気の広場

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母の「いつの間にか」  感化力      ( 母 : NO.137 )

2010-12-28 05:47:16 | Weblog
子どもの性格づくりのうえで むずかしいのは

  保護と自立という矛盾した働きを

  ・・・上手にバランスをとらなければならないことです。



家庭は

子どもに加えられる外部社会からの圧力を防ぐと同時に

子どもを教育して 社会化し

  ・・・ 自立させるよう育てあげなければなりません。


この二つは矛盾している。


過保護ときびしさのどちらかに偏ることによって

  子どもの性格は変わっていく。



このむずかしさは

  母のバランスのとれた心 平衡力がなくてはうまく保たれません。


「これでいいのかしら」といった反省力をもち

  控え目に 思慮深く やさしい慈愛と細心の母性愛をもって

  ・・・ 臨まなくては不可能です。


母が いつの間にか子どもを「感化」してしまうのですから ・・・

この「いつの間にか」という教育性に

  注意深い心を働かせてていなくてはならない。



素直な自然な心で子どもにとけこみ

  いたわりながら必要なこと 大切と思うことを

  ・・・ ビシッ ビシッとうちこんでゆかなくてはなりません。




* 2010.11  東ブータンで





いくら優秀な成績で東大を出ても ・・・  ( 母 : NO.136 )

2010-12-28 05:07:05 | Weblog
子どもの性格は

  幼いころからの母の育児 教育によって どうにでもなってゆく。



ドストエフスキーは

「 人間はなんにでもなれる動物だ。

  どんなことにも慣(な)れる存在だ 」といっています。


 彼は賭博と反政府運動でシベリアに流刑され 監獄でいろいろな人間を眺めて暮らした。そこには 実にさまざまの性格の人間がいた。ドストエフスキーは そのさまをみて つくづく人間はなんにでもなれる動物だと思ったのでしょう。



その「なんにでもなれる生物の子」人間に

  ・・・ 母は性格を与えるのです。


考えてみれば恐ろしい こわいような仕事です。



歪んだ性格に育てれば やがて知識を学んで

  ・・・ 人間を傷つける方法を考え出すかもしれません。


異常性格者になれば ・・・ 犯罪や殺人も起こす。

ヒットラーの例もある。

現代社会の異常は あるいは母が

  ・・・ 異常性格の人間に子どもを育てた結果かもしれない。


いくら優秀な成績で東大を出て

  高級官僚になっても 貧しい人や老いた人に冷酷だったり

  企業エリートになって

    平気で土地を買占めにゆく商社マンになったりするのは ・・・

彼らが 幼児から少年期にかけ 母から

  バランスのとれた育児教育をうけてこなかったためともいえましょうね。



この世を呪う前に そうした大人の母は

  ・・・ わが子の性格つくりに 深い反省をもつことです。





* 2010.11  東ブータンで




  

父と母が離婚しても ・・・ 人格の底   ( 母 : NO.135 )

2010-12-28 05:06:01 | Weblog
人格には 社会的要因が多分にふくまれていますし

すぐれた人格は

  忍耐強い 親切な 思いやりのある「性格」があってこそ結実します。

 あるいは

  自分のいやな性格を抑える「理性の力」によって育ちます。



しかし いずれにしても

  人格の底には 特定の「性格」が横たわっている。



おだやかな性格の子どもは

  かりに ・・・ 父と母が離婚しても

  ・・・ 両方の親に親しみをもち 批判したり 攻撃的にならない。


すでに

  ・・・ よい性格が身にそなわっているからです。




* 2010.11  東ブータンで





雑誌の「ハウ・ツウ」育児が危ない     ( 母 : NO.133 )

2010-12-27 10:08:07 | Weblog
いま 多くお母さんは

「いかに」して叱るか

「どうやって」離乳するか という「方法論」のみにしがみつこうとし


雑誌の編集者も

  ・・・ そうした「ハウ・ツウ」のみ与えようとしている。



「過保護になるな」

「シツケをきびしくするな」

  子どもはわがままになる ひねくれると注意する声は

  ・・・ 世間にさかんです。


しかし

性格形成に重要なのは

  そんな個々の「やり方」にあるのではなく ・・・

過保護になったり 厳格すぎたりする母の態度

  人間的在りようとその性格 ・・・ こそが問題なのです。




* 2010.11  東ブータンで





子どもの性格は 幼児~小学校低学年  ( 母 : NO.132 )

