北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

Cisterns of La Malga   その2

2016-11-05 09:25:29 | 日記



正体はこれでした。











商港Commercial Habor(手前)と、軍港 Military Habor(奥)です。(南から北を見る)









何だか日本の前方後円墳のような形をしていますが、、(左が南、右が北)





左の長方形の部分が商港 Commercial Habor、右の丸いのが軍港 Military Habor







カルタゴの街から見たところ。(北から南を見る) 










カルタゴの動画 (8分ちょっと、、、フランス語)









この写真の真中の下が商港Commercial Haborと軍港Military Habor です。(上が北)





一番上の少し左に Cistern とあります。このブログの2016年8月26日から3回に分け

て書いた Cisterns of Tawila  の記事の Cistern です、、、。





                  
                   Cisterns of La Malga その3 につづく


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Cisterns of La Malga   その1

2016-11-05 00:54:12 | 日記



即日降伏とか裏山とか書きましたけど本当に滅ぼされてしまった国(街?)があります。

フェニキア都市のカルタゴです。カルタゴは、今の北アフリカ、チュニジア共和国の

首都チュニスから15kmくらい離れた地中海沿いの海辺にありました。紀元前264年から

紀元前146年におよぶローマ帝国との数次に亘るポエニ戦争で、最後には市民のほとんど

の15万人が虐殺され、5万人が捕虜となって奴隷にされ、港は焼かれ街も破壊され、跡地

には一木一草も生えないように、塩が撒かれたと言うのです。(それ以前にローマ帝国の

首都ローマがカルタゴ軍によって陥落寸前まで攻められた事への報復だったようです。)







紀元前218年のカルタゴの勢力範囲図。(薄紫色)シチリア島は取ったり取られたり。










ポエニ戦争の絵。









この写真の中央ちょっと上の海岸沿い(突端というか岬の少し下)が、元のカルタゴのあ

った場所です。右の大きな青い海は地中海から入り込んだチュニス湾。(上が北)





大きな汽水湖のような湖の中を、なにやら人工の水路のようなものが走っていて、その

先、築港があるように見える、地形の括れたところにあるのが、現在のチュニジア共和国

の首都チュニスです。(汽水湖は浅瀬で船舶の航行不可?)








今のカルタゴを、南から北に見た航空写真。今はチュニス郊外の、日本で言えば、逗子か

葉山みたいな、お金持ちの高級住宅地?





画面下に石狩川の三日月湖のようなものが見えるのですが、、、







北から南を見た写真。





さて、この不思議な湖みたいなものの正体は?






     Cisterns of La Malga その2 につづきます




追記  「パニックになる」とか、最近では「パニくる」などと言う「パニック」は英語

    では panic なのですが、ポエニ戦争の英語表記は Punic War なので、何

    か関係があるのか、ないのか、、、?
 
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『先生はえらい』

2016-11-04 11:44:40 | 日記


囲碁の高尾紳路九段が名人位に返り咲きました。10年ぶりの名人、40才です。3連勝

3連敗のあとの最終第7局、終盤は優勢とはいえハラハラドキドキでした。



最後に解説の片岡聡九段が解説で指摘していた、左辺197手目の、高尾さんの白の大石の

「下付け」の1線の寄せを、黒の井山さんが打ったときには、「一体どうなっちゃうの?

高尾さん!」でした。(僕の棋力ではの話です。「プロはこんなところまで寄せるんだ」

って感じ、、もちろん井山さんは見落としません、、、と言うか、2人とも百も承知で

打ってるんでしょうけど、、、。最後は高尾さんの2目半勝ち。)




       






高尾紳路さんが、本因坊を3連覇して、雅号「秀紳」お披露目のときの写真。





中央は高尾紳路さんの師匠、名誉棋聖の藤沢秀行さん。(「秀紳」の雅号を考えてくれた

のもこの書を揮毫したのも秀行先生、書も建築家の白井晟一さんみたいに上手か、それ

以上、、、。秀行先生、この時82歳でしょうか、亡くなる2年前だと思います。)

