北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

丘の上の修道院  Դադիվանք その3

2022-10-18 15:04:59 | 日記

 

前の記事の、3 の アルズー カトゥーン Arzou-Khatoun 大聖堂 の 南面 

だと思うのですが、、、

 

        

 

 

 

とにかく、アルメニアの石工さん達の、仕事が綺麗で、その石積みの美しい事、、、!

 

         

 

 

上の方の近づいたところ

 

 

 

 

これは、 たぶん東面かな ?

 

        

 

 

これは下の方の近づいたところ、、、何か文字が、いっぱい彫られているみたい、、、 。

 

 

 

 

これが北面と思います。

 

 

 

 

 聖堂の東側を、屋根まで見上げたところ

 

 

 

上の写真で、屋根や屋根の下の色の違う石材などは、新しい材料で修復されているようです。

この建物は  1997年~2011年にかけて、相当な修復保存工事が、当時のアルメニア政府や、

おそらく、在米のアルメニアン・コミュニィテイー(100万人~150万人とも、言われてい

ようです)などの支援によって行なわれたのです、、、。

 

 

この Youtube の動画で、白っぽく見える石材の部分は、おそらく、その時の修復・補修ヶ所

と思います。

 

 

 

すこし判りずらいのですが、、、これが、1997年当時の、修復保存工事前の写真で、、、

 

 

 

こちらが、修復保存工事の後の 2011年 の写真です、、、。

 

 

 

ですが、せっかく自分たちの手で 修復保存工事 をしたのに、9年後の 2020 年に、アルメニア

の人たちは、この修道院の中にある、運び出せる大事なものは、全て運び出して、この建物を

明け渡さなければならなくなってしまうのです、、、。

 

 

 

この動画で、保存・修復の前の様子が、よく判るかと思います。

 

 

       

 

                                                                             丘の上の修道院  Դադիվանք その4につづきます

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丘の上の修道院  Դադիվանք その2

2022-10-18 06:56:37 | 日記

 

この修道院の色付き平面図( 上が北 )で

 

                

 

1 の濃青色の部分は  古い修道院教会  Ancienne église du monastère  

                ( 上の北側の半分は斜面に埋まっている )

 

2 の黄色の部分は   小さなバシリカ  Petite basilique

 

3 の緑色の部分は   アルズー カトゥーン Arzou-Khatoun 大聖堂教会 ( 13世紀ころ ? )

 

4 の紫色の部分は   ハッサン Hassan-le-Grand 大帝教会

 

5 の赤色の部分は   グレゴリー司教のナルテックス( narthex 拝廊 、13世紀ころ ? 

                                                     やはり、上の 北側の半分は斜面に埋まっている )

 

6 の薄青色の部分は  アルズー カトゥーン大聖堂教会 のナルテックス (narthex 拝廊)

 

           (ナルテックス narthex 拝廊というのは、どうも最近は ゲーム業界の用語に

            なってしまっているようで、ゲーム業界の人達って凄いですね、、。

            『ナルテックスの箱鍵』と言われても、僕にはチンプンカンプン、、、。

                                   もともとの ナルテックス narthex 拝廊 は、教会の身廊の手前の、信徒では

            ない一般人でも、そこまでは入っても良い場所だったようなのですが、、、)

 

7の橙色の部分は   鐘楼 Clocher( 13世紀半ばころ ? )

 

 

     一番下の、黒色の横長の建物は、僕が継ぎ足しました。( ちょっとボケて、大きさも若干

     違いますし、4 の紫色の ハッサン Hassan-le-Grand 大帝教会との間の間隔や角度も、ちょっ

     と違います、、、。)左から refectory 食堂、TAKAR ターカル堂、library 図書室  、、です。

     今は、 refectory 食堂と library 図書室は 崩れ落ちてしまっていて TAKAR ターカル堂 の屋根

               の上は、草で覆われてしまっているようです、、、。

 

 

すいません、、、それぞれの建物の、建った順番、建設年代は、、、よく判りません、、、。

 

 

 

アルズー カトゥーン Arzou-Khatoun 大聖堂教会 のナルテックス (narthex 拝廊)の東側、

正面は、その聖堂への入り口

 

 

 

 

聖堂の入り口の扉の閉まっているところ

 

 

 

 

聖堂の中に入って、振り返ったところ

 

 

まるで、どこかで見たような、現代建築 ? みたいな、階段の構造とデザイン、、、浮いているし

、、、なんと、内開きの扉を、中に開くと、階段の下端と揃うようになっていて、『戸当たり』

になっている(偶然とも思えないけど )、でも、これって ディテール って言うのか知らん ? ?

