まだ暖かかったころの記事で恐縮なのですが…
霊場、高野山への登り口にあたる九度山町。国道370号線から丹生川に沿って河根(かね)という集落を通り、さらにクルマ一台がどうにか通れるくらいの細い道をどんどん登っていくと、尾根まで登りつめたところに久保小学校があります。山の麓や中腹に学校があるのは珍しくはないと思いますが、その学校を境に向こう側は下り斜面、水が向こうにもこちらにも流れるというのは不思議な風景だと思いませんか。山の奥にあるのに日照時間の長い小学校。それが昔ながらの木造校舎で、映画のロケにでも使われそうな趣ある小学校。現在休校中です。
この小学校に興味を持ったのは2年ほど前の秋のことでした。国道370号線を登って高野山方面に向かっていたのですが、前のクルマがモタモタしていたので、右折すべきところを直進して脇道へ入ってしまったのです(後から落ち着いて考えると右折のタイミングを図っていただけで、モタモタしていたのではありませんね)。国道なのに少し様子が変だとは思いながら集落に入ると道が細くなりました。どこで引き返そうかと考えたのですが、私の前に軽トラック、その前にタクシーが軽快に走っていましたので、きっとこの先で広い道路に出るに違いないとタカをくくり、細道をその2台についていきました。やがて軽トラが離脱。私はタクシーについてどんどん坂を登っていきました。そのうちタクシーに離され、自分のクルマだけが山道を登っていきました。途中、何軒かの人家もありましたが、住人がいるような無住のような…。こんなところで前方からクルマが来たらどうやってやり過ごそうかと心配になってきました。幸い、向こうからはクルマはやってきませんでした。ナビに学校のマークが見えましたが、恐ろしいことにその先の道が途切れています。「広い道路も何も、こら行き止まりだわ」とあきらめ、さあどこでクルマを回そうかと思っていたら、さっきのとは別物と思われる軽トラックが後ろに停まっていました(私の車が邪魔していので停まるしかないですね。細道ですから)運転していた髭の立派なおじいさんはこのあたりの集落の住人でしょうか。喪服でした。そういや先ほどの河根で葬式が行われていました。道を間違えたらしいと話して、軽トラックに道を譲り、Uターンして元の国道へどうにかこうにか戻ったという思い出があります。
そのとき、疑問がふたつ生まれたのです。ひとつは葬式帰りのクルマがあるということは、こんな寂しい山の中に人家があるという証拠ではないのか。もうひとつはナビの画面に写った学校のマーク。人家さえあるかなしかの山の上に学校があるのはなぜかという疑問です。
家に帰ってWebで検索をかけたら、この学校は久保小学校というらしいことがわかりました。そしてこの小学校は現在休校中だということ。村影弥太郎さんのサイトに教えてもらったのでした。
それから2年。バイクを買ってまず行ってみたかったのがこの小学校。クルマでは怖いので行けなかったのです。9月23日に出かけたのでした。2年前と同じルートで登っていきます。自分はこんなに細い道を無謀にもクルマで登ったのかと思いながら、辿りました。Uターンした場所からは小学校まで直線で約200m。校舎が見えました。確かに、小学校までは登りだったのに、ここを境に向こうは下り斜面です。そして、休校中のはずなのに人がいます。彼らは決して広くはない校庭の手入れをしています。校舎も窓が開けられ、座布団を干したりして、休校中とは思えない活気です。クルマも何台か停まっていて、クルマで来る勇気のない私を笑っているようでした(クルマはそんなこと思わん!)。
バイクを置いて、校庭で作業をしているおじさん(私だっておじさんだけど、私よりずっと先輩と思われる)に話しかけてみました。彼はこの小学校の卒業生だそうです。明日この小学校で敬老会のイベントがあり、その準備をしていること。小学校や近辺の維持のために、大阪からボランティアでやってくる人もいるということ(帰って調べてみると日本森林ボランティア協会という組織がお手伝いをしているらしい)。この校舎は10年ほど前に火事で消失し、再度もとの校舎と同じように建て直したけれど、2,3年で児童がいなくなってしまったこと。20~30年ほど前には児童数が7人ほどいたこと。ざっとこんなことを話してくれました。
一棟、教室二つ分プラスアルファほどの小さな木造校舎。注意深く眺めてみると、外面は風雨に晒されてそれなりの年月を感じさせるけれど、内壁は木の色が新しい。校舎から階段を下りて校庭。その下にはプール。尾根にあるのにどこから水を引いてくるのだろう。山水は冷たいのに、こんなところで年に何日プールを使えるのだろうと思いました。
2006年3月の卒業生を最後に休校中とはいえ、町内の小学生の合宿所だとか、町の施設としてイベントにも使っているらしい。つまり、決してこの久保小学校は「休んで」いないわけです。
地図で見ると、この小学校から先は道路がないように思われますが、先ほどのおじさんの話では、「371号側へも下りられるよ」ということなので、帰りは山の向こう側へ下りてみることにしました。小学校のすぐ下では蕎麦畑でしょうか、白い花が咲いていました。付近にはこれも住人があるのかないのかわかりづらいですが、家が数軒。田んぼの跡地も少し。けれども、道路はというと、林道としか思えない荒れた道路です。こんなところでパンクでもしようものなら…。怖い思いをしているうちにたどりついたのが、北又という集落。こことて奥まったところですが何軒かの人家があります。谷あいに田んぼも作られていて、収穫の後のようです。そうして、どうにか国道371号に出ました。橋本市に向かって下っていきますが、この371号も国道というには過酷なクネクネ道です。紀ノ川まで下ってやっとほっとしたのでした。
高校1年のときの校舎は木造でしたね。歩くとギシギシ鳴ってました。懐かし!。
でも高校の校舎は2階建でしたよ。8組だけ2階でしたもんね。この小学校はシンプルな平屋です。本当にちっこかった。