秀行先生の右側、紋付袴でニコニコして立っているのが、当時31歳の高尾紳路さん。

嬉しそうな、とても良い表情です。人生、「生きてて良かった」と言うのは、こう言う時

なんでしょうね、、、。





僕は残念ながら、建築の設計の師と呼べる人には、巡り会えませんでした、、、。

もっぱら、先方の事情というよりは、こちらの問題だったのでしょう。弟子にもなれな

かったのです、、、。(もちろん師匠は無理、、、。)







師匠と弟子といえば、内田樹さんの『先生はえらい』。








内田樹さんが、押しかけ女房のようにして「自称弟子」になったのは、フランスの哲学者

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas)先生なのですが、









この間、来年は大学受験の我が家の坊主の模試の問題を見ていたら、、、




 問: 次の ア、イ、ウ の、他者についての考察の組み合わせで、正しいものを選べ。


    ア  未開社会の人々の思考が規則性をもった複雑で巧みな体系に支え

      られていることを明らかにして、未開社会の人々の思考を原始的で

      劣っているとみなす西洋文明中心の考え方を批判した。


    イ  『百科全書』の編集に従事する一方、ある著作の中でヨーロッパ

      の堕落した習俗をタヒチの人々の純粋な生活と対置し、西洋文明の

      ありかたに批判の目を向けた。


    ウ  「私」の主体性から出発する近代以降の哲学のあり方を批判し、

      他者が自己の了解を超えた存在であることに注目して、倫理は、

      「私」が「他者」に問いただされる存在であると考えるところ

      から始まるとした。




と言う倫理社会の問題がありまして、正解は、アがレヴィ・ストロース、イがディドロ、

ウがレヴィナスで、その組み合わせを答えるのですが、学習の手引き〔解答・解説集〕の

中で、エマニュエル・レヴィナスについて、次のように解説しているのです。




     ユダヤ人としてナチスによるホロコーストを体験したレヴィナスは、

    「他者」をめぐる思想を展開した哲学者として知られる。彼によれば、

    「他者」の最も基本的な性格は、「私」とは根本的に同じではあり得

    ないということ(他性)であり、また、「他者」は「私」の自己意識の

    なかに取り込めないがゆえに圧倒的な重みをもつ存在ということである。

    このような観点から、彼は、自我を中心にすべてを説明しようとする

    思考(全体性)を生み出した西洋近代哲学を批判し、倫理は自我からで

    はなく、「他者」からはじまると説いた。




いやぁー、短いのに上手にまとめるもんですねぇー、、、。(「全体性」って何だろう?

って思っていた、、、)でも、僕らが高校生の頃には、エマニュエル・レヴィナス先生

なんて、絶対に試験に出なかったんでないの、、、?






追記  残念ながら、我が家の坊主のセンター試験の社会は地理で、倫理社会は選択して

    いません。




追記の追記  私が、2017年1月15日と16日に行われたセンター試験の地理の問題を

       (30分くらいで)解いてみましたら83点でした。我が家の坊主は79点

       でした。坊主は「僕は現役なのに3年間何をやっていたんだろう?」と

       ガクッと来ていました。悪い父親です、、、、。











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大人はそんなに偉いのか?

2016-11-02 12:28:15 | 日記



小学校の5、6年の頃だったか、中学生になった頃だったか、こんな事を考えていた。


 大人はそんなに偉いのか?


学校の先生にしろ親にしろ、あれこれゴチャゴチャ言うけれど、言うほどそんなに立派

なの? たとえば、「あなたは何のために生きてるの?」とか「人間はなんのために生きて

るの?」とか聞かれて、すぐにスラスラと「それはこうでこうだからだよ」と答えられる

大人なんているのか知らん? (僕は今でも答えられません、、、。いきなりスラスラ答え

る人がいたら相当怪しい、、、。「ワカラナイ」と言ったら、それは割と正直な人。)

「なんで生きているのか、なんのために生きているのか判らない人が偉いわけないじゃな

いか!」と勝手に考えていた、、、。もう忘れてしまったが、いろいろと考えて辿り着い

た結論は、


 大人と子供はたいして違わない、長いこと生きているかいないかの違いだけで、どっち

 が偉いとか偉くないかでもないし、違うけど同じ、同じだけど違うだけ、、、。


と言うものでした。(「大人は大きな子供で、子供は小さな大人」などと生意気なことは

考えなかった)ところが話はこれで終わらない、話を拡げて次のように考えてしまった。


 いま生きている人と、昔の人は、どっちが幸せなのか、幸せだったのか?


大阪万博のとき「人類の進歩と調和」って言っていたけど、そんな能天気な話がある訳な

いじゃないかと思った。江戸時代に抗生物質の1つでもあれば、江戸時代ほうがよっぽど

幸せなんじゃないのか?(「サスティナブル」なんて気持ちの悪い言葉はなかった、、。)

今ある郷土料理や何とか漬けとか、みんな江戸時代や明治や大正の頃に、当時の人々が考

えたんでないの? オリンピックの選手だって、リオから日本に帰ってきて郷里に帰った

ら、まずは地元の名産や名物を、家族と一緒に食べたいんでないの? (いまの女の人は

漬物なんて漬けてくれない。スーパーで売っている漬物なんて、保存料だか何だかわから

ないけど、不味いだけ、、、。) いろいろと考えて、辿り着いた結論は、、、


 いま生きている人と昔の人と、どちらが幸せで、どちらかが幸せでないということ

 はない。でも出来れば、江戸時代に現代の医療があったり、戦前に抗生物質の1つ

 でもあれば、どれほど良かったか、、、


と言うものでした。(渋江抽斎はコレラで死んじゃうし、石川啄木も中原中也も八木重吉

も立原道造も、みんな結核で死んでしまった、、、。)



建築だと、日本の大工さんの技術や大工道具は、明治時代が一番良かったという事になっ

ているのですが(木材などの材料も? でも時代が時代で成金趣味なのか、予算のかかっ

た建物にかぎって、あまり良い設計の建物はないようですけど、、)、江戸時代から昭和

の戦後まで、「これがあったらば良かったのに」という材料は、ペアガラスと一部の断熱

材と、地面からの湿気を防ぐための防湿コンクリートと地盤改良材、などでしょうか。

今は、輸入された集成木材をプレカットして、建材を選んで取り付けたらば、それでおし

まいです。(建材を選ぶのは、例のスーパーの買い物とたいして変わらなかったりして)

大工さんの技術も何もありません。大工職はいくつかある職方の1つになってしまいまし

た。現場をまとめる人も居るんだか居ないんだか、一番えばっているのは、北海道で言う

ところの「帳場さん」? (昔の現場に詳しい監督さんとしての「帳場さん」ではなくて、

もっぱらお金の計算している、会社員のようなデスクワークの「帳場さん」、、、。)


人類が進歩して調和しているんなら、コンピューターもあって便利になったんだから、

もうちょっと明治や昭和の初めの頃より良い建物が作れてもと思うのですが、残念ながら

そうはなっていないようなのです、、、。こと建築に関する限り、昔より今のほうが何か

が良くなっているとは、とても思えない、、、。そのぶん、スマホとか携帯とかが便利に

なったりして、どこかでバランスが取れているのでしょうけど、、、。





追記  宮沢賢治を結核と思って詩人の名前の中に入れてしまっていましたが、結核は

    妹のトシさんでした。賢治は若い頃に肋膜を患って岩手病院(今の岩手医科大

    学の前身)に入院して、亡くなったときの病名は両側肺湿潤による急性肺炎で
 
    した。37歳でした。

 

 

追記その2  「あなたは何のために生きてるの?」とか「人間はなんのために生きてるの?」

       なんですけど、今なら、こんなふうに答えるかも知れません、、、。

 

       たぶん、『誰かを幸せにするために』、です、、、。

 

       この場合、『誰か』は、これから出会うかも知れない人でも良いですし、もしか

       したらば、これからか、いつか生まれるかも知れない自分の子供でも良いのです。

       ただ、子供というのは有難いもので、何もしなくても、生きているだけで、周囲

       の人を幸せにしてくれます。大人は、そうはいきません。だいたい中学生くらい

       から、怪しくなって来るみたいです、、、。

 

 

 

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