2010-12-27 09:04:14 | Weblog
どんな性格の子どもに育つかは

  その子の父と母のよって決まる ・・・ 。


わけても 幼児から小学校低学年にかけて

  強い影響力を及ぼして性格をきずき上げてゆくのは ・・・ 母です。



授乳 排便 離乳の一つ一つが

  子どもの性格形成に重要な役割を果たします。


たとえば 授乳にしても ・・・

人工栄養か 母乳かというちがいよりも

  なぜ母乳をやめるかといった母の考えや気持をもふくめて

母親の態度や性格が複合的に ・・・ 子どもに影響を与えてゆくのです。



叱り方もそうです。


強く叱るか やさしく叱るか

ほめるか

どんなコトバでいい聞かせるか その個々のあらわれ方よりも ・・・

母の「叱る姿勢と心」 育児態度が

  ・・・ 子どもの性格と関連して問題となるのです。




* 2010.11  東ブータンで





子どもの性格は家庭環境によって決まる ( 母 : NO.131 )

2010-12-27 07:08:42 | Weblog
ショックをうけて性格が変わった と騒ぐことがありますが ・・・

それは 今迄の習慣がこわれて混乱がつづけば

  そこから 新しい性格もつくられてゆくでしょうね。


それを 心理学者は「性格の発展」と名づけています。



発展である以上 そこには やはり基礎となる性格があるはずです。

この性格をつくりあげる最大の力は ・・・ 「家庭環境」です。


よく性格は「遺伝か環境か」「氏か育ちか」と議論しますが ・・・

ほとんどの人類学者 社会学者そして心理学者は

  ・・・ 「環境」を重視します。


とくにそのうちでも ・・・ 「家庭」を重くみる。

子どもの性格形成を考えるとき

「家庭環境」は ほとんど決定的な力をもっている

  ・・・ と考えてもさしつかえないと思いますね。


つまり どんな性格の子どもに育つかは

  その子の父と母のよって決まる ・・・ ということです。



甘ったれか

攻撃的か

反抗的か

社交的か

強情か

神経質か

依存的か

親切か

冷酷か ・・・ といったさまざまな性格は

  ・・・ 父母の「感化力」によって左右されます。


いいかえれば

親の ・・・

  育児態度と生活の仕方

  教育・知性の程度

  夫婦のあり方 ・・・ などが

  ・・・ 子どもの性格をつくってしまうわけですね。





子どもの性格は父母によって決まる    ( 母 : NO.130 )

2010-12-27 06:28:22 | Weblog
ふつう 習慣とかくせ(癖)というものは

  何度も繰り返して同じ経験をすることでつくられるものですが

性格は

  この習慣やくせを自分自身の身につけることで育つものです。


ですから 性格にまで発達しない習慣は脆(もろ)いもので

  何かある事件でショックをうけるとくずれてしまう。

しかし 性格になっていれば さほど変化は起こさない。


性格というのは ちょうど天然痘の種痘を受けたのと同じように

  人間の「過去に与えられた免疫性」だといってもよいでしょうね。

                  ( 母 : NO.131 )につづく





憂うる心 : 母心は白血球のごとし    ( 母 : NO.129 )

2010-12-27 05:55:29 | Weblog
母心は白血球のようなものだという人があります。


傷口があると余計に強く働く白血球のように

  母心は 出来の悪い迷う子のほうへ傾斜するというのです。


しかし

その白血球の働きは

  どの子にも平等に作用するものでなくてはなりません。

長男が怪我すれば 長男に

次男が病めば 次男に

長女が倒れれば 長女に

  と 母の憂うる心は等しくかけめぐるものであってこそ

  ・・・ 母心といえましょう。


それは ・・・ 差別ではありません。




憂うる心 : 仏心(ほとけごころ)      ( 母 : NO.128 )

