「逃げなきゃ」ダメですよねぇー、、、、。)
建物が出来上がると、クロスの柄の「合わせ」や、タイルの「割付け」がおかしいと指摘され
る事ばかりが、あまりにも多いので、(他にもっと大事なことがあるような気がするけど
、、、たとえば「色」とか、、、) クロスやタイルは嫌いになってしまって、あまり使い
たくなくなってしまいました、、、。
認知症とか統合失調症などで、人格が云々という事もあるのかも知れませんが(設計士は
カウンセラーでも何でもない、、、。)、最後は、もともとのその人の、それまでの性格
とか人柄が残るのではないでしょうか、、、?
赤木城吉さんのデザイン?は、なかなか雅気があって宜しいんではないでしょうか?
追記 『建築は「逃げ」と「遊び」だョ』と、おっしゃっていたのは、奥村昭雄先生です。
名言です、、、。
れども、深川の永代通りに、1938年までは建っていたらしい「ニ笑亭」。(戦災で焼けたの
だとばかり思っていました、、、。)
たぶん木場に近い、長谷川萬冶商店のあたりか?隣の建物と並んでいる写真はこちら、、
1階の平面は、こんな感じ、、、
入口を入ったところの、1階の「ホール」?
当時の和式建築?としては、かなりダイナミックなスケールだと思います。立っているの
は、設計した?赤木城吉さん(仮名)御本人ではないようです、、、。
一応、これは「狂人の家」と言う事になっているとは思うのですが、普通?の人でも、敷地
の境界とか、建物の端部に「こだわる」人は、いっぱい居るような気がします、、、。
(敷地境界ピッタリに、1ミリも違わずにコンクリート・カッターを当てて工事をしろと言
われて、そのうち建築会社に直接指示されてしまって、勝手にやられてしまった事があり
ます、、、。あとで隣の家の塀にひびが入ってしまって、設計士の私が仲裁に入りまし
た、、、。お互い「逃げなきゃ」ダメですよねぇー、、、、。)
建物が出来上がると、クロスの柄の「合わせ」や、タイルの「割付け」がおかしいと指摘され
る事ばかりが、あまりにも多いので、(他にもっと大事なことがあるような気がするけど
、、、たとえば「色」とか、、、) クロスやタイルは嫌いになってしまって、あまり使い
たくなくなってしまいました、、、。
認知症とか統合失調症などで、人格が云々という事もあるのかも知れませんが(設計士は
カウンセラーでも何でもない、、、。)、最後は、もともとのその人の、それまでの性格
とか人柄が残るのではないでしょうか、、、?
赤木城吉さんのデザイン?は、なかなか雅気があって宜しいんではないでしょうか?
追記 『建築は「逃げ」と「遊び」だョ』と、おっしゃっていたのは、奥村昭雄先生です。
名言です、、、。