今まで、道などにあまり迷ったことはない。
が、桜上水の駅と、高校の修学旅行だけは記憶に残る迷走ぶりだった。
高校は今は進学校になってしまったが、昔は私服で校則はなく、
守らなければならないのは日本国憲法だけという、ユニークな学校だった。
しかし、修学旅行だけは、何の理念に突き動かされたのか大真面目で、
まわりの私立は海外へ行く中、
わが母校は平和学習をすべく、広島に向かった。
本当に「修学」旅行だった。
行程は、朝から講演を聞き、夜に旅館でレポートをまとめることの繰り返し。
最終日は自由行動で、最後は四国の高松に集合。
翌日そこからバスで帰る予定だった。
班員は比較的真面目で、しっかりとした生徒達で構成されていたように思う。
倉敷の美観地区を散策して、ビイドロ細工などを眺め、
非日常の和の雰囲気にのまれた誰かが「和菓子を買って帰って旅館で食べよう」と言い出し、
そうだそうだ、と敷居の高そうな老舗に旅行者の気軽さでドヤドヤ入って行き、
ああでもない、こうでもないと真剣に練り切りを選んだりした。
さて、四国の高松に渡るには・・・今のようにヤフー乗り換えもなく、
もちろん携帯電話もなかった。
指示された駅に向かい、ふと見ると、
次に出る電車の行き先が「備中高松」となっていて、
もうすぐにでも出るような気配だった。
備中とは何だろうとは思ったが、高松の文字より若干小さく書いてあり、
「元祖・村正」のような形容詞ではないかと思ったので、特に疑問は持たなかった。
だいたい高校生は、この世に同じ地名が2か所あるとは思っていない。
乗り遅れてはいけないと構内を走り、とにかく急いでホームに走りこんだ。
念のため改札の突端で切符を切っていた駅員に、大急ぎで通り過ぎるかたわら
今から乗る電車の方を指さし聞いてみた。
(きの)「ええええと、こっち高松っっ!?」
駅員は、そうだという顔で頷いた。
全員で乗り込み、人心地着いた。
あとは旅館に帰るだけだ!と景色を楽しむ。
途中で日が暮れてきて、大きな川のようなところを渡った。
瀬戸大橋を通るはずと聞いていたので、全員で「おぉこれが!」などと堪能した。
当時、瀬戸大橋はできたばかりで、どんな規模かもわからず、
勝手に決めつけたが最後、誰も疑わない。
真っ暗な駅に着いてみると、そこは駅舎もなく駅員もいなくて、
ホームがひとつしかなかった。
ここにきて、なんかおかしいと思い始める。
一学年13クラスもある学校の全員を、収容できそうな旅館は見当たらない。
後に、共に学級委員を務めることになる聡明で清潔そうな女子が、
とりあえず先生に電話をかけてみようと発案し、
公衆電話から旅館にかけて、
ここではない、ということがはっきりした。
さぁて、どうするか。
四国に行くはずが、岡山県の内陸に来てしまった。
そこから香川県の真の高松までの道順は聞いたが、
次の折り返しの電車は1時間半後だそうだ。
班長が責任を感じて不安にならないよう、
全員がホームの椅子の上に立って、備中高松の看板と笑顔で記念撮影大会を行い、
旅館に帰ったら、枕投げを装い他の班のイヤなやつに
合法的に枕をぶつける算段を整えたり、
無意味にホームを走り回ったりして、時間をすごした。
やっとのことで旅館にたどり着くと、まず担任が両手を広げて
「ああぁぁ」と言いながらまろび出てきた。
残りの先生は、腕組みか腰に手を当て玄関にVの字に展開して仁王立ちだ。
自分たち用の食事が、大広間の端の方に残されていて、
枕投げどころではなかった。
次の年は、注意事項に入っていることだろう。
くれぐれも、備中高松には行かないようにと。
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