2010-12-27 05:11:03 | Weblog
母の愛が 仏心と同じだというのは

これほどまでに無心に子を愛する心をもっていることをさしているのです。



五人のうち どの子でも 傷ついた指となれば

  ・・・ 差別なくうちこんでいく。

あらわれ方は特定の子であっても ・・・ 差別はない。


『にんじん』の母は その逆です。 はじめから子を差別している。



平等な心で子どもを愛する母は

  また 不幸な子と歩みながら 自分もともに苦しみ

  ・・・ 深い人生をかみしめる。

  ・・・ 人間の不幸の本質を体験的に自覚する。


出来の悪い子をもつことで かえって広い人生にめざめることもある。



人間の罪の自覚は ただ一つの救いへの道だ

  ・・・ と宗教は教える。


悪の子をもつことは 大きな救いへの道

  ・・・ 宗教的愛に近づく道程(みちのり)ともいえる。

不幸な子が 母心をみがいてくれるわけです。



ここまで到ったとき 母を責める子どもたちは ・・・

自分たちへの愛も 道をはずれた兄や妹への愛も

  ・・・ 全く同質の愛であることを悟るのです。





憂うる心 : 捨身(すてみ)         ( 母 : NO.127 )

2010-12-27 05:10:19 | Weblog
なぜ 欺すような自立できない子が可愛いか

その子の面倒をみることが
 
  どうして ほかの健全な子を愛する心と変わりないか

なぜ 母は 迷う子とともに迷うのか

その母心を どうやって子どもらに理解してもらうか

  ・・・ そこに 母と子の愛の難しさがある。



 こうした苦しい立場に立たされた母親は、子どもらに理解を求めることを捨てて、不肖の子とともに日雇労務者の生活に身を投じました。


ほかの子供らは 雷にうたれたように慄然(りつぜん)としたそうです。



母は 一本の指も切り捨てることはできない。


自分や兄弟を苦しめる子も 自分が生んだ子だ としたら

誰も手をさしのべてくれないその子と一生をともにする自分しかない。

野宿しようが 野垂れ死にしようがかまわない。

・・・ 母は 一本の傷つける指に身を投じたのです。


受刑者をもつ母の愛がこれでしょう。

娘に金を使って不平をもらす母とはちがう。


このわが身をかまわない 捨て身の慈悲心がなくては ・・・

子どもは 愛の差別と無差別の岐(わか)れ目があるのか分からないのです。





憂うる心 : 慈愛心のむずかしさ     ( 母 : NO.126 )

2010-12-26 10:15:36 | Weblog
できの悪い子を不憫に思い

  気にするのは母性の情です。

死のうにも死にきれません

  というほど心配でならないのが母心です。


哀れな運命をたどり

  不幸な境遇におちこんでいる子を憂うるのは母性の本能でしょう。



しかし 自立した子は そうした母を非難する。

「 あんな妹のことを いつまでも心配していることはない。

  たずねて来たら 追い返すべきだ。

  そうしなければ いつまでたっても自立できない 」

  ・・・ 他の兄弟姉妹は 母をなじる。



ここです。

母の慈愛の難しさは ・・・ ここにあるのです。





憂うる心 : 母の愛は質 ・ 慈愛    ( 母 : NO.125 )

2010-12-26 07:33:09 | Weblog
母の愛は 量の愛ではありません。

質の愛であってこそ 慈愛なのです。


もちろん 子どものうけとめ方はちがうかも知れません。



母は人間ですから ・・・

怪我をした子があれば その子に集中する。

他の子が憎いのではなく

  怪我した子がいじらしいから愛の量が多くそそがれる。



五本の指すべてが大切でも ・・・

小指にとげが刺されば 小指一本が気になる。

一日中 とげが抜けるまで他の四本のことはあとまわしになり

  小指に全愛を捧げるようになる。


小指にだけ包帯をまくのは

  怪我があり 傷があり 痛みどころがあるからです。





憂うる心 : 遺産を奪いあう子たち    ( 母 : NO.124 )

