Kennyのブログあれこれ

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日記(5.18) アイロンがけ ・  記事(ポール・ブリュナ)

2014-05-18 15:49:46 | 日記
5月18日 (日曜日)  晴れ

気持のいい朝だ!関東はよく晴れて、
お出かけ日和と予報が・・・

このところ急に風が吹いたりして、なかなか野菜苗のクネ立てを
戸惑っている。

散歩に出て・・
今日は遠く富士山の頭も見える。
空気が澄んでいるんだ!


ヤマボウシが盛りである。

かなり雪で痛めつけられたのに、タイサンボクの花芽が膨らんできた。

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途中で苺摘みを
素人作りでは、大きくならないなあ~!

花の時期に選別しないとだめか?

隣の畑のSさんはそら豆作りが上手である。
少しいただいた。

旬のものは美味しい。朝からビールが欲しいところ。
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Yシャツのアイロンがけをカミさん準備していると
なんでも真似をしたくなるのか・・自分の給食着等を持ってきて
”かける”と言ってうるさいので・・・ハンカチから少しやらせてみる。


初めは少し面白がってやっていたが、30分程で飽きてしまった。

クリーニング屋さんになれるかな!
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毎日新聞 余録の記事を転記させてもらう。

フランス東部の都市リヨン近郊で19世紀に生まれた男性が
約140年ぶりに脚光を浴びた。

先ごろ世界文化遺産への登録を勧告された
群馬・富岡製糸場の創設に大きな貢献をしたポール・ブリュナだ。
     
慶応2(1866)年に来日し、
横浜の貿易会社で生糸の検査人として働いた時に明治政府に雇われ、
製糸場の建設と製糸技術の指導を任された。
採用に際してはフランス軍事教官団の一員で日本陸軍の軍制改革に当たった
デュ・ブスケの推薦があった.
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   明治政府は外国人指導者としてフランス人のポール・ブリュナを雇いました
   ブリュナは建設地を富岡に選定し、フランスから製糸場に
   必要となる技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合うように
   改良したものを注文
して取り寄せました。

   建物の設計は 横須賀製鉄所建設に携わった同じくフランス人の
   オーギュスト・バスティアンが担当しました。
   尾高惇忠(じゅんちゅう)は政府の役人として
   建設当初から関わり、
   建築資材の調達に尽力するなどしました。
   尾高は後に初代場長となり、
   娘の勇(ゆう)を「工女1号」として入場させました。
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東アジアの外れに位置する島国が歴史地理的ハンディを抱えながらも
近代化を成し遂げた原動力になったのがブリュナをはじめ
あまたの「お雇い外国人」だ。梅渓昇さんの著書


「お雇い外国人」によれば、見込み違いの採用もあったが、
全体としては歴史的任務をよく果たした.
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古代以来、我が国は大陸の先進文化を積極的に取り入れ、
消化して独自の文化をつくってきた。


漢字を日本に伝えたとされる王仁(わに)は応神天皇の招きで
4世紀末に朝鮮半島の百済国から渡来した。
一緒に来日した瓦職人や陶工らは後の飛鳥文化に影響
を及ぼした。

▲スポーツは明治期、お雇い外国人によってもたらされた。
 彼らなくして今日の隆盛はない。
 サッカー・ワールドカップに出場する日本代表を率いる
 イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督
 21世紀のお雇い外国人と言える。

歴史を直視すれば「国のかたち」は日本人だけで出来上がったわけでない。
この先人口減少は避けられず、外国人の力を借りずには社会は立ち行かない。
先人たちにならい他者との接触や対話によって未来をより豊かなものにしたい。
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