北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

中世鎌倉街道 その8

2015-06-04 15:13:33 | 日記
能登半島の日本海側の付け根の羽咋(はくい)市から、昔、「北陸鉄道能登線」という単線の

鉄道が、鶴来まで走っていたのですが、JR七尾線の羽咋駅から1つ目は「能登一宮駅」と

言う駅でした。日本海沿いの海岸を走っていた線路なのですが、、、



赤い線が、昔の「北陸鉄道能登線」の跡です。「能登一宮駅」は日本海に川がそそいでいるあ

たりにあったはずです、、、。







今は鳥居だけが残っています。手前が駅でした。








この鳥居の先の集落をずーっと行くと、大きな神社があります。


能登一ノ宮 「気多大社」 です。






Google Map






境内の案内図です。



後ろの濃い緑の森は、「入らずの森」の原生林です。


日本海の方に突き出した、「舌状」の、やや小高い丘陵の先端に位置しているのですが、境

内の案内図の、「正覚院」という寺院から、参道の狛犬の前を横切って、旧回廊の前に抜け

ていく道が「古道」の「みの手」だと思います。駐車場や国道249号線は後に整備されたの

でしょうか、、、。


旧「能登一宮駅」から気多大社に向かって集落の右側、民家の裏の砂山に「折口信夫父子墓」

があります。





   もっとも苦しき たたかひに

   最くるしみ 死にたる

   むかしの 陸軍中尉

   折口春洋 ならびに その

   父 信夫の墓


と刻んであります。


      





まさか何十年か後に、自分たちの墓碑のすぐ横の敷地に、鉄骨の大きな工場か倉庫の建物が

建ってしまうなんて、思いもしなかったでしょうに、、、。







                   中世鎌倉街道 その9 につづきます、、、。




追記  気多大社「入らずの森」のビデオです。

    

    「タブの木」の日本海側の北限が能登半島なのだそうです。

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