2010-12-26 06:00:48 | Weblog
 ある母親は 夫の残した遺産のうち現金を分け与えられた。
嫁いでいる長女は、お金を大事にするように再三注意した。

 ところが、嫁にゆかず自分の好き勝手な芸事にうつつを抜かし、アパートに一人暮らししているふしだらな次女がいた。月の収入は十万円にも満たない。お金がなくなると母のところにいってせびる。
 母は出来の悪い子をもつと、一方で「こんな子どもなんかいないほうがよかった」と思いながら、もう一方で自分を頼る不肖の子がいとおしくなる。
 その母親は くるたびに三万、四万円と与え ・・・ 数年後には遺産をあらかた使い果たしてしまった。
長女は母を叱ったが、母はその娘を逆恨みする。
それでいて息子たちに、お金がないのに小遣いもくれないと不平をいう。


この母には
 
へだたりのない愛が 同時に自分の幸せを守るのだ

  ということが分かっていなかったのだと思います。



父の遺産を奪いあう子ども

わずかな母の財産を蝕む子ども ・・・

そうした子どもが育つのは

  母の愛の教育に公正さがかけていた ・・・ 証拠です。


もし 子どもらが 母から差別のない

  無私の愛の尊さを学んでいたら ・・・

けっして我欲をはって

「私は長男だから」とか

「私は父の生前中何もして貰わなかったから 遺産だけは」

  などと要求することはないでしょう。



母の慈愛心に平等さが失われたとき

  ・・・ 子どもらは 冷ややかな「他人」になってゆきます。





憂うる心 : 露骨に差別をつける母    ( 母 : NO.123 )

2010-12-26 05:31:00 | Weblog
 私の知人で五人の子どもをもった母がいる。
下から二番目の娘さんはおとなしい気の弱いこでした。器量も姉さんにくらべると少し劣っている。
一番下の息子ができ、この子を父親が熱愛した。二人目の男の子です。大変かわいい子でした。
 その子が小学生になったころ、泊りがけで遊びにいくと、夕食どきに器量のよくない娘さんが台所のすみで泣いている。そこへ弟がきて「お姉ちゃんはブス、僕は美男、いーっ」とはやしたてている。
私はあきれて眺めていた。・・・ ところが母親は笑っている。男の子は母が制止しないので、ますます調子にのって「お姉ちゃんブス!」をくり返す。
 父親がみかねて女の子を連れ去ったが、母親は「泣き虫な子ね だからあの子はみんなに好かれないのよ。さ、坊や お肉が冷えますよ」と男の子を自分の傍らにすわらせ頭をなでている。
 年上の子どもたちは口々に「×子はほんとに醜いアヒルの子だなあ」と食事中なぶりつづけていました。
  ・・・ 私は、その母親を殴りつけてやろうと思ったくらいです。

 ところが母親が死んだあと、生後まで父親の身の回りの世話をやき、結婚まで犠牲にして弟の面倒をみたのがその娘さんでした。私が何回か縁談をすすめると「おじさん、私結婚するような柄じゃありません」と淋しく笑っていました。
おそらく母と姉弟からうけた心の傷が消えなかったのでしょう。
  ・・・ 私の目からみれば子どもたちのうち一番やさしい気性の、できた子はその娘だったのですが ・・・ 。


こうした家庭は意外に多いのです。

「どうもあの子は虫がすかない」

  などといい放つお母さんはたくさんいます。


口先だけならまだよい。

ほかの子といっしょになっていじめる母がある。


幼いうちだけではありません。

未婚時代に服を買うとき 結婚するときの仕度のととのえ方にも

  ・・・ 露骨な差別をつける母がいる。



どの子にとっても 母は母です。


「この指輪は長女に」

「この帯止めは次女に」

  ・・・ と へだたりなく心を配るのが母親であるはずです。


父親の遺品を分けてやるときも

長男 次男に差別なく 子どもの個性や好みを考えて分け与えるのが

  ・・・ 母親の公正な態度でしょうね。