 

 

ナルテックスの西側

 

 

 

 

4 の ハッサンHassan-le-Grand 大帝教会の建物(左、つまり南 )と、6 の アルズー

カトゥーン大聖堂教会 のナルテックス (narthex 拝廊 )の建物(右、つまり北 )

に挟まれた、建物と建物の間です。

 

 

 

まるで、中世の、どこかの街の『街路 』のようです、、、。

 

 

 

聖堂の中に入って、出る時に、逆光の中ですが、階段らしきものがチラッと見えます。

 

 

 

 

 

 

                                   丘の上の修道院  Դադիվանք その3につづく

                

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丘の上の修道院  Դադիվանք その1

2022-10-16 21:48:39 | 日記

 

『アルメニアの人達って、「建築の民」というか「建築の徒」なんです、、、。』って、

書いたんですけど、『ブリキの教会』と『イスラム教の霊廟』の2つだけじゃ、何だか

良く判りませんよね、、、。

 

 

アルメニア使徒教会の『丘の上の修道院  Դադիվանք 』、、、『 聖ダディ修道院 』 とも

、Dadivank Monastery  ダディヴァンク修道院  とも、言うようなのですが、、、。

 

 

 

 

Youtube の動画です。

 

 

 

 

またしても、アゼルバイジャン の中みたいなんです、、、。 

 

 

 

 

              Google Map 

 

 

 

 

なんとも不思議な、見た事もないような、、、配置・平面図

 

 

 

 

なんとなく、ルイス  カーン さんのフィシャー邸 みたいだ、、、。

 

                             

 

ルイス カーン さんは、エストニア系の ユダヤ人だから、ディアスポラ Diaspora という

意味では、アルメニアの人たちと一緒なのかな、、、?

 

 

                     丘の上の修道院  Դադիվանք その2 につづきます

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Gutlu Musa Mausoleum 

2022-10-13 18:18:34 | 日記

 

アルメニアの人達って、『建築の民』というか『建築の徒』なんです、、、。

 

 

これは、Gutlu Musa Mausoleum という、『霊廟』の建物らしいんですけど、建っている

のは アルメニア じゃなくて アゼルバイジャン らしくて、どうやら最近のニュースでは、

アゼルバイジャン の中にアルメニア の『飛び地』? もあるみたいで、、、でも、どちら

にしろ、設計・施工したのは アルメニア人の人達だと思います、、、。

 

 

 

 

上の『霊廟』の平図面です。(東西南北、判りません、、、)

 

地下墓室レベルの平図面です。(上が北のようです)建物の外の草地の中の階段から入るのかな?

 

立面図と断面図

 

ブリキの教会の建っている スピタク Spitak の街は、セヴァン湖の北西 ヴァナソル の

西 さらに 10km くらい、、、。 (赤い印が Gutlu Musa Mausoleum )

 

 

 

 

 

『霊廟』の内部の天井でしょうか ?

 

              The stalactive vault of chapel,photo by H.Petrosyan.

 

 

  十二角形の建物なんですけど、屋根は瓦かテラコッタみたいです。

 

  

 

 

 

追記  この建物は、どうやら最近の ナゴルノ・カラバフ戦争 の際に、『偽旗プロパガンダ』の

    対象になってしまったみたいで、真相は良く判りません、、、。僕には  アルメニア建築

    に 見えてしまうのですが、、、。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブリキの教会(アルメニア使徒教会)

2022-10-05 02:33:34 | 日記

 

アルメニア の スピタク Spitak という街の、街外れの墓地の丘の上に建っている ブリキの教会

 

 

   

 

 

アルメニア と言っても、すぐには、どこの国だか判らない、、、。エレバン は アルメニアの首都

黒海とカスピ海に挟まれた コーカサス地方。

 

 

 

 

スピタク Spitak という街の、南西の街外れ、、、

 

 

 

 

 

 

教会の下は、墓地、、、

 

 

 

 

ソビエト連邦末期の 1988年の12月7日 に、マグニチュード 6.8~7.2 の巨大地震があって、

スピタク Spitak の街と、その西の ギュムリ Gyumri という街は、震源の中心だったらしく、

このブリキの教会は、地震の後に再建された建築のようです、、、。

 

 

  

 

 

その、地震の後の ギュムリ Gyumri という街の 仮設住宅 の、おばさん、、、。

 

  

 

仮設住宅の右に、少し出っ張って見えるのは、ソビエト時代の噴水か何かの モニュメント らしい

 

 

少し長いですが、10 years After The Armenan Earthquake という動画です。

2′30″あたりに、この教会が少し出て来ます。

 

      

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする