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北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その4

2018-05-02 13:46:43 | 日記



でも写真の人は、幕末に関西方面から養子縁組で来てくれた13代目で、鎌倉近辺出身の

初代は、最初に江戸幕府が始まる前に、『由緒書』と『証文』のやり取りをしていると、

主張しているみたいなんです。



 『由緒書』の一部


 一、御仕置物、御島者、晒もの、磔、火罪、獄門、鋸挽、文字雕、耳鼻剃、切支丹、

   鍋銅等御座候、六十五年の前石谷将監様神尾備前守様御奉行の時、武州鴻巣村

   磔三人被遣候に付、御評定にて被仰付、御奉行の下置検使共私先祖被為仰付候

   に付、御伝馬申請、長道具為持相勤申候、此外在々支配の内、一代壱度も相廻

   り改候節も長道具為持申候事




 『証文』の一部

  
 一、 座頭 舞々 猿楽 陰陽師 壁塗 土鍋師 鋳物師 辻目暗  

   猿曳 弦差 石切 土器師 放下師 笠縫 渡守 山守 青屋 坪立 筆結

   墨師 関守 獅子舞 蓑作り 傀儡師 傾城屋 鉢叩 鐘打

 
   右の外は数多付有之、是皆は其上たるへし、此内盗賊の輩はとして

   可行之、湯屋風呂屋るい、傾城屋の下たるべし、人形舞は廿八番の外たるべし


 

  (ちょっと一部におどろおどろしい表現のある文章ですが、『由緒書』の一部は、

  自分たちの主張する、昔からの自分たちの『業務範囲』で、『証文』の一部は、

  鎌倉時代からすでに、自分たちが認められているとされる『業務範囲』を主張

  しているものと思います。残念ながら、原文は画像検索してみたのですが判り

  ませんでした、、、。)





この中で、猿楽 猿曳 獅子舞 傀儡師 は広く芸能(及びその興行)に関連する

『勧進場』でしょうか?




では『旦那場』に関連するものどれなのでしょうか?

   

どうやら『旦那場』のいちばんの主たる業務は、斃牛馬の取得と活用および再活用のよう

だったらしいのですが、、、
    

    

                          これは長野県塩尻の馬捨場跡




この□印(馬捨場)として、何ケ所も書き込まれている図が『職場図』と言って『旦那場』

図と思います。


    




ですが、どうやら、お城のいろいろな雑用や(清掃とか、、、)、牢屋敷の直接の管理や

雑用も『旦那場』の業務範囲だったようなのです、、、。



同じ業務範囲なのですから、出入り口が同じ『埋門』でも不思議ではないのかも知れませ

ん、、、。




2014-12-31の記事『府中刑務所その2』に


   網野善彦さんは、刑務所は「アジール」で、その中はある意味での「芸能の世界」

   であると書いていました。(この「芸能の世界」は難しい、、、。)


と書きましたが、『旦那場』も、広く芸能(及びその興行)に関連する『勧進場』も、元は

携わっている人が同じなんですから牢屋敷や刑務所の中が「芸能の世界」になってしまっ

ても、不思議でも何でもないのかも知れません、、、。





                   伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その5 につづく










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伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その3

2018-05-02 13:45:52 | 日記


新潟県立文書館にある『桶師匠から弟子へ旦那場を譲る』の証文とされる文書です。







延享元年(1744)に、現在の上越市吉川区(当時の平等寺村)の桶屋の師匠の彦次右衛門

という人が、弟子の久右衛門が桶作りの修行の年季も明けて一人前の職人になったので、

自分(彦次右衛門)の『旦那場』(得意先、旦那筋、得意場)を、弟子の久右衛門に譲りま

す、という内容のようです。(でも誰に宛てた証文なんでしょうかね、、、?それにして

も江戸時代の新潟の桶屋の親方って、ずいぶんな達筆なんですね、、、。)




さて、この『旦那場』つて良く判りませんよね。得意先、旦那筋、得意場、とありますけ

れど、Web上の建築用語辞典 http://www.kenchikuyogo.com/311-ta/058-danna.htm に

『旦那場』として、次のようにあります。




   旦那(場)(だんな:ば)


  建築に精通して増改築が趣味である人など、建築主である発注者のことを敬って

 いう言葉。上得意の建築主の現場を旦那場という。職人達も各自の腕が試されたの

 で緊張した。最近では建て売りなどが増えて、建築主と職人の接触が減ったので、

 旦那という言葉も遣われなくなった。
 



今はもう、村野藤吾さんに和風建築を教えてくれた泉岡宗助さんのような『旦那さん』は

この世の中には居やしません、、、。

職人言葉なんでしょうけど、今の大工さんで『旦那仕事』なんて言う人はいないと思いま

すし、『野丁場』とか『町場』とか、仕事の種類を別けて言うようなことも、少なくなっ

て来ていると思います。


でも、それとは違う『旦那場』と言う言葉の使い方があるみたいなんです、、、。




この『旦那場』と言う本の中に

  






『旦那場』(職場または下場「したば」)以外に、『勧進場』(上場「うわば」)とか、

『草場』とか、『芝(場)』とか、『庭場』とか、いろいろな『○○場』が出てくるんで

す、、、。

(この本の中には出てきませんが『厄場「やば」』(牢屋の事)と言うのもあるみたいで

す。他にも『鉄火場』とか『やっちゃ場』とかも言いますよね。)





で、その総元締めみたいな人が、すくなくとも関八州(今の関東7都県)と伊豆半島と山梨

の東の一部と福島の白河のあたりの県南では、この人だったらしいのです、、、。(一部

の天領、直轄地は除く。)




 






                   伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その4 につづく







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