木枯し菊太郎ブログ

日本で森林が2番目の岩手に根を張り
森で働き、森を活かす事に時間を費やして
行きたいと想う者です。

巨大津波の爪跡 3

2011年03月22日 | 3・11巨大津波の爪跡

釜石市根根浜海岸 砂浜から大量の砂が流入

宮城県南三陸・本吉にて
河口から約2キロ本吉駅付近を夜通過したら
橋にやたらゴミがあって車を回してライトを照らしたら
こんな所まで津波が上がったのかと驚きました。

やるね 吉里吉里人

2011年03月22日 | 3・11巨大津波の爪跡
ひょうたん島の灯台、津波で崩落 吉里吉里人は復興着手2011年3月21日22時6分
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ひょうたん島のモデルとされる蓬莱島。右手にあった灯台が根元から折れてしまった=20日、岩手県大槌町、樫山晃生撮影

被災前の蓬莱島=2010年7月23日、岩手県大槌町、森本写す

使えなくなった給油所の地下タンクから、手押しポンプでガソリンがくみ上げられた=20日、岩手県大槌町、樫山晃生撮影

地震と大津波に襲われた吉里吉里地区の海岸部=岩手県大槌町、河村写す
 岩手県大槌町は、作家・劇作家の故・井上ひさしさんの代表作「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」のモデルとされる。地震と大津波は町を無残な姿に変えた。だが、生き残った町民は吉里吉里の精神で結束し、復興に向けてどこまでも前向きだった。

 大槌湾沖の小さな島、蓬莱(ほうらい)島には、大小二つの丘があり、島影はひょうたんの形をしていた。小さい方の丘に灯台があった。NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルの一つとされ、町の自慢だった。震災前は毎日正午に防災無線を通じて、町内全域にテーマソングも流れた。

 だが、島は津波にのまれ、灯台も流された。ひょうたん形の丘も一部が崩れ落ちた。

 町職員の佐々木健さん(54)は「灯台が壊れたのは残念。でも『泣くのはいやだ、笑っちゃおう』という希望をもたらしてくれるのがひょうたん島。これから復興の旗頭になったらいい」と話した。

 町中心部から北東に約4キロ。海岸沿いに広がる吉里吉里地区は、小説「吉里吉里人」(1981年)のモデルとなった。東北の寒村が日本から独立をめざすという物語。ベストセラーとなり、同地区は「吉里吉里国」として井上作品のファンたちに親しまれてきた。高台のJR山田線吉里吉里駅には、多くのファンが足を運び、切符や入場券を買い求めた。

 地震と大津波で「吉里吉里国」も一面がれきの山と化した。約300世帯2500人が暮らすが、震災でこれまでに約30人が亡くなり、約45人が行方不明になっている。

 だが、震災当日に住民自ら対策本部を発足させ、翌日から、経営者の許可を得て、ガソリンスタンド地下のタンクに残された灯油や軽油の確保に乗り出した。地元の水道事業者らが、がれきの山からかき集めた配管といった資材を使って手動ポンプをつくり、13日までに設営。14日から油をくみ上げた。

 灯油は避難所を暖める暖房機器に、軽油は、地元の建設会社や造園会社から提供を受けた重機に供給された。住民100人以上が重機と共にがれきの撤去に乗り出し、生活道路の確保を目指した。

 避難所で被災者の相談や要望を受け付ける芳賀広喜さん(63)は胸を張った。「吉里吉里国は大変なことになったけど、人々の結束はより強くなった。吉里吉里の人間であることを誇りに思う」(森本未紀、河村能宏)

菊太郎より
安否確認・情報収集や2度目の物資提供にガソリンの提供ありがとうございました。
吉里吉里人はすばらしい ぜひ近隣の手本になって欲しい




無念です

2011年03月20日 | 3・11巨大津波の爪跡
行方不明の大槌町長、遺体で発見
岩手・大槌町長の遺体みつかる 災害対策会議中に津波
(朝日新聞) 2011年03月20日 11時39分
 11日の東日本大震災による津波に巻き込まれて行方不明になっていた岩手県大槌町の加藤宏暉(こうき)町長(69)が、遺体で見つかっていたことがわかった。

 県によると、加藤町長の遺体は19日午後、同町内の国道45号バイパス付近で見つかったという。加藤町長は地震発生後、役場庁舎内で災害対策会議中に津波に巻き込まれた。町議1人と課長7人ら幹部、町職員三十数人とともに行方不明になっていた。


