中馬街道とは
その昔、三河湾でつくられた塩を山間部へ運ぶための「塩の道」でした。 矢作川を川舟で上り、古鼠(ふっそ=現豊田市)で荷揚げされた塩は、足助の塩問屋で荷直しされ、信州方面へ中馬によって運ばれていました。
足助の町並みは安永4 年(1775年)の火事以降に建てられたもので、伊那街道(中馬街道)の宿場町・中継地として栄えた江戸~明治期の建物がまとまって残されています。
私なりに気に入った建物をスナップ。
その昔、三河湾でつくられた塩を山間部へ運ぶための「塩の道」でした。 矢作川を川舟で上り、古鼠(ふっそ=現豊田市)で荷揚げされた塩は、足助の塩問屋で荷直しされ、信州方面へ中馬によって運ばれていました。
足助の町並みは安永4 年(1775年)の火事以降に建てられたもので、伊那街道(中馬街道)の宿場町・中継地として栄えた江戸~明治期の建物がまとまって残されています。
私なりに気に入った建物をスナップ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます