色々お散歩

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4 コンシェルジュリー牢獄 2015年

2015年09月27日 22時44分23秒 | 海外旅行・フランス

コンシェルジュリ牢獄


9/18(金)

今回のフランス旅行はマリーアントワネットの足跡を・・・と言う事で
昨日の豪壮華麗なヴェルサイユ宮殿 マリーアントワネットが14歳でフランスに輿入れし、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿と
お気に入りの離宮プチ・トリアノンにこもり、王妃の村里を作り革命勃発の1789年までの約20年をヴェルサイユで過ごす。

今回はその最後の地、パリのコンシェルジュリー牢獄
写真は今年は良い写真を撮らなったので昨年の撮影した物




メトロでシテ島まで行く

アールヌーボー調の素敵なメトロ入口とその周辺

本日は早々とスリの女の子、男の子らが出勤していた。
署名スリの子ら5名程


やはりセキュリティチェックがある。
最高裁判所の入り口と同じなる為、裁判見に来た人も、裁判を受ける側かもしれない人も近くにいるのでとにかく
場所が場所だけにチェックが厳しい。


そんな場所だが
牢獄のスタッフの方がやたらと愛想がよく
日本の単語をよく使ってくれる。 
この牢獄に入れば必ずギロチン行きと言う死への最終地点のようなコンシェルジュリー牢獄
重々しい内容とは裏腹にスタッフがやたら明るい。


内部


変な物があるので写真を撮るのに避けていたこれ

修復中なのかと思いきやこれは現代アートなんだとか。
こっ、こんな所でしかも意味不明なアートすんなーーーーー!!!!!
 ハッ!!!現代アートとは意味不明な物と直結しているのではないだろうか。私には不可解で理解しがたい物ばかりの現代アート。
いいのか?現代はそれでいいのか? 芸術の未来の行く先が不安でならない。

ちなみにトイレがあり
海外では完全食不信に陥るような現象があるが
また、トイレに行かなくても全然大丈夫になるようで、行ってみても特に…的な感じだが
このコンシェルジュリーの中のトイレも一応入った。
私がの後ろに白人おばさん方が色々話していたが……その人達はトイレ待ちの客では無かったようで
私が出たらそのおばさん方は扉を閉めてしまった。
そして何か書かれた紙をはり、トイレのドアを閉める。
聞いたところによると
トイレストライキとの事。

私を最後に次の人達はトイレが使用できなくなってしまっていた。
私のツアーの人達はみんな入れた←私が一番最後
が、その他の後から来た人々はトイレに入れないっ何て事になっていたのだ。

うーん、まぁ、ストライキでコンシェルジュリに入れないよりは良心的なストライキかもしれないが、トイレ事情が深刻な人はかわいそうだ。

矢印があり、ここは昔セーヌ河の氾濫でここまで水没したとの印。
やはり川近くは氾濫なのがあるのだ。

土産物売り場

毎回の事だが、旅行中は貧乏性に陥りる。帰国後にやはり何か買えばよかったとか思うのだ。


入口



看守部屋

看守と言えばここの看守らしき亡霊的趣のある老人がいらっしゃった。
ここの看守の代々からの末裔、子孫なのではないかと噂になっていた。

髪切り場
ギロチンにかける際に髪が絡まると妨げになるためカット!


処刑された人物の名前が刻まれている

ルイ16世とマリーアントワネットが横に並んでいるが、それは全くの偶然なのだそう。
左側上から2番目がルイ16世カペー、その真右がマリーアントワネット ロレーヌ オートリッシュと書かれている(実際の名前はもっと長いのだ)

ロベスピエールの名前





囚人の部屋 藁が敷かれ、ネズミやノミなどの虫と汚物と共に凄く最低の環境の牢獄。



しかし、金を出すと待遇が変わる。ベッドつきの部屋


さらに金を積むと灯つきになり、書物ができる。金を出せば待遇も良くなるというわけ。




ここは一応、普通に歴史やらベルばらやは知らなくてもパリの景色などが見たい、と言う方が気軽に写真を楽しめるための旅ブログにしたいと思うので

あまり小難しいことは書かずに写真と簡単な説明のみを載せていく。
(フランス革命、ベルばら、歴史やらが好きな方の為の旅行ブログもまた別に書く予定。
詳しい内容などはそちらに)

昔の風景


処刑された方々


処刑された革命家などの方々
ダントン


カミーユ・デムーラン


サンジュスト


エベール


可愛らしい絵が。下にフランス語で説明文がある
私の訳では若い女性の訪問客






ロベスピエール

ロベスピエールの説明ではないかと思われるがもうフランス語読む気力がないので勝手に呼んでみてください←オイ!!




