木枯し菊太郎ブログ

日本で森林が2番目の岩手に根を張り
森で働き、森を活かす事に時間を費やして
行きたいと想う者です。

やっぱり大槌町は甚大だった

2011年03月31日 | 3・11巨大津波の爪跡
釜石から山田まで見て私の感じから大槌がひどかったと感じた。


大槌の建物用地52%浸水 地理院が分析、県内で最大 岩手日報

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 東日本大震災の津波で、住宅地や市街地を中心とした「建物用地」面積に占める浸水率は、大槌町で県内最大の52%に上ることが国土地理院の分析で分かった。陸前高田市が36%で続き、山田町と大船渡市はともに30%。街中心部に集中した県内の浸水被害状況があらためて浮き彫りになった。

 国土地理院は、青森から福島までの太平洋沿岸4県の浸水面積を建物用地のほか、農用地、河川地および湖沼などの土地利用項目別に分析。「建物用地」に占める浸水率は宮城県東松島市が最大65%。同県南三陸町と大槌町が52%、宮城県女川町は48%だった。

 総面積に占める浸水被害は仙台市若林区で区全域の56%に上り、宮城県内の8市区町も30%以上が浸水していた。平野部の低地が多いためとみられる。一方、平野部が狭く山が迫った地形の本県は、面積全体に対する浸水率が調査した11市町村でいずれも4%以下だった。各県別にまとめた浸水域の土地利用構成率のうち、本県は「建物用地」が37%で最も高く、宮城(21%)や青森(16%)を大きく上回った。宮城は「田」が最大項目で41%、福島も56%を占めた。青森は「河川地および湖沼」が最も多く42%だった。



(2011/03/31

ド根性サーバー

2011年03月31日 | 3・11巨大津波の爪跡
大槌町 住民票サーバーが残る
3月31日 15時12分

津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で、住民票などを管理するコンピューターのサーバーが、津波に耐えて役場に残っていたことが分かり、町はデータを復元し、住民の安否の確認を進めたいとしています。

大槌町は震災で町役場も壊滅的な被害を受け、住民票などを管理する「住民基本台帳ネットワーク」が使えなくなりました。このため町は、1万5000人余りの住民について、避難所で生活している人を調べるなどして安否の確認を進めていますが、住民票のデータがないため、困難な状況が続いていました。こうしたなか、職員が町役場の庁舎を調べた結果、「住民基本台帳ネットワーク」のサーバーが、津波に耐えて庁舎の2階に残っているのが見つかり、専門の業者にデータの復元を依頼したということです。大槌町総務課の平野公三主幹は、「データが復元できれば、思うように進んでいなかった住民の安否の確認を行うことができる」と話しています。

大槌町 住民票サーバーが残る NHKニュース

大槌町にボラセン開設

2011年03月31日 | 防災のこと
町長以下、町職員が犠牲になり初動機能が麻痺していましたが
県が職員など派遣して動きはじめました。
団体のみの受入れですが、初めの頃の硬い態度からは一歩前進しました。
「森と海が出会う場所・三陸」の復興に全国の皆様方の活動をお願いします。


以下参加要綱

大槌町社会福祉協議会
災害ボランティアセンター開設について


☆とき 平成23年 3月29日~
☆開設時間 10:00~15:00
☆ボランティアの受け入れ
 団体のみ受け入れています
※現在個人のボランティアは受け入れしておりません。
☆受入にあたっての注意事項
*団体の代表の方は必ず事前にご連絡いただき、団体登録をお願いいたします。
*活動していただく方には「災害ボランティア活動保険」に加入していただきます。必ず出発地で加入してからいらしてください
☆ボランティアセンター連絡先電話番号
080-3518-8490

災害ボランテイア受入れ制限に思うに

2011年03月29日 | 3・11巨大津波の爪跡
石巻に向かった日から岩手県の市町村が災害ボランテイアの受入れが始まったと
ラジオで知った。
仕事の合間を見ながら地元で日帰り活動ができると岩手に戻ったが
県内や地元在住の方に限るなどの制限をしてる市町村が多いのです。
確かに、交通事情や滞在する宿泊施設・物資がない事も事実だし
外部から人間の盗難事件もありこのような事態になったとも言える。

しかし、人口減少が著しい岩手県で地元の人だけでこの大震災から
復旧・復興を成し遂げる為には、時期を見て制限を設けない方向に
向いて欲しいと願います。
外部からの多様な質の高いボラの協力が復興に必要と思います。
岩手を忘れないで

たくましく生きる人たち

2011年03月27日 | 3・11巨大津波の爪跡
泥だしボランテイアの昼休みに地区民が自主的な炊き出しを拝見
年配の女性がお世話になった町内に御礼返しと毎日炊き出しをしているそうです。
この方は栗原市出身で50年前に石巻に嫁ぎ、暮らし津波が来た時は旦那さんと近くの
山に避難して難を逃れたが、家は全て流されたそうです。
頼りは、この方の職場である銭湯サウナがかろうじて営業できるかもと今回ボラに入りました。
この年配の女性は「よそ者が嫁に来て皆さんが受け入れてくれた恩返しは銭湯再開です
なにも無くなったから、残りの人生はこの町と銭湯の常連さんに尽くす」と強い決意
炊き出しを始めた日から、ダンボールに日付と材料と献立を書いた物が唯一の
「生きてきた証」と大切にしていた。

最後に「一生懸命やる事が生き残った者の勤めだ」自身や物、金銭に
とらわれていた我々に突き刺さる言葉でした。

帰り道、このばあさんの話を思い出すと目が潤んで運転ができなかったり
考えすぎて曲がり角を通り過ぎたりガソリン買いで2時間の道のりが
なんと5時間も・・・




バイオデイーゼル車活躍

2011年03月22日 | 防災のこと
群馬県から地震発生時に岩手県に居りました
バイオアドベンチャーのランクルです。
廃食用油を軽油化しながら移動できる装置を積み
全国を移動活動しています。
災害支援に石油燃料の不安もなく往復200kmを毎日被災地に物資を運んでます。

災害時はエネルギー分散が必要と実感した
バイオデイーゼルの時代かも

やるね 吉里吉里人

2011年03月22日 | 3・11巨大津波の爪跡
ひょうたん島の灯台、津波で崩落 吉里吉里人は復興着手2011年3月21日22時6分
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ひょうたん島のモデルとされる蓬莱島。右手にあった灯台が根元から折れてしまった=20日、岩手県大槌町、樫山晃生撮影

被災前の蓬莱島=2010年7月23日、岩手県大槌町、森本写す

使えなくなった給油所の地下タンクから、手押しポンプでガソリンがくみ上げられた=20日、岩手県大槌町、樫山晃生撮影

地震と大津波に襲われた吉里吉里地区の海岸部=岩手県大槌町、河村写す
 岩手県大槌町は、作家・劇作家の故・井上ひさしさんの代表作「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」のモデルとされる。地震と大津波は町を無残な姿に変えた。だが、生き残った町民は吉里吉里の精神で結束し、復興に向けてどこまでも前向きだった。

 大槌湾沖の小さな島、蓬莱(ほうらい)島には、大小二つの丘があり、島影はひょうたんの形をしていた。小さい方の丘に灯台があった。NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルの一つとされ、町の自慢だった。震災前は毎日正午に防災無線を通じて、町内全域にテーマソングも流れた。

 だが、島は津波にのまれ、灯台も流された。ひょうたん形の丘も一部が崩れ落ちた。

 町職員の佐々木健さん(54)は「灯台が壊れたのは残念。でも『泣くのはいやだ、笑っちゃおう』という希望をもたらしてくれるのがひょうたん島。これから復興の旗頭になったらいい」と話した。

 町中心部から北東に約4キロ。海岸沿いに広がる吉里吉里地区は、小説「吉里吉里人」(1981年)のモデルとなった。東北の寒村が日本から独立をめざすという物語。ベストセラーとなり、同地区は「吉里吉里国」として井上作品のファンたちに親しまれてきた。高台のJR山田線吉里吉里駅には、多くのファンが足を運び、切符や入場券を買い求めた。

 地震と大津波で「吉里吉里国」も一面がれきの山と化した。約300世帯2500人が暮らすが、震災でこれまでに約30人が亡くなり、約45人が行方不明になっている。

 だが、震災当日に住民自ら対策本部を発足させ、翌日から、経営者の許可を得て、ガソリンスタンド地下のタンクに残された灯油や軽油の確保に乗り出した。地元の水道事業者らが、がれきの山からかき集めた配管といった資材を使って手動ポンプをつくり、13日までに設営。14日から油をくみ上げた。

 灯油は避難所を暖める暖房機器に、軽油は、地元の建設会社や造園会社から提供を受けた重機に供給された。住民100人以上が重機と共にがれきの撤去に乗り出し、生活道路の確保を目指した。

 避難所で被災者の相談や要望を受け付ける芳賀広喜さん(63)は胸を張った。「吉里吉里国は大変なことになったけど、人々の結束はより強くなった。吉里吉里の人間であることを誇りに思う」(森本未紀、河村能宏)

