きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

大地の礼賛者エドワード・アビー

2018-08-27 15:41:11 | 書評
 アメリカの自然保護の界隈では有名だけど、
日本ではそうでもない。なぜだろう。
静かな森の哲学者という面も時々あるが、
たまに見せる荒々しい言動が、エキセントリックに見えるのか。
 
 
「荒野、わが故郷」
 全編荒野のエッセイだが、その中の、
「双眼鏡で荒野を見たら何もなかった。そうだ、探していたのはこれだ」
というところで、すごいなこの人と思った。
何もないのはいいが、トイレもなくサソリやサシガメがいるところで
平気で寝起きしようと思える強さが、
書斎から出ないで、あれこれ言ってるだけの作家とは一線を画している。
 
 
「ザ・モンキーレンチ・ギャング」(爆破)という邦題になっている。
 これが一番読んでみたかった。
ここに出てくるレンチ(スパナ)は、それで殴って強盗したりするためではなく、
自然をぶちこわしにする看板や設備のボルトを緩めて解体し、
無効にする為のキーアイテムで、
私利、私欲主体のギャングとは違うんだ、
という決意とプライドの象徴という認識だが。
それにしても、どうもナチュラリストというより、
もはや、エンバイロメンタル・テロリズムと言った方がいいような感じだ。
 
 それまで、自然保護というと、なすすべもなく壊されていった自然を悼み
真面目な人たちが話し合いで解決しようとし、
他者(自然)のために物理的に戦うという戦法を取る人は少なかった。
いいか悪いかは置いといて、
 
なぜなんだ?
 
という疑問に行き着いたところが、非凡なところだ。
ただし、実際にやると犯罪なのでルポタージュではなく、
自然を愛する人は多かれ少なかれ、みんなこういう気分がする時があるという
フィクションに収めるあたり、なかなか正気な人だと思う。
 
 
 勝手にまとめると、自然というものはピータラビットの水彩画のようにほほえましく、都合のいいものではない。
むしろ広大で荒々しく、だからこそ尚良いのだそうだが、
一番肝心なことは、人のために存在しているわけではないということだ。
そういう前提の下で自然と対峙していかないと、いつかバランスをくずし、
地球と共に歩んでいくことはできなくなる、ということらしい。
 

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