菊太郎より
私が津波被災地に向かう現地を選んだ理由はこのニュースからだった。
町長はじめ大槌町の亡くなられた方々の冥福を祈るのみです。

安否情報のお願い

2011年03月19日 | 3・11巨大津波の爪跡
ブログのコメント投稿に以下の投稿がありました。
情報提供の方はコメントに投稿お願いします。
機材調達に走りますので更新はしばらく出来ません
あとはアウトドアの神様に頼みます。

・本文
吉里吉里4丁目に一人で住んでいる母、「黒澤 明子」の安否が不明です。ご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?
※避難者名簿に載っていません。
 もし非難するとしたら 小学校か吉祥寺だと思います。

大槌町が動いた!

2011年03月18日 | 3・11巨大津波の爪跡
壊滅の町で生徒炊き出し=「みんな助けたい」―町長不明、職員が拠点づくり・岩手
2011年3月18日(金)06:03 時事通信より
東日本大震災で被災した人口約1万5000人の岩手県大槌町。津波にのみ込まれた加藤宏暉町長ら町幹部の多くが安否不明となり、庁舎は骨組みと外壁だけが残った。通信網は寸断されたが、生き残った職員が公民館に拠点を立ち上げ、町内の高校が校舎を避難所として開放した。「みんなを助けたい」。家を流された高校生も炊き出しに加わり、避難してきた人を助けている。

 「生き残った職員で精いっぱいやるしかない」。総務課の平野公三さん(54)は力を込めた。平野さんも副町長らとともに地震翌日の12日、3階建ての役場屋上から自衛隊のヘリで救助され、職員約100人で対策本部を設置した。

 通信機器は衛星電話と救援に駆け付けた自衛隊の無線だけ。平野さんは「避難所との連携は職員が直接訪れるしかなく、正確な行方不明者数の把握も難しい」と説明。「火葬許可証も出せない。今後の行政事務をどうすればいいか」とも話す。

 一方、県や対策本部からの指示が届かない中、学校や民家など町内30カ所で、自主的に避難所ができた。県立大槌高校では、生徒が炊き出しやトイレ掃除などを手伝う。同校2年の峰尭也さん(17)は「自分の家も流された。寝る時は布団がなくて寒い。でも、みんなを助けたいからやっている」と気丈に話した。

 高橋和夫校長は「生徒はよく働いてくれている。通信手段がなくて70人くらいの生徒の安否が確認できず、職員をほかの避難所に行かせている」と語った。

***災害時に強いのは若者・よそ者・ばか者***
私は2つ当てはまるかな 


巨大津波・脅威編

2011年03月17日 | 3・11巨大津波の爪跡

大槌町・中心部 ゴミ収集箱に乗った車

漁船が上流まで流された



電柱がへし折られた


鉄骨構造も

窓を全て突き破る

大型トラックも哀れな姿

ガソリンスタンドは地下タンクだけ無事

津波のいたずら・赤浜



昨年夏に仕事帰りにくつろいだ浪板海岸・松林が半分にサファーのメッカ

大量の瓦礫を押し流す力

全てを押し流す力



重機をひっくり返す力・山田町

家をここまで押し上げる力

防波堤を破壊する力・釜石両石

鉄道レールなどアッサリ・JR山田線浪板付近

無事届けました

2011年03月17日 | 3・11巨大津波の爪跡
避難場所に味噌としょう油を届けました。
炊き出し等に役立てください
食事のバリエーションが増えれば希望を持てるでしょう

物資提供は花巻市東和町の佐々長醸造さんありがとうございました。
良質の水を使い品質本意の味噌・しょう油は県外でも評価されてます。
蔵にクラシック音楽を流し熟成した味噌「クラシック味噌」が有名です。

状況は厳しいけど希望を持とう

2011年03月17日 | 3・11巨大津波の爪跡

岩手内陸はまた雪が降り始めた。
寒気が今晩も日本上空に留まる昨晩より気温は下がるらしい
明日から天気は回復する見込み沿岸に通じる道は積雪だろう

寒気で電力は不足する電気まみれの日本の弱点を突かれた
石油依存を防ぐための原子力政策があだになった今回の大事故
皮肉にも電気を作るところが電気がなく冷却ができないとは

