(プロローグ)
私は毎日、午前と午後の二回それぞれ大体1.0時間ずつの速足の散歩をしています。インスリンの注射はしていないのですが、3種類の薬の服用が継続されているからです。
血糖値を正常域の枠内で維持する為なのです。糖尿病の専門家の言によると、『一旦、糖尿病を発病すると、生涯そのままの生活で生きていかなくてはならない」とされていて、その最も大きな問題点はと言うと、「体重規制」と「食生活規制」のことなのです。
米国製ハーレー・ダビッドソンのツーリングモデルを駆って、気心が知れた仲間達と日本一周の旅をするのを生き甲斐としているお年寄りがいるように、私にとっては、『アルツハイマー型認知症』に関するG00ブログを書き続けることと同じくらい、気心が知れたお友達を招いて一緒に食事を楽しむというテーマは、「第二の人生」を自分なりに、楽しみながら生きる上で捨て去ることが出来ない、極めて大切な「テーマ」なのです。
私は、これまで食には特別の関心と想いとがあって、食通という域ではなくて、出来るだけその道を「究める」生き方をしてきたのです。食材は勿論のこと、味にも見た目にも、味わう相手や味わい方にもこだわってきたのです。
近接する地域の漁協の準会員になって、早朝に5時起きして、定置網から上げられたばかりの「活きた魚」を仕入れてくるのです。魚を買いに行くと、貴方は何の商売をしてるのかと聞かれたりもする程、その日に買う魚にもこだわり、野菜はと言うと、近隣の減農薬栽培の野菜農家から、直に購入してくるのです。殆ど、毎週のように色々なお友達をお招きし、一緒に食事の時間を楽しんできたのです。
そのため、伊豆高原のお家の上の庭には、大人が16人一緒に腰かけて食事ができる規模のバーべキュウ炉も据え付けたのです。但し、後片付けが大変過ぎて、今ではそのバーべキュウ炉はTad手作りの大型の「ピザ窯」に代わってはいるのですけど。伊豆の東海岸、箱根、軽井沢の各地を3年間も探し回った果てに見つけた現在の棲み処である伊豆高原に越してきてから、昨年3月に帯状疱疹を発症する日までの16年間にわたり、材料にとことんこだわり、味付けにも見た目にもこだわる「食生活」をこれまでは人一倍楽しんできたのです。
ところが、「糖尿病食」というものは、そうしたこととは全く逆の極に位置したものなのです。味はと言うと、とても薄味すぎて味が無いに等しいのです。「美味しい」と感じさせてくれることとは全くのこと無縁なのです。
あるのは、身長と体重とを基礎とした指標に基づく、一食あたりと一日当たりの「総カロリー数」という厳格な縛りなのです(担当医から私に出た指示は、167cmという身長から逆算された、「62kgに体重を落とすこと」及1600kcalという一日当たりに摂取することが許された総kcal数の厳守だったのです)。
炭水化物が全体の総カロリー数の約50%を占める割合での摂取を基本とし、魚と肉、野菜、果物等に対する一定割合での規制があるのです。その上、調味料についても厳しい縛りがあるのです。それらの基本となるものとして、身長との関係で算定される一定の数値に体重を落とすことが要求されるのです。その究極の目標はというと、「血糖値」を所定の範囲内の数値に収めること。それが全てという訳なのです。
1週間、その厳格極まりない「数値規制」を順守して生活した時、何の為に生きるのかという視点が全く欠けているだけでなくて、私の「前頭葉」が、その「数値規制」オンリーと言う考え方に対し激しい拒絶反応を示したのです。「第二の人生」は仕事とは無縁の生活となるので、日々追及される生活面では、左脳ではなくて、右脳が主役となるのです。右脳は、理屈ではなく、「感性、感情の脳」なのです。数値規制とその意味という左脳から送られてくる情報ではなくて、食材や味や見た目に関する「右脳」から送られてくる情報が、「前頭葉」の「評価の物差し」の評価対象となるのです。
担当医から出された厳格なその数値規制を守っている限りでは、血糖値が所定の枠内に保たれるものの、古希を迎えたとはいえ、ドライバーが日本の女子プロのトップレベルの人達に遜色がない程の飛距離を誇り、見た目も、周りから50代にしか見えないと称賛されてきたこの私が、身体全体から発散される雰囲気にも、声の響きにも、全くのこと力がなく、「痩せてひ弱な肉体」と日増しに衰えていくに任された免疫力の機能低下と心の窓であり「前頭葉」の機能レベルを反映する目の輝きにも迫力がなく、そこにあるのは、「生きる意欲」を日毎に減退させていく、弱弱しく力のない私の姿でしかなかったのです。
「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている働きを担っているのが、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのです。実は、この「前頭葉」の三本柱の機能の老化のカーブと免疫力の機能の老化のカーブとがドンピシャリと重なるのです。「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていく「生活」ということは裏を返せば、免疫力の機能が衰えていく「生活」とも言い換えることが出来ると私は考えるのです。
