福井県南越前町(河野村)の海岸を通ったので、ふと思い出して立ち寄りました。
大日本帝国海軍特務艦関東遭難の碑です。
折しも大正13年12月12日、96年前の今日の出来事です。
関東艦は徳山から舞鶴に向けての航海中、海上荒天と吹雪のため、舞鶴への変針目標となる経ヶ岬を視認することができず、そのまま東進を続けたため、河野村糠の海岸(沖の岩礁)に乗り揚げ遭難するに至ったそうです。
「関東艦遭難の記」には詳しく書かれていましたが、糠の女性達は、何とか岸にたどり着いた瀕死の乗組員の多くを裸になってって自らの体温で温めて献身的に助けたことが伝えられています。
それでも結果乗組員207名のうち、殉職者97名という大海難になってしまいました。
それでも結果乗組員207名のうち、殉職者97名という大海難になってしまいました。
その状況が大きなレリーフになって残されています。
大正時代ですから当然レーダーもGPSも無い訳です。吹雪で視界が奪われ、天測も沿岸航法もできない以上、推測航法のみとなったことは想像できます。誰もが「何かおかしい」と感じていたとは思います。天候回復を待つという選択肢は無かったのでしょうか。人工衛星も無いですから天気予報も期待できなかったですね。
今は本当に便利で楽な時代になったものです。でも初心は忘れないように戒めなければなりません。殉職者のご冥福をお祈りします。
96年前から少し遅れて、今年は明後日頃から大きな寒波がやってきそうです。
かなーり前の話ですから。もう少し伝えられたら良いですね。
海側にも石碑があります。通った時に立ち止まってみて下さい。
献身的な救助活動、エルトゥールル号の話を思い出しました。