菊太郎より
安否確認・情報収集や2度目の物資提供にガソリンの提供ありがとうございました。
吉里吉里人はすばらしい ぜひ近隣の手本になって欲しい




無念です

2011年03月20日 | 3・11巨大津波の爪跡
行方不明の大槌町長、遺体で発見
岩手・大槌町長の遺体みつかる 災害対策会議中に津波
(朝日新聞) 2011年03月20日 11時39分
 11日の東日本大震災による津波に巻き込まれて行方不明になっていた岩手県大槌町の加藤宏暉(こうき)町長(69)が、遺体で見つかっていたことがわかった。

 県によると、加藤町長の遺体は19日午後、同町内の国道45号バイパス付近で見つかったという。加藤町長は地震発生後、役場庁舎内で災害対策会議中に津波に巻き込まれた。町議1人と課長7人ら幹部、町職員三十数人とともに行方不明になっていた。


菊太郎より
私が津波被災地に向かう現地を選んだ理由はこのニュースからだった。
町長はじめ大槌町の亡くなられた方々の冥福を祈るのみです。

ある日突然・・・

2011年03月19日 | つぶやき

あって当たり前が突然無くなる事
見慣れた景色が突然変貌する事
被災地を見て昨年、仕事で通った道の風景が
お店があり、船があり・人が車が家が道が鉄道が
全部無くなった。
今、日本中、命が油が物が電気が水が情報が仕事が生活がないないで
大騒ぎです。
仏教のお経に「無」が多く書かれています。
無は安らぎの源のように解釈されてます。
無い事を受け入れろと私は解釈します。
人は日々生命を減らして生きてます。
いずれ無くなる命、長いか短いかは人それぞれ
物やお金もいずれなくなる
壊れるか・無くすかだけの事
(人のためにと動けば後で私が苦しい思いは承知)
多分、この後私は経済的に行き詰まるでしょう)
みなさんが後で、「あの時?な~」と思う時が来たとき
悔いが無いか・残るかはひとそれぞれ
懸命に危機を乗り越えようと支援・奮闘している方々は多分・・・





安否情報のお願い

2011年03月19日 | 3・11巨大津波の爪跡
ブログのコメント投稿に以下の投稿がありました。
情報提供の方はコメントに投稿お願いします。
機材調達に走りますので更新はしばらく出来ません
あとはアウトドアの神様に頼みます。

・本文
吉里吉里4丁目に一人で住んでいる母、「黒澤 明子」の安否が不明です。ご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?
※避難者名簿に載っていません。
 もし非難するとしたら 小学校か吉祥寺だと思います。

大槌町が動いた!

2011年03月18日 | 3・11巨大津波の爪跡
壊滅の町で生徒炊き出し=「みんな助けたい」―町長不明、職員が拠点づくり・岩手
2011年3月18日(金)06:03 時事通信より
東日本大震災で被災した人口約1万5000人の岩手県大槌町。津波にのみ込まれた加藤宏暉町長ら町幹部の多くが安否不明となり、庁舎は骨組みと外壁だけが残った。通信網は寸断されたが、生き残った職員が公民館に拠点を立ち上げ、町内の高校が校舎を避難所として開放した。「みんなを助けたい」。家を流された高校生も炊き出しに加わり、避難してきた人を助けている。

 「生き残った職員で精いっぱいやるしかない」。総務課の平野公三さん(54)は力を込めた。平野さんも副町長らとともに地震翌日の12日、3階建ての役場屋上から自衛隊のヘリで救助され、職員約100人で対策本部を設置した。

 通信機器は衛星電話と救援に駆け付けた自衛隊の無線だけ。平野さんは「避難所との連携は職員が直接訪れるしかなく、正確な行方不明者数の把握も難しい」と説明。「火葬許可証も出せない。今後の行政事務をどうすればいいか」とも話す。

 一方、県や対策本部からの指示が届かない中、学校や民家など町内30カ所で、自主的に避難所ができた。県立大槌高校では、生徒が炊き出しやトイレ掃除などを手伝う。同校2年の峰尭也さん(17)は「自分の家も流された。寝る時は布団がなくて寒い。でも、みんなを助けたいからやっている」と気丈に話した。

 高橋和夫校長は「生徒はよく働いてくれている。通信手段がなくて70人くらいの生徒の安否が確認できず、職員をほかの避難所に行かせている」と語った。

***災害時に強いのは若者・よそ者・ばか者***
私は2つ当てはまるかな