糖尿病の専門の医師の考えの基礎はと言うと、数値規制オンリーであって、糖尿病と日々戦う高齢者の「QOL」については、何故か全くのこと無関心なのです。「基礎体力」が衰えていき、意欲をはじめとした「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていき、更には、「免疫力」の機能が衰えていき、その上、「食の楽しみ」というある意味「第二の人生」を生きていく上での「生き甲斐」、少なくとも「喜び」となっている私なりの重要な「テーマ」を奪われ、逆に、「食事をするのが辛い」、「我が身に言い聞かせなくては食事をのどに運んでいく気になれない」ような味が薄いというか、味も何も感じさせないような食事を毎日毎食摂り続けていかなくてはならない「生活」、これでは何の為の「第二の人生」なのかと、私の「前頭葉」はその「数値規制オンリー」の指示に対し、大きな疑問と激しい反発とを覚えたのです。
ここで問題点を指摘しておきたい誤った主張が2点あります。
その一つは、『血糖値を調整するインスリンの低下で脳内のエネルギー代謝が悪化した結果、神経細胞が死滅してアルツハイマー病(正しくは「アルツハイマー型認知症」のこと)が進行するとみられる』との主張が誤りであること。
この主張は、アミロイドβ仮説やタウ蛋白仮説と同じく、権威だけは世界最高で内容が間違いだらけのあの「DSM-4」の規定が「第一の要件」として確認を要求している「記憶の障害」の症状が、「アルツハイマー型認知症」の症状の根幹となるとの考えを踏襲しているだけなのです。前提とされている考えが重大な誤り、勘違いであることは、「B-77」で詳細に指摘したところです。
「アルツハイマー型認知症」は、器質的な病変が発病の原因なのではなくて、廃用性の異常な機能低下の進行が発病の原因である廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』であり(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣病」であることに留意する)、その根幹をなす症状は、「DSMー4」の規定が確認を要求している「記憶障害」の症状ではなくて、廃用性の異常な機能低下に起因した『前頭葉』の機能障害が原因なのです。
(コーヒーブレイク)先日の新聞報道でも、「アミロイドβ仮説」の考えを前提とした治療薬の開発が日本の或る製薬会社で進行中とありました。
『「アルツハイマー型認知症」の発症に関わるタンパク質(アミロイドβ)を減らし、認知機能の改善を促すのが開発の目的』と記述してあり、アミロイドベータが「アルツハイマー型認知症」を惹き起こす真犯人であるかのごとき表現が使用されていたのですが、この学説は単なる「仮説」に過ぎないのであり(「アミロイドβの蓄積により生じる器質的な病変としての「老人斑」が有する毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより、認知機能の低下としての「記憶障害」の発現を招くと主張する仮説)であり、発病との間の因果関係が未だに実証されていないもの。
アミロイドβの蓄積があたかも真犯人であるかのような誤解を招く恐れが高いこの表現は、一流新聞の記事とは思えない程にお粗末と言わざるを得ないのです。私のこのブログの「B-73」で取り上げ、詳細に論じているように、欧米の巨大な規模の製薬会社が軒並みこの「アミロイドベータ仮説」の考えに則った開発に相次いで失敗していて(アミロイドベータ説の考えに則って開発したいずれの薬も、症状の進行を抑制する効果、認知機能の改善効果が認められなかった)、「アミロイドβ仮説」は、発病との間の因果関係が認められないとして、かつての有力説であったその地位から、少数説であったタウ蛋白仮説にその地位が取って代わられようとしている状況に在るのです。
話題の製薬会社は、上述の会社とは開発のタイミングが遅れていて、現在第3相治験の段階にあり、共同開発契約を締結している相手方との契約上の義務(追加投資費用の折半)の履行上、巨額の追加投資の是非を決めるべき段階に来ているとのことなのですが、もはや過去の遺物でしかない「アミロイドβ仮説」にしがみついているだけなのです。
おまけに、従来市販されてきたアリセプト(『「アルツハイマー型認知症」の症状自体を治す効果は有しないが、ケースにより、症状の進行を1~2年程遅らせる効果が期待される』と製薬会社は主張。この主張自体も、私たちの脳機能データが明確に示している「日々の脳の使い方としての生活習慣要因の影響を考慮していなくて(無知で、見落としているのか)」、服用と結果としての効能との間の『因果関係の確認が杜撰』と言わざるを得ないのです。
「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」であり(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズム(機序)から考えて、飲むだけで/貼るだけで「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルが改善される効能を有する薬が開発されることは絶対に有り得ないことなのです。私たちの主張内容は正しくても「権威」が足りないので、このような粗雑な内容の報道記事が載るたびに、「二段階方式」の実践に対する保健師さんの自信が揺らいでしまい、住民参加型の「地域予防活動」の新規展開が遠のいていくことになるのを恐れるのです。
脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」(「前頭前野」に局在する複合機能体を言うものとする)という脳機能は、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬を操る「三頭立ての馬車」の『御者』であり、私たちが意識的に何かを行おうとするに際して、自分が置かれている状況を判断し、状況判断に沿って為すべき「テーマ」を発想して、テーマの実行内容を組み立て、実行の結果をシミュレーションして必要な修正を加え、最終的な実行の決断に基づいた指令を脳の各部に出す役割を担っているのです。
