Q:私は、高齢化率が30%を超える小さな町の保健師です。町には、認知症のお年寄りがたくさん居ます。認知症のお年寄りを抱えた家族による介護の状況や精神的にも経済的にも大きな負担を伴う実態を見るにつけ、どうしても「アルツハイマー型認知症」の「予防活動」に取り組みたいと思うのですが、「どのような視点をもち、どのような役割を果たす」ことが保健師に期待されるのでしょうか。
A:人生60年といわれていた一昔前の時代と違って、世界に先駆けて超高齢化社会に突入した現在の日本では、誰でも80歳や90歳まで生きるのが当たり前となっています。会社や役所勤めの人のように定年がある場合が典型的ですが、農林業や漁業や自営業の場合でも、60歳から65歳くらいの年齢を起点にして、第二の人生に入るのが通常でしょう。
この場合第二の人生が20年も30年もある訳ですから、第一の人生がどうだったかだけでなくて、「第二の人生」がどうなるかがとても重要な意味を持ってくることになります。第一の人生がどんなに立派でも、「第二の人生」で早々と認知症になってしまったのでは、自分らしい人生を全うしたことにはならないでしょう。その上、家族による認知症のお年寄りの「介護の負担」を考えるとなおさらのことではないでしょうか。
第二の人生がとても長い「超高齢化社会」を皆が生きていくのが当たり前と言う現実を考えれば、更には、認知症になった場合の家族による「介護の負担」、或いは、甚大な規模の額となっている市町村や国の「財政的負担」の重さなどを考えれば、身体が持つ限り「脳」もちゃんともたせて、認知症にならずに第二の人生を完走することが、個人のレベルではもちろん、家族のレベルでも、市町村のレベルでも、国のレベルでも強く求められてくるのです。
このブログで詳説してあるように、認知症の大多数90%以上を占めるのは、「アルツハイマー型認知症」(老年性アルツハイマー病とも言います)と呼ばれるタイプの認知症です(脳卒中等の病後に、何年かかかって徐々に認知症の症状が出てくるものが、全て「脳血管性認知症」と診断されカウントされています。脳卒中等の既往さえあれば、「因果関係」を確認することもなく、「脳血管性認知症」とするこの診断のやり方は、実は誤りなのです。そもそもこれは「アルツハイマー型認知症」であり、「アルツハイマー型認知症」にカウントされるべきものなのです。)。その正体は、東日本大震災の被災地に居住する極めて多くの高齢者が「アルツハイマー型認知症」を発病(新規の発病及び症状の急激な重症化の進行)してきているという実態からも疫学的に証明されてきているように、「毎日の生活習慣である脳の使い方」が原因の病気、「生活習慣病」なのです。(ここをクリック)
認知症の大多数を占めていながら、「原因もわからないし、治す方法もない」と言われ放置されてきた「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、毎日の脳の使い方という視点からの「生活習慣の改善」により、予防することもできるし、早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つければ治すこともできるのです。DSM-4という誤った基準に依拠して診断している精神科医は、回復が困難な末期の段階(「大ボケ」)で見つけるので、原因も分からないし治らないだけなのです。認知症の90%以上を占める「アルツハイマー型認知症」の早期発見による回復と予防と言う「テーマ」が、全国の市町村の重要な施策として、予防活動に専従できる「保健師」さんを育成して実施することが出来るようになれば、個人の心配も、介護に伴う家族の負担も大幅に減少し、市町村や国の財政的な負担も大きく改善されることになるのです。(ここをクリック)
(コーヒー・ブレイク)「アルツハイマー型認知症」についての医療機関による「診断の実態」をみると、回復困難な「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけて、原因も分からないし、治らないとされて放置されているのです。医療機関としての社会的な役割を放棄していると言っても過言ではないでしょう。医療機関が「大ボケ」の段階でしか見つけられないでいるのは、DSM-4(世界で最高の権威とされる、米国精神医学会の「アルツハイマー型認知症」についての診断基準)という権威はあるが内容が誤っている基準に依拠して診断するためであることは、このブログで詳細に説明したとおりです。(ここをクリックしてください)
ところで、「アルツハイマー型認知症」の正体は、生活習慣病であるということには、二つの重要な側面があります。
