Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

新海誠の画集『空の記憶』発売

2008-04-26 00:44:51 | アニメーション
ついに新海誠美術作品集『空の記憶』が発売された。早速、書店で購入。すごい。これほどの美術が一挙に掲載されるとは。半分以上が秒速の美術だけど、コスモナウトの夢シーンの美術も当然載っていて、SF好きの人も楽しめそう。

新海誠がどのように背景を描いているのかが段階を追って解説されているページがあって、とても参考になった(自分では描けないけどね)。実際の写真を基にして描いているのは知ってたけど、こんな風にアニメーションの背景にしていくんだ、という過程がよく分かった。たまに、写真を基にしているから、あんなの誰でも描けるよ、なんてうそぶく人がいるけど、なんでもない風景を、あんなにも美しく懐かしい絵にしてしまうのは、やはりすごいと思う。

それと、新海誠と言えば、彼の新作がいまYou Tubeなどで見られますね。ef―the latter taleのOP。ちなみに新海誠はこのtheをaと書いていて、間違えている…自分で作ったのに。それはいいとして、映像の出来だけど、個人的には、前作のefの方が好き。というのも、新作は、動画部分の尺が短い気がするから物足りないんだよなあ。実際に時間を計ってみたわけじゃないので直感なんだけど、なんだか前置きの静止画がやたら長くて、動いているシーンは少なくてあっという間に終わってしまったように感じた。それと、主題歌が、前作の方が気に入っている。「ふたつの手 重なる」の部分が、あのカシャッカシャッというカット割と共に大好き。つづく「舞い上がれ 空高く」からラストまでもいい。でも、新作は、始まり(動画の)のシーンが最高。ピアノの音と同時に雨粒が水溜りに波紋を描いてゆくシーン。実はこういう演出の仕方は以前におれも考えたことがあって、やっぱりいいなあと再認識。けっこう感受性が似てるのかも…(なんて言うのはおこがましいか)。

このあいだ書いた、ルネ・ラルーの「ワン・フォはいかに救われたか」を見てから(ユルスナールの短編を読んでから)考えていたことなんだけど、新海誠の映像っていうのは、あの話とは逆の効果なんだよね。ユルスナールの短編では、老絵師の絵のあまりの美しさゆえに世界が色褪せて見えるから、老絵師は殺されそうになったけど、新海誠の絵っていうのは、世界はこんなにも美しいんだ、ということに気付かせてくれる。ただ、それだけだと、たとえば「紅の豚」のフィオが言う「きれい…世界って本当にきれい」と同じような意味になってしまうかもしれない。確かにそういう意味はある。あるんだけど、でもそれだけじゃなくて、新海誠が「紅の豚」と違うのは、「でも私は世界から独りきり取り残されている」という孤絶感だと思う。こんなにも世界は美しいのに、私は世界から切り離されている、という孤独な感覚。これが新海誠の真骨頂であり、そしてその感覚が、あの背景の郷愁を掻き立てられるような感覚にも通じているんじゃないか。

「耳をすませば」で、宮崎駿は「イバラード目」ということを言っていて、世界をいつもと違った視点から見れば、別の世界が見えてくるという。たぶん「耳をすませば」の主題の一つはまさにそれだと思うんだけど、新海誠の美術っていうのは、それを実践している。ただそれだけじゃない。そこに孤独感というものを介入させている。その分、新海誠の映画は屈折しているんだけど、そこがまたいいんだよね。だから、新海誠の映画を見ると、世界の美しさを学ぶと同時に、でも自分はそこに属していないかもしれないという不安な孤絶感をも学ぶんだと思う。学ぶ、なんて言うと勉強臭いけど、自然と身につける、ということだね。

また長くなってしまった。でも『空の記憶』発売記念ということで。