『第二の人生』を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」が、左脳が専管する仕事とは無縁の「第二の人生」を送る生活の中、「キッカケ」の発生と継続を契機に、「第二の人生」を生きていく上での拠り所で、それまで継続出来ていた「自分なりの特定のテーマ」の追求が出来なくなる状況の継続により、心が折れ、「意欲」を喪失し、何事に対しても挑戦しなくなって、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が開始され継続されていくことが『直接の原因』で、「意識的な世界」(目的的な世界)における脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』(意欲、注意集中力、注意の分配力、評価の物差し及び実行機能により構成されている「複合機能体」であると、「二段階方式」は、独自の見解として理解している)が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことの結果、『異常な機能レベルにまで衰えが進行していくこと』が、直接の原因で、『アルツハイマー型認知症』を発病してくることになるのです(同様のメカニズムにより、症状が進行していくのです)。
『アルツハイマー型認知症』は、廃用症候群に属する老化・廃用型の『生活習慣病』であるというのが、「二段階方式」独自の見解であり、この主張内容が正しいことは、北海道から九州に跨る450を超える市町村での個別で有償の使用許諾契約の締結に基づいて指導してきた『住民参加型の地域予防活動』の成果によって、疫学的方法により実証されているのです。
私たち人間だけに特有な世界である『意識的な世界』(目的的な世界)を構築し、統括し、支配し、コントロールしている『前頭葉』(単体ではなくて、複合機能体)と言う脳機能について余りにも無知であり、『前頭葉』を含む脳全体の機能について機能発揮上の二重構造が関わることにより、連鎖的に起きてくる『廃用性の異常な機能低下の進行』という機能構造についても無知な儘なのです。アミロイドβの蓄積が発病を惹き起こす原因であると誤解により主張するアミロイドβ仮説の主張内容が正しいものとの前提に立脚した開発を実行している製薬会社であるエーザイの開発コンセプトの単なる受け売りの記事と言うしかないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び症状が進行していく機序から考えて、発病自体を予防したり、症状を治したり、症状の進行を抑制したりできる効能を有する(治療薬)が開発されることは、未来永劫有り得ないことなのです。
症状の発現に対する治療薬としてこれまでに市販されている何種類かの薬(エーザイのアリセプトを含む4種類の薬)は、単なる「興奮型」或いは「抑制型」の「単なる対症療法薬」に過ぎないのであって、「アルツハイマー型認知症」の症状自体を治す/症状の進行を抑制する効能を有してはいないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病者本人の為ではなくて、発病者を介護する周りの人達の労役作業の緩和に資する為の薬(対症療法薬)に過ぎないことをきちんと認識し、こうした薬を製造し販売している製薬会社も使用している医師も、正直にそのことを認めるべきなのです。
二つ目の誤った主張とは、糖尿病の発病それ自体が「アルツハイマー型認知症」発病 のリスクを高めるとする「久山町の研究」の報告です。
これは、九州大学が行った福岡県久山町の住民の疫学調査に基づく報告なのですが、これまた、因果関係の確認が粗雑に過ぎるのです。結論から先に言うと、糖尿病の発病と「アルツハイマー型認知症」の発病との間に直接の因果関係は存在していないのです。
発病との間に直接の因果関係がある要因とは、脳の使い方としての「生活習慣」、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の開始とその継続という生活要因なのです。脳の使い方としての「生活習慣」という要因を見落とし、短絡的に因果関係が存在するとの誤った分析をしているのです。世の中で雑に行われているビッグ・データの解析で、赤ワインとかココアが「アルツハイマー型認知症」の予防に効果があるとされた風評と同じレベルのものに過ぎないのです。
合併症の発病者を含む糖尿病患者、或いは高血糖状態に在る糖尿病の予備軍であるお年寄りの間に、「アルツハイマー型認知症」の発病者が多いということが久山町研究の統計的な「事実」としても、そのことだけをもって、「アルツハイマー型認知症」の発病との間の直接の因果関係の存在を実証したことにはならないのです。私たちが、「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」として規定している脳の使い方としての「生活習慣」という要因を見落としているからです。
合併症の発病者を含む糖尿病患者、或いは糖尿病の予備軍であるお年寄り達が「アルツハイマー型認知症」を発病するケースが多いという実態は、「糖尿病」の発病自体に「アルツハイマー型認知症」発病の原因が存するのではなくて、実は、『医学会の研究不足に拠るところの「体重規制」とカロリー規制と薄味規制という数値規制オンリーの考えを基礎とした闘病生活の強要』との間に因果関係が存することを指摘したいのです。