礼拝堂

王家の印
ヴェルサイユ宮殿の王族の肖像画にも額にこれが付いている場合が多い。
この奥が元はマリーアントワネットの独房だった。




死刑を待つジロンド派の方々



本来の独房場所
涙のしずくのような模様が。







中庭



洗濯場
ここで女性囚人達は話をしたりした

女性囚人達の中庭

男性囚人達の庭は狭い

この中庭から出発断頭台への馬車が出発する。



看守部屋
 


あのヴェルサイユ宮殿で輝いた華やかな女王
マリー・アントワネットの独房再現。
待遇は1番良いが、それでも宮殿やプチトリアノンを思うと悲しい部屋





逃亡事件があったので見張りが必ずつく。
トランプで遊んでる姿も



裁判の様子


マリーアントワネットの水差し
可愛らしくも何故か哀愁を感じる


使用していた品


肖像画





オーストリア皇女として産まれた
マリーアントワネット。

ヴェルサイユ宮殿、プチトリアノン、庭園、王妃の村里…あの広大な庭…

そして最後に行く着いた先がこの独房。
彼女は生まれた時代が悪すぎた
すでに仙台のルイ14世、15世の莫大な浪費で
ブルボン王朝の末期に嫁いできたマリーアントワネット。
やるせない気持ちになる。
またその他の死刑囚も当然罪人も居るのだが

革命後の恐怖政治により若くして命を落としていった革命家たち、罪なき人達もここをどういった気持ちで断頭台へ向け出向いって言ったのだろうか…





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (天馬騎士)
2015-10-02 06:02:36
おはようございます。

牢獄、凄い雰囲気ですね。マリー・アントワネットは、どんな気持ちで、この牢獄で処刑されるまでの日を過ごしていたのでしょう…。
慣れない環境の中で暮らしてきたから、ストレスが溜まっていたでしょうね。

フランス革命の時、貴族だけでなく、貴族が飼っていた犬も、殺されたとか。

そういえば、10月4日(日曜日)の19時00分~「フジテレビ」でやる番組、[日曜ファミリア・世界ベスト・オブ・映像ショー頂上リサーチ【ふなっしーマヤ村へ】]に、ふなっしーが出るそうですよ。
返信する
天馬騎士さん (リフィ)
2015-10-02 08:39:25
おはようございます。

本当にあの華やかな生活から一変して
相当のストレスだったと思いますが
想像を絶するものがあったでしょうね…。

犬まで…可哀想ですっ!
何の罪もないのにっ!!!

わぁ!ふなっしーが久々テレビにっ!!!
情報ありがとうございますっっっ!!!
楽しみですっっ!!!
返信する
リフィさん (ジェラ)
2015-10-13 13:02:40
こんにちは~
コンシェルジュリーの内部写真をリフィさんのブログで初めて拝見しました。
建物は何年か前に修復されたばかりで、こんな綺麗なコンシェルジュリーをセーヌ川沿いに見れたのは光栄でしたが、
歴史を思うとどうしても怖くて・・・

セーヌ川の氾濫で水位を示した矢印ですが、結構高いところまであがってますね、
3メートル近くいってますでしょうか?
あの綺麗な川もやはりそれほどまで氾濫した過去があるのですねぇ。

処刑される貴族達は一部を除き毅然とした態度で刑を受けたそうですが、
本当だとすると日本の侍魂に匹敵するような精神力ですよね。
貴族とは高貴である威厳がそういう風にさせたのかもしれませんが、
なかなか想像するのが難しい時代です。
いくら金を積んでも、じきに処刑されると思うと、なかなか読書する気分にはなれなさそうです・・・

マリーアントワネットも、かわいそうですね。
生まれた時代が少し違えば王族として豊かな人生を全う出来たかもしれないのに、、
独房は藁の敷かれた小部屋よりはマシと言っても、煌びやかなものばかり見て育った
マリーアントワネットには大変なストレスだったでしょうね。。。
藁の小部屋は最悪ですね。
処刑までも生きる気力を失いそうです。

