このシュラフ今年は、かなり使い傷だらけもう捨ててもいい
年代物、1983年製(モンベルが化学繊維の冬季用を初めて開発・当時はダウンが主流で、かなり高値でなかなか買えませんでしたが、乾きが早いのとリーズナブルでしたので人気が出ました。)
チープなシュラフでビバークして凍傷で痛い思いしたので
残業がんばって買ましたので、思い入れがあり補修しました。
縫いながら思い出だしたのは、「シュラフがあれば死なずに済んだのに」と独り言、遭難死したSさんの事でした。
1991年11月24日に岩手山で冬山講習会の後、行方不明になり翌日に
疲労凍死で亡くなった事
Sさんは当時、県山協の理事で指導員でしたし、国体選手や冬季の剣岳の経験
も体力も抜群でした。
まさかと思いましたが、テントから200mの場所で訓練中に天候が急変で受講生を早く下山させ自分のザックを取りに戻ったが風速20m以上の中、見つけられなかったのでしょう。ビバーク用具を持たず彷徨した末、テントと反対の方向で凍死でした。(ホワイトアウトとグリデルワルト)
わたしと行動は少なかったけどすごく純粋な人でした。
寒さも強く、12月にある氷曝偵察の時は雪降っているのに「暖かいな」と言ってたのに
また、岩手山の洞ケ沢はレベルが高いルートで山岳会に届けを出さず行ったら
例会で問題になり、俺が誘ったのにSさんが謝ってくれて、優しい人でした。
子どもが当時3歳位でしたのでもう成人になったと思います。
供養登山してからは岩手山にはもう登らない決意をしました。
それ以来11月の山は危険として登らなくなり、低い山でも最低装備とザックは離さなくなりました。
人生、明日はどうなるか解らない事をSさんの遭難から学びました。
合掌