「体重制限」と「糖尿病食」の強要が「前頭葉」の機能を正常なレベルに維持していく上で不可欠である「意欲」を減退させ、自分なりに生き甲斐や喜びを得られるような「テーマ」を追及する生き方への「意欲」を喪失させてしまうことになるからです。
本人のQOLに対しては全くのこと無関心で、「数値規制」オンリーの考え方に基づく「体重制限」(基礎体力と意欲の減退が不可避的となる「ひ弱で脆弱な肉体」の維持)の強要に加えて「糖尿病食」(意欲と免疫力の低下を余儀なくされることとなる)の厳格な維持を要求する担当医の生活指導を忠実に守る闘病生活を「キッカケ」として、毎日が「単調な生活習慣」に追い込まれることになること、言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に落とし込まれていき、継続が要求されることになるのです。数値規制オンリーの要求と強要が、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常な機能低下を進行させていく原因であるナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に本人を追いやる要因に加えて、加齢により機能が低下していくという「正常老化の性質」が基盤の要因として存在していることにより、両要因が同時に充足される状況下、相剰効果に因り、『廃用性の加速度的で異常な機能低下』が進行していく結果「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。
此処に取り上げた異なる二つの要因こそが、「アルツハイマー型認知症」発病の真の原因なのです。
第二の人生を送っている高齢者に対する糖尿病の治療を専門にしている医師達に言いたいのです(注意喚起です)。世界中の認知症の専門家達から『アルツハイマー型認知症は、発病の原因が分からないし、一旦発病するとその症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防することも出来ない病気』と言われ続けてきているのです。
私たちが独自に開発した「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」の解析と北海道から九州までの広い地域に及んだ450を超える市町村で展開し実証してきた住民参加型の「地域予防活動」の実践の成果によると、認知症の大多数90%以上を占めていて、私たちの区分で言う末期の段階、「重度認知症」(大ボケ)の段階に在る「お年寄り」の数だけでも、厚労省の発表数字で460万人を超える規模となっている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の正体は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』に過ぎないのです。
「アルツハイマー型認知症」は、『加齢』の進行に因る「正常老化の性質」が発病の基礎にあるが為に60歳を超える年齢の「高齢者」だけが発病の対象となるのです(老年発症が特徴)。ボケるかボケないか、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか/ならないかは、『第二の人生』を送っている『高齢者』にとっての「日々の生き方」、言い換えると脳の使い方としての『生活習慣』の在り様が問われる病気なのです。
私たち「二段階方式」が定義する『アルツハイマー型認知症』の発病要件は、第一の要件が『「60歳を超える年齢の「高齢者」であること』であり、第二の要件が『自分なりに追求する特定の「テーマ」がなく、「生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない」ナイナイ尽くしの『単調な生活習慣』が継続され、「生活習慣化する」ことであり、且つ、その二つの要件が同時に充足される相剰効果に因り、『前頭葉』を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなり、その行きつく先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の更なる進行が待っているのです。
その「最初の段階」が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです。「小ボケ」の段階を脳の機能面から説明すると、『前頭葉』の三本柱の機能、「評価の物差し」(意識の首座=自我)及び「実行機能」だけが異常なレベルに衰えてきていることに起因した『前頭葉』(前頭葉の三本柱の機能、評価の物差しの機能及び実行機能の複合機能体であることに留意する)の機能障害に起因した症状だけが発現してくることになるのです。
私が教育入院していた病院の糖尿病患者のみが入る病棟では、周りの高齢者は皆さん、目がうつろで生気がなく、歩くのがやっとのお年寄りばかりだったのです。身体が不活発の上に、肝心要の『前頭葉を含む脳全体の機能が、不活発な状態に在った』こと、生活不活発の「状態」に在ったのです(但し、このことだけでは、一部の医師達が主張しているような病気とは言えなくて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている『前頭葉』の機能が異常な機能レベルに在ることが確認されて初めて、アルツハイマー型認知症と言う病気の世界に入っていくことになるのです)。
厳格極まりない数値規制オンリーの「糖尿病対策」の強要、糖尿病食の維持を含む闘病生活の厳格な維持が「キッカケ」となって、意欲を喪失してしまい、何事に対しても挑戦しなくなっていき、『自分なりの特定のテーマを追求する生活習慣』が継続できなくなった』結果として、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続に本人を追い込んでいくこととなり、その行きつく先が、「アルツハイマー型認知症」の発病となるというリスクを抱えた「闘病生活」の指導(強要)という訳であり、担当の医師は、「血糖値さえ、所定の閾値内に収まっていさえすれば、万事がOK」という訳なのです。結果、『単調な生活習慣が継続されていても、そのことに対して、何等の問題意識がない』のです。
そうした実体験に基づいた私の考え方は、医師が要求する「厳格な数値規制」を厳守する数値規制オンリーの「生活」とは真逆のものなのです。厳格な血糖値規制と糖尿病食の厳守が至上命題とされ、糖尿病の合併症の回避だけが目的とされている生活、私に言わせれば、「命を単に長らえるだけの生活と生活スタイル」ではなくて、厳格な血糖値規制というものは守りつつも、この先長く続く糖尿病との闘病生活に「QOL」という視点を持ち込み、気力の源である基礎体力の維持に必要な体重を確保すること並びに基礎体力の維持と運動療法(私の場合は、「速足の散歩」とゴルフ)の実施に必要十分な総 kcal数を摂取することに加えて、自分なりにイキイキとした生活と食生活を楽しむ「生活スタイル」を確保した「闘病生活」をしようと心に決めたのです。最終的なリスクは医師が決めるのではなく、自分が決めるものであり、且つ自分の「第二の人生の生き方」自体も絡むことになるからです。
難しい話は脇に置いといて、試みに、近所の3つのレストランで、昼食だけのことなのですけど、「地魚の刺身定食」、「季節の野菜定食」、「スパゲッティー・ミートソース」を3日間トライしてみたのです。勿論その昼食後は、各1時間の「速足の散歩」の実行付きで。なんと、昼食後2時間が経過した時の血糖値は、各回とも120代だったのです。
私の場合、インスリン注射は必要なくて、1種類の薬を朝食前と2種類の薬を朝食後に、1種類の薬を夕食前と1種類の薬を夕食後に服用する必要はあるのですけど、「食後の運動」(私の場合は、速足の散歩)をきちんと実行しさえすれば、食生活については、かなりな程度の柔軟性が確保できるということなのです。この生活スタイルを3ヶ月間試行し、その下で、血糖値が所定の域値内を安定的に維持する結果が確認できた暁には、定常的に外食を楽しもうと考えているのです。こだわりの魚料理を提供してくださるお店で、ダイヤランドに在る私の仕事場(名称は、脳活性化研究所)への行き帰りに、昼食を楽しんでみたいと密かに考えているのです。
「第二の人生」を生きるということは、身体が持ちさえすれば良い(命長く生きることが最大の価値)ということでは、ないのです。「自分なりに、如何に生きるか」。それが「第二の人生」を長生きする上では、厳しく問われることになるべきなのです。「第二の人生」にとって、私Tadの場合は、「食と言う命題」は、極めて重要な位置づけを持つのです。「毎食、毎日の摂取するカロリーの制限」の視点からだけの食事の在り方という訳にはいかないのです。
身体(合併症を危険視される関連の内臓器官や眼)及び血糖値は、それで万全だとしても、この先ボケないで(『前頭葉』を正常な機能レベルに維持し続けていく「生活習慣」の構築と継続により、「アルツハイマー型認知症」を発病しないで)生きていく上で、医師の強力な指導内容では、必要不可欠の機能である肝心の「前頭葉」が持たない(結果として、高齢者で、糖尿病の症状が重い場合は、アルツハイマー型認知症の発病者の割合が高くなる)というのが、私からの問題提起なのです。
身体(言い換えると、基礎体力としての体重を一定の範囲内に維持すること)と免疫力と意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能とを本来あるべき水準に維持することを最も重要な指標としつつ、その上で、食事の摂取の在り方を工夫することにより、血糖値が所定の域内に収まるようにすること(私が私なりに策定した基準値というと、体重は70~72kgの範囲内で維持すること、総摂取カロリー数は2000~2100kcalの範囲内とすること及び或る程度の味付けとすることでした)。その自由度を或る程度確保する為に必要不可欠の条件として毎日午前と午後の二回、「速足の散歩」を実行すること(エイジングライフ研究所は、伊豆高原でも東側の海岸に近い場所に位置し、且つ国立公園内に在るので、伊豆七島を眺めながら散策できるコースが幾筋も整備されているのです。車で10分のところには伊豆の瞳と呼ばれる一碧湖があり、20分もいくと、豊かな広葉樹林に囲まれたダム湖があり、周囲を散歩するのに丁度6,70分程度かかるので、散歩にはうってつけなのです。また、脳活性化研究所は、三菱商事が開発に関わったダイヤランドと呼ばれる大型の別荘地内に在って、富士山を眺めながら散策できるコースがいくつもあり、別荘地内の道路の総延長は、マラソンコースとほぼ同じ長さの42kmにもなるのです)にしたのです(意識的に、プラス思考を導入中!)。実は、此処だけの話なのですけど、劇的な血糖値抑制効果がある「速足の散歩」を実行する上で、基礎体力の維持の為には、総kcal数を増やす必要があると体験的に感じていたのです。
