木枯し菊太郎ブログ

日本で森林が2番目の岩手に根を張り
森で働き、森を活かす事に時間を費やして
行きたいと想う者です。

この看板驚きです。

2009年02月26日 | 昔のこと
花巻市・大迫町で恒例の「宿場の雛祭り」で賑わいを避け
レアもの捜し
雛人形の貴重な物は肖像権で撮影出来ず

麹を造るから「麹屋」わかりやすい社名
電話番号がたったの2桁
合名会社という会社組織もかつてあったのか。 




古いカメラはおもしろいです。

2009年01月03日 | 昔のこと
1970年代の男が憧れた一眼レフカメラ
1973年製のこのカメラは、機械的感触がいいです。
フィルムが手巻き、全てマニュアル操作でシャッター動作が
手に伝わります。失敗が許されない緊張感がまたいい

西部劇のガンマンみたいです。

捨てられない物・・・

2008年11月20日 | 昔のこと
このシュラフ今年は、かなり使い傷だらけもう捨ててもいい
年代物、1983年製(モンベルが化学繊維の冬季用を初めて開発・当時はダウンが主流で、かなり高値でなかなか買えませんでしたが、乾きが早いのとリーズナブルでしたので人気が出ました。)
チープなシュラフでビバークして凍傷で痛い思いしたので
残業がんばって買ましたので、思い入れがあり補修しました。

縫いながら思い出だしたのは、「シュラフがあれば死なずに済んだのに」と独り言、遭難死したSさんの事でした。
1991年11月24日に岩手山で冬山講習会の後、行方不明になり翌日に
疲労凍死で亡くなった事
Sさんは当時、県山協の理事で指導員でしたし、国体選手や冬季の剣岳の経験
も体力も抜群でした。
まさかと思いましたが、テントから200mの場所で訓練中に天候が急変で受講生を早く下山させ自分のザックを取りに戻ったが風速20m以上の中、見つけられなかったのでしょう。ビバーク用具を持たず彷徨した末、テントと反対の方向で凍死でした。(ホワイトアウトとグリデルワルト)
わたしと行動は少なかったけどすごく純粋な人でした。
寒さも強く、12月にある氷曝偵察の時は雪降っているのに「暖かいな」と言ってたのに
また、岩手山の洞ケ沢はレベルが高いルートで山岳会に届けを出さず行ったら
例会で問題になり、俺が誘ったのにSさんが謝ってくれて、優しい人でした。
子どもが当時3歳位でしたのでもう成人になったと思います。
供養登山してからは岩手山にはもう登らない決意をしました。
それ以来11月の山は危険として登らなくなり、低い山でも最低装備とザックは離さなくなりました。
人生、明日はどうなるか解らない事をSさんの遭難から学びました。

合掌