福島原発では総動員で最悪の事態を回避しようと
決死の活動している
勇気をもってすればきっといつかは

※インテル・ミラノの長友佑都さんの活躍にサムライを見た

被災地・大槌町吉里吉里から2回目の帰還

2011年03月16日 | 3・11巨大津波の爪跡
花巻市東和町地元企業の佐々長醸造のみそ・しょう油を届けに悪天の中、届けました。
行きは峠が20cmの積雪でトラック同士立ち往生、戻りは東京から来た
某全国紙の記者が乗ったハイヤーがスリップ3人がかりで手助け(なんとタイヤチェーンの装着出来ない)お陰で避難所にいる時間が少なく
自宅到着もかなり遅れた散々でした。

被災地は昨晩と今日の午後からの雪で重苦しい気持ち
昨日に比べ避難所はやはり沈んでいた。
板張りの体育館にビニールござでは余震の連続で敏感になるし
冷たさも感じる、住民の顔色もよくない
中学生が体調を崩し医師の居る場所に送られた。
降雪のため米英軍の救助はこなかったようだ。
気温が0度くらいまで下がり行方不明者の生存の確立が急激に減るのをすでに
漁師町の住民は察知している。今晩の寒さをどう乗り切るか、小声で会話が聞こえる
消防隊は交代のため帰還、午後は住民だけになり
もの悲しい空気が漂う、会話がなくうなだれている住民が多い
でも若者はまだ元気だった。私が物資を届けると
背中を押したり、声を掛けてくる何か情報を欲しがっている。
まだ希望の光はある。

地区の発言力ある人が居るときは動くが今日は居なかったので
統率がなくなにをしていいかわからないままいる人たち、勝手に動かれない暗黙の空気
北国の漁師町の男達は辛抱強いなと感じるが、行き詰まる時がいずれ来ると感ずる。

女性の方と話したら割に要望が聞けた
下着や靴下、歯磨き用品、焼き物料理がしたいなど
今の要望は日用品と料理用品と感じました。
物資支援はインナー用品・日用品・料理用具をぜひお願いします。
お届け先 岩手県大槌町吉里吉里小学校・緊急避難所宛でお願いします。



日本人の恥

2011年03月16日 | 3・11巨大津波の爪跡
荒涼とした被災地の光景・悲痛な思いの被災者を見たらこんな言葉は言えないと・・・
被災地から戻る途中に何ができるか考えながら戻りこんな事では失望するな
知事から外れた時の発言なら許すけど
お詫びに東京都知事任期中に物と人を送って欲しい
ならば知事自らスコップ持って瓦礫の撤去をお願いしたい

記事
「塗炭の苦しみ考慮を」 石原知事に宮城知事が不快感
2011年3月15日(火)11:02
 東京都の石原慎太郎知事が東日本大震災に関して「やっぱり天罰だと思う」などと発言したことに対し、被災地・宮城県の村井嘉浩知事は15日、「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示した。同日午前の災害対策本部会議の後、報道陣の質問に答えた。県内では、約31万人が避難生活を送っている。

 石原知事は14日、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。

石原氏「撤回し、深くおわび」と謝罪 天罰発言
2011年3月15日(火)12:48
 東京都の石原慎太郎知事は15日、東日本大震災に関して「やっぱり天罰だと思う」などと発言したことについて、「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」と述べ、謝罪した。

 石原知事の「天罰」発言に対しては、被災地・宮城県の村井嘉浩知事がこの日、「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示した。同日午前の災害対策本部会議の後、報道陣の質問に答えた。県内では、約31万人が避難生活を送っている。




巨大津波の爪跡 1

2011年03月15日 | 3・11巨大津波の爪跡
三陸海岸に観測史上を越える巨大津波が襲来
災害救援ボランティア活動が個人できるか考える前に
まずは現地に向かった。
目的地は岩手県大槌町にした。
その理由は潮位観測が測定不能と町長以下役場幹部職員が津波に流され
町の指揮機能を果たさなくなったい言う情報が入った。なにより
昨年にこの町周辺の山林作業に来て地理を知っていた事である

ボランティアの活動内容はは安否確認1名、無事の代理連絡1件
孤立集落の現状報告、隣町の山田町の現状報告、ツインターの代理投稿
薪切り、焚き火番、空き缶分別、支援物資搬入、被災者のボヤキ聞き手など
大槌町吉里吉里地区の避難場所・吉里吉里小学校にいたが、通常の通信網は
何も無い状態で現状や要望を発する事がでいないのに住民が甘んじているのに
なんとかできないかとブログで現状を伝える事を消防団長の許可をいただき発信
する事にした。


地震発生後停電になったであろう時刻に止まったままの小学校の時計

目的地についたとたん唖然とした風景が