ところが、基本方針を打ち立てて、何度かのケース・ワークによる試行錯誤をしてみた結果、砂糖、みりん、しょうゆ、油が、血糖値にとっては「猛毒」にも等しいことが判明したのです。「炭水化物」を摂取する総kcalを所定の制限値内に保ってはいても、この「四人組」が活躍した味の食事を摂った2時間後では、血糖値が急上昇し、160近くにまで跳ね上がるのです。
「速足の散歩」をこなすとその血糖値は急降下して120前後、時には100代にまで低下するのですが、それは単なる対処療法であって、体質の改善(回復)とはならないのです。現在は糖尿病を発病した状態に在る「体質」を改善して、以前の正常な体質にまで回復させることが本来の目的なので、私の『前頭葉』の「評価の物差し」とも何度か折衝し、協議した結果、基礎体力を確保する為摂取する炭水化物の総kcalは基準規制値よりもやや多めにすることとして、『基本として「薄味ベース」であるが、四人組の出番を極力抑制しながら、それなりの味付けとする』ことで妥協したのです。
かくして、退院した翌週から、私の「挑戦」が始まったのです。病院で指導を受けた運動療法のレベルとは違い、「速足の散歩」という内容の運動療法の場合は、血糖値を下げる効果が絶大なのです(但し、私の「運動療法の中身」を知った担当に女医は、『Tadさん、それは、強靭な肉体を誇る肉体労働者がやるもので、普通の高齢者には、到底無理ですよ』との評価でした)。
(肝心の味付けに関しては、上述した基本方針は堅持するという条件付きで)基礎体力を維持し、「前頭葉」の三本柱の潜在的な機能レベルを拡大し、そのことによって免疫力それ自体を適切な機能レベルで維持し、然も、「血糖値を所定の数値の域内に収める」という、私なりの対処方法を実践することに決めたのです。
前置きが長くなりましたが、実はこの私、昨年の3月8日に突如、帯状疱疹を発症し、人並み外れて痛みの部類には強いはずのこの私が、手の先の指を天に向かって突き上げ絶叫していないと耐えがたい程の激痛が間欠的に襲ってくるのです。然も、その激痛が6ヶ月間もの間日夜続き、突き刺すような痛みを伴う帯状疱疹の激痛がやっと収まってきたと思ったら、帯状疱疹を発症した左肩の肩甲骨の周辺、左肩から左腕の手首の手前まで、更には、左肩から左耳の脇を通り抜けて左目の手前までの部位が関係する腱と筋肉との収縮による激痛(後遺症)により、左腕が全く動かなくなってしまったのです。且つ、その激痛が今度は5ヶ月間続き、夜も何時眠ったのか分からない程の痛みが続いたのです。運転をする際にも左腕が痛くて動かないので右手一本でのハンドリングになるのです。私の車は、ウインカーを操作する部位がハンドルの左側にあるので、右手で操作するのがとても大変だったのです。
世に先駆けて、『アルツハイマー型認知症』の発病の予防、市町村による住民参加型の「地域予防活動」の展開を指導すると言う仕事、そのことを『天職』とまで感じ、信じて頑張ってきた私に対して、『天帝は何故にこのような酷い仕打ちをするのか』と恨んだ程なのです。私が中学1年の時、物置小屋の片隅で見つけた古びた表紙の漢文の書籍の文中に在った一文の冒頭の言葉である「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行い其の為すところに払乱せしむ・・・」云々の言葉が私の脳裏をよぎったものの、耐え難い程の余りの痛みに身も心も折れてしまいそうになるのです。30代とか40代、せめて50代の若い身ならいざ知らず、古希を迎えて、あとはお迎えを待つだけの身だというのに「何故―っ?!」と、絶叫してみたくもなるのです。
とは言え、そこで家に籠るようになると危険なので、無理をしながらも出来るだけ外に出かけて行く機会を作り、お友達に会う機会を作り頑張って、苦境と戦ったのです。普通ならそこで抗う心が折れてしまい、結果として、「前頭葉」の三本柱の機能の一角を担う「意欲」という機能が急速に衰えて行ってしまい、何もしようとはしなくなる生活不活発状態に陥るところなのです。
しかし、『アルツハイマー型認知症』の発病自体の予防と早期診断による回復という明確な目的のもとに住民参加型の「地域予防活動」の実践を指導する身であるこの私が、帯状疱疹の発病とその痛みに耐えかね、言い換えると、それが「キッカケ」となり、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥って行ってしまうと、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っていることになる訳なのです。このまま心が死ぬ訳にはいかない、「アルツハイマー型認知症」を発病して、与えられた天命を達成せずに中途で投げ出す、そんな笑い話にもならない事態だけは絶対に起こしてはならないと心に言い聞かせ、死に物狂いで耐え、命がけで身体を張って、頑張っていたのです。
ところが後遺症としての筋肉痛が収まりもしないうちに、年も押し迫った年末の12月23日に今度は「尿閉」と言う追加の仕打ちが待っていたのです。その尿閉は、近くの病院に駆け込んで、若い駆け出し風の医師にバルーンを入れて貰って事なきを得たのですが、天帝の仕打ちは更に続いていたのです。尿閉の原因となった6倍もの大きさに肥大した前立腺を切り取ってしまう手術が必要との診断で、最新の機器を使える他の病院に転院したのですが、そこの泌尿器科で採血した際に、「HbA1Cの数値が15.2で、且つ、血糖値が594ということで緊急入院」することを要求され、当日そのまま「入院」することになったのです。