ロベスピエールやダントンの肖像画もありますね!
カミーユ・デムーランも、かなり綺麗に描かれていますね。
堂々たる面子と牢屋を見ていると恐ろしい時代のうねりを想像し、今の平和な暮らしに感謝してしまいます。
物騒になってきた社会とは言え、まだまだ私の頭は平和ボケしています。
しかし世界史も日本史も、過去に内戦や戦争のなかった時代なんてどこにもないですもんね。
こんな革命に巻き込まれて大切な人や家族を失った過去の人達の気持ちを考えると、いたたまれないです。

3年前に行けなかったので、中まで写真拝見出来てうれしかったです。
有難うございました。
返信する
ジェラさん (リフィ)
2015-10-14 19:14:05
こんばんは~
ついにコンシェルジュリ牢獄の中へと入りました

修復後ということで白と青の綺麗な外装で、とても牢獄とは思えませんよねっ!!

セーヌ川もやはり氾濫したようです。
ちょうど関東は鬼怒川の氾濫直後の時期だっただけになんとも言い難いものを感じました。
同時に「やっぱりそうなるよねぇ…」と
妙に納得した思いもありまして。

水位は2m超えていたと思います。


そうですよねっ
処刑された貴族、または自分の行動に誇りを持って生きた人などは毅然とした態度だったといいます。
女性革命家のロラン夫人やマラーを暗殺したシャルロット・コルデーなど
さりげなく処刑された方々の絵の中にいますが

可憐な容姿の女性ながら その態度には見物人の心を打ったといいます。

ですがエロジジ…ルイ15世の寵姫、デュ・バリー夫人は最下層の出身で
それ故か死刑執行人や見物人に命乞いし絶叫し逃げ惑い
その悲痛さかは人々が同乗し処刑に対して反対的な考えが出始めます。

皆がこの様な態度だったなら恐怖政治ももっと早く終わっていたかもしれないと言われていまして、何とも複雑です。
しかし、毅然とした態度で理不尽な刑を受けた人々
仰るようにとても今のこの時代の私達にはとても計り知れないものがありますよね

今生きている平和な国、時代
その平和の幸せを意識せずにはいられません


このコンシェルジュリは人様のブログを記載された時代順に見ていくとどうも比較的最近まで撮影禁止だったようです。←昨年のあの美しいヴィース教会もそうだったのです

近年、人様のブログに中の写真が掲載されるようになりましたが
大抵は蝋人形が配置されていまして
よりリアリティで生々しさを感じされられましたが
私が訪問した際にはマリーアントワネットの独房再現以外には蝋人形は一体もありませんでした。


藁の部屋は嫌ですね
ノミやや害虫、ネズミに噛まれながら
長居はせずに執行されて行ったと思われますが

マリーアントワネットと引き離された王子、ルイ・シャルルは実はその後、こう言った状態の中で監禁されるのです。
光の当たらない、藁に自身の汚物は片付けるものも無く、劣悪な環境かと栄養不足によってくる病になり、病弱し亡くなったという何ともいたたまれない最期でした。


灯のある部屋では書き物が出来るということで
革命家や思想家など何かを書き残そうとしたのでしょうね、あのマルキ・ド・サドも作品はほぼ全て獄中で執筆したものだそうで…。
ちなみにサドはフランス革命時はバスティーユ牢獄に投獄されていました。

マリーアントワネットは本当にっ
時代が違えば
ハプスブルクの繁栄から末期にあったブルボン王朝へ嫁ぐ運命とは…っ

政治財政などの不満は歴代の王のその愛人に矛先が当てられる場合が多く
王妃というのは日陰の存在で大抵は王の愛人が権力を持ち浪費のその先に存在する怒りの対象となるのですが

ルイ16世は愛人が居なかった為
マリーアントワネットに全て矛先が向けられた様です。

ロベスピエールやら革命家達の肖像画の部屋、カミーユデムーラン。カツラなんか被っちゃってかなり美化されてますよねっ!!
全然関係ない話ですが
ロベスピエールの時代はカツラが流行っていましたが
サンジュストの頃にはもうカツラの流行は終わっていたそうです。
このサンジュストの写真もモーツァルトみたいなカツラは被ってませんね
彼は真っ赤な口紅をつけ胸にカーネーションを…とオシャレだったそうです。って、本当にどーでもいい話しちゃいました

処刑場では無いとは言え
彼らの最期の地とも言えるこの場所はやはり違ったものがあります。

マリーアントワネットの独房再現のみ蝋人形で再現されていましたが
彼女の遺品などが展示されていたのは嬉しかったです。

楽しい場所でも美しい場所でもありませんがフランス革命の軌跡をたどる重要な場所でした。
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