1つは、「予防したり治したりするには、投薬や手術や治療などの医行為を必要としない」ということなのです。言い換えると、脳の使い方という視点からの「生活習慣」の改善指導こそが、予防及び回復の為の唯一つの方法となるのです。認知症の大多数を占める「アルツハイマー型認知症」こそ、保健及び予防活動の最も重要な対象となるテーマなのです。そこでは、医師ではなくて「保健師」さんが、その担い手となるのです。
もう1つ、回復可能な早期の段階である「軽度認知症」(小ボケ)と「中等度認知症」(中ボケ)の段階の診断(早期発見)とその回復及び予防には、投薬や手術や治療といった「医行為」ではなく、「生活改善指導」だけが必要且つ有効な対策となるということは、高額なCTやMRIの使用は不必要であり、「二段階方式」に代表される(保険点数が極めて低い) 「神経心理機能テスト」の活用だけで十分ということになるのです。
(コーヒー・ブレイク)CTやMRIの活用が不必要とされ、(保険点数が極めて低い) 「神経心理機能テスト」の活用だけで十分だとされると、「アルツハイマー型認知症」の早期発見と回復及び予防という「テーマ」は、事業としてペイするだけの収益をあげることが期待できなくなるのです。事業としてペイするだけの収益が期待できないことが明白な早期発見による回復や予防という「テーマ」について、医療機関に大きな役割を果たすことを期待することは無理なことだと思うのです。
厚生労働省の政策レポート(認知症を理解する)を読みましたが、「認知症ケアパスの」体系を構築する上で、この点をどう考えるのかが極めて重要なテーマになると思うのです。
結論を言うと、収益はあげられなくても、費用が減るメリットがある、自治体や国でしか「アルツハイマー型認知症」の早期発見による回復やその予防という「テーマ」には対応できないということなのです。こうした視点に立脚すれば、「アルツハイマー型認知症」の早期診断と回復及びその予防活動(A)と「アルツハイマー型認知症」以外のタイプの認知症及び認知症と紛らわしい病気の診断とその対応(B)とは対応の在り方を根本的に従来とは異なる視点から考える必要があると思うのです。即ち、前者(A)は市町村(地域包括支援センター及び在宅介護支援センターを含む)やNPOが主として担当し、後者(B)は医療機関が専権事項として担当するという、両者の「棲み分け」の議論が必要になってくるのではないかと私達は考えています。
日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入していますが、この先、高齢化が更に進んでいく中で、なにもしないでこのまま手をこまねいていると、高齢者の大半は、「体が持ちながら、脳が持たない結果として、行き着くところは認知症老人」という悲惨な将来像が、はっきりと見えてきているのです。(ここを「クリック」してください)
これからの市町村の保健師さん達は、「脳の健康」という視点から、超高齢化社会を支える重要な役割を担うことになるのです。対象を「アルツハイマー型認知症」に特化した専門家集団として、1つは「早期診断」の窓口活動により、回復可能な「早期段階」の発見と回復を担い、もう1つは「脳を活性化する生活習慣」の啓蒙活動により、発病を予防する為の「地域予防活動」を担うのです。「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び地域予防活動による予防が定着していけば、認知症にかかわる種々の問題は大きく改善されていくのです。認知症の大多数、90%以上を「アルツハイマー型認知症」が占めているからです。
認知症のお年寄りを抱えた家族の介護の精神的及び経済的負担の重さ、介護保険制度の財政的破綻の可能性などを考えると、高齢者を抱える高齢化率が高い個々の市町村が実施の主体となり、行政活動の中の「重要なテーマ」として「アルツハイマー型認知症」の予防活動を位置づけ、専門家集団を育成して取り組むことが、この先とても重要になると思うのです。
地域単位で実施する「アルツハイマー型認知症」の「予防教室」での体験を基礎として、個々の住民自体が、脳が活性化する生き方、趣味や遊びや人付き合いを通じた自分なりの「脳活性化策」を日々の生活に取り込み、「生活習慣」として構築していくための「脳の健康」を指導する役割を担うことが保健師さんに求められてくるのです。介護保険で期待されている、従来型の「身体介護サービス」提供の担い手ではなくて、「お年寄りの生き甲斐創造」の手助けとなる新しいタイプのサービスを提供する担い手になっていただきたいと願うのです。
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