天から降って湧いたかのように、突然同時に起きてきた「尿閉」と言う問題と血糖値が594という問題とは、其れまでに徐々に何年間もかかって高血糖の状態に進んできていたものが(7年前の胆石の除去手術の際に、HbA1Cの数値が正常域値内に在ることが確認されていた)、昨年の3月8日に帯状疱疹を突如発症して以来続いた激痛による強大な「ストレス」に加えて、免疫機能の急激な低下が原因で血糖値が僅か3~4ヶ月間ほどの極く短期間に急上昇した為に糖尿病の域値、然も糖尿病としても極めて高い域値迄に症状が進行する状態が起きてきたのではないかと私は考えたのですが、主治医は私の問題提起には全くのこと耳を貸そうとはしてくれなかったのです。脳と言っても、「前頭葉」が関わる問題であり、専門外のことでもあるので、本人の関心がなかったのでしょうけど。
世界中の脳科学者であれ、心理学者であれ、認知症の専門家であれ、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能については、殆ど知らないことだからです(複合機能体であることさえ知らない)。余談はさておき、その入院が(18泊19日)続いて、やっとのこと、退院となったのです。その入院中に、投薬や食事や血糖値の測定や種々の検査の合間の時間を見つけて折々に書いたのが、全体の構成面で意味不明の赤恥を晒したあの2月15日に公開した「B-76」のブログだったのです。名誉回復の為に、退院後に再構成した上で書き直したのが「B-77」のブログという訳です。基本的には同じテーマを構成の仕方を変えて書いたものなのです。
両者で根本的に異なっているものはと言うと、ブログの「テーマ」と全体を構成する際に必要不可欠の機能である「前頭葉」の三本柱の機能の核心をなす『注意の分配力』の機能の、機能レベルの差の問題なのです。
私Tadは、大きなテーマの文章を書くときは、」頭の中で全体を構成(メタ認知)した後、それを打ち出すのですが、総字数が2~3万字ぐらいの文章となると、全体を構成するのに「評価の物差し」の機能と「実行機能」と「前頭葉の三本柱」の機能(中でも、注意の分配力の機能)がフルに発揮されている状態であることが必要となり、入院中は、激烈極まりない程の痛みを伴った筋肉痛とそのストレス(これも血糖値を上昇させる一要因)とにより肝心の「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が落ちてしまっていて、あんなふうな支離滅裂のものになってしまったのです。
「B-76」と「B-77」とを読み比べて頂ければ、その歴然たる差異が読み取れると思うのです(但し、「B-77」は、体力と気力の回復ということもさること乍ら、名誉挽回とばかりに張り切り過ぎ、気持ちが昂り意欲が高じて、集中し過ぎて、注意の分配機能が働きすぎた為に書きすぎた結果、総字数が4万字にもなってしまい、1万字分削減した為、その分、流れが若干よどんでいるかとは思うのです)。
様々な種類が数ある(私が思いつく機能だけでも66もあるのです)「前頭葉」の個別認知機能(総称して、『実行機能』=Executive Functionという)の発揮度は、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能からなる「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度とリンクしていて、且つ、それに左右され、下支えされているという私たちの主張を証明するような私の実体験でもあったのです。
急速に衰えてしまった「前頭葉」の三本柱の機能(中でも、『注意の分配力』の機能)を復活させる為に採った退院後の私の秘策。それは、毎日午前と午後の二回、1.0時間ずつの「速足の散歩」を実行するということだったのです。
「速足の散歩」の効能はと言うと、「前頭葉」の個別認知機能が働く上での基幹機能である「意欲」の潜在的な機能レベルを奥底から掘り起こし強化してくれるというものなのです。『意欲』の潜在的な機能レベルが掘り起こされて、強化されることにより、「注意の集中力」の機能の潜在的な機能レベルが強化されることにもなるのです。「注意の集中力」の潜在的な機能レベルが強化されることにより、「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベルが強化されることにもなるのです。『意欲』を源として、注意の集中力の機能が生まれ出てきていて、「注意の集中力」の機能が分化したものが『注意の分配力』の機能という「三層構造」の仕組みになっているからです。
かくして、毎日午前と午後の二回、1.0時間ずつの「速足の散歩」を実行することにより、血糖値を低く抑える効果と「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能レベルの強化という二つの目的を同時に達成することが出来たのです。
とは言え、無意味数字に対する記憶力が未だ十分には戻ってきていないので、私の「前頭葉」の三本柱の機能レベルも未だ十分には回復してきていないということなのです。「速足の散歩」、私は毎日の食後2時間が経過した時点で、「血糖値」を計測しているのですが、実は、この「速足の散歩」が、食後の血糖値の急上昇を抑える上で、極めて効果的なのです。糖尿病の闘病生活を送っておられる方は、「速足の散歩」を是非取り入れていただきたいのです。
『速足の散歩』を開始してから10日近くが経過した私の状況はと言うと、「B-77」のブログを「朝飯前」に書き終えることが出来たということなのです。但し、その朝飯とは、何を隠そう、私なりのアレンジが入っているとはいえ、「糖尿病食」のことなのですが。
あ~!!!『 むかしのしょくせいかつがなつかしいYO~ 』.
絶対に糖尿病を克服して、昔の「食生活」を取り戻してやるぞ~!!
「食の喜び」失くして、何のための第二の人生よ。
私が糖尿病食では、皆さんが気兼ねして、食事会に誘っても、来てくれなくなってしまうのです。『「アルツハイマー型認知症」は、原因不明で治らないもの。発病を予防することも症状を治すことも出来ないタイプの認知症である』との世界中の権威が有る専門家達の誤った考え、主張をひっくり返してきたこの私なのです。今度は、『糖尿病は、一度発病したら、生涯付き合っていくしかない病気であり、「糖尿病食」を日々遵守していくしかない生活になる』という糖尿病の専門家達の主張をひっくり返してやるという強い思いに駆られてか、せっせと「速足の散歩」に励んでいる、今日この頃なのです。
糖尿病を発病して、日々糖尿病食の摂取と言う苦痛にさいなまれている同病の仲間達、絶対に負けないでこの先も頑張りましょう。この先が、明日が楽しくなるような生活でないと、肝心の「前頭葉」が持たないのです。血糖値だけが正常で、身体は細くひ弱になり、「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能が衰えていき、免疫機能も低下していく、それが、退院時に渡された食事療法の手引きが主張している「食事療法」の構成内容なのです。
今から50年も前に出版された内容のものが、殆ど内容の改定もないままに現在販売されているのです。私が問題にしている脳、就中「前頭葉」と身体との関係という視点など、その欠片も存在しないのです。
食事をするということは、食事の内容を考えるにも、並べられた食事を眺めるにも、食べたものの味を深く味わうにも、必ず、「前頭葉」の関与があるのです。「前頭葉」には、3歳が終わるときまでは親の背中を基礎として、4歳になって以降は自分独自の体験をそれに付加して、18歳になるまでに完成させてきた物差し、後天的に獲得したその人独自の「評価の物差し」と言う機能が備わっていて、何であれ、「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮上の対象となるものに対して、自分なりの感じ方、観方、或いは考え方を造り出し、作り上げるものなのです。
何時の日になったら、「糖尿病」を発病した第二の人生を送っている高齢者が極めて厳格な(ある意味で、厳格すぎるほどの)遵守を求められる「体重規制」と「食事規制」に、「前頭葉」の機能との関係という「テーマ」並びにQOLと言う視点が持ち込まれることになるのでしょうか。
厚労省が試算している末期の段階の「大ボケ」の段階のお年寄りだけでなくて、私たちの区分で言う「小ボケ」と「中ボケ」とを含めた「アルツハイマー型認知症」の発病者数は、既に1000万人を超えている筈なのです。その「アルツハイマー型認知症」でさえ、「前頭葉」の個別認知機能との関係、就中、「前頭葉」の三本柱との関係について語れる『アルツハイマー型認知症』の専門家は、我が国だけでなくて、世界中を探してもいないのです。ましてや、この「糖尿病」と「前頭葉」の三本柱との関係について語れる知識がある糖尿病の専門家は、未だ現れてきていないのです。 あ~、嘆かわしや。
(エピローグ) 実は先日、退院後初めての診断を受けてきたのです。入院時15.2だったHbA1Cの値は、45日間経過後には8.9 へと下がっていたのです。
担当の医師は、これほど急激に劇的に数値が改善したのは極めて珍しい例だとおっしゃっていました。ここだけの話なのですけど、実はその日の昼食は、外食だったのです。野菜サラダと、トンカツ2切れと鮭の煮つけ2切れと、ガンモドキの煮物とお吸い物に、多めのご飯という献立でした。最近開店したばかりという店の女将と話が弾んで世間話を30分程して、食後の運動は無しに、車で1.5時間かけて病院に行き、昼食後2時間経過時の血糖値が124だったのです。HbA1Cの値は、測定日前1.5ヶ月間の平均値ということでしたので、丁度入院した日からその診断日までの期間と言うことでもあった訳なのです。
私は、「QOLという視点」を取り入れて考えた私なりのやり方に対し大いに自信を持ったのです。その場で直に、1ヶ月後の診察の予約をお願いしたのは言うまでもありません。次回の診察日におけるHbA1Cの値が正常値の域内に在る自信があったからです。えっ!なんですって、「捕らぬ狸の皮算用?」。ぜったいにそんなけっかにはなりませんからね!
注)本著作物「Bー78」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
エイジングライフ研究所のHP(左の部分を「クリック」してください)
脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)
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